夜明けに見たもの
ぱちぱちと薪が燃えて、周囲は朱色に染まっている。
オルハはおじじの使っている小屋の中で、魚とイカの塩漬けを分けてもらった。
それは強烈に生臭く、塩辛さと酸っぱさが同居する強烈な味のものだった。
ぬるぬるする舌触りがとても不快だ。
飢えていなければとても喉を通らなかっただろう。
ほんの数口だけ食べて、オルハはそれ以上食べなかった。この濃い味付けを考えればそう沢山は食べられるものではないのだろう。おじじもそれをとがめなかった。
それでも少し食べ物を口に入れて落ち着いたオルハはオジジの話を聞いた。
オジジの話は、オルハがずっと憧れた遠い世界の話だ。おそらくこの機会を逃せば耳にすることは決してないだろう。
「おじじは別の言葉がわかるの」
「少しだけだがな、だが、東に行けば、東で、西へ行けば西に、北へ行けば北に、南にいけば南にまったく異なる言葉がある。そのすべてを覚えるなど到底できん」
オルハはそれがどのくらい遠いのだろうと思った。言葉はこのあたりなら大体通じる。それが通じなくなるくらい遠い場所、オルハの鼓動が速くなった。
「エビスも、そんな場所から来たのだ」
ふいにエビスを思い出す。
薄い色の髪と薄い色の瞳、見慣れているが、改めて考えると不思議だ。
「わしはエビスを見ているのがつらい、もしかしたらエビスの境遇はわしのものだったかもしれないからだ」
「どういうこと?」
「遠くまで行くということは、帰れないという可能性を常に考えておかねばならん、わしとともにここから出て行った連中の中にもエビスのような境遇に陥った者もいるだろう」
言っている意味が、言葉がわかっても理解できなかった。
「わしは幸運なのだ」
オルハはぼんやりとその言葉を反芻する。
おじじは一つかみの枝を火に落とす。
周囲は一層明るくなった。しかし、何となくオルハはオジジの顔を直視できない。
「たとえ、あのような状態になったとしても、それでも命があるだけで幸運なのかもしれん。いったい何人海に沈むのを見てきたことか」
それはほかのスナドリビトも同じだ。海に行くということは海に沈むことを覚悟するということと同意だ。
「海に沈まずとも、船の上で飢え渇いて死んだ者の市外も何度か見た。道具がなければ海の上で乾いて死ぬしかない」
死という言葉にオルハの胸は別の意味でざわめいた。
先ほどの遠い世界への憧れも徐々に沈んでいく。
「船乗りは普通男だ。何で女のナギを選んだと思う?」
ふいに訊かれて、オルハは何かを口にしようとして、どうしても喉の奥で言葉が詰まって声が出ない。
「女は意外かもしれんが、最後まで生き残るからだ。飢えたとき、生き残るのはたいがい女だからだ」
その言葉にオルハは背筋を粟立てた。
「そうまでして行かなきゃならないの?」
「そう、それが役目だ、ずうっと古くから続けてきた、わしらの役目だからだ」
役目、その言葉の意味はオルハはわからなかった。
「仲間は死んで今はわし一人だ。そちらのお婆は二人も生き残っておるな」
その声音は少しさびしげだった。
「生まれた場所で死ねるわしは幸運なのだろう。まあ、イサナはそんな感慨はないな、イサナはここからずいぶん離れた場所で生まれたはずだぞ」
夜が明けて、なぜか自分の寝床近くにいるオルハになぎはぎょっとした顔をしたが、オルハは何も言わずに自分のすみかに戻った。