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白龍学園武侠倶楽部  作者: 竜牙堂
1/4

第一部 第一回 蚩尤神復活!

第一部 主人公 公孫 王竜

(誰……た……て……)

(誰だ? この声は……)

(だ……か……づ……)

 ジリリリリリリ……!

 けたたましく喧しいベルの音。何度聞いても耳慣れない騒音。鬱陶しい程の爆音。

 我が名は、公孫王竜(こうそんおうりゅう)! 目覚まし時計を止める剣なり! 

 手刀を目覚まし時計に向けて最短最速で振り下ろす。さすがに一刀両断とまではいかなったが、上手く鬱陶しい音は止まってくれたみたいだ。

 最後に時計の奴は、酷く聞き苦しい断末魔を挙げたみたいだったが、これは無視しよう。

 多分、時計の針は7時を指している。寝る前にセットしたのだから、何者かに悪戯されてなければ、セットした7時にはベルが鳴る。これが8時とかに変更されていたら恐ろしい事になる。どんぐりが池にはまる以上の大変さが待っているだろう。

 俺はそのまま寝たい気持ちを抑えて、上半身だけ起こした。その後、ベッドの上で大きく伸びをしながら、ゆっくりと立ち上がる。まるで「ファーストガンダム」の第1話を彷彿とさせる動きだ。この調子で「見てろよ、ザクめ!」と呟きたい衝動に駆られる。

 完全に起き上がる前に窓のある右手方向を見た。視線の先には緑色の遮光カーテンがかけてあるので、外の様子は解らないが、カーテンに陽光が当たっているのは解った。その陽光を見れば、今日の天気は晴天だという事を知ることも出来た。

 昨日まで嫌という程降っていた雨は、もう上がっていたのだろう。そして、例え鈍感な人でも解る程、部屋中に陽気が充満していた。やっと待望した春がやってきたのだ。

 俺は先程見た夢の事を考えた。

 あの夢は最近になって見始めた訳では無い。2年前から頻繁に見るようになった。

 少し考えてから、いつも通りやはり良い答えがでないので考えるのを止めた。これもまた2年前からの習慣になっていた。

 良い答えを得ようと思っても得られない時は、偶然の閃きに期待するのが上策だ。それに寝起きの頭で考えても、良い答えを得られないのは経験則で知っている。

 軽く伸びをすると、壁にかけてある学園指定の制服である薄茶色のブレザーを取った。

 今日から新学期である。さっさと支度を済ませないと、良いスタートダッシュが切れない。それに今はここのお屋敷に居候している身分だ。こんな身分で遅刻しよう物なら、死んで詫びを入れなくてはなるまい。

 いや、もしそんな自体になったら、我が許嫁様に一生頭が上がらなくなってしまう。これはどう足掻いても避けるべきだ。うん、死んでも避けたい……。

 俺は等身大の姿見を見ながら、少し身なりを整えた。最終調整というやつだ。

 ふむ、何度見ても容姿というのは変わらんものだな。一回は変わって欲しいと思うのだが。

 俺が寝間着から薄茶色のブレザーへ素早く着替え終わると、同時に部屋のドアを軽快にリズム良く叩く音がする。

 ちぃ! 邪気が来たか!

「王竜、起きてる?」

 この声は『我が愛しの愛しの許嫁様』だ。まぁ、ここで奴に関する万の説明をしても、紙幅の無駄というものだ。百聞は一見に如かずと言うしな。

「ん、起きてるよ。今、行くから待ってろ」

 俺は気怠く返事をした。そして、机に置いてある黒い鞄を右手に持つと、そのまま無造作に肩へ背負った。

 そして、ドアノブを回して押し開けた。

 開けた先に、髪の短い美少女が立っている。薄茶色のブレザーに身を包み、俺と同じ2年生の証である青色の蝶ネクタイをしている。黒い鞄を両手で後ろに持ち、まるで太陽の様な印象を周囲に与える少女だ。 勿論、賢明な読者諸氏は理解されてると思うが、太陽と言っても日本神話に出てくる『アマテラス』様ではなく、メソポタミア神話に出てくる『ネルガル』に近い。見たら某大佐でなくても目を抑えて転げまわるだろう。

 黒い髪はシャンプーの良い香りに包まれており、墨のような瞳は、垂れ目と相まって愛らしさを強調していた。残念ながら、心は容姿に反映しないようだ。神様って意地悪だね!

