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リロード  作者: 黒十二色
第一部:RE ROAD
1/125

Chapter1 かわりゆく日常-1

 意味がわからない。意味がわからない。

 どうしてそうなったのか。


 それは、僕が予想していた遥か頭上を飛び越えて、見えなくなるくらい、そのくらい理解に苦しむことだった。


 曖昧で、でも鮮明な淡々とした記憶は、夏休みが終わって少しの九月のある日にまで遡る。


 秋の朝の匂いが好きだった。


 まだ葉は色付いていないけどもう、秋か、と感じた。


 晴れ渡る空が好きだった。


 沈む夕日も好きだった。僕の目が捉える全てが美しく見えたんだ。




  『RE ROAD』




 ――ウルフ

 それがクラス男子の、彼女に対する呼び名。

 何でそう呼ばれてるのか、理由とか経緯とかは知らない。


 僕の友人の新渡戸が言うには、

「あぁ、あの娘はやめたほうがいいぜ?」


「なんで? たしかにいつも険しい顔してるけど……」


「加賀。お前そんなに霧野に興味あんの?」


 興味。ないといえば嘘になるけど、

「ないよ。ただ何でそんな風に呼ばれてるのか気になっただけ」


「馬鹿だな、それを興味あるって言わないで何なんだよ?」


 ごもっとも。


「ま、止めはしないけどな」

 新渡戸は乾いた笑い声を混ぜながらそう言った。


 というか質問に対する答えになってないぞ、新渡戸夕貴よ。


 そう、僕は惹かれていた。美しくて孤独な娘。霧野みやこに。


 孤独は美しいのかも知れない。

 鮮やかな黒い髪、吸い込まれそうな漆黒の瞳。クラスの女子の中では背が高いほうで、僕と同じか、あるいはもっと高いかもしれない。

 えっと、僕が百七十センチほどだから……。百七十センチメートル。まぁそのくらいだろう。ちなみに本当は僕百六十五センチ。つまり僕よりも高い。はっきりとわかるくらい僕よりも高い。さっき見栄はって嘘つきましたごめんなさい。


 まぁとにかく、彼女の周りには目に見えそうな壁がたしかにあって、それがまた何といったらいいだろう、彼女の人形的美しさを浮かび上がらせる。


 腰まで真っ直ぐ滑り落ちる輝く黒髪。長いまつ毛も、大きな目も、通った鼻筋も、小奇麗な口元も、いつも伸びた背筋やすらっとした全身の造形も、まるでそれは目で愛でられるために生まれてきたかのようだった。


 ただ少し、他人と接するのがどうも苦手らしく、いつも群れからはぐれていた。


 そんな彼女のことを、あるクラスメイトが「ウルフ」と呼んだのだという話を聞いた。一匹狼だからとか、そういうことだろうか。


 真偽や当時の状況は不明。狼とは似ても似つかないのにな。


 ちなみに僕の記憶が正しければ肩から先に髪を伸ばすのは校則違反だったはずだ。でも多分教員会議とかで「美しいから許可」って感じになったんだろうね。都会にあって大木に育った樹木を保護するようなものか。いや、ちょっと違うか。まぁそんなことはどうでもいいのだ。


 いつも一人で壁とかを真剣そうな目で見つめている霧野みやこは、時々顔をしかめていて、何を考えているんだろうと気になった。なり始めてしまった。


 そこで、声をかけてみよう……などという思考をする僕ではない。簡単に言ってしまえば、びびっていた。びびりまくっていた。だって怖い怖い。誰とも話してるところなんて見たことがない。話しかけられても会話が成立しない。そんな娘に話しかけられるはずがない!


 彼女の異端な振舞を美しいとか思う僕は変態なのかも知れない。

 いやいや、僕は変態ではない。ただ気になってるだけだ。


 別に彼女に、彼女と、どうこうなりたいとかそんな、そんなの、ない。たぶん。


  ★


 教室。現代社会の授業時間。


 霧野みやこに関する新渡戸との会話を思い出しながら僕はノートを開いた。現代社会の授業なので、当然現代社会のノート、と見せかけて、実は世界史のノートなのだが、世界史の教師は授業の度にわっかりやすい印刷物を配ってくれるのでノートの中身は綺麗な横線が何本も引っ張ってあるだけだった。つまりほぼ白紙。それを利用して授業とは関係ない事を書き記そうというのだ。


 というわけで、僕は一ページ目の最上段に少し強めの筆圧でシャープペン(2B)を走らせた。


 この行動を起こさせたのはさっきの新渡戸との会話だ。言うなればこんなことになったのも新渡戸の野郎のせいなわけだ。そう、僕のせいでは決してない。新渡戸のせいで、僕は霧野さんが気になって仕方がなくなったんだ。


『霧野みやこ観察日記』


 ふむ……――ってっ!


