表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白龍学園武侠倶楽部  作者: 竜牙堂
2/4

第二回 日本での再会と新たなる脅威

 神虎が無事、東京に着いたのは昼下がりであった。

 さて、北京から東京まで大体約4時間くらいか。まだ昼くらいだろうから、王竜達は授業中かも知れん。ふむ、どうしたものか……。

 しばし思案したものの、まるで答えが出ない。

 僕はふと王竜から貰った手紙に、王竜のスマホの電話番号とメアドが書かれていた事を思い出した。僕自身はスマホを持っていなかったが、有り難いことに成田空港で龍神財閥が提供してくれた。

 老師が龍神財閥に連絡してくれたようで助かった。僕は短く感謝の言葉を心で言った。

 急用だとしてもいきなり学園に押しかけたらまずそうだ。そうだ、このスマホで連絡を取ってみよう。もし、幸運にして昼休み中なら出るかも知れん。

 僕は慣れない手つきでタッチパネルを押した。電話をかける。何度目かのコール音がした後、電話には懐かしい声が出た。

『もしもし?』

「王竜か? 僕だ、神虎だ」

『神虎!? 懐かしいな。それにしても、お前一体、どうしたんだよ? スマホの電話番号だったから国際電話じゃなさそうだな。今、日本に来てるのか? こちらに来るにしても連絡くらいしろよ』

「ああ、北京で少しヤバイことが起きた。それについて話がしたい」

『ヤバイ事? 細かい事情は解らんが、とにかく用件は学校が終わったら聞くぜ。だけど今、すぐはまずいな。この後、午後の授業がある。後で「方丈」という喫茶店に来てくれ。あそこなら俺達が良く利用するので、顔も利く。そうだな。2時前後に待ち合わせようぜ。場所は……』

