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白龍学園武侠倶楽部  作者: 竜牙堂
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第三回 堕天使長と阿修羅王

 俺は自分自身の行動に驚愕した。何故、一文の得にもならねえ事をしているのか、正直不思議であった。闘える行為そのものに高揚感を感じてもいた。

 褐色の青年は氷魔が出てきたことに眉一つ動かさなかった。まるで氷魔が出て来るのを予測していたようだった。

「ほう。その制服はお前も白龍学園の生徒なのか」

 声は冷静そのもの。発音も変なイントネーションはあるが聞き取れないほどじゃない。

 俺は危険を承知で歩み寄る。途中で生徒が倒れているのをちらりと横目に見る。見た感じ重傷そうだが、死んでいるやつは恐らくいないだろう。

 しかし白龍学園と言ったのか、あいつは。まさか白龍学園の生徒狩りでもしてんのか? まさかな……。ボンタン狩りでもあるまいに……。

 俺は自分の中の考えを打ち消す。そして間合いに入らないように歩みを止め、対峙した。

「お前、うちの生徒になんか恨みでもあんのか? ああ?」

 俺は軽く脅すように問い質す。それに答えるのは淡々とした口調。

「恨みはない。ただ情報を聞きたかっただけだ」

「あ? 情報?」

 俺は怪訝な表情を作りながら意外な返答に思わず間抜けなセリフを発してしまった。

「そうだ。お前にも聞きたい」

 青年は一拍置いて言葉を継いだ。俺の疑問にまるで意を介していないかのような口ぶりだ。

「公孫王竜。この少年が白龍学園にいるはずだ。知ってるか」

 青年の声は威圧感に満ちていた。恐らく答えるのを拒んだら口封じに殺される危険も感じるほどだ。

 だが俺はその名前を聞いた瞬間、目を丸くしてしまった。しまった、と思ったがもう遅かった。これでは知ってます、と言ってるのと同じだ。

 俺は自分の運命を呪った。ちっ、こんな事になるなら兄貴たちと一緒に帰ってれば良かったぜ。

「ほう。その反応は知ってそうだな。大人しく教えれば苦しまずに殺してやるぞ」

「拒否したら?」

 俺は解りきっている答えを聞くためだけの質問をした。俺の返事を聞いた瞬間、青年は酷薄そうな笑みを浮かべ、

「苦しまずに殺された方が良かったと思う殺し方で殺す!」

 青年から殺意と悪意と敵意が急激に膨らむのを感じた。格闘漫画の描写でありがちな氷魔と青年の間の空間がぐにゃあ、と歪む。

 青年が間合いを侵略するように一歩踏み出す。申し合せたかのように俺も一歩踏み出す。どうやらお互いに同じ行動を取ったようだ。

 俺の左拳と青年の左拳が同時に相手へと伸びる。そして互いの左拳を寸前で躱す。青年は実に楽しそうにニヤリと笑う。

「貴様はどうやら心得があるようだな。それもなかなかの使い手とみた」

 間合いを取りながら青年は楽しそうに喋る。

 青年の表情は先ほどまでは退屈そのものといった感じだったが、今は闘うのが楽しくて仕方がないといった表情をしている。

 俺は内心舌を巻いていた。実際に手を合わせて解ったが、恐ろしく強い手練れだ。兄貴たちも強いがこれはまるで質の違う強さだ。

 互いに一進一退の攻防で相手の隙を見つけようとした。だがまるで隙が見当たらない。

 そんな行為に俺は少し苛立ちと同時に喜びを感じてもいた。稽古中にも試合中にも喜びの感情なんて感じた事は無かった。だが今はそれを感じていることに俺は少し驚いた。何故、そんな感情が働いたのか皆目解らなかった。

 今は目の前の相手に集中するんだ、と氷魔は自分に言い聞かせた。

 くそっ、このままじゃ埒が明かないぜ。こちらの技が全て読まれているかのようだ……。

 俺は青年の表情を見やる。青年は相変わらず酷薄な笑みを浮かべている。

 短い気合とともに俺は一足飛びで相手の間合いを侵略した。それを予想していたように青年は身体を反射的に動かす。

 一か八か! この技でも喰らいやがれっ!

 右の正拳突きで相手の胸を狙う。青年は左手で下へ受け流す。その時だった。

 かかった!

