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リロード  作者: 黒十二色
第一部:RE ROAD
3/125

Chapter1 かわりゆく日常-3

 次の日、土曜日。


 寝不足の目を擦りながら通いなれた通学路を歩く。疲労全開で家に帰ってベッドに飛び込んでバタリと横になったものの、昨夜はなかなか寝付けなかった。


 都会の閑静な住宅街の中にある我が私立校。ミノリ学園高等学校。中高一貫教育だが高校から入学する者も多い。僕も新渡戸もヒロアキも高校から入学した。高島さきも霧野みやこも同様であるらしい。


 全校生徒えーと何人だったっけ、とにかく少子化の時代にあって一学年あたり四十人近いクラスが七クラスか八クラスずつくらいあるのでなかなかに巨大であることは確かである。


 世間でのランク的には都内で言えばちょうど真ん中くらいになるのだろうか。それよりも少し低いくらいか。高くもなく、低くもない。しかし部活動がそこそこに盛んでスポーツ推薦クラスなんてのもある。悪く言えば中途半端。


 そしてその学園内でも大きく分けて三つのレベル……と言っていいのかどうか知らないが、その真ん中のレベルに僕らのクラス、二年G組が位置していたわけで、僕の嫌いな都合のいい言葉を使えば、普通である。


 クネクネと曲がりくねった通学路。高低の起伏は少々激しいものの駅から五、六分もあれば時間に余裕をもって到着できるので大して気にならない。


 というわけで、はい到着。

 いつものように教室の中央にある机に鞄を置いて――と、おっと間違えた。席替えしてたんだったな。あぶないあぶない。


 教室の廊下側隅にある僕の机に鞄を置いて、ここでいつもなら新渡戸やヒロアキと雑談したりするのだが、昨日から僕は二人にすら避けられているし、霧野みやこに話しかけようにも彼女は机に伏して微かな寝息を立てているし、仕方ないので窓の外を見る振りをして美しいそれを眺めていることにした。


「…………」

 えーと、これって相手からしたら結構気持ちの悪い行為かもしれない。


 だけど間違いなく僕の好意ではあるから……いや……でも……。


 さてさて、そうこうしているうちに朝のホームルームもつつがなく終わり、またしてもホームルームである。その頃には隣の霧野みやこも起きていた。


 本来、土曜日は世界史だとか授業があるのだが、文化祭について相談する期間があまりに短いとかそんな理由で入れ換えられたらしい。そんなところで融通を利かすあたり、学園首脳陣の文化祭というイベントに対する熱意というかなんというか、そんなようなものが伝わってくる気もする。


 ともあれ、授業がつぶれて三限終われば即解散。


 まぁ土曜日はだいたい隔週で休日だったりするのだが、今日は第三週なので学校に来なければならなかったわけだ。不幸中の幸いと言っていいのだろうか。何か違う気がするが。


 で、教卓の奥にショートカットのメガネ女子が立った。学級委員である。ちょっとつり目気味で三つ編みでもないのでオーソドックスな委員長タイプには見えないが、頼りになる雰囲気は醸し出している。性格キツそうな秘書って感じだと個人的に思う。なお、彼女は体育が苦手らしい。


「さて、昨日決定した文化祭でクラス参加する演劇の話ですが、昨日の放課後の文化祭実行委員会において、申請が通りまして、体育館の使用権を二十分間。獲得して参りました」

 まばらに拍手が起きたり、おおという声が上がったりした。


「私の力不足でこれしか取れませんでしたが、文化祭まで残り一ヶ月切っています。さっさと詳細決めて、やるからにはベストを尽くしたいです。尽くしましょう」

 学級委員の演説じみた前口上が終わり、本題に入る。


「まず何をやるか、ですが、まず、そこ、言いだしっぺの高島さん、何かやりたい演目などありますか?」

 指を差した先、教室中の目が、窓際最前列に向けられる。


 高島さきは、ばつが悪そうに頭をかきながら呟いた。

「ぇ、えっとぉ……特にないです……」

 無いのかい!