 僕の言葉を聞いた王竜の声音は少し危機感を抱いたように感じられた。

 僕は王竜が少し考えるような間を空けたので、

「ああ、解った。「方丈」だな。スマホにも慣れておきたいから、ネットで調べてみるよ。それじゃまた」

 僕はこれ以上の電話は王竜に迷惑をかけると思い会話を打ち切った。

 それにしても腹が減ったな……。

 僕は昼飯を食べていないのを思い出した。

 まあ、良い。さっき教えて貰った喫茶店で軽く腹に入れておくか。

 僕はさっそく、グーグルマップで場所を検索するためにスマホのパネルをたどたどしく操る。

 やはりここからだとさすがに距離があるか。仕方ない。歩き以外の交通手段を考えるか。

 僕が周囲を見渡すとタクシー乗り場を見つけた。


 タクシーが行き着いた場所。

 そこは商店街の入り口と思しき所であった。

 大きなアーチに左右には色々な店が並んでいた。

 僕はタクシーの運転手に手短な礼を言って代金を払った。そして降りた後に「方丈」の住所を確認するためにスマホを胸ポケから取り出した。

 うん。近いな。徒歩で5分。最寄りはここで良さそうだな。

 スマホを胸ポケに入れて、歩き出そうとした振り向いた瞬間、僕は小さな物体に勢いよくぶつかられた感触を覚え驚いた。

 その小さな物体が小さな驚きの悲鳴を上げた。

 僕自身はとっさにバランスを崩すまいと堪えきれたが、僕のすぐ側で尻餅を付いている少女はそうはいかなかったらしい。

 僕は考えるより早く笑顔を作り少女を助け起こすために手を差し出した。

「すまない。怪我はなかったか?」

 少女は呆然とした表情でしばらく僕を見上げていたが、自分の状況を把握したのか、急に顔を真っ赤にして謝りだした。

「こ、こちらこそすいません! お怪我は無かったですか? 私なら大丈夫ですので……!」

 少女は驚きと羞恥が入り混じった照れ笑いを浮かべながら、あたふたと立ち上がると紺色のスカートの汚れを払い落とすような仕草をした。

 僕は少女が落とした鞄を拾いながら、ふと、この少女に「方丈」の場所を聞いた方が迷わずに済むのではないか? と考えが頭を過った。

「もし、知っていたらで構わないのだが。ここら辺に方丈という喫茶店があると聞いて来たんだけど……。良ければ行き方を教えて欲しいのだが……」

 僕はなるべく相手に警戒心を抱かせないように笑顔で尋ねた。少女は目をパチクリとさせて方丈という単語を聞いた瞬間、緊張ぎみだった顔に満面の笑みを見せた。

「はい! そのお店は良く知ってますよ。もし宜しければご案内致しますよ」


 僕は少女に導かれるまま商店街の中を歩いた。

 短いながらも道すがら少女と会話をして解った事がある。

 少女の容姿はお世辞にも美人とは言えなかった。しかし常に優しく無邪気な笑顔で気さくに話しかけてくれた。本当に性格の良さを感じさせる少女だ。それは魅力的でもあり、親近感を感じさせた。まあ、つい話に夢中になり通行人にぶつかりそうになる場面も見られたが。

 それに彼女は商店街の人たちにも良く声を掛けられていたので、もしかしたら、この近所に住んでいるのかも知れない。

 少女があるお店の前でふと足を止めた。それを見て僕もほぼ同時に足を止めた。いかにもお洒落なお店の前に着いていた。その店の看板には「方丈」と大きく書かれていた。

 これは少女の案内が無くても来れたな。

 僕は内心苦笑した。だが、道すがら退屈することが無かったのは彼女の手柄であろう。

 僕は少女に礼を言ってから中に入ろうとすると、僕の前に立つ少女は慣れた手付きでドアを開けた。カランカランと軽快にベルが鳴った。

「ただいま~。お客様、一名連れてきたよ~」

 明るい声で少女が告げる。その声に共鳴するかのように店のあちこちから来店を歓迎する声が届く。

 しばし佇んでいると、少女はくるりとまるでスピンを決めたフィギュアスケート選手のようにこちらへ振り向いた。

「いらっしゃいませ! 方丈へようこそ!」

 と、太陽に負けない笑顔で少女は僕を迎えてくれた。


 僕はカウンターに通されるとランチのAセットを頼んだ。この店は良い豆を使っているのだろう。僕の鼻孔を紅茶の茶葉独特の香りがくすぐった。何気にこの香りが好きだ。

「お待たせしました。ご注文のランチのAセットです」

 声を掛けられてそちらを見やると制服に着替えたのか、薄い茶色のエプロンを身に付けており、小さい胸元には『うずまさつねみ』と可愛い字で書かれていた。

 その少女がトレイを両手で持ちAセットを運んできた。

 僕は笑顔でお礼を言うと、少女は僕の目の前にサンドイッチとホットティーを整然と置いた。

「ごゆっくりどうぞ」

 少女は笑顔で言うとトレイを胸の前に抱えて、てとてととカウンターの内側に入っていった。その可愛い仕草に僕は自然と頬がほころぶ。

 少女との会話から得た情報は個人的な部分が多かった。例えば白龍学園中等部に通っているとか、姉がいることとか話してくれた。

 僕は空腹を満たすように目の前にあるサンドイッチを口に頬張る。

 これは……! 美味い……! ツナマヨネーズと卵焼きのシンプルなミックスサンドだが、素材と調理人の腕が良いのだろうか。僕はその味にしばし酔いしれた。

 うむ、これなら海原何某も絶賛するに違いない。次はこの紅茶だが匂いは上々、色もオレンジ色でダージリンと解った。さて、肝心の味だが……?

 僕は一口含む。するとすぐさまダージリン独特の爽やかな甘みが舌を襲った。これほどの味は人生初と言っても過言ではない。

 これだよ、ダージリンはこうでなくては……!