 少女は俺を見上げるようにして明るく微笑む。

「おはよう。あなたがこの時間に起きてるなんてビックリだわ。いつもはドアをノックしてようやく起きだすというのに」

 と、言って目を丸くした。まるで信じられないといった風情である。

 すかさず俺も負けじと笑顔を作る。男は愛嬌と言うからな。あれ、間違ってたっけ? 

 しかし、この女は朝から喧嘩売ってんのか? だが、我慢だ。いや、しかしこのまま言われっぱなしは精神衛生上悪いのでささやかな抵抗を試みる。

「おはよう。翔子がこの時間に起きられるなんて奇跡だな。いつもは涼子さんに起こされるまで起きないのに。今日は雨か雪が降らなければ良いが……」

「まさかー、あなたじゃあるまいしー。でも、(ひょう)かみぞれが降ったら大変だわ」

 少女はすかさず真顔になり、心配をし始めた。おい、そんな訳ないだろ。今日の天気は快晴のはずだ……。まさか、日本ではそんな突発で異常気象が……?

 この少女の名前は龍神翔子(たつがみしょうこ)と言い、龍神財閥の御令嬢だ。

 何故、俺がこんな棚ぼた餅を食っているかと言うと、今から6年前に遡る、中国で起きたある事件が切っ掛けで、俺達は許嫁同士になった。因みに翔子は一卵性双生児であり、龍神家の次女という立場にある。

 俺達は並んで廊下を歩き、階段を使用して一階に降りた。そして、少し歩くと大きな木製の両扉前に出た。

 俺は扉を開けようと、豪華な金属製の取っ手に手を伸ばした。すると、不思議な事に孤を描いて取っ手が逃げるではないか! 

 この扉は部屋の中に押し開けるタイプであり、俺が使用している部屋とはタイプが逆である。

 いつの間に龍神家にも全自動化の波が来たのかしらん?

 と、思わず目を見張り、動静を見守る。翔子も同じように不思議そうな表情で静観している。完全に両方の扉が開くと、

「おはようございます。王竜様、翔子様」

 と、落ち着いた礼儀正しい声で挨拶された。

 声のした方を見ると、初老の執事2人が両扉を開ける形で立っていた。まるで仁王像の阿吽かと錯覚するまであった。俺達は、少し呆気に取られていたが、戸惑いながらも挨拶を返すと中に入った。

 食堂の中は20人以上が座って食事をする事が出来る程広い。

 天井には豪華なシャンデリアが何個もぶら下がっている。

 案内された当初に聞いた所、外国製の最高級品で値段は少なく見積もっても、3桁は下らないという話だ。それでもまだ安い家具らしい。俺はそれ以来、その他の家具の値段が恐ろしくて聞けないでいる。

 食堂の中央には長く大きなテーブルの上に純白のテーブルクロスが掛けてある。執事やメイド達の掃除が行き届いているので、テーブルは言うに及ばず、床にも塵1つ落ちていない。毎度の事ながら余りにも綺麗すぎて、入るのが躊躇われる。

「おはようございます。明さん、涼子(りょうこ)さん」

 俺は奥のテーブル席に向かい合わせで座っている2人に笑顔で挨拶をした。翔子も元気良く俺に習って挨拶をした。

「おはよう。王竜、翔子。今日も元気そうだね」

 明さんが落ち着いた声で挨拶を返す。続けて涼子さんも挨拶を返した。

 俺は明さんの左隣の席、翔子は涼子さんの右隣の席に着いた。

 俺が明さんと呼んだ少年は、龍神明(たつがみあきら)と言い、世界で有数の財閥である龍神財閥の次期総帥と噂される少年である。

 翔子達の兄だけあり、眉目秀麗を絵に描いた美少年である。食堂に入った瞬間、絵画かと思ったまである。こうしてただ黙って座っているだけで威厳があった。

 その上度量も広く、成績優秀、スポーツ万能と天は二物も三物与えてしまった好例だろう。言わばリアルチーターである。決してビーターではない。

 その御曹司は俺と同じ薄茶色のブレザーを身に纏い、首には三年生を表す緑色のネクタイをしている。

 明さんと俺は、先程も触れたが、中国で起きた、とある事件をきっかけとして仲良くなった。そして、その縁で龍神家に養子縁組する事になったのだから、人の縁とは奇妙なものである。人生何が起きるか解らない。

