第2話──「洞窟の夜と、黒き影」
異世界に迷い込んだ男が、初めて迎える夜。
そこは暖かい布団も明かりもない、ただの洞窟。
それでも、生きるためには動かなくてはならない。
そしてその夜、彼は“この世界の生き物”と初めて出会う。
洞窟の中は思っていたよりも静かだった。
外の風の音も、森のざわめきも届かない。
「……真っ暗だな」
手を伸ばしても、自分の指先すら見えない。
何か光になるものがないかと探っていると、壁の一部がぼんやりと緑色に光っているのが見えた。
近づいてみると、苔のようなものが淡く発光している。
「助かった……これなら、少しくらいは見える」
その光に照らされながら、岩に腰を下ろす。
一日中歩き続けた足がじんじんと痛む。
「あー……風呂入りてぇ……」
そんな独り言が、狭い洞窟に反響する。
ポケットを探るが、当然スマホも財布もない。
現代社会との繋がりは、どこにもなかった。
ふと、奥から水の滴る音が聞こえた。
どうやら小さな湧き水のようだ。
「……飲めるかな」
試しに手ですくって口に含む。
ほんのり冷たくて、泥臭くない。
「いける……」
胃に水が流れ込むと、ようやく実感が湧いた。
「あぁ……本当に生きてるんだな、俺」
そのまま背を壁に預けて目を閉じた──
……どれくらい時間が経っただろうか。
洞窟の外から「パキッ」と枝を踏む音がした。
一瞬で目が覚める。
耳を澄ますと、確かに足音。重い、四足の……獣のような音。
「……まさか、クマとか?」
体がこわばる。
光の届かない洞窟の入口に、二つの赤い光が浮かび上がった。
目だった。
闇の中で光を反射する、獣の目。
「う、うそだろ……」
息を潜める。
その影は、ゆっくりと近づいてくる。
大きい。肩までの高さが一メートルを超えている。
全身が黒い毛に覆われ、牙が白く光る。
喉の奥で、低く唸り声が鳴った。
「グルル……」
動いたら、終わりだ。
じっと目を逸らさずにいると──
外から吹き込んだ風が、岩の間を抜けて火花のように苔を揺らした。
一瞬、光が強くなり、獣がひるむ。
その隙に、ゆうは叫んだ。
「お、おい! 来るなっ!」
……だが、獣は襲いかかってこなかった。
ゆっくりと伏せ、こちらをじっと見つめる。
そして、尻尾を──わずかに振った。
「……なんだ、お前……」
よく見ると、足から血が流れている。
どうやら怪我をしているようだ。
怒りではなく、痛みで唸っていたのかもしれない。
ゆうは、手のひらで水をすくい、そっと差し出した。
獣は警戒しながらも、ぺろりと舐める。
「……そうか、喉乾いてたのか」
その夜、二人──いや、一人と一匹は、
洞窟の中でしばらく無言のまま、互いの気配を確かめ合っていた。
ゆうが最初に出会った生き物、それは“ブラックウルフ”と呼ばれる魔物。
だが、彼にとってはただの傷ついた動物だった。
次回、「クロ」という名の誕生。
おっさんと黒狼、奇妙な絆が芽生え始める。