 俺の技が瞬時に変化する。相手の受け流しに逆らわず、肘打ちに変化して青年の胸を襲う。

 水影流忍術【残光】という技だ。

 青年は短く呻きながらもとっさに後ろへと跳ぼうとしたが遅かった。俺の肘打ちが相手の胸元へ決まったのだ。これは八極拳の猛虎硬爬山に似ている技だ。

 青年は苦悶の表情を湛えながら膝から崩れ落ちる。俺は勝負あったとみて様子を伺う。

 手応えはあった。もう立てないはずだ。

「ふ、ふふふ。まさかこんな極東の島国で俺が苦杯をなめさせられるとはな……!」

 青年は片膝を着きながら、なお不敵に笑う。右手を自分の胸に置き、よろめきながらも立ち上がる。

 俺は青年のタフネスさに舌を巻いた。

 あの切り札をくらって立ち上がってこれんのか!?

 俺は驚愕の表情を浮かべた。

「今度はこちらの番だな。返礼は相応の技でいかせて貰うぞ!」

 青年は初めて構えると俺に向かって素早く踏み込んだ。俺は青年のダメージを見てそれほど早く動けないと高を括っていた。それゆえ反応が瞬刻遅れた。

 し、しまっ……!

 青年の炎のような連撃が俺を容赦なく襲った。

「ぐ、ぐぶっ!」

 俺は思わず声が漏れるように呻いた。今度は俺が片膝を着く番になった。立場が逆転したのだ。

 よ、避けきれなかった、だと……!? い……一体、何が起きた……!?

 俺は苦痛と驚愕で顔が歪むのを感じた。いまだに信じられないといった動揺を隠せない。

「ふう。この俺に ashur chhah baanh《アスラ チャハ バーンフ》を使わせるとはな……!」

 青年は疲労しているのか先ほどのダメージが回復していないのか、呼吸が荒かった。

 恐らくはこの後、自分はとどめを刺されるだろう。俺は薄れゆく意識の中で自分の最後を思った。


 そこには様々な思いが交錯していた。後悔、諦観、憤怒、そして傲慢……。

 まだ死にたくねえ……! やり残したことがたくさん有りすぎる……!

 でも、死ぬんだよな。やはり神罰はあるのかもな。

 何で死ななきゃなんねえんだよ、くそったれっ!

 俺は、俺は、天下の氷魔様だぞっ!


 俺は荒い呼吸を整えるために深呼吸を数回すると、異国の少年を見下ろした。

 勝ったか……とはいえ、これほどの苦戦はインドラ以来か……。

 俺はあの時の闘いを思い出し眉を顰めた。そしてその思いを振り払うように軽く頭を振った。

「……惜しかったな。後、数ミリ深ければ立場は逆転していただろう」

 俺は低く呟いた。まだ胸の傷が痛む。呼吸するたびに体へと響く。

 正直、畏敬の念を禁じ得ない。恐らく今まで闘った中でも強敵と位置付けることが出来る男だった。だがこれでお終いだ。異国の戦士よ。

 氷魔の前へと歩を進ませると腕を振り上げる。その瞬間、背筋を氷の蛇が這う感覚に襲われる。

 俺はまだ敵がいるのかと奇妙な感覚の出所を探して周囲を見回した。だが周囲には誰もいない。気のせいかとも思ったがまだ嫌な感覚は消えない。

 まさか、とは思うが……。

 氷魔へと視線を戻した瞬間、俺は奇妙なモノを観た。氷魔の身体に黒い炎のようなものが立ち上り、それが六枚の翼になったヴィジョンが観えたのだ。

 俺は思わず怯んだが、確認のためによく見直そうとした。だがもうそれは観えなかった。なので錯覚か幻覚の類だと思った。だが、しばらくは用心のために躊躇して止めをさせないでいた。しかしもう変化がないのを見ると再度とどめの体勢に入った。