 僕が心の中で料理漫画めいた事をやっていると、眼鏡をかけた艶やかな赤いエプロンを着用した男性が爽やかな笑みを浮かべ僕の前に立った。

 戦場で派手な赤い色だと……? シャアか!?

 僕の額に稲妻のようなエフェクトが付けられた感覚がした。少し軽い錯乱状態に陥っていた僕に赤エプロンの男性が話しかけてきた。

「お口に合いましたでしょうか?」

 男性は優しい笑みを浮かべ、そしてその笑みに負けないくらい優しい声で聞いてきた。

「ごちそうさまでした。大変美味しかったです!」

 僕は精一杯の謝意を込めて返答した。

「それは嬉しい限りです。大変不躾な質問で申し訳ございませんが、このお店は初めてですか?」

「はい、午前中に日本へ着いたばかりなので」

「そうでしたか、それは長旅お疲れ様でした。それにしても日本語がお上手ですね。日本へは過去に来た事がありますか?」

「ありがとうございます。いえ、今回が初来日です」

 初めてと聞いて男性は目を丸くして驚いているようだった。

 日本語は王竜と一緒に勉強したので少し自信があるんだ。少しイントネーションに不安アリだったがこの調子なら通じそうだな。

 僕は胸を少し撫で下ろした。この後、しばらく歓談したが忙しいのか、スタッフの人に呼ばれて厨房の中に消えた。

 ゆっくりしていってくださいね、と言っていたが良い人そうだったな。


 店内の時計をちらりと確認すると午後2時前である。もうそろそろ王竜が来る頃合いだろう。

 そう考えていた矢先、不意に扉のベルが鳴った。僕は反射的に頭をそちらへ向けた。見ると懐かしい友の顔があるではないか。

 僕は心細さもあった反動か、見つけた瞬間、顔が綻んだ。

 向こうも僕に気づいたのか、満面の笑みでこちらへ近付いてきた。

「よお、神虎! 久しぶりだな。1年振りか? 元気だったか?」

「王竜! お前こそ元気そうで安心したよ。僕はもちろん元気だ」

 早口で尋ねた王竜は喜びの色が見えた。僕はそれに笑顔で答えた。

 僕は王竜の後ろに控えている集団に気付いたので、再開の喜びもそこそこに打ち切った。

 王竜の後ろにいる少年少女たちを見やれば中には見知った顔もちらほらあることに気付いた。

 おや? どこで見たのか?

 僕は心の中で首を傾げた。一人の少女は解る。龍神家の御令嬢、確か翔子という名前だったはずだ。前に王竜からの手紙を受け取った時に写真同封だったので良く覚えている。

 僕は並んでいる二人の少年を見やる。全く同じ顔が二つある。一卵性双生児というやつだろうか。そうでなければニンジャ! 分身の術! アイエー! ニンジャ、ニンジャナンデ!?

 いや、冷静に考えるんだ。双子という可能性もあるじゃないか。

 僕は軽い混乱をきたした頭をクールダウンさせる為に軽く頭を振った。

「何してんだ?」

「いや、別に……。そんなことより、王竜、彼らは?」

 僕は誤魔化しながらも王竜に向かい、彼らの紹介を促した。

「おっと、そうだったな」

「もう、王竜さんは全く気が利かないっすねー。いつ紹介されるかと思って脳内で千回くらい自己紹介を考えちゃいましたよ」

 紹介されるより早く軽いノリで頷く少年。

 目が覚める程の美少年が軽薄な笑顔で握手を求めながら、

「あ、俺は水影 氷魔って言います。気軽に氷魔って呼んでくーださい。よろしくお願いしまーす」

 僕は絶世の美少年がした軽い自己紹介を受けて完全に呆気に取られた。

「あ、ああ、僕は龍 神虎です。こちらこそよろしくお願いします」

 僕は握手をしながらなんとか返事をすることに成功した。少し変なやつと思われただろうか。

 それにしても彼の顔に見覚えがあるのは何でだ? どこにでもある顔ではない。映画の俳優や有名な歌手とも似ていない顔なのに。

「……氷魔。どうして貴方は、遠路はるばる中国から来てくれた人に対して失礼のない自己紹介も出来ないのですか?」

 やけに落ち着いた声が氷魔と自己紹介した少年を窘めた。その声の主も同じ顔である。双子であるのは理解しているがどうも落ち着かない。

 見分けが付かない二人の美少年が僕の前に並ぶ。

 間違い探しでもしろと?