 何を書いてるんだ僕は! 信じられん! 信じられない!!


 急いで消しゴムでこすって消したが、筆圧強めで書いたためか完全には消えなかった!


 こうなれば、仕方ない。


 僕はペンケースから別のシャープペン(4B)を取り出し、イレイザーをかけた部分を見えないように塗りつぶした。


 誰にも見られてないよな。と思いつつ辺りを見渡すと、授業中だというのに僕の顔をみてニヤニヤしている男が一人。


 新渡戸夕貴。


 なんという失態!


 いや待て、落ち着け僕。内容まで気取られることはないはずだ。きっときっとあれだ、新渡戸は僕に気があるんだ。って、いやそれすっげー嫌だな。ああもうどうしよう。


 頭を抱えてガタガタのたうつ。


「新渡戸! 加賀! またお前らか!」

 教師に怒られた。なんでだよ、迷惑かけてないのに。


「ホットラインも程々にしろな」

 なんじゃそりゃ。


 そして教室中からクスクスと嫌な笑いが発動。凹まざるをえない。


 霧野みやこの方に目をやると、ノートも教科書も何も乗っていない机に頬杖をついて、何もない白い壁を見つめていた。


 彼女の目に何が映っているんだろうか。不意に彼女の目が僕を捉えた。

 やべ、目合った……どうしよう。

 氷結。逸らせない……。


 長い長い数秒間見つめあい。目を離したら負けかなと思った僕は…………負けた。


 さて、チャイムが退屈な科目、現代社会の授業終了を告げた。休み時間である。


「加賀~」

 きた。きやがった。


 こいつは新渡戸。

 僕よりちょっと背が高く、僕より遥かに劣った成績の不真面目な男。ちょっと馴れ馴れしい性格をしているためか友達は多い。そんなマイフレンド。僕の親友。


「…………」

 なんとなく無言で返す。


「やっぱりお前……むグ」

 口を塞ぐ。


「言うな」


「ふふぃふぁんふふぁろ?」


「ふふぃってなんだよ」


「ふぃふぃふぉふぃふぁふぉふぁふぉ」


「何言ってんだかわかんねーよ」

 マジでわからん。ぜひマトモな人間の言葉を喋って欲しい。


「ふぁふぁふぁ」

 いかん、新渡戸の唾液が手の平に……きったね。


 しかも舌でこじ開けようとしてくるし。だがここで手を離すわけにはいかん。

「相っ変わらず仲いいねぇお前ら」


「これが良いように見えるか? だったら眼医者に行くべきだな」

 ついでに空いていたもう一方の手で鼻もつまんでみる


「むふ~~~~~~~~~~~~~」


「気色悪い! やばい声をだすなこの野郎」


「加賀ーその辺にしとけって」


「もう言わんか? 何も言わんと誓うか?」

 新渡戸は首を縦にぶんぶん振って肯定する。


 僕は手を離す。手がびっしょり。最低。


「別に誰が好きだっていいじゃねーか! 誇れよ!」

 もっと最低。

 なんでわざわざ教室中に響き渡る声で言うかな。もうホント最低。


「あのなぁ新渡戸。怒るよ?」

 笑顔で言ってみた。


 聞こえない。教室中のヒソヒソ話す声なんて聞こえない。

 感じない。十人分くらいの視線なんて感じない。


 十五分前から人生やり直したいぜこんちくしょう。


「え、加賀好きな奴いんの? 誰だれ?」

 ヒロアキお前もか!


