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歌舞伎町が僕を食べる。  作者: 夜坂ネオン


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4/18

エピソード3 掃除組

歌舞伎町、昨今なにかと世間を賑わせている街。


そんな場所で実際に経験したこと聞いたこと考えたこと


そんなことを織り交ぜたノンフィクション風ファンタジーです。


 朝、目が覚めたとき、

自分がどこにいるのか、少しだけ迷った。


天井が高い。

カーテンの隙間から、新宿の朝の光が差し込んでいる。


――ああ。

昨日の続きだ。


麗の部屋だった。


頭の奥に、

シャンパンの名残が残っている。

体は重いのに、

目だけは冴えていた。


シャワーを借り、

最低限、身支度を整える。


リビングで、

麗がコーヒーを飲んでいた。


「今日どうしたらいい?」


俺がそう聞くと、

麗はあっさり言った。


「一回、店寄って

出勤日決めて帰りましょ。

間、空けると来なくなるんで」


冗談みたいな口調だった。

でも、

否定できなかった。


 店に着くと、

営業前のフロアは、

昨夜とは別の顔をしていた。


音楽は止まり、

ネオンも半分落ちている。

静かすぎて、

逆に落ち着かなかった。


内勤に通され、

カウンターの前に座る。


「じゃあ、説明しますね、

勤務形態なんですけど、

レギュラーは週六。

バイトは、週二からです」


数字だけ聞けば、

単純だった。


「家、遠いですよね?」


そう言われて、

小さくうなずく。


「最初は、

バイトからでも大丈夫ですよ」


一瞬、

救われた気がした。


「寮もあります。

住むところがなければ」


その言葉に、

現実が追いついてくる。


ここで働く、というのは、

生活ごと移す、ということだ。


俺が迷っていると、

横にいた麗が、

静かに口を挟んだ。


「寮は、

俺、あんまおすすめしないっす」


内勤が、

ちらっと麗を見る。


「通えるなら、

通ったほうがいいです」


理由は、

詳しくは語られなかった。


でも、

その言い方だけで、

十分だった。


――深入りしないほうがいい場所。


そう直感した。


「……最初は、

バイトでお願いします」


自分の口から、

そう言っていた。


 その後も説明は続く、

売上三十万以下は、

十八時出勤。

通称、掃除組。


淡々とした説明だった。


「新人期間は、

襟付きのシャツ着用でお願いします」



説明の最後に、

内勤が一枚の紙を差し出した。


シャンパンとワインの銘柄、

それぞれの味の特徴が、

びっしりと書かれた表。


甘口、

辛口、

飲みやすい、

重い、

フルーティー、

コクがある。


知らない言語だった。


「一応、

これ覚えてください」


一応、という言い方が、

逆に重かった。


ギターのコード表を

ポケットに入れていた頃を、

思い出す。


でも、

ここでは音を出す必要はない。

言葉で説明できなければ、

価値がない。


最後に、

カレンダーを出される。


「いつから、行けます?」


一瞬、

指が止まった。


ここに日付を書いたら、

もう体験じゃなくなる。


「……この日で」


内勤が、

ペンで丸をつけた。


それだけで、

何かが決まってしまった気がした。


家に帰り、

クローゼットを開ける。


音楽のために揃えた服と、

機材。


ホストの新人は、

襟付きのシャツ。


金は、

なかった。


ギターケースを開け、

一本ずつ、

機材を取り出す。


触ると、

指が覚えている感触がある。


でも、

迷わなかった。


楽器屋で売った金で、

当面の生活費と、

シャツを三着買った。


白。

黒。

安物だとわかる生地。


それで、

生きていく。


出勤初日。


十八時前、

提携している美容院に入る。


ヘアメ。


料金は、

一回千五百円。


その場で払う必要はない。

給料から天引き。


行かなかった場合は、

罰金になるのだ。


選択肢は、

最初からなかった。


ヘアメを終えた時点で、

もう出勤は始まっていた。


店に入り、

シャツ姿のまま、

掃除組に回される。


掃除は、

想像していたより、

