第36話 夜風の中の告白
第36話 夜風の中の告白
夜の聖域は、昼間とは違う静けさがあった。
焚火の火は弱まり、橙色の光が周囲をかすかに照らす。
世界樹の若木は夜露を吸い込み、静かに呼吸しているかのようだ。
ゆうは薪を追加しながら、ふっと小さなため息をついた。
「……今日も一日、よく動いたな」
「あなた、独り言が多いですね」
背後から声がして振り返ると、リュシアが湯気の立つ木のカップを持って立っていた。
「……ハーブの煎じ汁です。温まりますよ」
「お、気が利くな。ありがとう」
受け取って、ゆうはさっそく一口飲む。
「……うまい。ほっとする」
「そうですか。よかったです」
リュシアはゆっくりと火の前に座り、裾を整える。
夜風に揺らぐ銀髪が、焚火の光を受けてきらりと揺れた。
「で、どうしたんだ? 夜にひとりで出てくるなんて珍しい」
「あなたが焚火をしていたので……なんとなく、です」
「なんとなく、か」
「文句がありますか?」
「いや。来てくれて嬉しいよ」
ゆうが穏やかに微笑むと、リュシアは視線をそらした。
「……その、反応に困るので……やめてください」
「褒めただけなんだけどなぁ」
「褒める、という行為が問題です」
「理屈が不思議だな」
「あなたが不思議なのです」
会話は噛み合っているようで、どこか噛み合っていない。
けれど、それがもう不快ではなかった。
焚火の音だけが、しばらく二人を包んだ。
リュシアが口を開いたのは、その沈黙のあとだった。
「……ゆう」
「どうした?」
「あなたは……わたしが、ここにいることを……迷惑だとは……思いませんか」
その声は、普段よりわずかに弱かった。
ゆうは驚いた。
「迷惑? なんでだ?」
「私は……森で倒れていた異邦人で……あなたは世話をして……場所まで与えて……」
「場所を与えた覚えはないぞ。
ここは俺のじゃなくて“俺たちの場所”だ」
リュシアの肩がわずかに揺れる。
「……そういうことを、自然に言うから……困るのです」
「困る?」
「……胸が、少し……苦しくなるので」
その言葉に、ゆうの手が止まった。
リュシアは膝の上に手を置き、指先をぎゅっと握りしめていた。
火の光に照らされた横顔は、不安と照れが混ざったような複雑な表情。
「それは……嫌な感じか?」
ゆうが静かに訊ねると、リュシアは首を横に振る。
「嫌では……ありません」
「じゃあ――」
「でも、理由がわかりません!」
リュシアの声がわずかに震えた。
「この感覚は……里を出てから、ずっと……なかったものです」
風が一瞬、強く吹く。
銀髪がふわりと浮き、焚火の影が揺れた。
リュシアは立ち上がりかけて……座り直した。
「……わたしは、あなたが困っていると助けたいと思います」
「……」
「あなたが笑うと……安心します」
ゆうは何も言わず、ただ聞いていた。
「でも……その理由が……どうしてもわからないのです」
その言葉は、とても正直だった。
ゆうはカップを置き、ゆっくりと口を開く。
「……それ、多分だけど」
「な、なんですか……?」
「リュシアが“ここが居場所だ”って思い始めたからだよ」
リュシアは目を瞬かせた。
「……居場所」
「ああ。安心できる場所があって、
そこで一緒に生活してる相手がいると……
そういう気持ち、自然に出るもんだ」
「……自然に」
「うん。悪いことじゃないよ」
焚火の光が、リュシアの瞳に映って揺れる。
「それに――俺も、同じだから」
「……え?」
リュシアが小さく息を飲む。
ゆうは少し照れたように頭をかいた。
「リュシアが元気だと安心するし、
笑うと嬉しいし、
黙ってそばにいても落ち着くんだよ」
「……ゆう……」
「別に難しいことじゃないさ。
ここで一緒に過ごしてるから、そうなるんだ」
リュシアの頬が、じわりと赤く染まる。
「……それは……」
「嫌か?」
「……嫌では、ありません」
焚火がぱち、と弾ける。
夜風が二人の距離をそっと結ぶように吹き抜けた。
しばらく沈黙のあと、リュシアは静かに言った。
「ゆう」
「ん?」
「……あなたの隣に座っても……いいですか」
「もちろん」
それだけの会話だったのに、
リュシアの表情は、まるで新しい季節に触れたように変わった。
ゆうの隣に座るリュシア。
距離はわずかだが、確かに近い。
焚火の明かりが二人をあたたかく包み、
世界樹の葉がそっと揺れた。
それは――
聖域で生まれた、小さな“恋の気配”だった。




