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第4話 正体発覚! 私の店が国賓待遇ですか!?

 翌朝。リリアナは店の扉を開ける前に、一度『ポーション屋 リリー』と書かれた小さな木札の看板を壁から外した。


 木札を両手で握りしめたまま、しばらく呆然と立ち尽くす。


(目立ちたくない。誰にも知られず、静かに生きていきたい。……なのに、昨日は初日から即死レベルの怪我人を一瞬で全快させてしまった。しかも物騒な追手まで来た)


 看板があるから事件が起きるわけではない。けれど、少しでも自分の存在感を消したかった。気配を極限まで薄くしたかったのだ。

 結局、リリアナはいつもより三十センチほど低い位置――通りを歩く大人の視界から完全に外れる高さ――に看板を掛け直した。

 あまりにも姑息だが、今のリリアナにはそれが精一杯の抵抗だった。


 店内に入って、カウンターの奥の棚を見る。

 昨日の夜に使った分で、ポーションの在庫が減っている。材料の薬草も減った。なにより、リリアナ自身の精神的な余裕がゴリゴリに削られていた。


(今日は、普通に営業して、普通に売って、普通に暮らすのよ。ただの町娘Aとして、背景に溶け込むの!)


 自分に強く言い聞かせ、作業場の炉に火を入れた。

 薪が爆ぜる音。大鍋が温まる気配。いつも通りの手順。いつも通りの薬草の匂い。

 祖国のブラック王宮で何万回と繰り返した作業は、昂ぶったリリアナの心を少しずつ落ち着かせてくれた。


 ――しかし、その平穏は長くは続かなかった。


 昼を少し回った頃、外の通りが異様にざわつき始めたのだ。

 いや、騒がしい声ではない。むしろ逆だ。活気に満ちていた川沿いの職人街から、人々の声がスッと消え、息を潜めるような異様な静寂が広がっていく。


 リリアナは薬草を濾す布を握りしめたまま、窓からそっと外を覗き込んだ。


 ――黒い騎士たちが、整然と隊列を組んで通りを行進していた。


 鎧の質が、辺境の衛兵などとは桁違いだ。光を吸い込むような重厚な黒鉄。胸の紋章には、銀糸で緻密に織られた『双頭の鷲』――帝国の皇室を示す絶対的なシンボルが輝いている。

 馬の毛並み、足並み、装備のすべてに一切の無駄がないのに、そこにいるだけで息が詰まるほどの圧倒的な威圧感を放っていた。


(……嘘、でしょう?)


 その最精鋭の騎士の隊列が、よりにもよって、裏通りのこの小さな店の前でピタリと止まったのだ。

 そして、彼らは一糸乱れぬ動きで左右に分かれ、中央に幅の広い道を空けた。


 ――その奥から現れた男を見た瞬間、リリアナの背筋がカッと硬直した。


 昨夜の男だった。

 彫刻のように整った顔立ち。夜の湖のように深い群青の瞳。


 ただし、血塗れの外套を着ていた昨夜とは、纏う空気がまるで別次元だった。

 深紅の裏地がついた、目が眩むほど豪奢な漆黒の礼装。肩に掛けた外套には金の刺繍が施され、動くたびに威厳に満ちた光を揺らす。腰に帯びた宝剣は、単なる飾りではなく、実戦で無数の血を吸ってきた本物の冷気を放っていた。

 何より、周囲の屈強な騎士たちが彼に向ける絶対的な忠誠と敬意が、その男が『何者』であるかを雄弁に物語っていた。


 リリアナの優秀すぎる頭脳は、本能的に理解してしまった。


(……ただの貴族が身分を隠してた、なんてレベルじゃないわ)


 ちりん、と。

 間の抜けた鈴の音を鳴らして、男が店に入ってくる。


 昨日と同じはずの小さな店が、急に息苦しいほど狭く感じた。男の放つ覇気が強すぎて、空気の密度が変わってしまったかのようだ。騎士たちは外に残り、店の周囲を完全に包囲するように配置についた。


