第3夜―伐ち手の使命
「こういうもの……?」
「そう、これが俺達の闘い……。俺達に与えられた使命だ」
冷淡な、何処か吐き捨てるような口調で青年は言った。
やや眦のつりあがった、大きな瞳に、通った鼻筋。
一真と同じ、艶やかな黒髪を肩の辺りまで伸ばしたセミロングに、
長身疾駆の体型からは、その口調と違わぬ、淡泊で冷ややかな
印象を一真に与えた。
「取り敢えず、俺と来い。お前に教えておかなければならない事もあるからな」
それだけを告げると、彼は一真に背を向け、先程の疲れを全く見せない
足取りで歩き出した。
気が付けば周囲の民家に、いつの間にか光が灯っている。
それを見た一真は、自分はやはり、恐ろしい「非日常」に襲われたことを
再認識する。そう、目の前を歩く青年も、その「非日常」に含まれる
存在なのだ。
背筋が、ぞくりと震えた。
少なくとも、今は彼に付いていくべきなのだと頭の中で
整理し、一真は彼の後を追った。
辿り着いた先は、小さな喫茶店だった。先程の場所から、15分ほど歩いただろうか。
閑静な住宅街の外れにあるその店は、「雛鳥」と書かれた看板を出しており、
小さいながらも手入れの行き届いたテラスが印象的な、可愛らしい外観だった。
流石に深夜という事もあり、電気こそ点いているものの、客の姿は
見えなったが。
「ここは……?」
「俺の家だ。喫茶店と兼用でな」
呟くように問いかける一真に、青年は入り口の門をくぐりながら答える。
ドアを開けると、ほんのりとしたコーヒーの匂いが、一真の鼻をくすぐった。
店内は2人で座るテーブルが7席と、カウンターに椅子が5席並べられていた。
壁には絵画が飾られ、窓際には小さな鉢植えが置かれている。
カウンターの奥の流し場で、こちらに背を向け、
誰かがカップを洗っている。この店の従業員だろうか。
「帰ったか」
低く、落ち着いた男性の声だった。水道の蛇口を捻り、こちらに振り向く。
髪を短く切り揃え、口元は、しっかりと整えられた髭で覆われている。
彫りの深い顔立ちをしており、眼鏡を掛けている。その奥の瞳の光は、
彼の持つ知性と落ち着きを湛えている。
「あぁ、例の伐ち手を連れてきた。やはり張り込んでおいて正解だった」
男性の呼びかけに、青年は後ろを歩く一真を一瞥しながら答えた。
伐ち手――。聞き覚えのある言葉に、一真は肩をピクリと震わせた。
そんな彼に構わず、2人は話を進める。
「取り敢えず、2人共席に着くと良い。話はそれからだ」
男性が、一真と青年の近くの椅子を指差してそう促す。青年は2人にとって
奥側の席に座り、一真もそれに倣うように、手前の席に腰を落とした。
「さて……。色々あって混乱していると思うが、まずは落ち着いてほしい」
そう言いながら、男性がカップを一真の前に置く。カップの中身は、
その甘い香りから、ミルクティーだという事が分かる。
乳白色のそれは、先程までかき混ぜられていたせいだろう、
中心の泡がくるくると回っている。
その動きに視線を落としながら、一真は小さく息をついた。
「まずは、自己紹介からしなければならんな。私はここの店長をしている、
黒騎忠司だ。それから、こいつが……」
「黒騎零夜だ」
男性――黒騎忠司が紹介を終える前に、青年は自己紹介を足早に済ませる。
やはり、名はその性格を表すのだろうか。零夜という名から受ける
印象通り、どこか素っ気ない対応だった。
「ははは……すまないね。昔からぶっきらぼうな奴なんだ」
苦笑しながら、黒騎は零夜の対応を詫びる。そんな彼に零夜は、
「そういうのはいい。手短に済ませなければ、彼に迷惑がかかる」
と、やや苛立ちを孕んだ口調で返す。だが、言葉の内容を聞く限りは
一真のことを気遣っているようだ。
そのためか、一真は零夜という初対面の青年をそう不快に感じなかった。
「あぁ、そうだったな」
黒騎は、思い出した様にそう言うと、再び一真に向き直る。
「それでは、1つずつ説明させてもらうとしよう。君は、
神童一真君だったね?」
一真は、ギョッとして聞き返す。何故初対面の男が自分の名を知っているのか。
「ど、どうして俺の名前を……?」
「まずは、そこから説明させてもらおう」
黒騎は、近くの椅子に腰を下ろして説明を続ける。
「神童君、薄々分かっているだろうが、君はもう、普通の人間では
ないんだよ」
「普通の人間じゃ、ない……!?」
一真は、今の自分という現実に改めて愕然とする。
「君は、『伐ち手』という存在になったのだよ。この零夜や、私のようにね」
――伐ち手。あの夜、頭の中に響いてきた言葉の1つだ。
彼らも、それに当てはまる人間なのだという。
「さっきも言ったように、俺達伐ち手の使命……それは、現世に甦った
人間の心が生み出した穢れの象徴、『鬼』を殲滅することだ」
黒騎の代わりに、零夜が説明を補う。いつの間にか、彼のカップは
空になっていた。
「つまり……俺はその、鬼ってのを倒せば良いんですか?」
一真はおずおずと、説明をまとめた言葉が間違っていないか
確認する。
「まぁ、簡単に言えばそういうことになるね」
銀のトレイを膝の上で遊ばせながら、黒騎は頷く。
「だが、今のままでは戦うどころか、鬼の存在を感じることすらできない。
お前には、正式に伐ち手として目覚めてもらわなければならない」
零夜が、それを打ち消すようなことを述べる。
「目覚めるって……どうやって?」
一真がそう問いかけた次の瞬間、2人の目つきがにわかに鋭くなった。
2人共中腰になり、まるで何かの気配を探っているかのようだ。
(もしかして……また鬼が?)
2人の様子から、一真はこの近くに鬼がいることを直感的に悟る。
「どうやら、今日は忙しい夜になりそうだな……」
零夜が、静かにそう呟く。やはり、一真の予想は当たっていたようだ。
「零夜、相手はかなりの大物だ。私も行こう」
「あぁ、頼む。……覚醒の良い機会だ。お前も付いてこい」
(覚醒……!)
その言葉を聞いた一真は、意を決したような表情で2人の後を追った。
「美奈ー。悪いけど、ゴミ捨ててきてくれないかしら?」
「えぇ? 何で私が……」
部屋のドアをノックする母の声に、美奈は宿題の手を止め、振り返る。
ドアを開けると、廊下に大きなゴミ袋を3つも抱えた母が立っていた。
それを見た美奈は大きな溜め息を吐いた。
「もう……何で今朝の内に捨てておかないかなぁ……」
文句を垂れながら、ずっしりとした袋を受け取ると、
「文句言わないでよ。今日は朝からずっと忙しかったんだから」
「はいはい……」
母親の弁解を聞き流しながら、美奈は階段を下りる。
「いつもの場所で良いんだよね?」
普段捨てる場所で良いのかと美奈が聞くと、母は申し訳なさそうに
苦笑した。
「えぇ、お願いね」
「はーい。行ってきまーす」
――闇の中で、何かが蠢いていた。
――血走るその目の視線が、美奈に向けられた。