Chapter4 新渡戸の勇気_3
次の日、土曜日、HR。
「言いだしっぺの高島さん、何かやりたい演目などありますか?」
「ぇ、えっとぉ、特にないです」
ないのかよ!
俺は思わず心の中でツッコミを入れた。
「高島さん、やりたいものないのに何で演劇なんて提案したの!?」
このころは正体不明だった赤フレームメガネの級長が責めるように言った。
「それは、でも、あたしはただ、皆で何か一つでいいから作りたいなって、それしか考えてなかったから……」
さて、そろそろ出番かな。
「ちょっと、いいですかな」
と、俺は起立しながら言った。
「どうせなら、既存のシナリオじゃなく、オリジナルをやらないか!? もちろん脚本兼監督はこの俺、新渡戸夕貴が務めさせていただく。理由は三つ。一つ、我が2-Gの男子ほぼ全員からの推薦があること。天才であること。そして最後に、ふ。三つ目は内緒だ」
三つ目は……加賀のために……なんてな。
「この条件が飲めない場合我々男子は演劇などという茶番は、ボイコットのサボタージュでシエスタである! もちろん選択権はないものと思ったほうが賢明だ。もしかしたら我々男子は演劇をボイコットするだけでは飽き足らず、残された少数の女子で懸命に作り上げた舞台を滅茶苦茶にするかもしれない。すなわち! これは我らなりの譲歩である! 繰り返す。これは我がクラスに身を置く男子の総意であり、反対意見は抹殺するものである!」
前日張り切って練習してきた台詞だった。大袈裟な動きをしてみたし、演劇っぽかったかな。これで少しは信用してもらえるといいんだが。
「やる気があるのはいいけどこういうのって皆で協力して――」
ふふふ、級長。そう来ると思ったぜ。
「生ぬるいっ!! そんな姿勢で最高の作品がヒョコヒョコやってきてくれるなどと思っているのなら貴様は今すぐ舞台から降りるべきだ! やる気の無い者に用などないのだ!」
「あのねぇ……」
呆れ顔の級長だった。
「要するに、だ。たこ焼き屋という希望が潰えた今! 演劇とはいえ男子主導にさせていただきたいと、頼み込んでいるのです」
俺は、これ以上傲慢な態度をとるのは得策ではないと判断し、腰の低いモードに移行する。
「引っ張ってくれる人がいるのはいいと思うけれど、新渡戸くんはえっとその……」
「バカだから信用できないと?」
「わかってんじゃないの」
「級長どの、無理を承知でお願いしますー。本当にいいもの作る努力しますから」
あとは平身低頭。
「それじゃあ取り敢えず任せてみるわ。演劇の件は新渡戸くんに一任するわね」
第一段階クリアだ。
実は級長はそんなに几帳面な性格ではなく、そう演じているだけだと俺は分析していたから、これは計算通りのこと。
「ありがたき幸せぇ! 不甲斐ない結果になろうものなら九兆度の炎の中にも飛び込む覚悟で望ませて頂きます!」
無理矢理ダジャレも入れてみた。
俺は級長と入れ替わりに教壇に立って、言った。
「さて、脚本はこれから書くとして、配役を決めマース。配役はトランプ占いで決めマース。ヒロアキ、アレを」
配役はもうほぼ決まってる。加賀のために、周到に準備してきた茶番を見せてやろう。
「はは、こちらに」
「うむ」
バシャァ!
俺は受け取ったトランプをぶちまけた。
静まり返る教室。
「配役が決まりデース」
「ええっ!?」加賀は驚きの声を上げる。
「問答無用デース」
俺は加賀を指差し、
「主役は、加賀遊規っ!!」
と言った。同様に、
「ヒロインは、言いだしっぺの高島さき!」
「おい、今言いだしっぺのって言わなかったか? トランプ占いの結果じゃないのか!? ていうかトランプ占いで決めるって何だよ!」
加賀、面倒だからつっこむな。加賀を片手で制して言う。
「問答無用デース」
あとは。
「そして、えーと、何がいいかな……魔法……うむ、魔法使い、霧野みやこ!」
「ええっ!?」
教室中が、ざわついた。
「残りは追い追い決めるとして、とりあえずそれだけでいいやー」
実を言うと、これはアドリブだった。もっと別の配役を考えていた。それこそ級長とかに魔法使いをやらそうとか思っていたのに、どうしてか、俺は霧野みやこの名を口にしていた。
俺は何故霧野みやこを出演させようと思ったんだろうか。
よくわからなくなってきた。
近づけさせたくないはずなのに。
あぁ、自分の気持ちが、わからないな。
――もしかして、近づかせて、霧野が人間じゃないと気付かせたい?