 だが、もうタイムリミットが過ぎていたらしい。何故なら、後ろで何者かの足音がするのを聞いたからだ。

「氷魔!」

 慌てたような叫び声を聞いたと思った刹那、素早く振り向こうとしたがもう遅かった。すでに間合いまで侵略されていた。まるで疾風のような速さだ。

 俺は何とか迎撃に出ようとしたが思った以上にダメージを負いすぎていて身体が言う事をきかない。相手は短い気合とともに攻撃を仕掛けてきた。

「ぐう……」

 俺は予想を上回る速さの攻撃をギリギリでかわすと間合いを外し侵略者を確認した。

 そこには少女がいた。あるいは小柄な少年か。何故か高貴な感じを受ける少女だ。緊張した表情で俺を睨んでいる。

 その勇敢な眼差しは俺を見据えるように一歩も引かない決意を滲ませていた。そして今にも噛みつきそうな表情で見据えていた。

「おーい、龍二(りゅうじ)! 氷魔は無事かー?!」

 今度は大きな声が俺の背後から聞こえた。まだ仲間がいるらしいな、と俺は思った。龍二? 少女かと思ったら少年だったか……。

「少女かと思ったら、何だ少年か……」

 俺は思わず小声で漏らした。聞こえなかったら良かったがどうやら聞こえてしまったらしい。

 その言葉を聞いた途端、龍二は眦が裂けるほどに見開いた。次の瞬間、怒気を孕んだ口調で、

「少女で悪かったな! 俺は男だよ!」

 と、素早く俺へと飛び掛かってきた。

 まずい!

 俺は思わず反応しようとしたが損傷で体が言う事をきかない。このままでは直撃を受ける、そう思った瞬間

「ここまでです、アスラ」

 突然、現れた天を衝くような長身痩躯の男が龍二という少年の攻撃を横合いから阻んだ。これには少年も仰天したのか鳩が豆鉄砲を喰らった表情をしている。

 そして少年は警戒しながらも未だ気絶している氷魔をかばう。そして乱入者を見上げるように油断なく様子を伺う。だが眼鏡をかけた男の闖入に戸惑いを隠せていなかった。

「何しに来た、デーヴァ」

 俺は迷惑そうな表情で問うがその声音には微かに安堵の色が浮かぶのを感じた。

「参謀がお呼びですよ。例の探し人の行方が解ったので作戦は第二フェイズへと移行します、とのことです」

 デーヴァは俺の耳元で囁いた。

「今は戦いの最中だ。邪魔を……」

「駄目です。それに3対2でわれわれの不利ですよ。さ、撤退しましょう」

 デーヴァは俺の意見を防ぐように微笑しながら提案した。顔が目と鼻の先にある。こいつは昔から近眼なので眼鏡をかけた今でも顔を近づけて物を見る癖がある。

「わ、解った。解ったから顔を近づけるな」

 俺は慌ててデーヴァから顔を背けると、不承不承了解した。

 龍二は展開が急すぎて呆然と2人の成り行きを見守っている。

「では、さらばです。青龍。今度は手合わせをお願いしたいものです」

 デーヴァは余裕の笑みを浮かべた。そして次の瞬間には龍二の視界から消えたように見えた。

「消えた……!? 一体、何もんだよあいつら……」

 龍二は目をぱちくりさせた。そこにはもう公園がいつもの日常を取り戻しつつあった。


「龍二! 氷魔! 無事か!?」

 虎が吠えるが如き大きな声が聞こえた。声のした方をを見やれば銀色のエプロンを付けた雲付くような少年が俺の視界に入った。さっきの眼鏡野郎よりも大きい体躯をした少年が近寄ってくるのが解った。

 まるでプロレスラーのような体格をしている。その少年-白丘虎太郎(しろおかこたろう)は心配そうな表情を作り俺たちの側まで大股で歩み寄ってきた。

「ふう。虎太郎(こたろう)! マジ遅すぎだろ? 俺がいなかったら氷魔は今頃地獄への片道切符持って旅行中だぜ!」

 俺は虎太郎に噛みつく勢いで悪態をつく。虎太郎はバツが悪そうな顔で、

「う……。それはさすがにすまないと思ってる。俺はお前みたいに足が速いわけじゃないからな……」

 と、大きな背中を小さくさせた。うーん、言い過ぎたかな。これではまるで俺が悪いみたいに見えるじゃねえか。

「ま、まあ。次はよろしく頼むぜ! あ、そうだ。じゃあ、氷魔を担いでくれよ。これでさっきの遅刻はチャラな! 一般人に知られるとまずいからさっさと行こうぜ」

 俺は虎太郎に氷魔を担がせると周囲を確認した。幸いなことに目撃者は誰もいないようだ。

「で、どこに運ぶ? 方丈はさすがにまずいだろ。これを抱えて歩くと商店街のお客様が驚くからな。俺は水影邸が妥当だと思うがどうだ?」

 氷魔を担いだ虎太郎が俺に提案した。俺は少し考えると、

「だな! じゃあ、急ごうぜ」

 俺は虎太郎に向けて首肯すると水影邸に向けて歩き出した。太陽は逃げるように地平線へ隠れようとしていた。


 夕飯を済ませた俺たちはささやかな神虎への歓迎会を催していた。時間はすでに19時を回っていた。

 歓迎会の会場は俺の部屋で行われていた。翔子は遠慮してか夕飯を食べたらさっさと自分の部屋へ戻ってしまった。なので俺の部屋には3人の少年が車座になって取り留めのない話をしていた。

