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獣姫の結婚

作者: 夏目透子

 魔法使いとはつまり呪い屋。そういう認識が今の世の主流である。金さえ積めば、人の呪いを簡単に代行し、まるで流行のように皆はその力をこぞって求める。

 エレンディラ王国の王女、アルテミシアもその被害者の一人である。その呪いとは。


「私は姫がどのような方であろうとも、愛し抜く自信があります!」

 エレンディラ王国の謁見の間では、目に野心の色を光らせた男が声高らかに二人の王子の前でそう宣言する。一段高い所にしつらえられた椅子に足を高々と組んで男を見下ろす二人の王子は、その髪と目の色が違う事をのぞけば、全く何処から何処までもそっくりだった。硬質な美しい顔。均整のとれた体つき。微動だにもしないその様子は、まるでよくできた彫像のようだった。

 黒髪黒目の王子が口を開く。

「ほう、素晴らしい。我々はそのような男を求めていたのだ。我が王家もあの呪われた姫を持てあましていたところ。持参金はやれぬが、愛し抜く自信はもちろんあるのだろうな」

 白髪赤目の王子も口を開く。

「当たり前だろう兄上。地位もやれぬが、愛し抜く自信があるに決まっている。そうと決まれば善は急げ。証人には我ら第一王子と第二王子であるメルクリウスとディオニュソスがなってやろう。結婚証書もほれここに」

「な――! そ、そんな、身一つで獣姫(けものひめ)を妻に迎えるなど……」

「「失格」」

 その声は見事にハモっていた。その瞬間、男の足下が割れた。

「そん……なああああああああああ!!」

 男の声は低くなりながら長々と響き渡り、最後に水音が聞こえた後、一切の静寂が訪れた。ややあって、二人の王子の背後の帳から

「今のは少しやりすぎではないでしょうか、お兄様……」

 と遠慮がちな調子で澄んだ優しい声が聞こえてくる。

 黒の王子、兄のメルクリウスは肩を竦めた。

「地位や金目当ての男は必要ないだろ? 手っ取り早く本心を探るにはこれが一番なんだ」

「そうだ。お前は何も気にしなくていい。ちゃんとお前を愛する男を見つけてやるから、まかせておきなさい」

 白の王子ディオニュソスもこれに同調し、手元の紙をめくった。それには姫の結婚相手になるべく集まった男達の名前が記されているが、それは大国エレンディラで栄達を望むものや、姫がもたらすであろう莫大な持参金めあてのクズばかり。業を煮やした兄二人は、公務をうっちゃって直々に求婚者の選抜を行っているのである。

「でも、私など好きになってくれる方は、そうそういらっしゃるわけはありませんもの」

 妹姫は控えめに意見を述べる。兄達にはその卑屈とも言える考えが歯がゆくてならない。

「血さえつながっていなければ、俺がこのまま嫁にもらうんだが……。いや、お前の同意さえあれば、血がつながっていても俺は全くかまわないんだが」

 二人の王子は妹を愛しているが、次兄ディオニュソスのそれは、もはや一線を超えかけている。困った主人の様子を察してか、姫付きの侍女ナナは

「次のお方がお待ちかねでございましょう」

 と声をかけた。

「確かにそうだ。ちなみにディオ、今度変態発言をかましたら二度とアルティの顔は見られないと思えよ」

「むう、俺は一日三回はアルティの顔を見ないと死んでしまうからな。しょうがない、自重するよメル」

 王子二人のやりとりを無視して、ナナは扉を開けた。来訪者の靴音を聞きながら、メルは次の求婚者のプロフィールに目を走らせ、その顔が一瞬険しくなる。

 侍女が紹介をする前にその男は足早に部屋に入り、まっすぐ姫の帳に目を向けた。

 濃い金色の髪、切れ長の灰色の瞳。端整と優雅を固めてできたような貴公子然とした男に、王子二人は一瞬言葉を失った。が、さらに驚愕するような出来事がおこる。帳の向こうに目をとめた貴公子は顔を赤らめると、おもむろに口を開いたのだ。

「やはり想像どおりに美しい……!」

 そうして、彼は優雅に一礼する。

「ぜひ私の妻になってください。持参金も地位もいりません。貴方さえあればいいのです」

 ――なんて理想的。……だけどこの人、頭、大丈夫? 