 しかし僕の脳細胞は朧気ながらではあるが少しずつ記憶を掘り起こす。だがまだ因子が足りないのか肝心なところで霧に迷い込んでしまう。

 すると僕の迷いを察したかのように少年は言葉を紡いだ。すなわち時間切れということだろう。

「お久しぶりです、神虎さん。初めて会った時は11歳でしたから、もう5年も経つのですか。月日とは速いものですね」

 少年はしみじみと昔を懐かしむように親しく微笑を浮かべた。一切嫌みのない純度100%の笑顔だ。

 僕はそれを見て天使とはこのように微笑むのだろうかと見とれてしまった。

 そしてその笑顔を見て記憶の片隅に甦る。そうこの笑顔を僕は知っていた。

「まさか、氷助か!?」

「はい、正解です」

 完全に忘れていた。そうだった。龍神明誘拐事件の時、一緒に協力してくれた少年だ。僕は自分の灰色の脳細胞を呪った。

「忘れていて済まない。いや、本当に懐かしいよ」

 氷助は僕の謝罪の言葉に軽く被りを振った。僕と氷助は旧友との再会を喜んだ。しばしの間、旧交を温めていると、

「いつも悪いですね、雀さん。奥の個室を使わせて貰います」

 僕は声のした方を見やると、背が高く長い金髪を後ろで縛った少年が先ほどの赤いエプロンを付けていた青年と話している。親しい間柄のように見えるが、友人のようには見えない。兄弟か親族だろうか?

 金髪の少年は話し終えたのか、中性的な顔に陽気な笑顔を振り撒きこちらにやってきた。

「お、もう自己紹介は終わったのか? なら次は俺の番だな。俺は鳳北斗。氷助とは幼馴染みだ。君の噂は王竜から聞いて知ってるぜ。今後ともよろしく頼む」

「こちらこそよろしく」

 鳳は握手を求めてくるように手を伸ばしたので、僕も手を伸ばしてそれに応えた。何とも力強い握手だ。

「例の部屋へ案内するぜ」

 鳳は悪戯っぽく笑うと先導するように奥へと入って行く。

「例の部屋というのは俺たちが良く使う部屋のことだよ。VIPルームみたいなもんだな」

 王竜が僕の横に素早く並び小声で教えてくれた。

 方丈は喫茶店だが、下手なファミレスより広く感じられた。奥は広い個室が何室かあるらしく、会議室かパーティールームと言った感じだ。

 鳳は個室のドアを軽快に押し開けると中へ入った。僕たちも続けて入って行く。

 部屋の中は確かに広く、10人は余裕で入れる広さがあった。その真ん中には木製の丸テーブルが置いてある。

 内装は中華系のお洒落な小物が壁や棚の上に配置されており、目を楽しませてくれる。

 僕は王竜の席の隣に座った。

 鳳は飲食物を頼むために皆の注文を聞くと、ドアの側にある電話で注文した。


 王竜は立ち上がると改めて僕の軽い紹介と来日した目的を話した。僕は蚩尤塚で起きた事件を皆に伝えた。

「彼らは一体、蚩尤塚で何をしていたのでしょうか。それに気になるのは一緒にいたという少年です」

 氷助は考えるように目を瞑る。

「単なる観光じゃないですか?」

 氷魔が何も考えていない能天気な発言をした。

「はあ~。お前は馬鹿だ馬鹿だと思っていたがここまでとはな。少しは考えて発言しろよ。つうか単なる観光なら神虎が急いで日本まで来ることはないだろ? 人の話を聞いてたか?」

