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灰色の景色

作者: リン

 企画【五枚】第一回参加作品です。二作ありますので、よろしければそちらもお目通し下さいませ。五枚というキーワードで他の参加者さんの作品も探せます。

 しばらく前から降り出した雨は、音も無く景色を灰色に染めている。いや、音が無い訳ではない。一定の調子で流れるように、抑揚が無い。和也の耳には音として届いてはいないことだろう。

 大学の裏門を抜け、一周三十分ほどの遊歩道を歩くその姿は、散歩を楽しむ風には到底見えない。彼の目には、遊歩道が囲む池や脇の木々、すれ違う人ですら、映ってはいないと思わせる。

 足取りは重く、身長を考えれば、歩調は本来の半分程度だろうか。暗めの色調で統一された服装に、黒い傘が更なる影を落としている。当ても無く彷徨っているのではなく、目的地へと近付くことを拒んでいるのだろう。


 話がある、その一言だけで菜摘を呼び出した。

 大学の裏手にはちょっとしたデートコースがある。表通りからは距離もあり、静かなものだ。達磨型の池を囲むように遊歩道があり、ところどころで桟橋が設けられている。列を作った鴨が、浮き草を揺らす様を間近で見ることもできる。達磨で言う頭頂部分には屋根と椅子付きの休憩所があり、景色も良い。平日は年配の夫婦や画家、休日は学生のカップルがいることが多い。首部分の両岸には芝生の広場と、貸しボートがある。

 和也は、講義の空き時間にはよくここを歩いていた。休憩所から時計回りに二つ目の桟橋を過ぎて、遊歩道を外れて獣道へ入ると、少し上ったところで開けた場所に出られる。そこへ行っては、木々の葉の隙間を縫って降り注ぐ陽光を浴びながら、嬉しそうに池の方を眺めていた。

 菜摘を呼び出した先は休憩所。誰が見ても明らかなほどに戸惑って、周囲を気にしながらも首をそっと縦に振っていた。和也はその反応を知っていたかのように微笑んでいた。


 水溜りのできた遊歩道を歩き続け、顔を上げた和也の視線が雨の降っていない場所に吸い込まれ、そこで止まる。その先に一人佇んでいるのは、菜摘。随分前から待っていたのか、傘は見当たらない。

 薄い桃色のワンピースからすらりと伸びた手足。決して身長が高い訳ではないのに、高く見える。淡い水色のミュールが、肌の白さを際立たせている。胸の前で抱くようにして合わせた手と、和也を見つめて困ったように微笑む姿は、何かを祈っているかのようにも映る。

 お互いの顔を見つめ合ったまま、時が止まる。降り注ぐはずの雫は一枚の灰色と化し、止まった世界に張り付いている。短くも長くもある沈黙を菜摘が破り、和也に椅子を勧めた。和也が促されるままに椅子に座ると、菜摘は向かい合う位置に立った。


 休憩所で合流した二人は、最初こそ口数は少なかったものの、すぐに打ち解けた。弾む会話が一段落したところで、和也が席を立った。いたずらっぽい笑みを浮かべ、誘って歩き出す和也の後ろに、ほんの少しだけの距離を開けて、菜摘も続いて行った。

 獣道の先にあった空間で、菜摘は声を上げていた。嬉しそうに景色に見とれ、しばらくしてから照れくさそうに振り返ると、もっと嬉しそうな和也と目が合った。耳まで紅く染めて俯く菜摘を見る和也は、池を眺めていた時とは比較にならないほど、満足気だった。


 休憩所に設けられた唯一屋根のある桟橋にも、今日は人がいない。普段は数十といる鴨の姿も見えない。水面にはそっと広がる波紋が無数にあり、かさは普段より若干増している。

 菜摘は、和也の言葉を待っているのだろう。じっと和也を見たまま、何も言わずに、ただ、佇んでいる。和也は、菜摘の顔をまともに見ることができないかのように、目を逸らしている。何かを考えているのか、迷っているのか。向き合った時に言葉が出るのは、わかっている。そして、その内容もわかっている。


 桟橋の先にしゃがみ込み、浮き草に手を伸ばす菜摘は、妙に幼く見えた。和也はそっと後ろに近付き、その姿を眺めていた。和也が焦れているようにも見えるほどの間、菜摘は水面と向かい合っていた。

 やがて、ゆっくりと立ち上がり、満足気に何かを言おうと振り返った菜摘の口を、和也が塞いだ。突然のことに驚いたようで、菜摘は身体を硬くさせたままだったが、拒みもしなかった。

 ゆっくりと唇が離れると、どちらからともなく、同じ笑顔になった。


 和也は、菜摘の瞳を見つめ、彼女が待っていたはずの言葉を口にした。菜摘はそれを確認して飲み込むようにしながら頷き、もう一度困ったように微笑んだ。

 ついに、一度も隣に座ることなく帰ろうとする菜摘に、和也は傘を差し出した。菜摘は礼を言ってからそれを拒み、灰色の道を歩いて行った。同じ景色を共有することも、幸せを分かち合うことも、もう無いのだろう。

 和也は傘を広げて休憩所を出ようとしたところで、上を向いて足を止めた。傘を打つ雨音が耳に届いたのか、それとも、何かに思い至ったのか。彼は傘をたたむと、それを手に、灰色の道を駆けて行った。

 勉強しながら愉しむという企画ですので、どうぞ、ご指導よろしくお願いいたします。

 第一回の制限事項は、「」表記の禁止でした。それとは別で、個人的に制限を設けて挑戦していることが二つあるので、読んで気付かれた方は、そちらも当ててみて下さると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 台詞を使わない、五枚で表現する恋愛小説。 美しい、見事なワンシーンを切り取っていて、ちゃんと「小説」として成立していましたね。 ストーリーは、悪く言えばありきたりだけれど、そこがまたよかった…
2011/10/03 17:24 退会済み
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[一言] 拝読させていただきました。 読み終わって一言。「これ凄い」 会話なんて必要なかったです。自動で色々と再生されてしまいました。私の妄想力が長けているとかじゃなくて、描写が素晴らしかったのです…
2011/09/12 22:06 退会済み
管理
[一言] 本当に話していませんね。 これは脱帽です。私は「」は使ってないけど十分話しています。完敗ですね。 情景描写も美しく、ストーリーは分かってはいるけど、この甘い二人の雰囲気にすっかりのせられ…
2011/09/12 12:07 退会済み
管理
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