 じゃあなんで演劇なんて提案したんだろうか。

「高島さん……やりたいものないのに何で演劇なんて提案したの?」

 学級委員様が代弁してくれたぜ。口調や表情こそ優しいが赤フレームのメガネの奥にある瞳が全く笑っていない。


「それは、でも、あたしはただ、皆で何か一つでいいから作りたいなって、それしか考えてなかったから……」

 これはこれでなんだか可愛いのだが、どうしてくれよう。


 と、その時だった。

「ちょっと、いいですかな」

 不意に口を挟んだのは新渡戸である。妙に力強い声を無理矢理出していた。口調も変だ。いつもより輪をかけて変な新渡戸は、続けてこう言った。


「どうせなら、既存のシナリオじゃなく、オリジナルをやらないか!?」

 結果的に高島さんへの助け舟となるんだろうかこの言葉。実は、すごく嫌な予感がしているのだけれど、今は小動物のように小さくなって新渡戸の次の言葉を待つしかない。


「もちろん脚本兼監督はこの俺、新渡戸夕貴が務めさせていただく。理由は三つ。一つ、我がクラスの男子ほぼ全員からの推薦があること。天才であること。そして最後に……ふ。三つ目は内緒だ」

 うわぁ、うぜえ……。


「この条件が呑めない場合我々男子は演劇などという茶番は、ボイコットのサボタージュでシエスタである!」

 三つのカタカナ語は、三つとも反抗的な言葉だったと記憶している。ボイコットは冗談として「皆で授業ばっくれよう」とか話す時に使うし、サボタージュは「サボる」って言葉のもとになった言葉だし、シエスタってのはヨーロッパあたりのアンニュイお昼休みのことだったと思うが、仕事を中断してでも昼寝するようだから参加しないってことだろう。


「もちろん選択権はないものと思ったほうが賢明だ。もしかしたら我々男子は演劇をボイコットするだけでは飽き足らず、残された少数の女子で懸命に作り上げた舞台を滅茶苦茶にするかもしれない。すなわち! これは我らなりの譲歩である!」

 新渡戸の演説は続く。


「繰り返す。これは我がクラスに身を置く男子の総意であり反対意見は抹殺するものである!」

 ざわざわと教室が波立つ。だがちょっとまて、男子の総意って、僕は含まれていないんだ。おかしなこともあるものだ。僕も男子のはずなんだけどな。


 学級委員様は溜息混じりに、

「やる気があるのはいいけど、こういうのって皆で協力して――」

 と言いかけたが、新渡戸の叫びによって遮られる。


「生ぬるいっ! そんな姿勢で最高の作品がヒョコヒョコやってきてくれるなどと思っているのなら貴様は今すぐ舞台から降りるべきだ! やる気の無い者に用などないのだ!」

 今日の新渡戸は絶好調だった。バカさとかアホさとか特に絶好調だった。


「あのねぇ……」

 さすがの学級委員様も困り果てる展開。新渡戸と書いてバカと読めるあの男の考えることはよくわからん。


「要するに、だ。たこ焼き屋という希望が潰えた今! 演劇とはいえ男子主導にさせていただきたいと、頼み込んでいるのです」

 何だ、急に腰が低くなったな。


「引っ張ってくれる人がいるのはいいと思うけれど、新渡戸くんはえっとその……」


「バカだから信用できないと?」


「わかってんじゃないの、自分でも」


「級長どの、無理を承知でお願いしますー。本当にいいもの作る努力しますから」

 級長=学級委員様である。なお学級委員という呼び方は中学までクラスの代表をそう呼んでいた僕のような人々が惰性でそう呼んでいるだけであり、正式名称は級長の方だったりする。ここは珍しく新渡戸の方が正しいというわけだ。


 そうだな、いちいち学級委員と呼ぶのは長ったらしいので以後、なるべく級長としよう。


「……それじゃあ取り敢えず任せてみるわ。演劇の件は新渡戸くんに一任するわね」

 おいおい、そんな簡単に任せていいのかっ?


 新渡戸だぞ。


 しかし学級委員の女級長は「あとはよろしく」とでも言うように素早く手を振るい、教卓を離れると、風を起こすような早歩きをして教室中央の自分の席についた。もはや面倒くさくなったのかもしれない。