 あー、多少の混乱によって紹介が遅れてしまったが、この男は新渡戸と共に僕の数少ない友人の一人。

 山田ヒロアキ。


 ごく稀にだが、新渡戸とヒロアキと僕で『三バカ』とか面と向かって言われたりする。まぁ体型とかで僕ら三人にそこまで大きな差がないのも一くくりにされてしまう要因かもしれない。身長は僕が一番低いけども。まぁとにかく、バカな二人のせいで僕までそんな言われよう。友達は選ぶべきだな、うん。


「ヒロアキとの出会いは数年前に遡る。出会いといってもそんな大それたものじゃなく中学でクラスが一緒だったってだけであり、それはこの新渡戸とかいう奴もだいたいは同じ。いや新渡戸とかいう奴は……」


「おーいおちつけー。声もれてるぞー」

 新渡戸の声に、「はっ」と我に返る。


「よう、お目覚めか?」


「うむ。それで何の話だったかね?」

 ミスった! 自分から蒸し返してどうする! 落ち着け!


「そそそそれはそうと次の授業なんだっけ? なんだっけ?」

 あわわ、やばい。声震えとる。


 そして僕の質問に答えたのは、ヒロアキ。

「ああそうだった、次ミチコちゃんの英語だろ? そこで、だ」

 ヒロアキは手に持ったノートを頭上に掲げて、平泳ぎ時に体を伸ばす際の手の動きのようなコンパクト且つオーバーな仕草で、

「訳うつさしてー!」


「お安い御用だ! 持って行きたまえ!」

 僕はノートを三冊机の上に置いた。ちょっと大きめアクションで。


「さんきゅー。急いで写してくる」

 ヒロアキは僕のノートを手に自分の席に素早く戻り、軽快にペンを走らせる。


 鼻歌でも聴こえてきそうだな。


 と、そんな時に新渡戸が声を出した。


「で」


「で、じゃない。帰れ」


「ひーどーいー」


「うるさい帰れ」


「まぁまぁそう怒るなって。誰にも言わないよ」

 今度は耳元に寄って小声で言ってきた。それなりに内緒にしますよという意思表示なのかもしれんが、異常なほど説得力がないんだよな。昔から。


 小学校時代も、中学の頃もコイツに好きな子のことを話したせいで根も葉もない噂が立ち上り……すまん嘘ついた。根や葉のある噂が流れ出し、告白などできない雰囲気(アトモスフィア)を見事に作り上げてくれた。おのれ新渡戸夕貴。僕と下の名前が酷似してるのすら許しがたい。


「一体コイツは何が楽しくてああいうことをするんだろう」


「ん? なに?」


「まぁいいや。もう慣れたよ。と、言っておく」


「そうか」


「ああ」


 とりあえずの決定打は避けることができた。これでしばらく霧野みやこの方を見なければいいんだ。うむ。そうすることによって僕が霧野さんに惹かれていることはバレず、バレなければ当然、馬鹿な新渡戸もいずれ大人しくなるだろう。


 僕が、「おい、もう授業始まるぞ席にもどれ」と言うと、


「らじゃー!」

 とか言いつつ右手で敬礼をして去っていく。あっさり引いてくれて一安心だ。


 ところでヒロアキはまだノートを写し終えてないらしいのだが、まぁいい、授業中にミチコちゃんの隙をみて返してもらうとしよう。


「おっはよー!」

 ミチコちゃん、もといミチコ先生元気に登場。楽しいイングリッシュのはじまりはじまり。


 いや……正直退屈なんだけどね。


 僕はペンケースからシャープペン(B)を取り出して、ヒロアキからノートが戻ってくるのを待つことにした。が、ふとあることを思い出し、ペンケースに伸ばした手を止める。


 おっと、その前に友人の唾液によって汚れた手を洗ってこなくてはな。


  ★


 僕は男である。男であるからには、気になる女の子が二人くらいはクラスに居たっておかしくは無い。中には、クラスの女子全員が好きだとか、クラスメイト全員を愛してるなんていう異常な連中も居るのだが、とにかく、僕には霧野みやこの他にも気になる女の子が居たりする。


 英語の授業中。トントンと後ろの席の女子の指が、僕の背中を叩く。


「これ、まわってきた」

 手渡されたのはノート二冊。ヒロアキの手から戻ってきたようだ。


「ん、ありがとう」


「いいえー」


 早速ノートを開く。今回も何か書いてあるな。


『今日もサンキューあいしてる☆アナタの山田ヒロアキより

P.S.加賀の好きな子って高島? まさかもしかして俺? (笑)

言ってみ、さぁ、おにいさんに言ってみ。誰にも言わないから』


 ツッコミどころが多すぎるぞ。どうしろと。


 ヒロアキの方に目をやると、待ってましたとばかりにピースサイン。

 あほか。


 仕方ないのでヒロアキの質問には瞳で答えることにする。にらみつけるような視線を送った。

(どういたしまして。好きな子は高島さんじゃありません。そしてお前でもありません。絶対に言いません)