 涼子さんは翔子の双子の姉である。この姉妹は小さい頃、肉親でも良く間違えたらしい。しかし、7歳くらいから、涼子さんは髪を伸ばし、翔子は髪を短くするようになったらしい。理由は区別を付けやすくするためである。幼いながらも周りに配慮した良いお子様である。

 小さい頃は翔子も良い性質だったんだな、と解るエピソードである。うんうん。

 翔子が太陽の様な印象を与えるのに対し、涼子さんは月の様な印象を与える。

 長い黒髪は、腰まで伸びており、鴉の濡れ羽色と呼べる程、見事な髪艶をしていた。その髪が朝の陽光を受けてきらきらと輝く。時折見せる微笑は天使か女神を彷彿とさせた。

 こんな福徳を享受して、俺死なないよね?

 翔子がブレザーなのに対し、涼子さんは白いセーラー服を着ており、青いネックスカーフをしている。

 これもやはり区別を付けやすくするためであろう事は、想像にかたくない。

 少ししてからメイド達が、サービスワゴンで朝御飯を運んできた。

 いただきますの挨拶をしてから、朝御飯を食べ始める。龍神家では三つ星レストランのシェフも真っ青の凄腕料理長を雇い食べる者の舌を楽しませている。

 医食同源を基本としており、金持ちにありがちな華美で豪奢な料理は出てこない。しかし素材は全て最高級であり個人個人のアレルギーや健康を加味して調理がなされている。

 それなのでいつも美味しく、かつ健康的な料理が楽しめる。この調子だと龍神邸の食堂がミシュランに載るは時間の問題だろう。

「王竜。ここでの生活は1年が過ぎようとしているが、大分慣れたかい?」

 明さんは食後の紅茶を飲みながら質問した。

「そうですね。大分、慣れました。最初は色々戸惑う事が多かったですが……。こちらの人達の好意には感謝しています」

「そうでしょう、そうでしょう。もっと私に感謝しなさいよ。あ、感謝の意を表してくれるなら、言葉じゃなくて、あの『crêpe chat』の特製クレープでも奢ってくれた方が嬉しいわ」

 翔子が横から得意げに口を挟んだ。その表情は無邪気な笑顔。が、これは冗談ではなく、本気で言っているから始末に負えない。

 無邪気さは時に悪意より質が悪い。

「ちょっ! 翔子、おま、ふざけんな!! それにあそこのクレープは、普通のでも高いのに、特製とか小遣いが飛ぶだろ! つうか、何さらりと、とんでもないこと言ってんだ!」

 俺は思わぬ意見に立ち上がってしまう。翔子はそんな非難も蛙の面に小便という態だ。

 こいつは良い根性してやがる。将来は大物になるよ……。

「翔子ちゃん、クレープが食べたいなら、私が作ってあげようか? 『crêpe chat』の特製クレープ程美味しいか、自信はないけど……」

 涼子さんがほのぼのした雰囲気で提案した。ヒュー、さすが涼子さんだ。まさに天使、女神!

「ちょっと、涼子姉さん。それじゃ、意味ないじゃない! これは王竜に奢らせる為なんだから!」

 ひょー、さすが翔子さんだ。まさに堕天使、邪神! 

 今度から翔子と会うたびにSAN値チェックするまである。某ラノベに出てくる某ニャル神の方がまだ愛嬌があるレベル。

「お前達、もうその辺にしておけよ。そろそろ時間だ」

 明さんがコーヒーカップを置きながら時計を見るように目で促す。そちらを見やれば、なるほど、時計は無情にも8時前を差していた。


 良く金持ちの登下校は、車で送迎というイメージが強い。

 だが、俺達の登下校は徒歩である。これは龍神家の家訓であり、学園の理事長を務める龍神白龍(はくりゅう)翁が決定した事であるらしい。

 孫を甘やかさないという理由もあるのだろうが、友人達と気軽に登下校して欲しいという思いもあるのだろう。多分、白龍翁は少なくともそういう経験を持っているのだろうと思う。