「ありがたき幸せぇ! 不甲斐ない結果になろうものなら九兆℃の炎の中にも飛び込む覚悟で望ませて頂きます!」

 微妙にダジャレ入っているのにはツッコミたくないぜ。


 というか、変なキャラ作ってんな新渡戸。ノリノリじゃないか。


 そして両手の平を教卓に置くと、新渡戸はその軽い口を開いた。


「さて……脚本はこれから書くとして、配役を決めマース」

 意外と真面目に仕切り始めた。喋り方はともかく、言ってることは真面目だ。


「配役はトランプ占いで決めマース。ヒロアキ、アレを」

 あー前言撤回だ。真面目じゃなかった。


「はは、こちらに」


「うむ……」


 部下のように振舞うヒロアキがトランプを手渡す。


 もうお前ら二人で劇やりなさい。そんなにやる気あるなら。

 そして、新渡戸は受け取ったトランプを……バシャァと思い切りぶちまけた。


「…………」

 静寂。


「配役が決まりデース」


「ええっ!?」

 思わず声が出てしまった。


「問答無用デース」

 どうでもいいが何でさっきから語尾をインチキ外国人みたいにしてるんだ。


 新渡戸は僕を見据え、僕を指差して叫んだ。


「主役は、加賀遊規っ!!」

 ええっ!?


「ヒロインは、言いだしっぺの高島さき!」

 ええっ!?


「おい、今言いだしっぺのって言わなかったか? トランプ占いの結果じゃないのか!? ていうかトランプ占いで決めるって何だよ!」


「問答無用デース」

 立ち上がって指さす僕のツッコミを片手で制した新渡戸。男子たちの鋭い視線が僕に集中しているのも怖いので、ここは大人しく席に着くしかない。


「そして、えーと、何がいいかな……魔法……うむ、魔法使い、霧野みやこ!」


「ええっ!?」

 ざわざわっ、と教室が鳴いた。そして鳴きっぱなしだ。あのウルフがあのウルフが、とざわついている。


「残りは追い追い決めるとして、とりあえずそれだけでいいや」

 新渡戸のやつ、何のつもりだ。


「加賀~。ちょっとこっちカモン」

 新渡戸が手招きしている。


 何だろうかとビクビクしつつも、のこのこと行ってみる。


 すると、新渡戸夕貴は教卓の横にやってきた僕を見下してこう言った。

「加賀。貴様のやったことは許しがたい行為だ。だが俺はそれを許そう。だから、主役、やってくれるよな?」

 僕が何をやらかしたのか知らないけれど、それで許してくれるなら。腑に落ちない、腑に落ちないが。


「それで許してくれるなら」

 僕はそう言った。


「ああ、加賀! お帰り!」

 アツイ抱擁を交わす、というよりガバっと抱きつかれた。きもい。


「加賀様、加賀様ぁーお帰りなさいませ加賀さまーぁ! うぅ……っく」

 ヒロアキがむせび泣いている。


 この中で、一体僕はどういう設定なんだ。そして他の男子からはパチパチと謎の大拍手が上がる。なんだかものすごく嫌な空間に迷い込んだみたいだ。というか、僕は本当に何の悪いことしたんだろう。


 謎は謎のまま解決してしまった。


  ★


 二限もロングホームルームである。


 つい今さっきのことだ。新渡戸は僕に言った。


「さっき霧野が魔法使い、って言ったけど反応なかっただろ、それで、だ。霧野に演劇に出てくれるかどうか訊いてくれないか。霧野、俺の言葉には反応しないからさ。な?」


 二限にホームルームで話し合うべきことがほぼ無くなってしまい、席を移動して雑談する生徒も多くなって、僕もまた席を立った。


 そして今、僕は霧野みやこの右半身を凝視しながら凝固しているという情けない状態である。


 新渡戸なりに僕に霧野みやことの接点を持たせてくれようという工夫なのかもしれないが、勇気のない僕には話し掛けるという行為すら大冒険だ。幼児が隣の街で単独行動するくらいに。


「あの、霧……野さん……?」

 おそるおそる、薄氷に踏み出すように。


「霧野さん霧野さん」


「……何?」

 あ、反応してくれてる?


 全てを飲み込んでしまいそうな漆黒の瞳は確かに僕を捕らえていた。


「何か、用?」


 なんていうかな……霧野みやこの声は、僕を酔わせる。きっとお酒とか飲んだら、こんな風になるんじゃないかってくらい全身を巡り、僕の視界を熱く揺らす。


 綺麗だった。


 少なくとも、他の誰がどう感じようと、僕はこの声が大好きだった。


 ――魔女。


 そう、引き込まれそうな漆黒の瞳も、孤独も、僕を惑わすこの声も、まるで魔女のようだった。とはいえ僕は魔女に出会ったことがないから本当の魔女がどんなものか解らないのだが。


 おっと、本題を忘れるところだった。


 折角霧野みやこが僕の声を聞いて受け止めて、反応してくれているんだ。会話するんだ。


「ええぇと、その、さっきの話、聞いてた?」


「……さっきの話?」

 僕の目をじっと見つめて、訊いてくる。相変わらず表情はない。


「演劇の配役の話だよ」


「……聴こえてた」

 反応は遅いけれど、会話になってる。会話になってるよ!