 俺の部屋は自分で言うのもなんだが、恐ろしく殺風景な部屋である。余計な物はほとんど置いていない。

 会話の内容は世間話、四方山話と思い出話などなど。

「神虎くんは向こうでは大変だったみたいだね」

 中国での事件を聞いた明さんは深刻な顔で心配した。

 この若き財閥の次期当主は慈悲深く度量が広い事で有名だ。学園では高等部の生徒会長まで任されるほどの人気ぶりである。まさに人の上に立つのが義務付けられた人物である。

 聞いた話では3歳のころより祖父と父から帝王学を学び、小学生くらいのころにそんな教育方針に疑問を感じ反発もしたみたいである。よくある反抗期というやつであろう。俺は明さんでも人並みに反抗期をたどった事に感心し親近感が沸いたことを覚えている。だけど今では運命を受け入れたのか積極的にリーダーシップを取ることも多く感じる。もしかしたら、ただ諦めただけかも知れないが。

「彼らが何を企んで蚩尤神と思しきモノを復活させたのかは解らないけど。今のところは様子見するしかないかなぁ」

 明さんは渋い表情でぼやくと、瞑目しながら腕を組んだ。

「後手に回ってしまうのは少し危険かも知れないけどね」

 と、言葉を継ぎながら溜息気味に苦笑した。

 それは良く解る話だと思う。相手の規模や狙いが解らない以上は闇雲に動いても不利になるだけだろう。いや、それ以上にこちらの動きを相手に悟らせる方がかえってまずいまである。

 俺の思考を遮るかのようにスマホのバイブ音が着信を知らせた。音の出所を探せば明さんの傍らでスマホが自己主張するように振動していた。ちらりと見ただけだが、画面には【水影氷助】の名前が確認できた。

 一体、何の用だろう? 俺は少し嫌な予感を感じたが頭を軽く振ってその予感を追い出す。明さんも同じ予感に捉われたのか緊張の面持ちで俺と神虎の顔を代わる代わる見た。

 明さんはその予感を振り切るようにゆっくりとスマホに手を伸ばす。そして明さんは電話に出ると会話を開始した。俺と神虎は聞き耳を立てるように集中した。

 しばらくしてから明さんは氷助と別れの挨拶をしてから電話を切った。そしてスマホを傍らに置いた。

「……氷魔が帰宅中に襲われたようだ」

 明さんは感情を押さえつけるように説明した。

 思わず俺と神虎は驚きでお互いの顔を見合わせた。嫌な予感が的中したのだ。だけどすぐに二人は明さんへ顔を向ける。

「で、氷魔は無事だったのですか?」

 俺は思わず明さんに聞いていた。普段は素行が悪い後輩で苦言や嫌味は日常茶飯事である。だがそれ以上に憎めない男だ。だから心配そうに問いながら俺は思わず腰を浮かしていた。

「ああ、それは平気みたいだ。体は打撲と打ち身が数か所あるくらいらしい。今は疲れて寝てるみたいだ」

 明さんは喉の渇きを癒すようにウーロン茶を口に含んだ。俺は「それは良かった」と小さく呟き、胡坐をかいた。無事と聞いて内心ほっとしている。

「それで襲ったやつの名前は解ってるのですか?」

 神虎はなるべく冷静に明さんに問い質す。その問いに明さんは首肯した。

「これは虎太郎くんと龍二くんからもたらされた情報だが……。ああ、虎太郎くんと龍二くんは方丈でアルバイトをしている白龍学園の生徒なんだが。この二人の情報によると【アスラ】と【デーヴァ】だという話だ」