 その感想を完璧に押し込め、ナナは(うやうや)しく来訪者を紹介する。

「帝国の第四皇子、マルス・レアノス・オライオン様でございます」

「将来の貴方の夫――そして、貴方の呪いをとく男です」

 マルス皇子の目は、王子二人を通り越して帳の後ろの姫しか見ていないようであった。

「何こいつうぜえ」

 侍女にも劣る自制心の持ち主のディオはそう吐き捨て、メルに鉄拳を食らわされた。

 そんなもの目に入らなかったように、皇子は期待に満ちた目で帳の奥を見つめている。涼やかな声が聞こえたのはその時だった。

「何か、勘違いをしていらっしゃるのではありませんか?」

 その声は淑やかに美しい。嫌みも悪意も何もなく、ただただ相手の考え違いを正そうという誠意が感じられた。厚い帳が割られる。

「――アルティ!」

 思わず駆け寄ろうとしたディオを、帳の中から突き出された白い手が制止する。

「いいのです、ディオ兄様」

 中から出てきたのは、緑の目をした金茶色の猫だった。いや、正しくは、猫の頭を持った女性。胸から下、翡翠色のドレスに包まれた体は華奢な少女のものであったが、ドレスの裾からは猫のような長い尻尾がのぞいている。

「私は呪いで半獣の体で産まれました。この事は周知の事実だと思っておりましたが――」

「もちろん知っていますよ」

 姫を見るマルスの顔には、驚いた様子はない。むしろその表情は、歓喜に満ちた明るいものであった。

「……なら、なぜ私を美しいとおっしゃるのですか?」

 猫の顔であるが、その顔は細かな表情も豊かに表現される。アルティは戸惑い、ただマルスを見つめるばかりだった。

「あなたは、全てが私の好みだからです。この美しい色艶! なんて素晴らしい! ぜひ私と結婚して下さい、姫」

「きゃっ!!」

 言うなりマルスはアルティの手を取り口づけを落とす。その際に姫の華奢な体を抱きしめて、艶やかな毛並みに指を這わせるのも忘れない。

「アルティに触るなこの下郎!」

「ディオ王子! 仮にも帝国の皇子でいらっしゃいますから!」

 マルスにつかみかかろうとしたディオを、ナナは全力で制止する。そんな弟王子に足払いをかけ、メルは状況を自分なりに判断した。

「そういう趣味の人間か……」

 つまりはそういうことだろう。たまにいるのだ。馬に興奮したり、猫に発情したりするような輩が。アルティを愛していることは本当であるようだが、身分的にも嗜好的にも、本来の目的には適さない。そう考えて、どうやってこの皇子(ヘンタイ)をつまみ出そうかとメルの頭脳が回転をはじめる。結論が出る前に、行動を起こしたのはアルティだった。皇子に腕をとられて熱い視線を注がれながらも、アルティはうつむき、苦しそうに言葉を吐いた。

「申し訳ありません、そのお話はお受けできません……」


「あいつ、まだアルティを諦めてないわけ?」

「――そのようですね」

 王子二人と侍女ナナは、王族以外は入れないはずの城の空中庭園で、熱心にアルティに話しかけるマルスをお茶を飲みながら遠くから眺めていた。マルスは、求婚を却下されても姫の側を離れようとしない。身分が身分だけに無碍にも出来ず、しょうことなしに客として扱えば、すっかり受け入れられたと勘違いしたのか、そのまま城に居座りっぱなしだ。

「なあ、後ろから殴って気を失わせてから城の外に転がしたら、全てを忘れて国に帰ってくれないかな。大体、皇子のくせに何で従者がいないんだ? ニセ者じゃないのか?」

「やめてくれ。あれでも本物の帝国の皇子だ。従者は城の外の宿に待たせてあるらしい。言っておくが帝国につけ込まれる隙をつくるような事はするな。元宗主国だった帝国は、大国になった我が国に喧嘩を売って再併呑したいらしいからな。想像だけにしておけ」