 と、言っても龍神家から俺達が通う白龍学園まで徒歩で約10分。会話しながらであればあっという間の距離だ。それに学園から近いせいか、白龍学園の生徒を何人も見かける。

 今日は晴れているせいか日差しが朝でも暖かい。並木通りも桜が満開である。俺は自然な感じで明さんの隣に並んだ。

「明さん。花見の日取りどうします? もうそろそろ散ってしまうんじゃないですか?」

「そうだなあ。今週の土曜日辺りで良いんじゃないか」

「今週の土曜というと……10日ですね。楽しみです。北斗達も誘って賑やかにやりましょう!」

 俺は歩く速度を速めて桜を見た。気付くと少し歩くのが速かったのか、龍神兄妹を引き離してしまったていた。そこで少し歩くのを遅くした。

「おはようございまっす」

 俺の横から軽薄な声がした。俺は明さん達を気にしていたので、すっかり不意をつかれる形になった。

 声をかけられた方を見ると、そこには見知った美少年が立っていた。

 この少年の名前は水影氷魔(みかげひょうま)と言い、美の女神も裸足で逃げ出す程の美貌の持ち主であるが、手癖や女癖が悪い困ったちゃんである。去年は白龍学園中等部に所属していたが、今年度からは高等部に上がってきた。

「今日は良い天気になって良かったね」

「氷魔か、おはよう。花見の当日は雨にならなければ良いけどな」

 俺達は形式的な挨拶を済ました。その後、氷魔はすかさずいつもの軽い調子に戻り

「あ、そう言えば……ちょっと聞いて下さいよ」

 と、俺を脇に引っ張り込む。一体、何の話なんだか……。こいつの話は碌なものにならない。

「何だ、またナンパの話か?」

「違いますって。それにそういつもいつもナンパの話ばかりしませんよ。今回は文化祭ですよ」

「随分と気の早い話だな。文化祭のシーズンって言ったら秋だろ?」

「そうなんですけど……、まあ、聞いて下さいよ。櫻ヶ岡高校って知ってます?」

「ああ、あの女子校か? さすがに知ってるぞ」

 俺は首を捻りながら何とか会話のキャッチボールを続ける。確か軽音部が有名な女子校だ。

「そう! その女子校です! そこの高校の軽音部に凄い可愛い子がいるらしいんですよ! 何でも左利きのベーシストなんですけど、なんかファンクラブもあるみたいなんすよ」

