腹黒悪役令嬢ここに散る
私は笑顔を作る。
鏡の前で何度も練習した笑顔だ。
控えめでおしとやか。
誰が見ても「良い令嬢」だと信じてしまう形。
私は公爵家の娘。
いわゆる悪役令嬢という立場だ。
だが物語の中のように、人を虐めたりする気はない。
もっと上手くて、もっと汚いことをする。
男達は自分が選ばれたと思う。
令嬢に気に入られた。
心を許した。
そう勘違いした時点で、もう負けている。
「まあ……そんな高い物、私には……」
そう言うと、彼らは急いで首を振る。
「いえ! 是非! 僕が!」
その台詞を聞く度に、胸の奥がぞわりとする。
財布を開く音が好きだ。
金が減っていく音が、頭の中ではっきり聞こえる。
彼は商人。
中年で、妻がいる。
だがそんな事はどうでもいい。
私の手を取る時の、汗ばんだ湿っぽい手のひら。
それが全てだ。
「あなたの為なら……」
そう呟くと、彼の顔が崩れる。
人が駄目になる瞬間の顔だ。
その夜、私は一人で部屋に戻る。
扉を閉めた瞬間、笑顔は消える。
代わりに、口の端がゆっくり上がる。
――上手くいった。
明日は別の男。
別の夢。
別の地獄。
私はまだ何も奪っていない。
ただ、彼らが自分から差し出しているだけ。
だからこれは、私の罪ではない。
鏡の中で、私はもう一度笑顔を作る。
昼の笑顔。
そして誰にも見せない、夜の悪い笑顔。
その男は、騎士だった。
しかも真面目で、融通が利かないことで有名な男。
私は、そういう男が一番好きだ。
「危険な賭け事など、私は好みませんの」
午後の庭園。
白い日傘を差しながら、私はそう言った。
声は柔らかく、視線は伏せがちに。
男は慌てて首を振る。
「い、いえ! 私もです! 堅実こそが――」
噓だ。
彼は賭け事をしている。
私はすでに調べてある。
人は、自分の秘密を否定された時、
「理解されたい」と思う。
それを利用するだけ。
「あなたは誠実な方ですね……」
その一言で、彼の人生は傾いた。
騎士は金を持たない。
だからこそ、借りる。
最初は小額。
「装備の手入れに」
「私に恥をかかせない為に」
私は一度も命令しない。
ただ、困った顔をするだけ。
「無理でしたら……仕方ありませんわ」
その瞬間、男は必ず言う。
「やります」
それが終わりの合図。
借金は膨らむ。
賭けは外れる。
騎士団の規律違反が発覚する。
ある日、彼は私の前で膝をついた。
「助けてください……」
震える声。
涙。
誇りが砕ける音。
私は、ゆっくりと微笑む。
「まあ……そんな事、知りませんでした」
その瞬間、男の顔から色が消える。
私は何もしていない。
金を貸しただけ。
期待させただけ。
だが、彼は全てを失う。
職。
信用。
仲間。
家族。
最後に聞いた話では、
彼は名前を変え、下町で日雇いをしているらしい。
私は興味がない。
夜。
部屋で一人、帳簿を見る。
数字が並ぶ。
増えていく。
とても美しい。
私は思う。
――男達は壊れたのではない。
――元から、壊れやすかっただけ。
鏡に映る私は、今日も完璧な令嬢だ。
だが、口元だけが、わずかに歪む。
次は誰にしようか。
優しい毒は、
まだ、たくさん残っている。
◆◆◆
彼は、妻子を持つ男だった。
穏やかな顔。
柔らかな物腰。
屋敷の壁には、家族の肖像画が飾られている。
――守るものがある男は、扱いやすい。
「奥様と、とても仲がよろしいのですね」
私はそう言って、微笑んだ。
その一言で、彼の背筋が伸びる。
誇り。
責任。
そして、焦り。
「ええ。家族のためにも、私は失敗できません」
失敗する。
必ず。
私は彼に近づかない。
距離を保つ。
清楚に。
決して、手を伸ばさない。
それが逆に、彼を追わせる。
「最近、領地の運営が難しくて……」
相談が始まった時点で、勝ちは決まる。
私は、同情する。
理解する。
解決策を示さない。
「大変ですわね……」
それだけ。
男は、勝手に解釈する。
――この人の期待に応えたい。
――この人に認められたい。
彼は、家族の資産に手を出した。
最初は「一時的に」。
次は「必ず戻す」。
最後は「仕方なかった」。
噂は、必ず漏れる。
貴族社会は、血より噂を好む。
ある日、彼は青い顔で訪ねてきた。
「妻が……気づき始めています」
私は、少しだけ目を伏せる。
「まあ……それは、悲しいですわね」
それ以上は言わない。
男は勝手に追い詰められる。