「よかった。その、それで、出演してくれるのかな?」

「……わかった。……加賀くんが……そう言うなら」

 不思議な言い回しだったけど、えっと、とりあえずOKだってことで解釈していいんだよな。


 僕はずっと遠くから様子を伺っていた新渡戸に親指を突き立ててサインを送ると、同様のサインが返ってきた。余程不安だったんだか気に病んでいたんだか浮かない顔をしていた新渡戸だったが、これでひとまず安心だ。


 と、その時である。

「加賀……くん……」

 僕は、驚いた。その声は間違いなく霧野みやこから放たれたものだったから。


 クラスメイトを相手にこう言うのもおかしい気もするが、まさか彼女の方から話しかけてくるとは夢にも思わなかったからだ。


「な、何?」

 僕は彼女の目をしっかりと見て言った。すると彼女は、


「その、ありがとう……」

 どうして礼を言われるのだろうかと僕は首をかしげたのだが、僕の言葉を待たずに霧野みやこは静かに席を立つと、引き戸を開けて教室を出てしまった。


 えっと、いや、ちょっと待て。今、一応授業中だぞ。


 しかし担任は気付いていないのか気付かぬフリをしたのか無反応で、僕は一応安心。


 そして、数分して何事も無かったように戻ってきた霧野みやこは、席に着くと、いつものように静かに座っていた。


 その後、短い休み時間を挟んで三限。文化祭のすぐ後にある修学旅行の説明だった。


 クラス男子になんとか許してもらえた僕は何事も無かったように皆と雑談していて、そのうちに本日の授業終了のチャイムが鳴った。僕は掃除当番であったが、土曜日なので余程教室が汚れていない限り掃除などというものはない。


「さて、じゃ帰るか」


「おう」


 と僕は新渡戸の誘いに応えて一緒に帰ることにする。


 何か忘れている気もするけどまぁ忘れるってことは大したことじゃないんだろう。


 そして昇降口まで降りて、下駄箱から靴を手にしたところで元気な女子の声が聴こえてきた。

「加賀君加賀くーん!!」

 僕を呼んでるけど、何でだ?


 って……あ…………。


 ――いや、忘れてなかった。


 僕は忘れてなかった。高島さんと遊ぶ約束したことを忘れてなんていませんでした!


「あぁ、これから呼びに行こうと思ってたんだよ」


 外履きを右手にそんなことを言った。嘘だ。本当は忘れてた。ごめんと言いたい。


「置いていくなんてひどいなー」

 新渡戸とヒロアキが不審そうにこちらを見ている。やめてくれ、そんな湿っぽい目つきで見ないでくれ。


 僕は言う。少し震えた声で言う。


「そ、そういうわけだから新渡戸、ヒロアキ。今日は一緒には帰れない」


「あー、わかった。じゃあな」と新渡戸。


 そして僕は目を泳がせながら、

「じゃ、じゃあ」

 と言い、高島さんも二人に向けて、


「じゃねー!」


 その声が昇降口に響いた後、すぐに二人の背中が見えなくなった。


「むに? どしたの? 加賀君?」

 靴を履きかえて歩き出そうとする高島さんが不思議そうに僕を見ている。きっと、自分では見えない顔が、何かを怖れるような表情でもしていたからだろう。


「いや、何でも」

 何だか別れ際の不自然さが怖かった。


  ★


 二人並んで駅までの道。歩きながら話す。

「高島さん高島さん」


「何?」


 僕は小さな高島さんの小さな肩を眺めながら訊ねる。

「これからどこ行くの?」


「んー、とりあえずさ、お腹空いてない?」

 そんなことを昼に言われたら何か食べたくなるなぁ。

 僕は「そうだね」と返した。


「じゃあ、ここ、入ろ」

 そして、高島さきが指差したファーストフード店へと僕らは移動する。


 教師に見つかったら何とかカードにスタンプを押される学園的に違法な行為だった。何とかカードのスタンプが溜まると早朝掃除をさせられるらしい。僕は早朝掃除したこともないし、早朝に学校に来た経験が無いので見たこともないから真偽は不明だ。もしかしたら都市伝説的なものかもという噂すらある。