「左利きとは珍しいな。今度の狙いはそのベーシストか……まぁ、頑張れよ」

「は~い、まっかせてくっださ~い」

 氷魔は満面の笑みで答えた。

 俺達は話を切り上げると龍神一家と合流した。翔子がいかにも怪しいと言わんばかりの眼差しで

「一体、こそこそと男同士で何の話をしてたのよ」

 と、切り出した。

「まあ、男同士の会話ってやつですよ。ねぇ、王竜さん」

 氷魔は相変わらずのノリで返す。俺は苦笑いしながら同意する。

「ふうん。ま、別に良いけどね」

 と、翔子は疑いの眼差しを向けながら詮索を打ち切った。

「あ、そうそう。今年の花見は10日にやるからな。お前の兄貴達にも連絡しといてくれ」

「お、良いですねー。了解されました!」

 氷魔は楽しさを隠さないで即答した。つうか、その日本語は何か間違ってるぞ……。

「そう言えば王竜」

「何ですか。明さん」

 今まで沈黙を保ってきた明さんが口を開く。

神虎(しんこ)君は元気でやってるのか。一ヶ月前に手紙が届いたっきりだろう?」

 明さんは俺の方を向いて話しかける。俺は少し考えると

「そうですね。まあ、あいつの事だから、元気でやっている事だろうと思いますよ」

「そうか、なら良いんだが……」

 明さんはそのまま沈黙した。俺は遠く中国にいる兄弟分に思いを馳せた。


 場面は変わってここは北京市懐柔区。ここに王竜の兄弟分である龍 神虎と王竜達の老師である蓬莱老仙は住んでいる。

 時間は早朝、午前5時を少し回ったばかりである。爽やかな空気である。

 この時期の北京の気温は10℃に満たず、春と言えどもまだ肌寒い。

 僕は毎日、武術の朝稽古を欠かした事がない。

 新鮮な朝の空気を吸いながらの稽古を、僕は気に入っている。

 神虎の真剣な表情で套路(とうろ)を行う姿は、他人から見れば、まるで龍が舞っている様と誰もが思うだろう。

 套路とは、中国武術の用語で攻めや守り等のノウハウを一人で稽古出来るようにしたものである。

 その動きは地に伏せたと思ったら、天に飛ぶ。ゆっくりになったと思えば、稲妻の様な速さで動く。その動きはまさに千変万化。

 今日も良い調子だ。だが、あそこはこう意識して、あそこだったら、もっと速く動いた方が良いのかな?

 套路が一通り終わると、タオルで汗を拭きながら、反省をする。

「朝から精が出るな、神虎」

 不意に背後から聞き覚えのある声がした。

 僕はゆっくりと振り返る。その視線の先には、木製の瓢箪を持った背の低い青年が立っていた。

「おはようございます! 老師」

 と、すかさず挨拶する。

 あ、老師。今回もまったく気配に気付けなかったな。

 老師と呼ばれた青年は、無精髭を撫でつけながら、挨拶を返す。

 この青年は道号を蓬莱老仙と言い、本名は不明だが、王竜と神虎の育ての親であり、かつ武術の師でもある。

「稽古も終わったようだし、朝の仕事に行こうか」

 蓬莱老仙はうんうんと頷くと、鷹揚に言った。

「はい」

 朝の仕事というのは、言わば墓守みたいなもので、ある墓の周囲に不審者が寄りつかないように見回っている。

 普通の墓であれば、そんな厳重に見回らなくても良いのだが、件の墓というのが、蚩尤(しゆう)を葬ったとされる、蚩尤塚である。

 蚩尤というのは、伝説上の神格で、神農氏の時、乱を起こし、黄帝と涿鹿(たくろく)の野に戦い、黄帝軍を苦戦させたが、最後は捕らえられ処刑されたとされる。

 その姿は獣身で銅の頭に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持つとか、頭に角があるなどとされる。まさしく怪物、化物の類である。

 その怪物の墓とされる周辺に最近、不審な人物が目撃されるようになり、周辺の住民は不安になった。そんな時、高名な道士として名がある老師へ住民の1人が定期的な見回りを依頼した、というのが真相である。

「老師。昨日の夕方、市街へ出たのですが、そこで妙な噂話を耳にしました」

 僕は蚩尤塚へ行く道すがら話を切り出した。老師は僕の方を向かずに黙って聞いている。

「肌が褐色の男2名と、黒いコートを着て顔を隠すようなマスクをした男。後は、10代の少年……、この少年は僕と同じ年齢に見えたそうです。が、目撃されています」

「……いつ頃の情報だ?」

「一週間前になるそうです」

「……そうか」

 老師は、考えを巡らす仕草をした。

 一週間前と言ったら、蚩尤塚の周辺で不審人物が目撃され始めた頃と一致する。嫌な予感がする……。

 後、1Km程で蚩尤塚に着く。老師は立ち止まるように目で合図をした。

 僕は音もなく、立ち止まる。そこで異変に気付く。

 むう……。何だと言うのだ? 何故、今日に限って動物の声がしない? それにこの重苦しい気配は何だ?

 僕は嫌な予感を振り払いながら老師と一緒に、気配を殺して蚩尤塚に近づく。

 その時、一陣の風が吹いた。だが、爽やかな風ではない。むしろ、いやに粘ついた風だ。服が嫌な汗で肌に張り付く。

 蚩尤塚に近づくと、風に乗って人の声が聞こえる。聞き慣れない言語だ。脳裏に市街で聞いた情報が横切った。

 そう言えば、褐色の男が2名いたと言ってたが……。まさか!