そうかもしれない。でも、そんなことしていいのか?
ダメだ……加賀と霧野に関しては、失敗ばかりだ。どうしちまったんだろうな、俺。
「加賀~。ちょっとこっちカモン」
俺は加賀を呼ぶ。小動物みたいに小さくなった加賀が俺の前に立った。
「加賀。貴様のやったことは許しがたい行為だ。だが俺はそれを許そう。だから、主役、やってくれるよな?」
すると僅かな沈黙の後、加賀は言った。
「それで許してくれるなら」
「ああ、加賀! お帰り!」
抱きついた。
「加賀様、加賀様ぁーお帰りなさいませ加賀さまーぁ! うぅ、っく」
ヒロアキがむせび泣いている。
そして他の男子からはパチパチと謎の拍手が上がる。
第二段階クリア。
あとは、舞台を作るだけだ。まぁ、それが一番大変なんだろうけど。
次の時間が始まってすぐに、俺は加賀に言った。
「さっき霧野が魔法使い、って言ったけど反応なかっただろ、それで、だ。霧野に演劇に出てくれるかどうか訊いてくれないか。霧野、俺の言葉には反応しないからさ。な?」
怖かった。
加賀は霧野みやこと話したと言った。
もしも、そのことが本当ならば、霧野みやこというモノに自我と呼べるものが生まれたという可能性がある。そんな、あり得ないことなのに。
加賀は霧野と話している。
あぁ、本当に会話が成立しているみたいだ。設定にない。
加賀はずっと遠くから様子を伺っていた俺に親指を突き立ててサインを送る、同様のサインを返した。
顔では笑ったつもりだったけど、その時の俺がどんな顔をしていたのか、わからない。
心は確かに波立っていた。
もしも、今霧野みやこを動かしているのが、研究所の奴らの設定なら、プログラムならばそれでいい。
奴らに質問をする気にはならないけどな。
だけど、もう一つの可能性が重要だ。
もしも、今霧野みやこを動かしているのが、妹、夕実の意思ならば、それは、記憶が戻りかけているのなら、喜ぶべきことなのかも知れない。ただ、その場合、まず俺に対して何らかのアクションがあっていいはずだ。
俺のことだけ抜け落ちている?
いや違うだろう。アレは俺の知る夕実とは違う。アレは夕実じゃない。そう感じる。
もしも、もしも霧野みやこを動かしているのが、霧野みやこ自身の意思だとするなら、本当の夕実は何処に行ってしまったのか。ちゃんと夕実に戻るんだろうか。
怖い。
きっと研究所の奴らはこう言うだろう。
「わからない」あるいは、「絶対に戻ります。保証します」
当てに、ならない。
確かめたい。確かめたくない。
どっちだ?
わからない。
でも、本当はもう、知っていたのかもしれない。
あれが、霧野みやこ、の、意思である、ことに。
三限は、修学旅行の話し合いをして終了した。
修学旅行ねぇ、そういや研究員たちは、修学旅行に霧野みやこを行かせるつもりなんだろうか?
奴らとは会話すらしたくないけれど、そういう事務的なことは聞いておかないとな。
「さて、じゃ帰るか」
俺は加賀に声をかける。
「おう」
ヒロアキも合流し、下駄箱まで来たところで、
「加賀君加賀くーーーーーん!!」
高島さきの声。
「……あぁ、これから呼びに行こうと思ってたんだよ」
加賀は、外履きを右手にそんなことを言っていた。
「置いていくなんてひどいなー」
さてはこいつ、約束したのに忘れていやがったのか。
「そ、そういうわけだから新渡戸、ヒロアキ。今日は一緒には帰れない」
明らかに動揺しながら加賀は言った。
「あー、わかった。じゃあな」と俺が言う。
「じゃ、じゃあな」
視点が定まっていなかった。
「じゃあねー」と高島さきが言って、すぐに加賀のほうに向き直り、「ふ? どしたの? 加賀君?」
「いや、何でも」
加賀、約束くらい守れよ。約束くらい。
「なぁ、やっぱり加賀って高島のこと好きだと思わないか?」
と、ヒロアキ。最近二人での帰り道が多くて、自然とこういった話になってしまう。
「さぁな。でも高島は加賀のこと好きだろうな」
「それはだって、どう見てもそうだよな」
「それだけは間違いないな」
「新渡戸は、誰か好きな奴いないの?」
「好き。ねぇ……」
「霧野、みやこか?」
「いや……」
「へえ、違うんだ」
「ヒロアキは、どうなんだ?」
「俺は……誰も好きになっちゃいけないからさ……」
「じゃあ、俺もそれだ」
「なんでだよ」
ヒロアキは答えなかった。
しばしの無言が心地悪かった。