 男は、店内を一瞥し、カウンターの奥で固まっているリリアナを真っ直ぐに見つめた。

 そして――ゆっくりと、膝をついた。


「っ……!?」


 硬い石畳の床に片膝をつき、胸に右手を当て、深く頭を下げる。

 それは、最上級の敬意を示す帝国式の礼。


 リリアナは、呼吸の仕方を忘れた。


「昨夜は命を救ってくれた。礼が遅れたことを、深く詫びよう」


 男が顔を上げる。

 その群青の瞳は、昨夜の冷たさなど微塵もなく、溶けるような熱と明確な『執着』を帯びていた。


「私はアレクシス・レオニス・ヴァルハルト。この帝国の皇帝だ」


 ――世界が、一瞬だけ完全に停止した。


 耳の奥がキーンと鳴る。外にいる騎士たちの鎧が擦れる音も、川を渡る風の音も、すべてが遠くの出来事のように感じられた。


(こ、皇帝……陛下……?)


 昨夜、私がその辺の雑草を煮詰めた薬を飲ませて、物置に押し込んだ男が。

 この巨大な大陸の半分を支配する、絶対権力者。


 リリアナの頭の中で、昨夜の追手の声がガンガンと反響する。

『黒い外套の男を探している!』


(あの人たち、ただのチンピラや賊じゃなかったの!? 国家の覇権を揺るがす暗殺部隊か何かじゃない!!)


 そして、彼が今こうして、軍隊を引き連れて正式にやって来た意味も、嫌というほど理解できた。


(終わった。私の、私の愛しの“ひっそりスローライフ”が、初日で終わった……!)


 リリアナは反射的に後ずさり、背中が薬棚にドンッとぶつかった。


「……じょ、冗談、ですよね……? そっくりさん、とか」

「冗談なら、近衛騎士団を総動員して裏通りを封鎖したりはしない」


 アレクシスは優雅に立ち上がると、外で控えていた騎士の一人に視線を送った。

 騎士が恭しく、仰々しい装飾の施された羊皮紙の巻物を差し出す。

 アレクシスはそれを受け取り、リリアナに向けてパサリと広げた。


 そこには、真紅の封蝋。巨大な皇帝の印璽。そして流麗な署名。

 素人目に見ても、国家予算レベルの手間がかかった偽造不可能な代物だ。


「昨夜、名乗れなかったのは暗殺者を撒くための都合だ。だが、嘘はついていない。必ず礼はする、と言ったはずだ」


 リリアナはゴクリと喉を鳴らした。


「れ、礼……って、まさか私を処刑して口封じするとか……!?」

「なぜそうなる。私が命の恩人の首を刎ねるような暴君に見えるか?」

「祖国の王族は、大体そんな感じでした」


 即答すると、アレクシスは哀れむような、同時に底知れない怒りを秘めた目を一瞬だけ祖国の方角へ向けた。


「……お前の祖国は、近いうちに地図から消した方が良さそうだな。だが安心してくれ、まずはお前に謝罪をしに来たのだ」


 アレクシスは少しだけ眉を下げ、真摯な声で言った。


「お前の店に暗殺者を引き込んだ。お前を危険に晒した。すべては私の不手際だ」


 皇帝が、一介の町娘に頭を下げて謝罪している。

 リリアナはそれだけで脳の処理が追いつかなかった。祖国の王族や貴族は、自分が絶対に悪くても、決して謝らなかった。すべて他人のせいにし、理不尽に罰を与えるのが彼らの常識だったからだ。


 混乱するリリアナを見つめ、アレクシスは続けた。


「次に、確認したい。昨夜お前が私に飲ませたあの薬――あれは、他の誰にでも作れるものか?」


 リリアナは、ブンブンと首を横に振った。


「わ、分かりません。私はただ、帝国の安価な薬草を使って、ごくごく普通の『下級回復ポーション』を作ったつもりだったんです! ちょっと工夫はしましたけど、本当にそれだけで……」