 王竜は心底呆れたような声で非難した。非難された氷魔は特に悪びれた様子もない。

 この氷魔という少年は、氷助と同じ顔をしているが単なるチャラい今どきの少年なのかも知れない。僕は二人のやりとりを聞きながら心の中で苦笑した。

「ま、まあまあ、王竜さん。そんなに怒らないで。人間誰にでも欠点はありますって。それに俺は大器晩成タイプなんですって」

 氷魔は相変わらず軽薄な笑いを顔に浮かべて言い訳をした。

「何が大器晩成だ! お前大器晩成って言葉の意味知ってるのか?」

「王竜さん、酷いっす! 俺はそこまで馬鹿じゃないっすよ! 大きな器は晩に作られるって意味でしょ?」

 氷魔は得意げな顔だ。王竜は無言で聞いている。どうやら続きを待っているらしい。

「だから一夜漬け得意な俺は大器晩成タイプ! どうです!? 意味合ってるでしょ!」

 氷魔は自分の説明に得意満面だ。それを聞いて僕は思わず吹き出しそうになってしまった。周りの反応を見てみると慣れているのか苦笑気味だ。

 王竜は長いため息を吐いた。心底呆れた時に出るため息だ。そして王竜がまだ何か言いたそうな気配を見せた瞬間、扉の軽いノック音が王竜の言動を阻害した。

「……入ります」

 無機質で透明な声が聞こえた。鳳のおう、良いよという声に続いて扉の開閉音が部屋に響いた。

 僕は部屋に入ってきた人を見て、はっと息を飲む。

 薄い灰色のエプロンを付けた少女がそこには立っていた。その目を引く容姿は凄艶と呼ぶに相応しく傾城傾国の美女と呼んでも言い過ぎにはならないと思われた。

 しかしそれ以上に余りにも非現実的に感じられた。彼女が歩くたびに腰まで伸ばした髪が揺らめく。

「……お待たせしました。おしぼりをどうぞ」

 僕は無遠慮に見ていた事を悟られてはしまいかと思わず顔を逸らした。僕は回ってきたおしぼりを受け取ると、再度ちらりと横顔を見やる。

 何という美しい女性だろう。しかしこの違和感は何だ?

 僕は違和感の正体が気になった。だが、すぐに判明した。そう無表情なのだ。まるで等身大の人形、もしくは自動で動く機械人形のようだ。客商売には不向きではないかと思ったが、余計なお世話かと思い直した。