 早く確認したい気持ちを抑えながら、さらに近づいた。しかし、このまま迂闊に近づいたら相手に見つかってしまう危険がある。誰何(すいか)するのは簡単だが、現行犯でないと言い逃れをされてしまう可能性がある。

 僕は辺りを見回した。左前方に大きめの樹木がある。

 良し、あの樹に隠れて様子を見よう。

 猶予は無いが、焦ってしくじっては目も当てられない。

 2人は気配を消しながら、樹木に隠れる。

 相手に気取られないように、そっと様子を見る。そこには褐色の肌の男2人と、黒ずくめの男。それに少年の4人組がいた。僕が市街で得た情報と同じだ。

 遠くからなので詳しくは解らないが、褐色の男の内1人は、背が高く本を小脇に抱えている。そしてもう1人は、相対的に低く見える。

 だが、2人とも隙はなく、もう1人の黒ずくめの男との位置関係を見ると、どうやら護衛をしているのだろう。

 黒ずくめの男も隙はないが、褐色の男2人と見比べる限りでは、武術系の人間ではなさそうだ。しかし、油断は出来ない。

 だが、あの黒ずくめの男の前にいるあの少年はどうだ。彼には何の特徴も見いだせない。そこがかえって不気味だ。

 彼等の目の前には大きな塚がある。もしかしたら、一足遅かったのかも知れない。

 老師と僕は、もはや一刻の猶予もないとばかりに、互いの顔を見合わせ、軽く頷く。

「待て! お前達!」

 僕は樹木から飛び出すと、奇襲を仕掛けた。相手も警戒していたのか、すかさず迎撃態勢に移る。

 遅い! 

 僕は蚩尤塚に近い少年を的に絞った。

 先手必勝とばかりに少年に中段突きを見舞う。しかし少年は何の抵抗も見せず、まともにくらい、その場に崩れ落ちた。

 何だ、この違和感は。明らかに手応えがない。何かしらの反応が見られると思ったが……。ただ僕の突きに反応できなかったのか……? それとも……。

 いけない。まだ敵はいるのだ。

 僕は油断せずに残りの3人と対峙する。

 これで退いてくれれば見逃しても良いんだが、そうもいかないようだな。

 3人とも仲間が倒れているにも関わらず、意に介した様子がない。いやもしかしたら、目的は達せられたのだとしたら?

 僕は嫌な考えを振り払うように気持ちを新たにした。

 褐色の男が、不敵な笑みを浮かべた。相変わらず隙が無い。

「ここは俺に任せてもらおうか。文句はねぇよな! デーヴァ!」

 野太い声が辺りに響く。

「……元よりそのつもりだが……。よろしいですか? 参謀殿」

 背の高い褐色の男が黒ずくめの男に問う。こちらは穏やかな感じのする声だ。

「はい。ここはナーガ殿にお任せしましょう」

 小さいが良く通る声だ。それにどこか気品がある。

「へへっ。そうこなくっちゃあな! 中国に来てからは暴れたりないと思ってた所だ!」

 僕は彼等の会話のやりとりから、固有名詞だろうと思われる部分を聞き逃さなかった。

 “デーヴァ”“ナーガ”、それに“参謀”である。

 恐らく背の高い褐色の男が“デーヴァ”。目の前にいる男が“ナーガ”。黒ずくめの男が“参謀”で間違いないだろう。だが、未だに倒れているあの少年は何者だろうか?

 見た所、自分と同じ東洋人なのは解る。

 僕はそんな疑問よりかは目の前の男-ナーガに集中する。

「坊主、お前が何者かは知らないが……、すぐに死なないように頼むぜ」

 ナーガの精悍な顔が嬉しそうに歪む。油断ならない男だ。僕は気を飲まれないように睨み付けた。

 両者ともにジリジリと間合いを詰めていく。それに伴いその間にある空気が濃密になっていく。

 あと大股で数歩の距離まで間合いが詰まった時、ナーガはまるで蛇行するようにゆっくりと僕の制空圏を犯した。それはまるで蛇が獲物を追い詰めていく様に似ていた。

 速い! なんという無駄の無い動き。これは余程の鍛錬を積んでいるに違いない! 

