#03
「…………あら?」
昼下がり、穏やかな木漏れ日。感じるのは食後の満腹感と、少しだけとれた疲労感。木にもたれかかっていたリンが目を覚ますと、両肩に重みを認める。それがクゥリとリッテラであるということに気がついた瞬間、リンはサッと青ざめた。
クゥリとリッテラの面倒を少しだけ見ていてもらえないかな。実はクロガネにそう頼まれたリンは二つ返事でそれを引き受けた。何でも、食料の調達のために一狩り行ってくるぜとのことだ。リンも流石にこれを一人で代行するというのは心許ないので、すぐ戻るとの旨を聞いてこの兄妹の面倒を見るという任務を請け負ったわけなのだが。
……寝てしまった!
「わ、私ったらなんてこと……」
自分で引き受けておきながら居眠りするなんて怠慢だ。ほどよく寝たことと痛みで眠気が吹っ飛んだところで、リンは両頬を引っ張って己を叱咤した。リン自身にも日頃の疲れがないわけではないが、そんなのは皆んな同じこと。情けなくて溜息を吐くとその時にリンの体が揺れたのか、リッテラの方がもぞもぞと動き出す。
「ん……リン姉ちゃん、どうしたんですか?」
「あ、ごめんね起こしちゃった?……リッテラちゃんはよく眠れた?」
「はい、ぐっすりです。やっぱり大人と一緒にいると、ホッとして力が抜けちゃうのかなぁ」
リッテラは「おはようございます」とにっこり笑った。よく寝る子たちだなぁと思いつつも、精神的にも身体的にもこれだけの苦痛な体験が重なれば仕方のないことなのかもしれない。自分たちと一緒にいることで、ようやく安らかな時間を取り戻すことができたのだろう。
クロガネもリンも厳密に言えば大人ではないが、まだまだ小さいこの兄妹からすれば頼れる存在ということなのだろう。まあ、リンは寝てしまったわけだが。
「お兄ちゃんの方はまだ起きないね」
「クゥリお兄ちゃんは……わたしよりも疲れてるんだと思います。あの怖い人たちから逃げてる時だって、ずっとわたしの手を引いてくれてて。わたしが走れなくなったら、自分だって苦しかったはずなのに背負ってくれて……」
「…………うん」
「ふふ、ちょっとしんみりしちゃいました。……お兄ちゃんには感謝してるんです。ずっとバタバタしてたから、まだちゃんと言えてないんですけどね」
リッテラは小さな声で申し訳なさそうに、しかし穏やかな声音で言った。
クゥリは結論から言えば妹を守りきることはできなかった。クロガネがあのパヌルとヴィエという男たちから助けなければ、この二人の命はなかっただろう。それでも小さな兄が、小さな妹を守るために奔走したことは事実である。
二人で助かることを最後まで諦めなかった。それはきっとリッテラにも勇気を与えたに違いない。
リンは優しい気持ちになって、くすりと微笑んだ。
クゥリはリッテラにとっては紛れもなく──ただ一人の小さな勇者だっただろう、と。
「リッテラちゃんの感謝と労わり、きっと伝わってるよ」
頑張り屋さんの背中は、現実よりもずっと広く見えるのだ。
ああ、やっぱり何だか重なってしまうなぁ。
「……リン姉ちゃんって、やっぱりクロガネさんのこと好き?」
「ひゃい⁈」
思考がトリップしかけたところに唐突なリッテラの質問は、リンを現実に引き戻すには十分過ぎる。我ながら驚きと本音が入り混じった変な声だ。リッテラはさすが女の子ということなのか、少しませているのか、それともリンがそう目に見えてわかりやすいだけなのか。この手の質問は二回目である。
「だって気になるんですもん」
「もー……リッテラちゃんの意地悪ぅぅぅ」
リンの答えは前回も今回も明確でこそないが、その曖昧な返事は女同士ならば十分に通じてしまうもの。
大切である、ということは十分に。
「……リッテラちゃんは、お兄ちゃんが怪我したら嫌だよね?自分が心配してるのに無茶してたらどうする?」
「ええと、難しい質問ですね……」
リンは思い切って尋ねてみたが、年端もいかない子どもに訊くには少々難しい質問だったようだ。リッテラにとっては現在進行形の問題である。無茶をして自分を守ろうとしてくれていたクゥリに対してこの子がしてあげられたことなど、そうそうなかっただろう。
「でも、わたしだったらそう伝えてみようかと思います。心配する気持ちが伝わればきっと、もうそんなことしなくなるんじゃないかなって」
リッテラの回答は純粋で素直なものだ。だからこそその言葉を信じられるし、だからこそ難しいものであるとも思う。
リンの心配だという思いを伝えたならば、クロガネはきっとわかってくれる。ただしそれは気持ちなら、という話である。
クロガネは困ってる人を、自分の周りの人たちを見捨てることはない。リンの気持ちが届いたとしても、どれだけ心配していたとしても、彼はきっと誰かに手を差し伸べることを止めやしない。
──そんな彼だから、ついて行こうと思えたのだけれど。
「……むにゃ…………あれ、寝てた……」
「あ、クゥリくん起きた」
リッテラと話していると、クゥリが寝ぼけ眼のまま起きてきた。彼は先ほどまで自分が話題の中心であったとは露知らず、リンにもたれかかっていたことに気がつくや否や光の速さで謝罪した。いったい何がこの少年をそこまでせき立てるのかは分からないが、クゥリが落ち着いたところでリンはゆっくりと立ち上がる。皆んなずっと同じ姿勢で寝ていたから、体が固くなっているはずだ。
「あの、クロガネさんは?」
「一狩り行くか!……とのことです」
「そっか……やっぱりクロガネさんはかっこいいぁ……」
やはりクロガネが近くにいた方が安心するからであろうか、クゥリがそう尋ねてきた。クロガネ不在の理由を伝えると、クゥリは一人で戦いに行くクロガネに対して憧れにも似た感嘆を声に出す。最初こそ怯えていた彼も、今では自分たちに少しは心を許してくれているのだろう。
少年は瞳を輝かせる。そして僅かに落胆が覗く。それはきっと少年自身に向けられた、自らに対する失望だ。
男の子は誰しもヒーローに憧れるものなのかもしれない、というのは偏見だろうか。強くありたいと願うものなのだろうか。
クゥリから尋ねられた「ヒーローの定義」なんてわからない。
英雄だなんて言われるくらいだから、確かに強いのだろう。そしてその分戦ってもきたのだろう。もちろん負けだってあっただろう。何度も心が折れかけただろう。そうだとしてもヒーローは傷付いて倒れて、それでも何度も立ち上がって。
そして最後にはきっと、救われた者たちからこう言われるのだ。
「クゥリくんだってかっこいいよ」