 すると親指をグッと突き立ててきた。何が通じたんだろうか。何も通じてない気がする。


 ちなみに、高島ってのは、僕の後ろの席に居る女子であり、先刻ちょろっと話題に上げた気になる女子その人である。


「加賀君加賀君」


 ちょうど後ろの女子に呼ばれた。右手側から振り返って返事する。

「なになに高島さん高島さん」


「何で二回呼ぶのよー」


「二回呼ばれたからー」


「そっかー」


 あぁーっ、高島さん可愛いなー。


 席が僕から見て右側後方のヒロアキの方をチラッと見てみると親指突き立ててウインク。


 きもい。男がやるとあまりにもきもい。


 笑顔をつくって「かえれ」と口を動かしてみたところ喜んでいる。きっと僕が相手してくれているというだけで嬉しいのだろう。無視するとあからさまに落胆するからな。 つまり何が言いたいかというと、ヒロアキは、ちょっとおかしい。


 そして、もっとおかしい新渡戸の方も見てみたが爆睡だった。そういや新渡戸は「英語はキライ」とかいっていつも寝ているな。


「それで高島さん、何?」


「加賀君の好きな人って、どんな子なの?」


「――っ!」


 ななななんというなんというなんという!

 さっきのアレを聞いていたとか聞いていないとか!

 僕は目を逸らしつつ、声を裏返しながら、


「だ、だ誰だと思ぅ?」


「わかんないよ」


 どうすりゃいいんだ。こんな時。もう頭の中が滅茶苦茶で思考が停止したぞ。準備不足が大絶賛露呈中だ。


「だ、だよね、そうだよね。えっとね……えーとなんていうかね……」

 その時、高島さんが、「あ」と何かに気付いたような声を上げた。


 話題を変えるチャンスかと思い、高島さんの目を直視して、

「はい? 何なに?」


 しかしその時、彼女は僕を見ておらず、僕の背後を指差しながら、

「加賀君、前……」


 振り返ってみる。


 うげ。英語教師のミチコちゃんが立っていた。


「加賀くん。授業中に堂々と後ろ向いておしゃべりとは感心しちゃうなー」


「はぁ、その、返す言葉もないです……」


「高島さんも」


「あわ、その、ごめんなさい……」


「真面目にやんなさいよ、そりゃ私ごときの英語なんて外国じゃ通用しないかも知れないけどねぇ………………くどくどくどくど……」

 ミチコちゃんはクドクドと語り出してしまった。困った先生だ。


 高島さんは僕に『ごめんね』と書かれたメモを僕の脇の下を通して渡してきた。なんという良い娘だ。好きになりそうだぜ。


(だいじょーぶ平気余裕問題ない)


 両の手で、背中方面にいる彼女に向かって余るくらいサイン送っておいた。


 傍から見れば変な踊りをしてるようにしか見えないんだろうが、通じているはずだ。


 僕と高島さんだからな。


 振り返れば笑顔。僕も笑顔。ヒロアキも笑顔。

 きもい。


 ミチコ先生は、ふぅとため息を一つ吐いて、

「さぁ授業再開ね、急がないとこのクラス遅れてるからー」

 そんな「バカの相手してる暇ありません」みたいな口調で言わんでもいいのに。


 僕はバカじゃないのに。


  ★


 さて、そうこうしているうちにミチコちゃんの英語もあっという間に終わり、放課後になった。授業の後半はちょっと意識が飛んだ気がするが、気にしないことにしよう。


 その授業終了時に、「よし、この授業では一回も霧野みやこの方を見なかった。僕ってすごい!」などという思考を浮かべてしまったのだが、その時点でけっこうヤバイとかそんなことはわかっている。わかっているけど言わないでくれ。


 だって不思議じゃないか。


 他人と交わらない少女。みやこなんてやわらかそうで可愛い名前なのに、いつも張り詰めていて。興味が湧いたんだ。


 見ているだけでいい。廊下側の白い壁に彼女の姿が信じられないほど浮き上がって見えるんだ。それがどこか綺麗で。そう思うのは僕だけなのだろうか。だとしたらそれは……。


 ――やめよう。


 気を取り直して、涼しげな秋の放課後を満喫しようではないか。

 というわけで楽しい部活部活ぅ――と見せかけて帰り支度。部活なんか入っていないのだ。


 帰宅部。


 僕が自称するのは「漫画読み部」なんだが誰もマトモに取り合ってくれない。当たり前かもしれない。ヒロアキは「俺、無所属がいいから」とかいって結局帰宅部。アホの新渡戸に至っては「部活したら負けかなと思っている」とかわけのわからんことを言い出す始末。