ずっと徹底していた。


床だけじゃない。

机も、

いすも、

全部ひっくり返す。


脚を一本ずつ。

天板の裏。

灰皿は、

光が映るまで。


誰が見るわけでもない。

でも、

妥協は許されない。


売れている人間が座る場所を、

売れていない人間が整える。


それが、

掃除組だった。


床に膝をつきながら、

ふと、思った。


――誰が見るんだ、こんなところ。


でも、

すぐに気づいた。


ここは、

ただの飲み屋じゃない。


誰も意識しない。

でも、

無意識に感じ取る。


これくらい、

馬鹿みたいにきれいにしている場所だからこそ、

価値が出る。

ヘアメもそうだ。

髪のセットもしていない人に接客される価値はない。


高い金が、

動く。


そのために、

俺は、

十八時から床に膝をついている。


理屈として、

理解してしまった。


理解してしまったからこそ、

悔しかった。


十九時オープン。

まだ外は明るい。


それでも、

この店では、

もう夜が始まっていた。


掃除を終え、

フロアの端に立つ。


営業は始まった。

店内に音楽が入り、

ネオンが完全に点く。


でも、

俺はまだ、

接客はしない。


いや、

させてもらえない。


席には出ない。

フロアの端で、

教育担当の先輩に呼ばれる。


「じゃあ、

テーブルマナーからな」


声は淡々としていた。

優しくも、

冷たくもない。


ただの手順。


テーブルの上に、

一式が並べられる。


グラスが、二種類。

大きいものと、

それより一回り小さいもの。


「大きいほうが八オンスタンブラー。

通称、ハチタン」


指で軽く叩いて、

音を出す。


「小さいのが六オンスタンブラー。

ロクタン」


覚えろ、というより、

間違えるなという圧だった。


アイスペール。

中には氷。


トングとマドラーが、

交差するようにかけられている。


「こうなってないと、ダメ」


理由は、

説明されない。


コースター。

店の名前が印字されている。


灰皿も、

ガラス製。

同じく、店名入り。


「灰皿はな、

吸い殻が二本入ったら下げる」


二本。

三本じゃない。


「灰が飛ぶから」


そう言って、

先輩は別の灰皿を

上から重ねて、

静かに下げる。


そして、

何もなかったように、

新しい灰皿を差し出す。


動作は、

無駄がなかった。


次は、

おしぼり。


濡れているものと、

乾いているもの。


「濡れてるほうは、

席についたとき」


客が手を拭いたら、

すぐ回収。


「で、

三角に折る」


指先で、

正確に折る。


「テーブルに置く。

これ、つめしぼ」


名前があることに、

少し驚いた。


乾いたおしぼりは、

別の役目がある。


「グラス、

結露するだろ」


客のグラス。

ホストのグラス。


「濡れてきたら、

ヘルプが拭く」


誰にも気づかれないように。

会話を止めないように。


全部、

目立たない仕事だった。


覚えることは、

多い。


でも、一つも、

自分を売るための技術じゃない。


俺は、

まだ商品じゃない。


商品が使う場所と、

商品が使う道具を、

間違えないための人間。


それが、

今の立場だった。


先輩は最後に、

一言だけ言った。


「これ全部、

無意識でできるようになってからな」


席には、

まだ出られない。


俺は、ただ、立って覚える。


十八時出勤の意味が、

少しだけ、

わかった気がした。


ポケットの中で、

あの紙が、

少しだけ音を立てる。


シャンパンとワインの表。


まだ、

一つも覚えきれていない。


でも、

いつかこれを

口に出して説明する日が来る。


そうしないと、

ここでは

何も始まらない。


俺はまだ、

席につけない。


ただ、

きれいになった場所を、

眺めているだけだ。


ギターは、もう家にない。


代わりに、シャツが三着と、

覚えなければならない紙が一枚あるだけだった。

よんでいただきありがとうございます。

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今後とも長いおつきあいをよろしくお願いします。

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