 で、いわゆるハンバーガーを購入した後、地下の二人向かい合う座席につき、しばらくあの教師がどうしただの、新渡戸がどうしただのと、他愛のない雑談を繰り広げた後、僕は思い出したように質問をはじめる。いくつか訊きたいことは頭の中で組みあがっていたのだった。


 ひとまずあまり会話上手とも言えない僕は直球で訊いた。

「高島さん、今日は一体何で俺と遊ぼうなんて言い出したの?」


「へ? えっと、なんで急にそんなこと訊くのよ……」


「何か用があるんじゃないの?」


「用ねぇ。ないこともないんだけど、それよりも……ね」

 何が「ね」なのかわからん。わからんが言いたくないようなので次の質問。


「まぁそれはそうと、昨日訊こうとしたことなんだけど、いいかな?」


「あぁ、突然の加賀君へのイジメのことでしょ?」


「うん、そう、それ」


 そして今、明かされる。

「実はね、あたしが演劇をやろうって提案してすぐさ、加賀君寝ちゃったでしょ? あの後に挙手投票があって、男子がたこ焼き屋、女子が演劇。文字通りクラスが真っ二つに分かれちゃったの。うちのクラス三十七人でしょ? その日一人休みだったから、えーと、何対何だろ」


「十七対十七?」


「そのくらいかな。もうちょっと少なかったような……まぁいいか。で、えーとそれで演劇に一票差で決定しちゃったの」

 謎が解けた。あっさりと。


「なるほど。僕が起きていれば票が並んでいたわけだ」


「あたし何回も起こしたんだよ? でも起きなくて、よっぽど疲れてたんだね、加賀君」


「うん、まぁ」


 そりゃあ確かに、紙くず投げられても文句は言えないかもしれない。


 そこで少し会話が途切れた。二人の間に無言空間が広がり、何となく周囲の喧騒が大きくなった気がした。


「ねぇ」

 高島さんが大きな瞳で、まっすぐ僕を見る。


「席、離れちゃったね」


「ああ。残念だな」


「え」

 それっきり、また沈黙が流れた。ふと顔を上げてみると、高島さんが目を逸らし、その視線が定まっていない。


 何か変なこと言っただろうかと思った時、彼女が口を開く。

「う、うん。残念……」

 ああ、何か赤くなってる、可愛い。


 しかし赤くなるなんて何故だろう、と考える。

 言ったことをもう一度頭の中で繰り返してみると、告白じみたことを言っていることに気付き、少し恥ずかしくなった。


「でも、あたし達、演劇では……その……」

 演劇では、その、何だ?


 僕は無言を返した。言いたいことは何となく分かるのだが、それを言わせたい。

「こ、恋人同士……だね」


「うーん、新渡戸がどんなもん書いてくるかによるけどなぁ」

 いじわるをしてみた。


「あ、そっか! まだどんなのかわからないもんね。あはは、あたし焦りすぎかな! 焦るって何に焦ってるんだろ! あれ? えーと、んと、うにゃ……か、加賀君……加賀君は、その……誰か好きな娘とかいるのかなー、なんて……」


「え?」


「あ、いや何でもない! 忘れて!」


「好きな娘ねぇ……」


「………………」

 高島さきは、またしても顔を紅潮させて黙り込んだ。


 これはもしかすると、もしかしなくても高島さきは、この僕のことを……好き……なんじゃないか?


 彼女の方を見ると、俯いて顔を真っ赤にしている。これは、明らかに……。いや待て。そう考えるのは早計だ。だって、いくらなんでもこの反応はわかりやす過ぎるだろう。


 高島さきは、ちっこくて可愛いけどだからこそ見掛けによらずこう、裏で何かこう。例えばそうだな、友達と僕がオチるか賭けてたり。


 ――って、うわっ最低だ僕……。


 そんな風に人を見ていくのはやめたい。


 やめたい、でも! だって!