 二人のうちどっちかがどっかに入ったら僕もくっ付いていこうとしていたのだが、そんな結果になった。「ニート部でいいじゃない」とヒロアキが言い出したのは記憶に新しい。それはやめてくれ。不安で押しつぶされそうだ。


 と、そのヒロアキが僕に声を掛けてきた。

「加賀ー、帰ろうぜー」


 まぁ、僕は帰宅部ではあるけれど、今日は少し用事が残っていた。僕は答える。

「ごめん今日掃除当番」


 これから箒を取り出して、一日分の埃を集めて捨てるのだ。


 と、そこに、ヒロアキの横にいる新渡戸が会話に入ってきて、

「そんなのサボれよー」


「あほか。先帰っていいぞ」


「「いいや、待つね!」」

 友人二人がハモった。きもい。


 それを見た同じ班の高島さんが掃除しながら笑いを堪えている。なんとほほえましい。抱きしめたくなるぞこのやろー。


 ――はっ、僕は何を考えてるんだろうね。


 我に返って軽く自己嫌悪。いやでも、まぁいいや。このくらい男子としては当然の感情。ひどいのになるとエグい妄想を繰り広げたりするだろうからな、むしろ僕は紳士な方である。いや本当に。


 さて、掃除も佳境。最後にジャンケンでゴミ捨てに行く人を決める場面。ゴミ箱抱えて教室とゴミ捨て場とを往復するというしちめんどくさい役割を残すのみとなった。


 確率は六分の一、のはずだったのだが……。


 一瞬のことだ。信じられないことに一気に二分の一になってしまった。残されたのはなんとまぁ僕と高島さん。えっと、デスティニー?


 僕は格好つけてすごんでみる。

「悪いが本気をださせてもらうぞ」


 すると高島さんは、

「あたしだってまだ本気じゃないもん」


「最初はグー! ジャンケン……ポン!」

「あいこで……しょっ!」「あいこで……!」「あいこで……!」「あいこで……!」「あいこで……!」「あいこで……!」「あいこで……!」「あいこで……っしょ!」

 八回ほどあいこが続いた末、僕は見事に負けてしまったぜ。というか八回あいこって地味にすごくないか? 地味じゃなくてもすごくないか?


「なんという強さだ、高島さき……」


「加賀君もなかなか強かったわよ。あたしの敵じゃないけどねっ! はぁはぁ」

 ノリノリである。こういうとき、高島さんちょっと変かもしれないと思う。

 はぁはぁってお前……。


 そして僕は青いプラスチック製のゴミ箱を抱えた。

「さて、それじゃゴミ捨て行ってくるかー、じゃ、また明日ー」


 同じ班を組む五人は、この時点で解放され「バイバーイ!」とか「さらば!」とか「じゃあよろしくねー」とか「よろしく頼んだぜ、ゴミ」という罵声とも受けとれるような発言とかを残してそれぞれ去って行き、


「加賀くーん、また明日ねー!」

 高島さんは、クラスの女子と駆けていった。


 あぁうらやましい限りだ。僕はといえばこれから三階にある教室から一階へ、そして空になったゴミ箱もってまた三階に上がってくるわけで。ああ面倒だ。苦痛だ。


「筋トレだと思って行けば損した気にはならないよね」

 ヒロアキめ。相変わらずわけのわからんことを言う。


 つーか待て。今心読まれた?