 メルはディオをなだめつつ、その言葉には毒がにじむ。有能な侍女は完璧に表情を押し殺し、給仕に徹している。

「帝国は魔法に関しては最先端らしいぞ。それだけでも利用価値はあるだろう」

 メルの言葉にディオは「なるほど」と落ち着きを取り戻し、ナナは黙々とケーキを切り分ける。

「しかし、はやく帰ればいいのに。目障りでしょうがない。アルティだって嫌がってるだろうが」

 ディオは不機嫌な様子でマルスを睨み付けている。だが、長年姫に仕えている侍女の目からは、アルティの様子は違った風に感じられた。彼女はそっとメルに耳打ちをする。

「なぜ、おふたりの結婚を反対なさったのですか?」

 ナナはマルスとアルティの縁組みを期待しているようだ。メルはため息をつく。

「アルティに呪いがなければな。お前もあの呪いのことはよく知っているはずだろう」

 無言でナナは頷く。そうして、はにかみながらマルスに微笑みを向けるアルティを見つめ、意を決したように口を開いた。

「私は、よいのですよ。私が全てを――むが」

 そのナナの口にケーキが押し込まれる。メルのしわざだ。

「お前はよくやってくれている。それ以上はアルティの未来の伴侶にまかせよう。気長に探せば、あいつを心から愛して、どうなっても問題のない男がいつか出てくるだろうさ」

「……お前にこれ以上負担をかけたくないって、正直に言えばいいのに」

 頬杖をつきながらぼそっとつぶやかれたディオの独語は、誰にも届かない。


「姫、このエレンディラは不夜城と呼ばれるそうですね。夜の街には赤々と明かりが灯され、道化や歌い手が集まり、それは賑やかだとか。ぜひその様子を見てみたいものです」

 にこにこしているマルスに、アルティは困った顔を向けた。

「でもマルス皇子にご覧いただくようなものでは……。鄙びたつまらないものですもの」

 やんわりと断り、彼女は侍女に目配せをする。

「皇子には寝室がご用意してございます。さあ、こちらへ」

 有無をいわさぬような態度の侍女に気圧され、気がつけばマルスは天蓋付きのベッドの端にちんまりと腰をおろしていた。我に返って、このままではいかん、と首を振る。

「私はこんな事をしている場合ではない。せっかく見つけた運命の相手。それをむざむざ諦めてなるものか!」

 拳を握りしめ彼はしばし黙考した。

「よし! 夜這いで既成事実を作ろう! 結婚して責任をとれば何の問題もない!」

 一度そう決めるとマルスの行動は早かった。一人というのは身軽に行動できる。うるさい従者をおいてきた自分の英断を称えると、彼は迅速に作戦を遂行する。姫のいる宮は閑散として、衛兵が殆どいないのも幸いした。

「姫がいらっしゃるというのに、こんな警備でいいのか……!」

 自分の行為を棚に上げ、マルスは憤る。目的の部屋はすぐに見つかった。姫からあらゆる情報を得ていたからだ。紗のカーテンを透かして女性の影が見える。木の上からマルスはこれを見て取って、そっとバルコニーに飛び移った。物音が響いたのか、女性が息を呑んでこちらを伺うのがカーテン越しにもわかった。安心させようとマルスは優しい声で呼びかける。

「……ご安心下さい。怪しい者ではありません。私はマル……」

 名乗りを最後まですることは叶わなかった。驚くほどの勢いで、獣のシルエットが至近距離に迫る。激しい衝撃を感じたと同時に、マルスの顔に痛みが走った。野獣の爪が頬をかすめる。それと共に、驚愕の声が響き渡った。

「マルス皇子!?」

 痛みに頬を押さえる皇子は自分を傷つけた相手を振り返る。大丈夫。そう仕草で示したつもりだったが、獣は、皇子の頬からしたたる血に目をとめると唇を噛みしめた。

「皇子を怪我させたという事は、帝国にとって我が国を攻める格好の材料になり得る……」

 その右手が振りかぶられた。鋭利な爪が、明かりを反射して鈍く光る。

「申し訳ありません。あなたをこのまま帰すわけにはいかない」

 言うなり、猛禽を思わせる速さでその右手がマルスの喉元に襲いかかる。

「姫に求婚を断られ、自害した事にさせて頂きます。エレンディラに何の責も及ばないように。――崖から遺体を落とせば何とでもなる!」

 思い詰めた言葉にマルスは戦慄した。獣じみた速度は、どう反応しても間に合わない。マルスの心を一つの言葉がよぎる。

(どうせ殺されるなら、君に殺されるのだったらよかったのに――)

「――やめて!!」

 澄んだ美しい声が、夜の空気を震わせた。獣の少女はその声にビクッと体を震わせ、動きを止めた。部屋の中から、華奢な少女の影が駆けてくる。

「大丈夫ですか?」

 澄んだ緑の瞳、金茶色の流れる髪を持つ可憐な少女。マルスはその色をよく知っていた。

「その色――君は、姫?」

「……はい」

 恥ずかしがるような、困ったような表情でアルティは頷いた。昼間の猫の顔は一変し、姫のかんばせは白く人形のように整って、月の光に冴え冴えと輝いている。その横で夜着を着た獣の顔の少女は、項垂れる。