 信じられないんだ。目の前の女の子が、自分のことを好いているなんてフィクションじみたファンタジーじみたこの、この展開が。


「………………」


 静かだった。周りは全然静かじゃないはずなのに、僕の周りだけが静か。


 思考の乱立は思考の停止と何ら変わらないことを今僕は身をもって知ったわけで、この場を切り抜ける方法を思いつかない僕には、思っていることをそのまま言うしか道はない。


 最初からそうすればよかった。


 そうすればこの気まずい間。言い出しにくい間が生まれることもなかっただろう。考えすぎた。考えた結果の返答である場合、それは本心に限りなく近く、そうでなくとも心を読まれる結果になりやすい!


 ええい、何か言わなくては。


 時間の経過と共に次に発する言葉が重くなってしまうんだ。今ならまだ、何とかなるはず。

「す」


「す?」

 高島さんは、期待と不安を半分ずつ混ぜたような複雑な表情。


「好きな娘は、いないかな……」


「そ、そうなんだ」


「けど、気になる娘ならいる、よ?」

 僕は、結局嘘で逃げた。


「そ、そっか」

 切り抜けた。たぶん。


 ああ、もしもこの、はにかんだ感じとか、赤らめた頬とか、その中のちょっと透けて見える恐怖とか不安とか。そういうの含めて演技なのだとしたら、主演女優なんちゃら賞獲れるな。可愛いなもう。


 でも少し考えてみよう。


 僕はもしかしたら、ものすごく最低の野郎かも知れないんだ。


 気になる娘って誰のことだか考えてみると、霧野みやこ。そして、高島さき。の二人である。

 そう、二人。


 複数いる時点で何というか、その事実が僕を僅かに苦しめる。


 そしてふと浮かんだ高島さんが僕を好きな演技をしてるんじゃないかっていう被害妄想も、僕は嫌悪する。


 ああもう認めよう。僕は最低の野郎ですごめんなさい。誰か僕をやさしく叱ってくださいって頼みたくなるくらいに。


 綺麗で美しくて、孤独で、どこか僕の心の何かに触れる娘、霧野みやこ。

 可愛くて元気で人気者で、こんな僕を好いてくれている……かもしれない娘、高島さき。


 まったく正反対と言ってもいい二人のことを僕は、本当のところ、好きで。好きでいたんだ。さっきまた、「気になる」とかって嘘言っちゃったな。でも、はっきり好きな娘がいるなんて言えるものか!


 ましてそれが――

「………………が君」


「ん?」


「加賀君加賀君?」


「なんだい高島さん高島さん」

 いけない、考え事をするあまり別世界に旅立ちかけていた。


「そろそろ出よっか」

 時刻は二時四十五分を過ぎたところだった。


「ん、そうだな」

 僕らは立ち上がる。


 高島さんがトイレに行っている間に、僕はトレイを片付けた。そして一緒に外に出て歩く。

 顔を殴りつけるようなビル風。見上げた空は晴れていた。


 意識して空を見上げるなんて、随分久しぶりのような気がする。


 ところで僕は電線が好きではない。それがあるだけで空が狭く感じてしまうから。だけど駅前、この場所は、ビルが並び、大きな通りが交差していて電線がほとんどなくて、なんというか、開けてる、とでも言っておこうか。


 こんな風に綺麗な場所っていうのは世界のどの街にも、僕の住む街にだって存在するはずで、今みたいにそんな刹那の風景に瞬間的に心を奪われるのが好きだ。僕が本当の意味で恋をしたことがあるのかわからないけど、きっとこの感覚は恋に似ているんだろうな、と思うんだ。