「じゃあヒロアキいってこいよ」


「やだ」

 即答か。まぁそうだろう。


「だよな。あーめんどーい」


 すると新渡戸が、

「待っててやるからさっさと行って来い」

 なんでこいつは偉そうなんだろう。


  ★


 帰り道。

 ゴミ捨て場に行って戻ってくる間、二人は待っていてくれて、一緒に帰った。


 学校から家までの所要時間は三十分と、なかなかに近い。学校から徒歩で駅まで約五分。地下鉄に揺られること十分。地元の駅から自転車で家まで十分。同じ中学だったヤツから聞いた話じゃ、片道三時間かけて通学する人も居るらしいから、恵まれてる方だと思う。ただ、その日の帰り道は三十分なんてもんじゃないくらいに長く感じた。そりゃもう、長く感じた。


 きっかけは、不意にヒロアキが鞄から何かを取り出したこと。地下鉄のホームで列車の到着を待っている時のことだった。


「加賀ー。何も言わずこれを受け取ってほしい」

 な、なんだこの野郎。変なもん渡してくるんじゃなかろうな。愛の告白とか。そういう趣味はないぞ僕は。


 そんな風に思った僕はなにやら茶色い封筒に入ったブツを受け取る。この大きさこの厚さだと教科書とかノートとかだよな。


「なんだ、これ」

 怪しいな、と思いながらも中身を取り出す。


 封はされていなかった。中身はノート。どこにでもありそうな、青い表紙をしたノートだった。裏面には何も書かれていないので、僕は顔をしかめて怪しみつつも裏返す。


 表面。そこに書かれていた文字を見て、血の気が引いた。


 ――世界史。


 世界、史…………?


「ああああああああああああああああああああああっ!」

 叫んだ。


 それは、僕が霧野みやこを見つめて気付いたことを書いたという、あの、あのノート。隠しタイトル『霧野みやこ観察日記』ではないか! 何故これがヒロアキの手に渡っている!


 ヒロアキは無表情で言う。


「そう、世界史の、ノートだ。お前の」


「なな、なか、中、見た?」


「何をうろたえている。ほとんど白紙だったじゃないか」


「見たのか見たのか見たのかあああああっ!」


「安心しろ、新渡戸に見せるつもりはない。俺たち二人だけの秘密だ」


「って新渡戸ここにいるし! 秘密になってないし!」


 すると新渡戸が会話に割り込んできて、

「話が見えないが、何だその面白そうなノートは」


「見せない」


「見せろ」


「見せない」


「やだ! 見せろ!」


 やだってお前、こっちの台詞なんだけども……。


「内容なら短いから覚えてるよ。何のことかわからなかったけど」

 こらぁヒロアキ! こんなときばっかり記憶力発揮しやがってぇ!


「彼女の方をみた。ノートも教科書も何も乗っていない机に頬杖をついて、何もない白い壁を見つめていた。彼女の目に何が映っているんだか。不意に彼女の目が僕を捉えた。やべ。目合った……どうしよう。氷結。目を逸らせない……。長い長い数秒間見つめあい。目を離したら負けかなと思った僕は……負けた。だったかな」

 完璧だ。一言一句違わない。そして無駄に良い声だ。なんかもう色々通り越して尊敬だわ。笑えるほどに。


 新渡戸は言う。

「なんと興味深い。いや実にいいな。すばらしいな!」


「だが俺にはこの『彼女』が誰だかわからんのだ。俺はてっきり加賀は高島が好きなんだとばっかり思っていたから」


「ヒロアキそれ本気で言ってんのか?」


「ああ、わからん」


 僕を置いて話をするなー、当事者だぞー。でも恥ずかしくて声なんてでねぇー。


「どう考えても霧野みやこじゃねえか」新渡戸は平然と言ってのけた。


「ぉぁ! 言われてみれば!」


「せ、正解……」

 そう言うのが役目だと思った。


「そういや加賀さ、あの上の段の塗りつぶしたところは何て書いたの?」


「ちょ、なんでそんなん言わなきゃいけないの!」


「ちょっと貸せ」


「あ」


 新渡戸は僕の手からノートをひったくった。


 そしてパラパラとページを捲ると、おもむろに鉛筆を取り出し、僕が霧野さんのことを書いた次の次のページの上のほうを塗りだした。地下鉄ホームの薄暗い照明の下、浮かび上がる文字達。もっとガリガリ塗りつぶせばよかった。軽く撫でるように塗っただけだ。あるいはいくらかページ破って証拠隠滅しておくべきだった。


 いずれにしても、これは、ピンチ!