「加賀にだけは幸せになって欲しいな」
俺が珍しく心から本当のことを言うと、
「俺はお前にも幸せになって欲しいけどな」
ヒロアキがそんなことを言ってくれた。
たぶんそれに応えることは、できないな。
けれど、
「ありがとう」
俺はそう言った。
「何が?」
「別に」
ビルの隙間を通り抜けた強風が、俺たちを打った。
悩みとか不安とか、全てこの風が吹き飛ばしてくれたら、いいのに。
★
翌日、日曜日。午前十一時。
パン屋の地下にある研究所に行って、報告をする。
日曜の朝の習慣の一つだった。親父も霧野みやこもいたが、いつもと同じように、会話を交わすことはなかった。
「今週も、普段どおり、特に異常はありませんでした」
そう言った。
嘘だ。
霧野みやこが喋りました。霧野みやこが会話しました。そう言うのが本来の形。
「わかった。引き続きよろしく」
「はい」
毎週毎週重ねてきたやり取り。いい加減慣れた。
今の会話で、おそらく霧野みやこが会話するよう設定されていなかったであろうという可能性が高いことがわかった。奴らは計画通りに進まないことに対して動揺を隠せない。隠そうとすらしない。平然としてたってことは、霧野みやこの変化に気付いてないってことだ。
「質問なんですけど」と俺。
「何だね」白衣の研究員。
「霧野みやこは、修学旅行に連れて行くのですか?」
「現段階では、行かせないことにしている。旅行までの数週間のうちに投薬の必要がなくなれば、様子を見て決める」
「わかりました。ありがとうございます」
バタン、と重い扉を閉めた。
俺は階段を上り、パン屋へと出る。
そして客も店主もいないパン屋の品物をいくつか袋に入れた。
売れないのにこんなに作って、罰当たりだよな。
袋の中のパンをちぎって食べながら坂の上の自宅へと向かう。
家に着いた俺は、加賀に携帯でメールを送る。これも半ば習慣化しつつあった。
「あそぼうぜ」
普段なら数分後、なくても数時間後には何らかの返信があるはずなのだが、何の返信もない。この場合、加賀は寝ているか、携帯を携帯せずに何処かへ行っているかのどちらかだと思う。今までの加賀の言葉を信じるならばの話だが。
もちろん信じるさ。
返事を待っている間に、暇をもてあました俺は、文化祭の演劇というものを思い出し、何かを書こうとボールペンを握ってルーズリーフの前に座った。
決まっているのは主幹となる登場人物が、「少年」と「姫」と「魔女」と「王子」という四人であること。
そして少年、姫、魔女、王子が、加賀、高島、霧野、そして俺であるということだけだった。
とにかく筆を走らせた。
無心というのはああいうのをいうんだろうか。
時々携帯を気にしながらその度加賀のことをただただ心配していたように思う。
結局、この日のうちに加賀からメールは来なかったのだが、深夜三時頃、俺の携帯が鈍い音で鳴いた。
メール。加賀から。『すまん。無理だった』
人によると思うが、深夜にメール送られて迷惑だと思う人と、メールを、経緯はどうあれ無視することを不快に思う人。どちらかと言えば、そうだな。俺は深夜にメールが来ても、来ないよりは幸せなので迷惑だとは思わない。
というか、加賀には「深夜でもメール返せ」と言ってある。ヒロアキに同様の話をしたら「電話でもいいか?」と言ってきた。それはさすがにないだろう。
言ってしまえば、メールだからこそできること、だと俺は思ってるんだがね。
俺は何かに憑かれたように筆を動かし続け、月曜の朝を陽光が告げる頃に、ようやく舞台の台本、その骨組みを作り終えた。
達成感がドッと押し寄せて、危うく眠りにつきそうになった。
寝てはいけない。
月曜日、それは学校に行かなくてはいけない日。
実は俺が皆勤賞継続中という事実はきっと意外だと思われるだろう。
眠い目をこすりながら、着替え、朝食を摂り、歯を磨き、顔を洗った。机の上にあったパンが詰められた袋を持って家を出る。
あぁ、すっかり、秋の空気だ。そう思った。
学校に着いた。
時間的にはギリギリ。実は地下鉄で寝てしまって二つ先の駅まで乗り過ごしたのだった。まぁそんな愉快な話でも今日は話のネタにするつもりも起きない。
ただ早く、書いてきた台本を見せたかった。
一日かけて書いたんだ。
まだ途中だけど。
そして、朝のHRの時間になる。加賀は延々と眠りこけていて、起立すらしなかった。
なんという不良。