「君は――、侍女のナナだね?」

 何もかも見通しているようなマルスの言葉に、少女は怯えたように平伏した。

「……はい。姫様に害をなすものと思い、お怪我をさせてしまいました。この責任は全て私にあります。厚かましいお願いと存じますがどうか、この国に何のお咎めもないように」

 震える侍女と強ばった表情の姫を前に、マルスは笑顔を見せた。

「大丈夫。そんな事にはならないよ。――私に、そんな価値はない」

 驚いた顔を見せる少女達に「その通りだ」としわがれた女の声がかけられる。

「なかなか呼び声がかからないと思ったら、お前は何をしているんだ。まさかと思うが、夜這いではなかろうな」

「メディア!!」

 ぼさぼさとした黒い蓬髪に黒い布を適当に巻き付けた黒ずくめの女、それがコツコツとヒールを響かせ、歩いてきた。マルスの顔が目に見えて引きつる。

「そ、そそんなはずないじゃないか! 紳士的に姫と語らおうと思ってきたんだ!」

「お前は紳士的に人目を忍んでバルコニーから侵入するのか」

 ――ばれている。

 滝のような汗をかき始めたマルスと、闖入者の女をアルティとナナは驚いたような目で見比べた。その視線に気づき、女はマルスを小突く。

「坊主、私を皆に紹介しな」

 マルスは全てを誤魔化すように咳払いをすると、メディアと呼ばれた女を紹介する。

「彼女は、メディアという。私の従者兼、家庭教師兼、専属魔法使い兼、育ての親なんだ」

 ナナは慌てて、平伏する。

「申し訳ございません、私の責任で皇子にお怪我を――」

「気にすんな。ツバでもつけときゃ治るから。顔は唯一の美点だったのにねぇ。で――」

 メディアはどこかからか煙管を出して、それを一振りする。たちまち紫煙がたちのぼり、彼女はそれを美味そうに吸った。吸いながらも、メディアは何かを透かし見るような目でアルティを見つめる。

「ふうん、なるほど」

「呪いは解けるか?」

 心配そうに問いかけるマルスに、あっさりとメディアは言う。

「当たり前さ。私は帝国一の魔女、メディアだよ」

 そこでメディアは決まり悪そうに視線をそらした。

「そもそも、これは私が依頼を受けてかけた呪いだからな――」


 昔々エレンディラの王には、二人の妻がいた。片方は血筋高貴な誇り高き淑女。片方は、心優しい町娘。淑女は王の妃になり世継ぎの王子をもうけ、町娘は愛妾として王の寵愛を受ける。表面上は穏やかにその関係は成り立っていた。

 しかしそれは、愛妾が身ごもったときから少しずつゆがんでいく。

 ある日メディアのところへ、黒いベールをかぶった貴婦人が訪ねてきた。手には小さな籠を抱えている。そこから顔を出したのは、小さな猫。

「私がこの世から消えて欲しい人を、この猫のように可愛らしくすることはできるかしら? そうすれば、愛することができるかもしれないと思ったの。ねえ、だってこの子は誰もが可愛がらずにいられないほど、愛くるしいでしょう?」

 貴婦人はまるで歌うように、とても素敵なことであるかのようにその望みをメディアに告げ、魔女は深く考えることなくそれを了承した。女性は喜び、多すぎる報奨金を置いて去って行く。

 誰なのか、どういう事情があるのかなどは一切訪ねもしなかったし、どうでもよかった。

 呪いをかけ終えてから数ヶ月経った頃、エレンディラの王の愛妾が獣の頭を持つ子供を産んだことを風の噂で知った。その時も別段感慨は湧いてこなかった。依頼主をぼんやりと想像し、それでメディアの中ではその話は終わったようなものだった。

 それが、メディアとこの呪いとの関わりである。


「――お前が呪いをかけた張本人なら、とっとと解けよ」

 話を聞き終わるなり目だけで殺せそうなほどの殺気をたたえ、ディオは憤然とメディアを睨み付けた。彼女はしれっと言う。

「しかし、私の方法は、お前らが見つけた方法と変わらないぞ」

「――何?」

「お前らがやろうとしていたことは、求婚者――姫を愛するものに呪いをなすりつけることだろう。この呪いは愛を媒介に転移ができるからな。だから、その侍女が――姫に心からの忠心を捧げるその娘が、呪いを半分その身に受けた。それで姫は夜は呪いから解放された。次の生贄に姫の呪いを全て負わせれば、めでたく姫は普通の少女に戻るって寸法だ」

