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腹黒悪役令嬢ここに散る

掲載日:2026/02/01

 私は笑顔を作る。

 鏡の前で何度も練習した笑顔だ。

 控えめでおしとやか。

 誰が見ても「良い令嬢」だと信じてしまう形。


 私は公爵家の娘。

 いわゆる悪役令嬢という立場だ。

 だが物語の中のように、人を虐めたりする気はない。

 もっと上手くて、もっと汚いことをする。


 男達は自分が選ばれたと思う。

 令嬢に気に入られた。

 心を許した。

 そう勘違いした時点で、もう負けている。


 「まあ……そんな高い物、私には……」


 そう言うと、彼らは急いで首を振る。

 「いえ! 是非! 僕が!」

 その台詞を聞く度に、胸の奥がぞわりとする。


 財布を開く音が好きだ。

 金が減っていく音が、頭の中ではっきり聞こえる。


 彼は商人。

 中年で、妻がいる。

 だがそんな事はどうでもいい。

 私の手を取る時の、汗ばんだ湿っぽい手のひら。

 それが全てだ。


 「あなたの為なら……」


 そう呟くと、彼の顔が崩れる。

 人が駄目になる瞬間の顔だ。


 その夜、私は一人で部屋に戻る。

 扉を閉めた瞬間、笑顔は消える。

 代わりに、口の端がゆっくり上がる。


 ――上手くいった。


 明日は別の男。

 別の夢。

 別の地獄。


 私はまだ何も奪っていない。

 ただ、彼らが自分から差し出しているだけ。


 だからこれは、私の罪ではない。


 鏡の中で、私はもう一度笑顔を作る。

 昼の笑顔。

 そして誰にも見せない、夜の悪い笑顔。


 その男は、騎士だった。

 しかも真面目で、融通が利かないことで有名な男。


 私は、そういう男が一番好きだ。


 「危険な賭け事など、私は好みませんの」


 午後の庭園。

 白い日傘を差しながら、私はそう言った。

 声は柔らかく、視線は伏せがちに。


 男は慌てて首を振る。


 「い、いえ! 私もです! 堅実こそが――」


 噓だ。

 彼は賭け事をしている。

 私はすでに調べてある。


 人は、自分の秘密を否定された時、

 「理解されたい」と思う。


 それを利用するだけ。


 「あなたは誠実な方ですね……」


 その一言で、彼の人生は傾いた。


 騎士は金を持たない。

 だからこそ、借りる。


 最初は小額。

 「装備の手入れに」

 「私に恥をかかせない為に」


 私は一度も命令しない。

 ただ、困った顔をするだけ。


 「無理でしたら……仕方ありませんわ」


 その瞬間、男は必ず言う。


 「やります」


 それが終わりの合図。


 借金は膨らむ。

 賭けは外れる。

 騎士団の規律違反が発覚する。


 ある日、彼は私の前で膝をついた。


 「助けてください……」


 震える声。

 涙。

 誇りが砕ける音。


 私は、ゆっくりと微笑む。


 「まあ……そんな事、知りませんでした」


 その瞬間、男の顔から色が消える。


 私は何もしていない。

 金を貸しただけ。

 期待させただけ。


 だが、彼は全てを失う。


 職。

 信用。

 仲間。

 家族。


 最後に聞いた話では、

 彼は名前を変え、下町で日雇いをしているらしい。


 私は興味がない。


 夜。

 部屋で一人、帳簿を見る。


 数字が並ぶ。

 増えていく。

 とても美しい。


 私は思う。


 ――男達は壊れたのではない。

 ――元から、壊れやすかっただけ。


 鏡に映る私は、今日も完璧な令嬢だ。


 だが、口元だけが、わずかに歪む。


 次は誰にしようか。


 優しい毒は、

 まだ、たくさん残っている。


◆◆◆


 彼は、妻子を持つ男だった。


 穏やかな顔。

 柔らかな物腰。

 屋敷の壁には、家族の肖像画が飾られている。


 ――守るものがある男は、扱いやすい。


 「奥様と、とても仲がよろしいのですね」


 私はそう言って、微笑んだ。

 その一言で、彼の背筋が伸びる。


 誇り。

 責任。

 そして、焦り。


 「ええ。家族のためにも、私は失敗できません」


 失敗する。

 必ず。


 私は彼に近づかない。

 距離を保つ。

 清楚に。

 決して、手を伸ばさない。


 それが逆に、彼を追わせる。


 「最近、領地の運営が難しくて……」


 相談が始まった時点で、勝ちは決まる。


 私は、同情する。

 理解する。

 解決策を示さない。


 「大変ですわね……」


 それだけ。


 男は、勝手に解釈する。


 ――この人の期待に応えたい。

 ――この人に認められたい。


 彼は、家族の資産に手を出した。


 最初は「一時的に」。

 次は「必ず戻す」。

 最後は「仕方なかった」。


 噂は、必ず漏れる。


 貴族社会は、血より噂を好む。


 ある日、彼は青い顔で訪ねてきた。


 「妻が……気づき始めています」


 私は、少しだけ目を伏せる。


 「まあ……それは、悲しいですわね」


 それ以上は言わない。


 男は勝手に追い詰められる。


 領地は荒れ、

 使用人は去り、

 妻の目は冷たくなる。


 そして、最後に露見する。