「つもり、か」


 アレクシスは、呆れたように、だがたまらなく愛おしいものを見るように目を細めた。


「あのな、リリー。砕かれた内臓と骨を数秒で再生させる薬を『下級』とは呼ばない。それは神話に登場する『エリクサー』の領域だ」

「えっ」

「なら、なおさら危険だ。お前は無自覚なまま、この帝国の、いや世界の軍事バランスを根底から覆しうる力を持っている」


 リリアナの胃がきゅっと縮み上がった。


(嫌だ。そういうの、一番嫌。私はただ、自分の好きな薬を、自分のペースで作りたいだけなのに……!)


 後ずさろうとしたリリアナの意図を察し、アレクシスがスッと手を上げた。


「誤解するな。私はお前の力を搾取する気はない」


 その言葉が、リリアナの胸に深く刺さった。

 搾取しない。つまり、この世界には彼女のような人間を平気で搾取し、使い潰す輩が山ほどいるという現実を、彼は正確に理解しているのだ。


 アレクシスは、群青の瞳でリリアナを真っ直ぐに射抜いた。


「私が守る。お前の生活も、その奇跡を生み出す手も」

「……守るって、どうやってですか」

「簡単なことだ」


 アレクシスは、今日一番の輝くような笑みを浮かべて、とんでもないことを言った。


「この店ごと、帝城(皇宮)の奥深くへ移す」


 リリアナは、ぽかんと口を開けたまま硬直した。


 帝城。

 この巨大国家の、文字通りの中心。最高権力の牙城。

 そこに、私の、このボロい店を。


(ひっそりの、対極……ッッ!!)


 ようやくリリアナの喉から悲鳴のような声が出た。


「む、無理です! 絶対にお断りします! 私、王宮みたいな場所はもうこりごりなんです! 静かに暮らしたくて逃げてきたのに……!」

「静かに暮らしたいなら、なおさらだ」


 アレクシスは冷静に反論した。


「裏通りの小さな店は、あまりにも防犯が弱い。商人や裏社会の連中、他国のスパイがいつでも踏み込める。だが、私の居城の最深部には、私の許しがない限り神すら踏み込めない」