 メル以下、エレンディラの人間は黙り込んだ。唸るように、メルが反論をする。

「他に、方法が見つからなかった。本当なら呪いが完全に解ければいい。お前は、かけた本人なのに解けないのか? 本当にそれで帝国一の魔女なのか?」

 ふん、と魔女はうそぶく。

「私は依頼者の感情を媒介にして形にするだけ。この国の王妃も愛妾もすでに故人だと聞くが、彼女達の怨念が昇華されていないから、まだその娘に呪いが残っているんだ。墓前で母にお願いでもしてみろ」

「何を――!!」

「……もう、やめてください。私はもういいのです」

 怒りにまかせ憤然と腰の剣に手をかけたディオを、アルティは制止する。

「もうこれ以上、犠牲を増やしたくはありません。私はこのままでいいですから」

 少女の姿に戻っているのに、俯くアルティの姿は、どこか獣の時のような憂いと周囲への拒絶をおびていた。それを放っておけなくて、マルスの腕がアルティに伸びる。

「大丈夫だ」

 すっぽりとマルスの腕に包まれて、アルティは呆然とマルスを見上げた。

「大丈夫。私は君のためなら、猫になるくらい、大丈夫だ」

 その言葉にアルティは唇を噛みしめ、その目からは涙があふれ出した。

「そんな事……言わないで下さい」

「だっ、だから、大丈夫だっ!」

 マルスはその涙を止めようと、抱きしめる手に力を込めるが、姫の涙は溢れるばかりだ。

「オイいい加減にしろ。調子に乗るなよ、小僧」

 ドスのきいた声でディオに睨まれ、未来の義兄(希望)の眼力に怖れをなしたマルスはそっと姫の体からその身を離した。姫はなおも泣き続ける。

「私、もう嫌なんです。私の事を好きだと言ってくれる人が自分のせいで大変な目にあうなんて。みんな大丈夫って言ってくれるけど、大丈夫なわけない。だって私が一番この呪いの大変さを知っているもの。だから、嫌なんです。私はもう、このままでいいんです」

 しゃくりあげながらそう言うと、アルティは膝を抱えてうずくまってしまった。困ったように皆はその丸まった姿に視線を落とす。その中で、やけに堂々とした声が響いた。

「大丈夫だ。私に名案がある!」

 魔女メディアは高らかに言い放った。

「国民に呪いを負わせればいい」

「……正気か? どういう事だ」

「正気も正気だこのボンクラども」

 メディアの暴言に王子二人のこめかみに青筋が浮かぶ。姫は落ち着くまで別室で休ませる事にして、他の者は対策を語り合う。

「あんたもついててやりな」

 というメディアの一声でマルスも一緒だ。

「俺も」

 と二人に同行しようとしたディオは、両サイドから拳をくらって顔を腫らしている。メディアは紫煙をくゆらせ再び口を開いた。

「マルスに街においていかれたので、暇つぶしを兼ねて街で色んな情報を集めてたんだ。そうすれば、城から綺麗なお姫様がたまに街に下りてきて、庶民と話したり、歌ったり踊ったり、相談にのったりしてるっていうじゃないか。しかも、決まって夜中に」

 王子二人は黙り込んだ。昼間に籠もりきりの妹が不憫で、夜の外出は大目に見ていた。姫が楽しめるよう、夜間の商売や興業を奨励し、エレンディラは不夜城と呼ばれるようになった。しかし、そこまでアルティが庶民と関わっていたとは。

「あのお姫さん、民衆に好かれてるらしいぞ。親身になって皆の話を聞いてるそうでな」

「そういえば、最近政治や福祉にアルティが口を出すようになってきたと思っていたが」

 しかも、いやに街の内情に詳しかった。不思議に思っていたが、こういうことか。メルは解けた謎に、嘆息する。

「で、それを利用させてもらう。あの姫を好きな国民に、少しずつ呪いを負担をしてもらう。むろん、本人達には内緒だ」

 さすがにそれは……と目をむいたメルに、メディアはきっぱりと言い切った。

「大丈夫だ。ついでに、あの侍女の呪いも姫に戻して、その呪いごと国民に分散させる。それを繰り返す」

「――と、どうなる?」

 混乱したように、メルは眉を寄せた。何をしようとしているのかこの魔女は。

「姫が周りに愛されるほど、かけられた呪いは分散されて薄くなっていく。呪いは国中に広まり、その意味をなさなくなっていくだろう。大海に落とされた一滴の毒水のようにな」