 横領。

 不正。

 名誉失墜。


 彼は、家族の前で頭を下げる。


 守ると言ったものを、

 自分の手で壊したと気づいた時、

 男は泣く。


 だが、私は関係ない。


 私は、何も奪っていない。


 彼が、差し出しただけ。


 後日。

 私は街で、彼の妻を見かけた。


 子供の手を引き、

 背中を丸めて歩いている。


 私は視線を逸らす。


 興味がない。


 夜。

 帳簿に、新しい数字が増える。


 私は、静かに息を吐く。


 ――家族愛は、美しい。

 ――だからこそ、金になる。


 鏡の前。

 私はいつもの令嬢の顔をしている。


 だが、成功した時だけ、

 口元が勝手に動く。


 ほんの一瞬。


 悪い笑顔。


 次は、もっと高い場所にいる男。


 壊れた音が、大きいほど、

 気分がいい。


 彼は、権力を持つ男だった。


 爵位。

 役職。

 発言すれば、周囲が黙る立場。


 金に困っていない男ほど、

 自分は安全だと思い込んでいる。


 ――だから、深く沈む。


 「君は、賢いね」


 彼は私を評価する。

 だが、対等だとは思っていない。


 私は一歩下がり、

 従順な令嬢を演じる。


 「恐れ入ります」


 肯定はしない。

 否定もしない。


 男は、勝手に安心する。


 彼が欲しいのは金ではない。

 名声でもない。


 理解されているという錯覚だ。


 私は、彼の話を覚える。

 失言。

 敵対者。

 嫌っている改革案。


 すべて。


 彼は、私の前では饒舌になる。


 「君になら話せる」


 その言葉が出た瞬間、

 彼の首は、すでに私の手の中だ。


 私は、何もしない。


 ただ、場を整える。


 彼の言葉が、

 最悪の形で伝わるように。


 書簡は偶然流出し、

 発言は切り取られ、

 会合での態度は誤解される。


 ――すべて偶然。


 貴族社会は、

 真実よりも都合のいい解釈を愛する。


 数週間後。


 彼は呼び出される。


 弁明。

 否定。

 逆ギレ。


 どれも、最悪の選択。


 信頼は、回復しない。


 彼は役職を失い、

 爵位は保留され、

 味方だった者は距離を取る。


 孤立。


 夜、彼は私を訪ねてきた。


 「君だけは……」


 私は、静かに首を傾げる。


 「何のことでしょう?」


 その瞬間、

 彼の顔から血の気が引く。


 私は、何もしていない。


 ただ、聞いていただけ。


 彼は崩れる。


 地位を失った男は、

 驚くほど早く小さくなる。


 後日。


 彼は別の家門に吸収され、

 名前は記録から消えた。


 私は帳簿を閉じる。


 数字は、動いていない。


 それでいい。


 ――金は奪わない。

 ――立場を奪う。


 それだけで、男は終わる。


 鏡の前。


 私は、深く息を吸う。


 上手くいった。


 口元が、歪む。


 悪い笑顔。


 次で、終わらせる。


 最後は――

 欲望そのものを自覚している男。


 自分が堕ちると分かっていて、

 なお手を伸ばす者。


 最高に、壊しがいがある。


 最後の男は、理解していた。


 自分が欲望に弱いことも、

 破滅が近いことも。


 それでも、止まれない。


 「君は……危険だ」


 彼は笑いながら言った。

 忠告のつもりだったのだろう。


 私は微笑む。


 「光栄ですわ」


 彼は、金も地位もある。

 だがそれ以上に、衝動を抑えられない男だった。


 賭博。

 女。

 裏取引。


 自覚しているからこそ、

 自分は賢いと思い込んでいる。


 ――愚か。


 私は彼に、逃げ道を用意した。


 「国外に出られては?」


 「準備はできています」


 彼は安心した顔をする。


 逃げられると思ったのだ。


 その夜。


 彼は馬車で王都を離れた。


 雨上がりの街道。

 ぬかるんだ地面。

 視界は悪い。


 計算どおり。


 護衛は最小限。

 時間は深夜。


 不運が、重なる。


 前方から、軍馬の一団。


 驚いた御者が手綱を引く。


 馬車が揺れ、

 男は外に投げ出された。


 悲鳴。


 蹄音。


 避けられない。


 重い音が、何度も響いた。


 馬は止まらない。

 命令も聞かない。


 ただ、進む。


 夜明け。


 街道に残ったのは、

 壊れた馬車と、

 名前のない死体だけ。


 事故だった。


 誰も疑わない。


 私は、朝の紅茶を飲む。


 新聞を閉じる。


 「……終わりました」


 呟くと、

 胸の奥が静かになる。


 これでいい。


 私は、奪った。


 金。

 地位。

 命。


 どれも、手を汚さずに。


 鏡の前。


 私は姿勢を正す。


 おしとやかな令嬢。

 非の打ち所はない。


 ――でも。


 口角が、わずかに上がる。


 悪い笑顔。


 誰も見ていない。


 世界は、今日も平和だ。


 男たちの破滅の上に。


 次は、誰にしようか。


 考えるだけで、

 胸が、愉しく鳴った。

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