「アスラとデーヴァ……。アスラは初耳ですがデーヴァなら蚩尤塚で会いました。僕が蚩尤塚で会ったもう一人、ナーガはいなかったのですか?」

「そういえばそうだったね。俺が得た情報では二人の青年とその名前くらいだからいなかったのかも知れないね。別行動していたのかも知れない」

 明さんは落ち着いた口調で答えた。神虎はその言葉を真剣に聞くと「そうですか」と言って考えている。

 恐らくデーヴァが日本に来ている以上神虎とやりあったナーガという男も日本に来ていると考えたほうが良いだろう。これはますます警戒が必要だな。

「さて、堅い話はここまでにして、今後のことを話そうか」

 明さんはつとめて明るい声を出す。そして改めて俺と神虎を交互に見る。

 神虎は突然、思考を中断されたので何のことか訳が分からずに呆然としている状況だ。

「神虎くんの今後のことだよ。この事件が終わるまでは良いとして、終わったらどうするんだい? 俺はこのまま白龍学園に転入して貰うのが一番だと思うんだが」

「は? はい?」

 神虎は思わず目が点になり絶句する。そしてこの展開は考えてなかったのか動揺しているのが解る。

 神虎が動揺するのを見るのは何年ぶりだろうか? 俺は自然と頬が緩むのを抑えきれそうになかった。いいね! ボタンを連打したい気分だ。

「お、さすが明さん。良いですねぇ。神虎、そうしろ」

 軽く俺が無責任な発言で同意して追随する。

「い、いやしかし、突然押しかけてきてそのまま居座るなんて」

「なーに、遠慮は無用だ。客室で悪いが部屋もまだまだ空いてるし。それに俺の家族は大賛成だよ。祖父に至ってはいつ転入させても良いように書類まで作成済みらしいぜ」

 明さんは笑顔で神虎の逃げ道を封鎖する。この笑顔が怖いのだ。たまに明さんは強引に強弁という手段を取る。

 神虎は観念したかのように力なく肩を落とした。

「はい、お願いします」

 だが、これは悪い申し出ではないと思う。神虎もそれは承知しているはずだ。最初に断ったのはあまり明さんに迷惑をかけたくない思いで出た言葉であろう。真面目が服を着て歩いていると揶揄される男だ。

 この後は白竜学園に関する簡単なレクチャーを明さんがしてくれた。


 今日は絶好の花見日和である。

 俺は雲一つない空を見てぼんやりと思った。今日は昼から近くの公園で花見である。

 もちろん、勤労少年の俺は午前から夕方まで方丈でバイトである。

 公園での場所取りは暇な人が朝からしているみたいであり、朝からお疲れ様である。しかしそんな人たちがいなければ花見が成り立たない訳で、そう考えると感謝の念が自然と沸いてくる。まあ、実際、俺はやりたくないんだけどね、場所取り。