「そんな事が――可能なのですか?」

 可能だ。とメディアは断言する。

「本来あの姫にかけた呪いは『猫のように可愛らしくすること』そうすれば『誰もが可愛がらずにいられないほど愛くるしくなる』だ」

「なるほど! だからアルティはあんなに愛らしいのか!」

 心から得心がいった、というように深く頷くディオの言葉は、その場の全ての人間からなかったことにされた。

「本来、呪いと言祝(ことほ)ぎ――祝福は紙一重なのだ。依頼主は確かにそのように私に依頼をした。私はそれを忠実に実行した。だから姫はあのような姿だが、人から愛されやすい。お前のような呪いを分かち合おうとする侍女がいて、さらに周囲の人間があの姫の呪いを解こうと、八方手を尽くすほどにな」

 メディアは美味そうに煙管を吸う。空は紫に染まりはじめ、夜が明けようとしていた。


 王子達と魔女が呪いの真相を語り合っている頃、アルティとマルスはふたりきりで所在なげに黙りこくったまま見つめ合っていた。話の口火を切ったのは、アルティからだった。

「よろしければ一つだけ教えて頂きたいのです。……私の何が綺麗だというのですか?」

 全く理解できない、というような表情だった。真剣な姫の顔に、ふ、とマルスは笑んだ。

「実は、私もある呪いを受けているのです」

 アルティは息を呑んだ。マルスは淡々と話を続ける。

「私には、心の醜い人間は濁った色で見えるのです。代わりに、心の美しい者は綺麗な色で見えます。どんな厚いベールで覆われていても、綺麗な服に包まれていても、それは見えてしまう。どのような佳人だろうが、心が醜ければ私にはただの汚い色の固まり。だが今の私には、あなたは綺麗な薄い色で出来た虹のように見えます。――本当に美しい」

うっとりとため息をつくマルスに、アルティは照れたようだった。もじもじと身をよじらせ、顔をうつむける。

「あなたの呪いは、あなたを愛する者と結ばれれば解けると聞きました。私にあなたの呪いを解かせていただけませんか?」

「嫌です」

 アルティは怯えた顔をマルスに向ける。

「私を愛してくれた人を獣にするなんて、嫌なんです。この呪いの大変さは自分が一番解っていますから」

 アルティが話す度に、美しい色が彼女の体の周りを弾けていく。マルスはそれをうっとりと見守った。この色は、彼女の心。愛のある色。自分には、ない色。

 祖父の愛人だったメディアは、もっと美しい愛人を得て自分を捨てた祖父を恨み、その息子――マルスの父に呪いをかけようとした。しかし、皇太子であった父は条件をつけてそれを回避した。

「私の子供を代わりに差し出す。私は将来の皇帝。呪いを受けるわけにいかないのだ」

 そうして、メディアに呪われるために産み出されたのが自分。父にも母にも、産まれてこの方一度もあったことがない。メディアはマルスに呪いをかけ、同時に言祝(ことほ)ぎもした。

「この呪いを受けるために全ての愛を失ったこの子供が、この呪いによって至高の愛を手に入れられますように」

 その時にはきっと、メディアの心の傷も癒えていたのだろう。マルスは、ぞんざいだが非情ではない魔女に育てられ、今まで生きてきた。そうして、この姫と出会う事が出来た。

「私はあなたの側にいたい。それが正直な気持ちです。どうか私と結婚して下さいませんか。美しき姫君」

 マルスは姫を見つめ、再度求婚する。姫の顔は赤らみ、それを隠すように彼女は俯いた。


「もうすぐ夜が明ける。あの姫はもうすぐ猫に戻るな。今頃、二人で睦み合っている頃か」

「そんなわけ、ないだろう!!」

 激高のあまり椅子を蹴立てて立ち上がったディオを、メルとメディアは首根っこをつかんで椅子へと引き戻す。その際「ぐえ」と鈍い呻き声が聞こえたが、誰も頓着はしない。

 隣室のふたりにメディアは思いを馳せると、そっと口腔でつぶやいた。

「愛に恵まれた獣姫よ、願わくば愛を知らない呪われた皇子に愛を教えてやってくれ」

 その言葉は、とても祈りに似ていた。


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