エピソード4 初回という戦場
歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。
そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと
そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。
シャンパンとワインの表は、
だいぶ頭に入ってきていた。
完璧ではない。
それでも、聞かれれば、
詰まりながらでも答えられる。
テーブルマナーも、
最低限は覚えた。
ハチタンと六タン。
灰皿の下げ方。
つめしぼのタイミング。
身体が、
少しずつ覚え始めている。
たまに、
麗が席に呼んでくれた。
「奏楽さん、
ちょっと入ってください」
完全な接客じゃない。
練習だ。
向かいに座って、
相槌を打ち、
グラスを拭く。
失敗しても、
笑って流してくれる席。
それが、
どれだけありがたいことか、
この時はまだ、
はっきりとは分かっていなかった。
そして、
その瞬間は、
突然やってきた。
「次、初回いける?」
初回。
初めて来た客。
店にとって、
一番大事な時間。
俺は、
先輩とペアでつくことになった。
二人組の初回。
正直、
胸が鳴った。
でも、
席に着いた瞬間、
それは消えた。
空気が違う。
会話のスピード。
視線の動き。
一言一言に、
意味がある。
先輩は、
完全に“オンステージ”だった。
冗談を投げ、
間を操り、
一瞬も無駄にしない。
時計を見る余裕はなかった。
それでも、
あとで聞いて驚いた。
初回の時間は、
十分もない。
十分で、
すべてを決める。
俺は、
何もできなかった。
話を広げることも、
場を掴むことも。
できたのは、
テーブルマナーを守ることと、
相槌だけ。
――これ、
ただのヘルプじゃないか。
そう思った。
迷惑をかけないことだけを考えた。
余計なことを言わない。
邪魔をしない。
早く終われ、
とすら思っていた。
バックヤードに戻ると、
先輩が
ペットボトルの水を飲みながら言った。
「悪くなかったよ」
社交辞令だと思った。
でも、
続いた言葉で、
少しだけ救われた。
「初回はな、
戦場だから」
戦場。
「気、使わなくていい。
取りに行くとこだから」
その一言が、
胸に残った。
気を使わなくていい。
迷惑をかけるな、じゃない。
取りに行け。
その言葉を、
俺はまだ、
ちゃんと理解できていなかった。
それでも、
次に初回につくとき、
きっと思い出す。
十分もない時間で、
何かを残す。
ここは、
そういう場所だ。
俺は、
まだ戦えない。
だからこそ、
早急に、
何かを変えなければいけないと思った。
初回。
戦場。
あの十分で、
何もできなかった自分。
同じことを繰り返しても、
結果は変わらない。
営業が終わり、
フロアの音楽が落ちる。
片付けが始まる中で、
麗を見つけた。
少し迷ってから、
声をかける。
「初回ってさ……
どうしたらいいのかな」
我ながら、
曖昧な聞き方だった。
でも、
麗は気にした様子もなく、
そんなことか、
と言わんばかりに息を吐いた。
天井を見上げて、
ぽつりと言う。
「彼女を
十人作るつもりで
ついてますね、俺は」
一瞬、
意味が分からなかった。
彼女。
十人。
数字だけが、
先に引っかかる。
「……え?」
麗は、
俺を見ないまま続けた。
「一人に集中しないっす。
初回は特に」
客は、
目の前に一人か二人。
その相手に対して、
彼女を十人作る?
「どういうこと?」
そう聞くと、
麗はようやく、
こちらを見た。
「今日、
彼女にならなくてもいい人を
作るんすよ」
余裕のある声だった。
「今すぐじゃなくていい。
来月でも、
半年後でも」
一拍置いて、
こう続けた。
「“あの店に、
ちょっと気になる人がいる”
って状態を、
たくさん作る」
頭の中で、
初回の席が浮かぶ。
十分もない時間。
名前も、
会話も、
ほとんど残らない。
「相手から見て、
十人くらい彼女がいそうな男。
それくらいが、
一番、罪で、魅力っす」
そう言って、
麗は肩をすくめた。
「だから、
初回は
おもしろい」
その言葉が、
胸に引っかかった。
俺は、
初回を
“勝たなきゃいけない場”
だと思っていた。
でも、
麗の言葉は違う。
「種まき」
ぽつりと、
麗が言う。
「彼女を作るんじゃなくて、
種をまく」
その瞬間、
少しだけ、
視界が変わった。
十分で、
何かを決めるんじゃない。
十分で、
忘れられない人になる。
初回は、
戦場だけど、
突撃する場所じゃない。
地雷原を、
走り抜ける場所だ。
まだ、
完全には理解できていない。
それでも、
次に初回につくとき、
俺はきっと、
同じ座り方はしない。
そう思えただけで、
ほんの少し、
前に進めた気がした。
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