 高島さきは笑顔で、舞うように歩く。


 僕は彼女に話しかける。

「風が、気持ちいいね」


 彼女は僕の言葉に頷いて、笑ったまんま、

「うん」

 と言う。


 心の底から好きだと思った。僕は、この娘の笑顔が、いや、違うな。笑顔のこの娘が好きなんだな。そう、確信した瞬間だった。


「うん……」

 僕は呟くような小さな声でそう言って、また空を見た。


 まだ半袖でも平気なんだな。とか少しだけ、発熱する地球を憂いてみた。


 少し黙ってそよ風を堪能するように歩いていたが、高島さきが口を開く。

「ねぇ」

 僕は声に反応して彼女の顔を見て次の言葉に備える。


「あたし、行きたいところがあるの」


「ん、じゃあ、そこ行こうか」


「いこーいこー。こっから歩いて五分だよー」

 歩く。てくてく歩く。


 ほんの二、三時間前に通った道をまた辿る。まるで働きアリみたいなこの行為が何を意味するのかといえば、皆から馬鹿と言われる僕でもわかる。


 僕らの通う学園に本日二度目の登校をしようというのだ。同じ学園の生徒とは全くすれ違うことなく、門にまで着いた。


「高島さん高島さん」

 高島さきは跳ねるように僕の前を歩いていく。


「んー?」

 振り返りはしなかったが、機嫌のよさそうな、明るい声が返ってきた。


「また学校に来てどうするのさ?」


「うーん、とりあえず、ついてくればわかるかもー」

 わけのわからない曖昧な返答。


 そうか、高島さんを相手に急いて答えを求めるのは、ぬかに釘なんだな。もう少し余裕とかゆとりとか、そういうの持って接していかないといけないようだ。


 閉じかけの門を通り過ぎ、昇降口で靴を履き替え、僕らは階段を上る。ひたすら上る。見える先に、段がなくなるまで上って、目的地が屋上だったことを知る。


「ここ」


「屋上だねぇ」

 思ったまま言ってみた。


「屋上だよー」

 こだまみたいに返ってきた。


「でもここ、立ち入り禁止じゃなかったっけ?」


「そう、ここ、立ち入り禁止なんだけどぉ……じゃん」

 そう言って高島さきはスカートのポケットから鍵を取り出して、重たそうな鉄扉に取り付けられたノブの鍵穴に刺し込み、ぐるりとひねる。がっちゃり、と開いた。


「えへへー」

 小さな手が扉が開けてすぐ、風が僕らを迎えてくれた。


「さ、入って入って」

 入る?


 その言葉に少し違和感。でも確かに「入る」だった。外に出るわけだけれど、屋上という空間に入ったというのは真実である。


 足元から日光が反射して少しまぶしい。普段生徒にも教員にも使用されていないためフェンス等はなく、ただ日差しと風、そしてコンクリートの床の上を緑色に塗装した一面と、都会的な街並み。それくらいしかなかった。他に僕らがいる以外は。