「加賀、おい、加賀、加賀さんー。加賀遊規ー。加賀ってば……」
加賀遊規は熟睡していた。
俺はヒロアキの席に座って、声をかけ続ける。
しかし起きない。
「おい、加賀! 加賀ってば!」
ばしんっ。仕方なく俺は手に持った台本で叩いた。
「ん、ああ新渡戸か、おはよう」
起きた。眠そうだ。
「やっと起きたか。まったく、昨日はメール無視するし、おかげで仕事がはかどっちまったぜ」
「仕事? 仕事ってパン屋で手伝いでもしてたのか?」
「ちっがうよ!」
「じゃあ何だよ。バイトでも始めたか? 禁止されてんぞ?」
それも違う。
そもそも、うちの高校はアルバイト禁止なのだ。ってそんなことはどうでもいい。
「これ書いてたんだよ、読んでみ?」
「なんだこれ?」
「台本だよ台本。っつってもまだ未完成だけどな」
「ふーん……」
「なんだよ反応うすいな、お前が主役なんだぞ?」
「そういえばそうだったな」
「今更降りるなんて言うなよ? すっげぇ恥ずかしい役にしといたんだからな!」
加賀は台本をペラペラとめくる。
「おい新渡戸」
「なんだ? わからない漢字でもあったか?」
「これ、登場人物四人しかいねえぞ?」
「それがどうした?」
「クラスで演劇やるんだろ? 三十人以上黒子やらせる気か?」
「まさか! 言ったろ? 未完成だって。これはとりあえずお前と霧野と高島に見せるために書いてきたんだよ」
「ん? お前も出るのか?」
「そういう公約だからな」
折角頑張って書いたのに反応が薄くて残念。だけど、まぁこんなもんか。
で、その三十分後の授業中。
「加賀くん。これは何?」
英語教師につかまった。
「あ、あー……それは、えっと、文化祭の……」
「文化祭の?」
「台本です」
「授業には?」
「関係ないです」
「その割には堂々と読んでたわね」
「すみません……」
「そりゃ私の授業なんて聞いてても役に立たないかも知れないけどねぇ、そういう態度ばかりだと………………くどくどくどくど……」
授業が始まってすぐ英語教師に台本を没収されていた。徹夜明けの俺が眠りにつくのを遥かに上回る速度で没収されるとは、やはり加賀は間抜けだぜ。
授業終了時に返してもらえたのは、幸いだった。
それから、俺が実際に見たわけではないが、俺の台本は加賀からヒロアキ、ヒロアキから霧野へ渡り、霧野が持ったまま昼休みを迎えたらしい。
昼休みに簡単な確認をして、その台本の筋書きでいくことが決定した。
★
霧野みやこが頭痛で倒れかけたことなど、すぐに忘れてしまうほど演劇の練習や、準備が忙しく、そして楽しかった。
何より、楽しかった。
人生で一番楽しい日々だと断言してもいい。
こんな日々をくれたことを、加賀に感謝でもしておこうかな。
ただ、霧野みやこが頭痛で倒れかけたことは忘れていられたけれど、あの霧野みやこが笑ったことは、忘れていられなかった。
おかしいんだ。笑うはずがないんだ。
霧野みやこが夕実になるには、まだ薬が残っている。
そしてあの笑顔は、夕実のものじゃない。
雰囲気が、空気が違うんだ。
あれは、霧野みやこという名前の人間だ。
そう、認めなくてはならない。
――馬鹿な! あり得ない!
おかしい。こんなこと、あるはずがない。
夕実になるはずの器が、勝手に笑い出すなんて。
加賀、お前、霧野みやこに、何をしたんだ?
★
文化祭の演劇は、俺から見れば成功に終わった。体感的には一時間を超えるような、。長い長い二十分だった。
その内容が、今思えば、それから起こる出来事を予言していたのかもしれない。
だから、そうだな。俺は予感していたのかもしれない。加賀が、何かを選ばなければならなくなることを。
俺はどっちも掴めない。
加賀はどちらも選べる。
無意識に、そうなってくれてもいいなって、思っていたのかも知れない。
ともかく、皆よく演じてくれたし、裏方もしっかりこなしてくれた。衣装を作ってくれた人、小道具作ってくれた人、ポスター作ってくれた人。使いどころが無さすぎて苦しかったけど、無理に頼んだってのにBGMを作ってくれた軽音楽部の部長。照明、音響。その他色々。
皆に言いたい。
ありがとう。と。
俺や加賀、高島や霧野の周りを皆が囲む。駆けてくる級友たち。
あぁ、こういうの、いいなぁ。
心に引っかかるのは、霧野みやこのことだけだが。
はやく全ての薬を飲み込んで、夕実になってくれればいいのに。