領地は荒れ、
使用人は去り、
妻の目は冷たくなる。
そして、最後に露見する。
横領。
不正。
名誉失墜。
彼は、家族の前で頭を下げる。
守ると言ったものを、
自分の手で壊したと気づいた時、
男は泣く。
だが、私は関係ない。
私は、何も奪っていない。
彼が、差し出しただけ。
後日。
私は街で、彼の妻を見かけた。
子供の手を引き、
背中を丸めて歩いている。
私は視線を逸らす。
興味がない。
夜。
帳簿に、新しい数字が増える。
私は、静かに息を吐く。
――家族愛は、美しい。
――だからこそ、金になる。
鏡の前。
私はいつもの令嬢の顔をしている。
だが、成功した時だけ、
口元が勝手に動く。
ほんの一瞬。
悪い笑顔。
次は、もっと高い場所にいる男。
壊れた音が、大きいほど、
気分がいい。
彼は、権力を持つ男だった。
爵位。
役職。
発言すれば、周囲が黙る立場。
金に困っていない男ほど、
自分は安全だと思い込んでいる。
――だから、深く沈む。
「君は、賢いね」
彼は私を評価する。
だが、対等だとは思っていない。
私は一歩下がり、
従順な令嬢を演じる。
「恐れ入ります」
肯定はしない。
否定もしない。
男は、勝手に安心する。
彼が欲しいのは金ではない。
名声でもない。
理解されているという錯覚だ。
私は、彼の話を覚える。
失言。
敵対者。
嫌っている改革案。
すべて。
彼は、私の前では饒舌になる。
「君になら話せる」
その言葉が出た瞬間、
彼の首は、すでに私の手の中だ。
私は、何もしない。
ただ、場を整える。
彼の言葉が、
最悪の形で伝わるように。
書簡は偶然流出し、
発言は切り取られ、
会合での態度は誤解される。
――すべて偶然。
貴族社会は、
真実よりも都合のいい解釈を愛する。
数週間後。
彼は呼び出される。
弁明。
否定。
逆ギレ。
どれも、最悪の選択。
信頼は、回復しない。
彼は役職を失い、
爵位は保留され、
味方だった者は距離を取る。
孤立。
夜、彼は私を訪ねてきた。
「君だけは……」
私は、静かに首を傾げる。
「何のことでしょう?」
その瞬間、
彼の顔から血の気が引く。
私は、何もしていない。
ただ、聞いていただけ。
彼は崩れる。
地位を失った男は、
驚くほど早く小さくなる。
後日。
彼は別の家門に吸収され、
名前は記録から消えた。
私は帳簿を閉じる。
数字は、動いていない。
それでいい。
――金は奪わない。
――立場を奪う。
それだけで、男は終わる。
鏡の前。
私は、深く息を吸う。
上手くいった。
口元が、歪む。
悪い笑顔。
次で、終わらせる。
最後は――
欲望そのものを自覚している男。
自分が堕ちると分かっていて、
なお手を伸ばす者。
最高に、壊しがいがある。
最後の男は、理解していた。
自分が欲望に弱いことも、
破滅が近いことも。
それでも、止まれない。
「君は……危険だ」
彼は笑いながら言った。
忠告のつもりだったのだろう。
私は微笑む。
「光栄ですわ」
彼は、金も地位もある。
だがそれ以上に、衝動を抑えられない男だった。
賭博。
女。
裏取引。
自覚しているからこそ、
自分は賢いと思い込んでいる。
――愚か。
私は彼に、逃げ道を用意した。
「国外に出られては?」
「準備はできています」
彼は安心した顔をする。
逃げられると思ったのだ。
その夜。
彼は馬車で王都を離れた。
雨上がりの街道。
ぬかるんだ地面。
視界は悪い。
計算どおり。
護衛は最小限。
時間は深夜。
不運が、重なる。
前方から、軍馬の一団。
驚いた御者が手綱を引く。
馬車が揺れ、
男は外に投げ出された。
悲鳴。
蹄音。
避けられない。
重い音が、何度も響いた。
馬は止まらない。
命令も聞かない。
ただ、進む。
夜明け。
街道に残ったのは、
壊れた馬車と、
名前のない死体だけ。
事故だった。
誰も疑わない。
私は、朝の紅茶を飲む。
新聞を閉じる。
「……終わりました」
呟くと、
胸の奥が静かになる。
これでいい。
私は、奪った。
金。
地位。
命。
どれも、手を汚さずに。
鏡の前。
私は姿勢を正す。
おしとやかな令嬢。
非の打ち所はない。
――でも。
口角が、わずかに上がる。
悪い笑顔。
誰も見ていない。
世界は、今日も平和だ。
男たちの破滅の上に。
次は、誰にしようか。
考えるだけで、
胸が、愉しく鳴った。