 僕が気付いた時には、すでに間合いに入り込まれていた。

 そして、相手に有効打を与えられる距離になったと同時に、ナーガが仕掛ける。素早い踏み込みからの一撃が僕の喉元を襲った。

「く!」

 かろうじて受け流すと体勢を整えつつ間合いを取る。

 何て速度だ。受け流すのがやっとだった……。

 ナーガは、僕の動きを目で追いながら、右手を顔の辺りまで上げる。

「へえ。良く反応できたな。並のヤツなら初撃で喉の急所を潰されて終わるんだけどな」

 僕は一瞬でも反応が遅れていたら、ナーガの言葉通りになっていただろうと思い、ゾッとした。

 そして呼吸を整え直すと、反撃の体勢に移った。

 やられてばかりでは老師に申し訳がたたない。今度はこちらから仕掛けるぞ。

 僕はナーガの間合いを侵略すると、一気に左拳を顔面へ突き込む。それをナーガは右手で払いのけた。

 良し! かかった!

 その瞬間、僕は身体を素早く回転させて、右の肘打ちをナーガのこめかみ目がけて打ち込む。

 当たったと思った瞬間、ナーガは身体を沈ませてこれを躱した。

「ヒュー! こええ、こええ。危うく喰らう所だったぜ」

 ナーガは余裕のありそうな表情で笑った。その表情は闘いを心底楽しんでいた。

 僕はこれ以上ないタイミングで打ち込んだだけに、躱されたショックは相当なものだった。

 あのタイミングで躱した! 信じられない。

 僕はまた一定の間合いを取る。

 一進一退の攻防である。双方ともに攻撃の機会を伺う。

 しかし意外な形で闘いに終止符が打たれることになった。突如、僕の右斜め後ろから異様な気配が立ち上ったからだ。僕は金縛りにあったように振り向けなかった。

 一体、何だこのプレッシャーは!?

「神虎! 左に飛べ!!」

 突然、老師の鋭い声が届く。

 僕はその声に押されるように素早く左へ飛んだ。

 そして、隙無く立ち上がると、状況を確認するために周囲を見回した。

 僕がいた場所にあの少年が立っていた。だが、間違いなくさっきの異様な気配は少年の身体から発せられていた。少年はその場に立ち尽くし、こちらを見ようともしない。

「神虎よ。これは厄介な事になるかも知れん」

 老師は側に来て小声で話しかけた。しかし、言葉とは裏腹に老師の表情はあまり変わっていなかった。僕は緊張した面持ちで少年を見つめた。

「さて、策の第一段階は成功したようですね。ナーガ殿、デーヴァ殿、撤退しましょう」

 “参謀”は満足気な声で言った。その声は有無を言わせぬ迫力を秘めていた。

「何だよ。これから面白くなってくるのに……。水を差さねえでもらいたいな」

 ナーガは不満を隠さないで言った。

「これからもっと面白くなりますよ。ナーガ殿。それにインドラ様も首を長くして待っている事でしょう」

 “参謀”はそう言うと、少年に音もなく近付いた。そして二言、三言呟くと少年はその場に崩れ落ちた。

 “参謀”は少年を支えるように抱いた。少年が崩れ落ちた瞬間に、あの異様な雰囲気は消えていた。

「お待たせしました。ではお二方、行きましょうか」

「了解しました。“参謀”殿、その者は私が持ちましょう」

 デーヴァは“参謀”から少年を受け取ると、肩へ担ぎ上げた。

「おい、坊主! 今度会った時は邪魔のない勝負をしようぜ!」

 ナーガは僕に向けて言い放つと、豪快に笑った。

 “参謀”は懐から符のようなものを取り出すと、天に翳す。そして次の瞬間には掻き消えていた。

「き、消えた……!?」

「隠形の術か……」

 老師はポツリと呟く。

「老師。奴らはどこへ行く気でしょうか?」

 老師は右手を出して指を折った。

「日本の東京という場所に向かうらしい。確かそこには王竜がいたな。神虎よ、すぐにここを発つんだ。下手を打つと間に合わなくなるかも知れん。龍神財閥にはオレの方から話を通しておく」

「解りました。それではすぐに支度をして出発します!」

「うむ、頼んだぞ。それと王竜によろしくな。オレも後で合流するかも知れん」

 僕は急いで自宅に戻る。ここからなら走れば約30分くらいで着く。

 王竜よ! 今行くぞ!


 走り去っていく神虎の後ろ姿を見て呟いた。

「これも天数か……」

 オレは澄んだ空にそう独りごち、空を見上げた。

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