第26話 森で眠る少女と、箱庭の世界樹
第26話 森で眠る少女と、箱庭の世界樹
森へ入ったのは、ただの素材集めのつもりだった。
乾燥用の薬草と保存に向く木の実、それだけを目当てに聖域から少し離れた場所まで足を伸ばした。
クロが先を歩き、時折こちらを振り返っては耳を動かしている。
「そんなに警戒しなくてもいいだろ。ここは俺の森だぞ」
そう言った直後、クロがぴたりと足を止めた。
耳が立ち、低く喉を鳴らす。
「……どうした?」
視線の先、倒木の影。
苔むした地面に、小さな人影が横たわっていた。
近づくと、それは一人の少女だった。
淡い銀緑の髪、白い肌、そして明らかに尖った耳。
「エルフ……か」
呼吸はある。だが深く眠っているように動かない。
「こんなとこで野垂れ死にはさせられないよな……」
ゆうは少女をそっと抱き上げ、自分の外套をかけて聖域へと運んだ。
⸻
目を覚ましたのは、焚火の火が揺れる夕刻だった。
少女ははっと身を起こし、鋭い視線を向けてくる。
「……あなた、誰ですか」
澄んだ声だが、警戒の色は隠さない。
「森で倒れてた。放っておけなくてな」
「……勝手に触らないでください」
「それは悪かったな。でも生きてるぞ、ちゃんと」
少しだけ沈黙が落ちる。
「ゆうだ。ここは俺の拠点」
「……リュシアです」
名を告げると、ぷいと顔を背けた。
「感謝はしません」
「しなくていい」
そう言ってゆうは水を差し出した。
彼女は一瞬ためらい、それでも受け取る。
「……別に、美味しいとは言いません」
そう呟きつつも、飲み干した。
そのときだった。
リュシアの視線が、聖域の奥へと引き寄せられる。
鉢植えの中で静かに揺れる若木――世界樹。
「……あれは……」
彼女はゆっくりと立ち上がり、その前に膝をついた。
ゆうの胸の奥で、前世の記憶が静かに蘇る。
――世界樹は世界に一本。
――枯れる前に三つの種を残す。
――それぞれが次の世界の命となる可能性を持つ。
ゆうは小さく息を吐いた。
「……お前、世界樹って知ってるか?」
リュシアの動きが止まる。
「エルフでそれを知らぬ者はいません」
静かに頷き、若木を見つめる。
「世界の命を支える樹……本来はただ一本、大地の中心に根づくもの……」
指先が鉢の縁にそっと触れる。
「けれど……これは、その姿とは明らかに違います」
「やっぱりそう見えるか」
「はい。この樹は“本来あるべき世界樹”ではありません」
「でもな、世界樹“だったもの”の種だ」
リュシアが顔を上げた。
「……種?」
「ああ。前にいた世界で聞いた話だ。
世界樹は、枯れる前に三つの種を残す。それぞれが次の世界を継ぐ可能性を持つってな」
沈黙が落ちる。
「……つまり、この樹は……」
「その三つのうちのひとつだと思ってる」
リュシアの瞳に、驚きと畏れが宿る。
「しかも……大地ではなく、箱庭で芽吹いた……」
「普通じゃない世界樹ってわけだ」
「ではこの世界では……世界樹は今も探されているのですね……」
「ああ。たぶん国も教団も血眼だろうな」
ゆうは若木を見つめた。
「でも、こいつは違う。ここは世界に認識されない場所だ。誰にも奪わせない」
「……あなたは、それをどうするつもりですか」
「どうもしねぇ」
即答だった。
「大きくするつもりも、利用する気もない。ただ育てるだけだ」
リュシアは若木を見つめ、静かに呟いた。
「……世界にひとつの命を、あなたは“箱庭”に閉じたのですね」
「閉じたんじゃない。守ってるだけだ」
その言葉に、彼女の表情がほんの少しだけ柔らいだ。
「……不思議な人ですね、あなたは」
すぐに我に返り、顔を背ける。
「べ、別に感心しているわけではありません」
「はいはい」
ゆうは小さく笑った。
こうして、誰にも知られない聖域に、
新たな命と、新たな住人が加わった。
誰も知らない。だが確かにここから――
静かな未来が紡がれていく。
箱庭で息づく世界樹の正体。
それを知りながら、ゆうはただ静かに守る道を選んだ。
そしてリュシアもまた、その価値に気づき始めている。
次回、第27話
「距離のある朝」
ふたりで迎える、最初の静かな朝。