「びっくりした?」


「あ、あぁ、初めて入ったな。屋上」

 よかった、というような微笑を浮かべた高島さきは嬉しそうに、そして、何と言ったらいいのか……そうだな、歌うように話す。くるくると表情を変えながら。


「ここが、あたしの一番好きな場所なの。加賀君、加賀君になら、加賀君に教えたくなって、気に入って、もらえたかな……」


「うん、好きだ」


「そ。そ、そっか! あはは、嬉しいなー」

 皆が帰った後の学校は、とても静かで、まるで僕ら二人が世界から切り離されてしまったみたいで、綺麗で、でも少しだけ怖かった。


「鍵、どうやって?」


「え? ああ、うん。ちょっとね……」

 悪戯っぽい笑顔。どうやって手に入れたかは言いたくないらしい。


「どこも部活、やってないみたいだね」


「うん」


「ね、加賀君」


「うん?」


「世界って、綺麗だと思う? 汚いと思う?」


「綺麗だと思う」

 突然の質問に僕は即答した。

 汚いところもあるとは思う、だけど僕は綺麗な世界と信じている。


 すると、風に吹かれながら彼女は言った。

「あたしも」

 笑いながら。


 会話が途切れた静かな世界の中、僕が屋上の緑の床の上に仰向けに寝っ転がると、高島さきも同じように転がった。


 青々とした秋空しか見えない。


「ね、加賀君」


「うん?」


「加賀君はどうして加賀君なの?」


「え? もう劇の練習?」


「や、そうじゃなくて、なんていうかな、親しい人って名前で呼び合うでしょ?」


「あぁ、まぁそういう傾向にあるね」


「でも加賀君はあんなに仲いい新渡戸君とか山田君とかにも『加賀ぁ』って呼ばれてるでしょ? その……遊規、じゃなくって。何か理由があるのかなって……」


「うん、理由、あるよ。僕が加賀遊規、新渡戸が新渡戸夕貴。名前の音が同じでしょ?」

 漢字は違うけど、読み方は「ゆうき」だ。


「あ、そっか!」


「そう。だから仕方なく苗字で呼び合ってるわけ。ヒロアキのことは僕も新渡戸もヒロアキって呼ぶだろ?」


「うんうん。勉強になった!」


「学校の勉強の方がんばれよ……」


「う」

 痛いところを突かれた的な声を出した。


「高島さんってさ、成績とかどんな感じ?」


「うーん……って首をかしげたくなるくらいかな」


「僕もそんな感じではあるな」


「はい、勉強の話やめ! 違う話違う話」


「ああ、うん。高島さん」


「何?」


 僕は、空に向かって言うように、広がる青を見つめながら、

「がんばろうな」


「ふぇ?」


「演劇」


「うん!」

 空しか見てなくて、顔は見えなかったけど、きっと可愛い顔で頷いたんだろうな。


「加賀君加賀君」

「なんだい高島さん高島さん」

 高島さきは僕がそう言ったあとの数分間。もにょもにょと言葉にならない言葉を発するように声をもらしていて、僕はその声を聞きながら目を閉じた。そして彼女は最後に、


「あたし、加賀君のこと、好き…………………………かも」

 と言った。


 僕は空を見るどころか目を瞑ってしまっていたのでそのときの高島さきの顔を確認したりもできず、というよりも、どう返答したものかと頭の中グルグル思考が巡ってまたわけのわからないことになりそうだった。


 しばらく無言でいると、


「あ、あれ?」

 慌てたような、でもホッとしたような声がした。


「………………」

 情けなくて女々しい僕は、無言を返すしか選択できなかった。


 高島さきは残念そうに、でも何となく安心したように、

「……むー……寝ちゃったのか…………」

 とてもとても小さな声で呟いた。


 結果的に寝たフリをして相手の気持ちを知ってしまった僕は、何と罪深いことだろうね。


 僕は確かに高島さきのことが好きだ。それはそう。でもそれが、恋人になり得る好きだとは、つまり、恋なのかどうか判らなくて、迷っているんだ。と思う。


 ああ、そうだ。本当にこのまま眠ってしまおう。今は何も考えたくはない。


 これは逃避だとは思うけれど、でも今は逃げさせて欲しい。


 自分の気持ちが判らない。


 きっと、ずっと、考えても考えても、考えれば考えるほど判らないんじゃないかと思う。こんな風に逃げまくって、何がどうなるって言うんだ、とは思うけど。今は、とにかく今は何も、考えたくない。


 そしてどうやら僕は、九月のまだ強い日差しの中、眠ったらしい。


  ★


 夢を見た。

 何の夢だったかな。

 忘れた。


  ★


 目を覚ました僕が、屋上の緑で体を起こすと、そこには高島さきがいた。


「おはよう」

 高島さきは屋上の縁に座って僕を見ていた。


 ちょうど背後に朱色の夕日が見えて、色気なんか全く感じられないような幼い彼女を普段の何十倍も妖艶に見せてくれていた。


 それはほんの一瞬そう見えただけだったけれど、本当に美しかった。綺麗だった。普段は、美しいというよりも可愛いという言葉が似合う彼女が。


「お、はよう」

 とりあえず挨拶。


「むー、寝ちゃうんだもんなー加賀君」

 むくれてみせる高島さき。表情が豊かである。


「ごめん」


「もっと色んな話したかったのに、もう帰らないとね」


「……ごめん」

 平謝り。


「あやまる気があるんならさ、また今度付き合ってもらうからね! いい……よね?」

 不安そうに訊ねる高島さん。僕の答えは決まっている。


「ん、僕でよかったら」

 断る理由がどこにも見当たらない。僕は立ち上がり、屋上の縁に座って表情に花を咲かせている高島さきに手を差し伸べる。手を引いて立たせると、すぐにその手を離した。


「帰ろう」

 僕が言う。


「うん」

 彼女は笑顔で頷いた。


 誰もいないような学校を出て、夕焼けの道を歩く。


 何の得にもならないような、他愛のない話をしながら。


 これが幸せというものなのかもしれないね。なんて、僕みたいな年端もいかない子供が言うことじゃないよな。きっと、そうだな。普通の、普通のことなんだな。特別じゃないこと。

「電車、反対方向なんだよねっ」


「うん。それじゃあ」


「また来週!」


「じゃあね」

 そう言って駅の改札を通ったところで別れた。少しだけ、彼女と近づけた気がした。


 少しずつ変わっていく日常。

 ずれているわけじゃない、そして皆と交差する。

 僕は、変わっていくことも日常なんだって解っていた。





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