「珍しいな、空子(くうこ)。お前がウェイトレスやるのは? 人手不足か?」

 鳳が冗談っぽくおどけて話しかけた。空子は無表情かつ抑揚の無い平坦な声で、

「……そんな事ありませんよ。私は裏で働くのが好きなだけです。それに人の前で働くのが苦手なだけです」

 と、答えた。

「空子さん。それは俺がいるからウェイトレス志願したんすか? ふっ、我ながら罪作りな美貌が怖い」

 氷魔が立ち上がって微笑んだ。

「また悪い病気が始まった。氷助も大変だな」

 王竜が小声で呟いた。氷助を見やれば肩を竦めて苦笑している。その後、氷助は立ち上がって

「氷魔。いい加減」

 にしなさい、と諫めようとした瞬間、後半は言葉は空子の思わぬ行動に、まるでサイレントの魔法が言葉を消すような感じで消えた。

 空子は迷いなくつかつかと氷魔の元へ歩み寄り、側に有ったおしぼりをつかみ取ると、

「お客様。こんな所に汚れが付いています」

 と、言いながら氷魔の顔を思い切り拭き始めた。これには氷魔も面食らったと見えて、

「ちょっ、ちょっと、まっへ」

「あ、動かれては困ります」

 言いながらも全く困った表情をせずに空子は拭き続ける。これにはたまらず氷魔が逃げた。その後、空子に向き直り、

「酷いっすよ。空子さん! 何でこんなことするんですか?」

 と非難の声を挙げる。

「前にインターネットで心の汚れの落とし方を読みまして。おしぼりで綺麗になるか、試そうと……」

「なりませんよ!」

「あら、そうでしたか。それはざん……もとい、失礼しました。次は心の汚れに効く洗剤をインターネットで調べておきます」

 空子はゆっくりと氷魔にお辞儀すると、何も無かったように出口へ向かう。

 氷魔はそれだけは勘弁して下さい、と苦笑しながらも空子を見送る。

 そして空子は扉の所で踵を返すと再度お辞儀をした。

「ではどうぞごゆっくり」

 空子はにこりともせずに部屋を出て行った。

 僕はふと思った。恐らく氷魔は軽薄が服を着ているみたいな少年だ。そして兄の氷助とは正反対の性格だろう。それに周囲の呆れた反応も日常的に繰り返しているが故の賜物だろう。

 氷魔が席に座ったのを確認してから氷助が、

「皆さん、先ほどは私の弟が大変ご迷惑をおかけしました」

 と丁寧に詫びてから、話を元へ戻す。

「先ほどの神虎さんの話を聞いて少し気になる点がありました。それは東洋人風の少年の存在です。その少年が日本人であるならば少々厄介な事になるかも知れません」

「氷助。厄介とは一体、どういうこった?」

 鳳は真面目な顔で質した。

「北斗君。覚えていませんか? 半年前に起きた中国は北京市で起きた失踪事件の話を」

「ん? そう言えばそんな事件があったような……」

 鳳は考え込むような格好で沈黙した。

「あ! 思い出したわ。あの事件で失踪したのは確か私たちと同じくらいの年頃の少年で、名前は……そう神永影一(かみながえいいち)という名前だったわ」

「さすが翔子さん、御名答です。事件の影響を慮ったのか、すぐに学校側は戒厳令を敷いています。もちろん、警察には情報提供をして全面協力をしていますが」

 氷助は喉が渇いたのか目の前にあるウーロン茶を一口飲んだ。

「それと不確定情報ではありますが」

 と前置きして氷助が周囲を見渡す。

「この間彼の幼馴染みに情報を聞くことが出来ました。何でも彼は幼い頃から霊媒体質で霊感が強かったそうです。最もこれは噂話の類であり実際にそうなのか確かめた事もありませんので真実ではない可能性もあります」

 僕はあの時の様子を思い出す。

 そう言われてみればあの少年は日本人のようにも見えた。では彼が神永? ううん、駄目だ。良く解らない。

 これだけでは情報が少なすぎる。

 それに霊媒の素養があったという噂が本当なら蚩尤の復活に利用された可能性もある。これは失踪事件ではなく、もしかしたら誘拐事件かも。

 その時、僕の思考を邪魔するかのように氷助の言葉は続けた。

「夏休みを利用した中国への一人旅。そこで起きた失踪事件と今回の神虎さんが体験した出来事は無関係ではないかもしれません。それと神虎さんからの情報で思い出したのですが、ここ最近、この町でも褐色の集団を目撃したという情報を小耳にはさみました。まさかとは思いますがくれぐれもご用心を」

 僕は褐色の集団と聞いただけで何か嫌な予感にとらわれた。

 まさか北京で出会った奴らではあるまい。僕は嫌な予感を振り払うように被りを振る。

 氷魔ではないがもしかしたら本当に観光の人たちかも知れない。日本には多くの観光客が訪れると聞いている。褐色の集団と聞いただけで奴らを連想してしまうとは僕もまだまだ修行が足りないらしい。