 今は昼休憩中である。別にサボタージュを決め込んでいるわけではない。それにこの時期は花見のせいか客足が遠のく感じがある。ぶっちゃけ暇ですらある。

「ふあぁ。今日も平和だねぇ」

 俺は欠伸を噛み殺しながら考える。このまま平和で暇で怠惰な日々が続けば、それはそれで平和なのかなぁ、と。

「失礼しまーす」

 明るい声が俺の怠惰な思考を切り裂く。この声は常美ちゃんだな。彼女の声は特徴的で解りやすい。

 軽快な音をさせながら扉が開く。

「あ、人志お兄ちゃん。お疲れ様です」

「ああ、常美ちゃん。いつも元気だねぇ」

「うん、ありがとうございます。人志お兄ちゃんは元気じゃないの?」

 彼女の瞳が心配そうな色を帯びる。まったく良い子すぎるね、この子は。俺の他愛のない言葉でも反応を返してくれる。

「ははは。俺は怠惰を貪っているだけで、元気でも病気でもない」

 俺はお道化ながらウィンクしてみせる。そして世界で最も意味のない言葉の羅列を発した気になって少し苦笑する。

「ふふっ。また冗談ばっかり。変なお兄ちゃん」

 常美ちゃんはちょこんと俺の前に座ると持ってきた賄いを食べ始める。薄い茶色のエプロンは着用したままだ。恐らく脱ぐのも面倒臭いのだと推測。

 俺も食べたけど今日の賄いは【ナポリタン】だ。シンプルな味だがどこか懐かしさを覚える味だ。昔、母親が作ってくれた味に似ているがどこか違う。

 俺はスマホを手に取ると桜の開花状況を確認する。今日は天気も良く日中は20℃まで上がるらしい。それに桜は八分咲きと、まあ最高のコンディションだ。

 俺はふとスマホを見る視点から常美ちゃんへと視線を移す。彼女は腹が減っていたのか夢中で器用にフォークとスプーンを使いながらナポリタンを食べている。

 食事の邪魔をしちゃ悪いかと俺は再び視線を元に戻し彼女についてふと思い返す。

 常美ちゃんはまだ中学生だ。最初は姉である陰穂(かげほ)の真似事をしているのだろうという認識しか無かった。危ない場面はさりげなく手を貸そうと様子を見ていた時期もある。だが彼女は弱音を吐く事なく常に笑顔で色々な仕事をこなしていった。もちろん、危険な仕事や難しい仕事はやらせず、他の仕事も他の人が付いて見守る形ではあったが。

 なんやかんやで今の立場は『お手伝い』ということになる。高校生では彼女の立場では仕方のないことだろう。だが他の高校生や大学生より良く気が付くしマスコット的な地位を不動の物としている。今では普通のバイトよりも知識と技術は明るくなっている。この方丈にはなくてはならない人材に成長している。

「ちょっと、人の妹をいやらしい眼で見ないでくれる?」

 俺は心臓が跳ね上がりそうなくらい驚いた。いつの間にか部屋へ入ってきたのか、太秦陰穂が扉の近くに立っていた。その目は犯罪者を見るような蔑んだ目付きで俺を見ている。一部の特殊な性癖の人にはたまらないご褒美なのだろうが、俺にはそんな性癖はない。

「あ、お姉ちゃん」

 常美ちゃんが嬉しそうな声で陰穂を迎える。この二人は実の姉妹である。姉妹仲は良く仲睦まじい。

 陰穂は白のエプロンを脱ぐと丁寧に畳んでテーブルの上に置いた。そして常美ちゃんの横の席に座るとまかない飯を目の前に置く。両手を合わせていただきますと言い食べ始める。

 陰穂は白のエプロンに象徴されるように潔癖な人間だ。不潔な物事は大嫌いという性格でもある。

「おっと、もうこんな時間か。仕事に戻らねえとな」

 俺はわざとらしくそう言いながらゆっくりと立ち上がった。これ以上長居して陰穂になんか言われるのは勘弁して欲しいので退散を決め込む。

「人志お兄ちゃん、お仕事午後から頑張ろう」

 常美ちゃんの明るい声が背後から聞こえる。俺は振り返らずに軽く背後へ手を振ってそれに応える。そして扉に近づくと音もたてず部屋から出ていく。

 陰穂さん、さっきから殺気を俺に叩きつけるのを止めて欲しいだけどなあ、と短いため息を吐きながら脱力する。ま、あいつが俺を嫌っているのは最初からなんだけど、最近はやけに激しい気がする。

 俺はまた一つため息を吐くと薄いブルーのエプロンを正した。

 さてもうひと頑張りして夕方からの花見を楽しむとするか! 俺は気合を入れるとウェイターモードに切り替えた。


 午後三時を回ったころである。

 俺は真面目にウェイターの仕事をこなしていく。最もこの時期は比較的忙しくない。フロアで稼働している人数が俺含め3人。この人数で遅滞なく仕事を回せるので忙しくないことの証拠と言える。

 店側としては有難くないのだが、働いているこちらとしては、まあ複雑な気分だ。

 ふと視界の端に違和感を覚えた。普段なら何という事もなく見逃しているのだが、今回の違和感は妙に気になった。俺は何気なく大きなガラス窓に視線を移した。視線の先には褐色の少年少女の二人組が飛び込んできた。

 談笑しながら歩いている。こちらには気付くことなく通り過ぎていく。俺は雀さんに言われたことを思い出す。氷魔を襲った褐色の人物。外で歩いている二人は氷魔を襲った人物と関係あるのだろうか?

 しかしそれ以上に少女の可愛さは群を抜いていた。まるで天女が地上に降りたが如き容貌をしていたのが目に焼き付いた。俺は目とそれ以上に心を奪われていた。心臓が高鳴るのを覚える。

 ハッと自分を取り戻した俺が確認しようと外に出ようとした瞬間、お客さんが声をかけてきた。俺はわが身の不運を呪うと注文を取りに向かった。もう彼女たちの足取りは追えないだろう。俺は肩を落としながら注文を厨房へ伝えた。

 まるで状態異常を全てくらって最後に即死したような気分だった。

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