「それは、確かに理屈は通ってますけど……!」


 反論できないのが悔しい。祖国の地下室のトラウマが脳裏をよぎり、リリアナの顔色が悪くなるのを見て、アレクシスは一歩近づきかけた足を引き留めた。


「……お前には、命令はしない」


 皇帝の口から出たとは思えない、優しく、懇願するような声だった。


「条件を提示する。拒否する権利も与える。――だが、私の願いはただひとつだ」


 彼の大きな手が、そっとリリアナの火傷の痕が残る指先に触れた。


「お前に、安全な場所で生きてほしい。ただそれだけだ」


 リリアナは一瞬、息が詰まった。

 命令でも、義務でもない。「願い」。

 最高権力者からのその言葉は、どんな脅迫よりも重く、甘く、逃げ場がなかった。


「……私が、もし断ったら?」

「断れば、お前の周囲に近衛の精鋭を百人ほど常駐させ、裏通り一帯を軍の管理下に置く。だが、それでもお前の店が狙われる可能性はゼロにはならない」


 (それもう全然ひっそりしてないじゃないですか!)というツッコミを喉の奥に飲み込み、リリアナは唇を噛んだ。


 帝城は目立つ。怖い。

 でも、裏通りで得体の知れない連中に狙われるのはもっと怖い。

 どうせ怖いなら、物理的・権力的に最強の盾の裏に隠れるのが、生存戦略としては正しい。


 リリアナは、ゆっくりと息を吐き出した。


「……念のため、その、お城での『労働条件』を聞かせていただけますか?」


 アレクシスの表情が、パァッと花が咲いたように明るくなった。


「まず、労働時間は一日最大六時間とする。夜間の作業は一切禁止だ。休日は週に二日。望むなら週休五日でも構わない」


 リリアナの顔面から表情が抜け落ちた。


「……は? 週休? 六時間?」

「もちろん、食事は専属の宮廷料理人が栄養管理をしたものを一日三食と、午後には茶菓子を出す。八時間の睡眠を削るような真似をすれば、私が直々に叱りに行くぞ」


 何を言っているのか、本気で意味が分からない。

 祖国では『睡眠時間三時間、休日ゼロのタダ働き』が常識だったのだ。


「え、それ……新手の拷問の前フリですか? 後でまとめて請求書が来るとか……」

「来ない。必要な材料も最新の機材もすべて帝国予算で無償提供するが、お前が作った薬の所有権はお前にある。売りたくなければ売らなくていい。店を開けるかどうかもお前の自由だ」


 皇帝が、狂ったような超絶ホワイト条件を真顔で提示してくる。


「お前は壊れやすい。だが、一度壊れてしまえば、二度と元の輝きは戻らない。私はそれを知っているからな」


 その甘やかな声音に、リリアナは胸の奥がキュンと鳴るのを必死に堪えた。

 (だめよ、期待しちゃだめ。権力者の甘い言葉なんて信じたら、また搾取されるんだから!)


 しかし、アレクシスの追撃はそれだけでは終わらなかった。

 彼が指を鳴らすと、外から屈強な騎士たちが、恭しく桐の木箱をいくつも運び込んできた。


「何ですか、これ」

「お前へのささやかな贈り物だ。開けてみろ」


 リリアナが恐る恐る箱の蓋を開けると、そこには――。

 見たこともないほど高品質で、魔力が満ち溢れた最高級の霊草、澄み切った清流の結晶石、そして不純物が一切ないミスリル製の乳鉢セットが輝いていた。


「っ……! これ、国宝級の『月光草』!? こっちは『星屑の砂』!? ひ、一滴で家が建つって言われてる幻の素材じゃないですか!」

「お前が今日仕入れる予定だったものを、少しだけ質の良いものに差し替えておいた。存分に使ってくれ」


 リリアナの薬師としての本能が、激しく警鐘を鳴らし、同時に歓喜の雄叫びを上げた。

 (これで作ったら、エリクサーどころか死者すら蘇るヤバい薬ができちゃう! でも……うずうずする! すっごく調合してみたい!!)


 最高級の素材を前に、職人としての抗いがたい好奇心に完全に敗北したリリアナは、ガクリと肩を落とした。


「……負けました。帝城へ、移ります」


 言った瞬間、アレクシスは満面の笑みを浮かべ、リリアナの手をきつく握りしめた。


「賢明な判断だ。絶対に後悔はさせない」


 その言葉を合図に、騎士たちが凄まじい手際で動き出した。

 彼らは、リリアナの使っていた安物の鍋やボロボロの小瓶を、まるで割れ物の国宝でも扱うかのように、極厚の絹のクッションで丁寧に梱包していく。

 祖国では足で蹴られ、雑に扱われていた自分の道具が、大切に守られている。その光景に、リリアナはただ呆然とするしかなかった。


 外に出ると、通りの人々が遠巻きに見守る中、皇帝専用の、目が潰れそうなほど豪華な八頭立ての馬車が停まっていた。


「さあ、行こうか。私の愛しい専属薬師どの」

「……私、一応お聞きしますけど、これお城で『ひっそり』できるんですよね?」

「ああ。私の寝室の隣部屋を用意させた。誰一人として近づけさせない究極の『ひっそり』を約束しよう」

「それ、意味が違いますよね!?」


 リリアナの悲痛なツッコミは、皇帝の甘い微笑みと、騎士団の威風堂々たる行進の音に掻き消された。


 念願だった裏通りの「ひっそりポーション屋」は、わずか一日で閉店。

 リリアナは国賓待遇の馬車に揺られながら、これから始まるであろう「過保護すぎる絶対君主とのスローライフ(?)」に向けて、心の中で盛大に天を仰ぐのだった。

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