「神虎。顔色が悪いぞ。平気か?」

「あ、ああ。少し長旅で疲れたみたいだ」

 僕は王竜たちに心配をかけまいと誤魔化し笑いを浮かべた。王竜は心配そうな顔つきだったが誤魔化せたみたいだ。

 結局これ以上は時間も遅いし良い意見も出ないと判断され解散の運びとなった。


 方丈を後にした俺は兄貴たちと別れてから寄り道をする事にした。兄貴には十分、気を付けるようにと釘を刺されたが接近遭遇する可能性は低いと思う。ま、その根拠は無いんだけども。

 夕暮れの街中を颯爽と歩く。軽く女性に声をかけて冷やかしながら。この時期の日中は暖かくなるがまだまだ寒い。

 俺は今度の日曜日に開催される花見に期待に胸を膨らませていた。何故か俺の周りには美女や可愛い子が多い。

 今回の花見も期待出来そうだ。そう考えると自然と頬が緩む。それは年頃の男なら自然現象と同様だ。

 さて散歩も飽きた事だしそろそろ家に帰るか。

 俺はスマホを取り出して、時間を確認した。現在時刻は午後6時を過ぎた辺り。

 おっともうこんな時間か。やべえ、やべえ。余り遅くなると姉貴に怒られちまう。

 俺は帰り道を急ぐ為に大きな公園を通り抜ける事にした。いざ公園を通り抜けようとした時、激しい怒声と罵声が聞こえた。

 むむむ、人が寄り道出来ない時に限って面白い事が起きやがる。まあ、後学のため、見学をしていくかほんのちょっとほんのちょっとだけだから……。

 俺は心を躍らせながら忍び足で大きな木に隠れた。これから始まるところなのか複数の学生に囲まれた中心に長身痩躯の男がいた。

 よっしゃ! ラッキー! これから始まるところじゃねえか。

 俺は思わず心の中でガッツポーズ。

 ただで活劇が楽しめるんだ。すぐに終わるなよ。それにしてもあの制服、白龍学園(うち)の制服じゃねえか。ざっと見て6人か。

 もう一人のあんちゃんはっと。ちっ、ここからじゃ見え難いな。よっと、これで少しは……。

 俺は長身痩躯の男を見た瞬間、心臓が躍り上がるのを感じた。

 そこには褐色の青年が冷静な表情で佇んでいた。これから喧嘩をする前の表情には思えない穏やかな顔。白いターバンに似た帽子を被った青年。その中で印象的だったのは目であった。まるで獲物を値踏みする肉食獣のような目付きをしていた。

 俺は背筋がぞわりとするのを感じた。嫌な汗が身体に流れる。

 何だ、あいつは。やばいなんて気配じゃねえ。初めて感じるぜ。このおぞましい感覚……。

 俺はこの悪意と殺意を混ぜた強烈な感覚に戸惑う。

 悪意や敵意、殺意の類を向けられた事は何度かある。それはナンパした女が彼氏持ちで修羅場になりその彼氏をボコボコにした時や女に二股や三股がばれてナイフで刺されそうになった時がそうである。

 だが、あの青年が発しているのは名付けるなら、純粋な殺意か、混沌な悪意か。圧倒的な質と量。

 勝敗はすぐに決まった。多勢に無勢かと思われたがやはり褐色の青年が勝ちを収めた。

 俺は何故か声もなく笑っていた。何故かは解らない。

 早くこの場から去らなければならない。心が告げていた。

 だけどあの青年と闘ってみたい。そんな感情も存在していた。

 狂気じみた願い。そんな破滅的な願望が心の奥から滲み出ていた。

 逃げろ。嫌だ。逃げろ。嫌だ。逃げろ。嫌だ。逃げろ。嫌だ。逃げろ。嫌だ。逃げろ。嫌だ。逃げろ。嫌だ!

 心の葛藤は黒い欲望に負けた。俺は気付いたら青年の前に姿を現していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