 新渡戸夕貴は無慈悲にも読み上げる。


「霧野みやこ観……察……日……記…………?」


「――まて、誤解だ。そんな趣味はない」

 右手の手の平を彼らに向けて、僕はきっぱりと言い放った。


「まぁ好きな子のことは気になるよなー観察したくなるよなー」

 ニヤニヤ笑いをやめろ新渡戸この野郎。


「まてまてまてまて。好き? いやぁそんな好きとかじゃないから。ないから。ちょっと興味があってほら綺麗で」

 なんかもう非常にダメだ。必死になればなるほど、どうしようもない。


「よりによってウルフとは、マニアックだな……末恐ろしい……」

 とヒロアキ。ひどい言われようだ。わからなくもないが。


 とまぁ、そんな感じで恥ずかしさを抱えたまま僕は電車に乗り込んだ。同じ方向なので二人も電車に乗るわけで、ずっと霧野みやこの話題で地元の駅に着くまでイジられ続けるのかと思うと憂鬱だった。この二人がこの状況で僕を逃がしてくれるとは思えなかった。


 何となく居たたまれない気分のまま、地下鉄の車窓に映る自分の泣きそうな顔を眺めて、さらにションボリしてみる。


「でもさ、お前霧野と話したこともないだろ? 何で好きになるんだ?」

 新渡戸がそう言って、まるで僕の心の内を量ろうかというような視線をくれた。心を読まれたくない僕は視線をフラフラさせるしかない。


「え、好きというか、なんか綺麗だなって思って……」

 そう思っているのは事実だけど、好きなのかどうか、わからなくて。でも気になって。


「ふーん、なるほどねぇ。とりあえず返すぜ。がんばれよ! じゃ、また明日な」

 地元の駅に着いたところで俺の世界史のノートを投げるように手渡した新渡戸は、そんな言葉を残して早足で去って行った。


 妙だな。本当に妙だ。やけにあっさりしている。何か急ぎの用事でもあるんだろうか。いつもならここで自分のでもない告白計画を妄想し始め、僕にああしろこうしろと言ってくるんだが。


 けれども、こういう日もあるか。僕としても気が楽で良い。新渡戸の言うこと聞いてうまくいったためしもないし。新渡戸も高校二年になって大人になったということかな。うん。


 ヒロアキの方は、

「俺からも、がんばれくらいしか言えないけど、がんばれ!」

 いつも通り、興味あるんだかないんだかよくわからん。


 電車を降りたところで解散となった。


 駅のホームを一人、とてもゆっくりと歩きながら考える。


 どんなに恥ずかしい思いをしても僕は、新渡戸とヒロアキと僕と、霧野みやこと高島さんがいて。今みたいな日々でも、幸せだと思っていた。霧野みやこや高島さきと近づかなくても、見ているだけでも。こんな毎日が続いてもいい、続けばいい。


 そう思っていたと思う。あまり、自分の気持ちに自信はないけれど。


 で、彼ら二人と別れた後、駅を出て、自転車に乗って自宅のあるマンションへと向かう。マンション地下の駐輪場に青色ボディの愛車を停め、鉄扉に手を掛ける。


 さて、僕のことを少し話そうか。なんというか、自己紹介が大変遅れてしまったのだが忘れていたわけではない。少し言うタイミングがなかっただけなのである。本来なら最初にするべきなのだろうが。と、まぁこんな風にいつもタイミングを逃してばかりの僕。


 名前、加賀遊規。

 年齢、十七歳。この間なったばかり。高校二年。誕生日、九月一日。


 そして趣味、趣味は、えっと趣味は何だろうな。人並みに音楽鑑賞したりテレビを見たりするくらいじゃなかろうか。あとは、趣味と言っていいのか知らないが、漫画だが読書とテレビゲームも人並みに。それから「現実逃避好きだよな、お前」って時々言われる。


 親はいるのだが別々に暮らしている。深い事情などまったく無く、高校に入ってすぐ、父親に「一人暮らししてみろ」と言われて追い出されたという事情で両親の住む家から徒歩数分で到着する場所にあるマンションに住んでいる。このマンションは父の友人が経営しているそうで格安で借りているらしい。なにやらその他の大人の事情がありそうな気配もするのだが、一人で住まわせてくれるというのだから気にしないことにしている。


 ちなみにこのこと――僕が一人で暮らしていること――は家族の他には新渡戸とヒロアキしか知らないことだ。世間的には家から通っていることになっている。


 階段をのぼり、自室の扉を開けた僕は帰り道の途中で買ってきたヘルシーな感じのコンビニ弁当をテレビを見ながら機械的に平らげ、「疲れたー」と独り言。


 後、ベッドに横になると、すぐに意識が飛んでいった。



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