1. 進次郎、異世界へ行く
(本作品はフィクションであり、実在の人物や政治的主張とは関係ありません)
20XX年冬、日本のある地方の農村、夕闇混じりの曇天の下、一人の政治家が応援演説をしていた。小規模な集会だが、聴衆は熱心に聞いている。
「今、私たちがすべきなのは国と地方をつなげていくことです!是非、皆様にご支援を広げていただきたくお願いいたしまして、私からの応援として代えさせていただきます!どうぞよろしくお願い申し上げます!」
それはごく普通の選挙応援演説に過ぎない。聴衆は多くなく、マスコミもいない。だが、語り手の、候補者を支えようという素朴な心が伝わる演説だった。その素朴さが聴衆を魅了し、演説の終わりとともに、拍手がさざなみのように広がった。
「いいぞ!!」「応援してまーす!!」「がんばれー!」
政治家は手を上げて、にこやかに聴衆に応える。
壇上からのひとしきりの挨拶が終わった後、彼は台の端に置いてあるポータブルスピーカーを持ち上げて、片付け始める。
「進次郎さん、片付けくらい私達がやりますから」
選挙スタッフが恐縮して駆けつける。
「こういうことを自分でやらないようになったら、おしまいなんですよ」
進次郎とよばれた政治家はこともなげに、片づけを始める。雑用を厭わない謙虚な姿勢が人を惹きつけるのだろう。
そもそもスタッフに名前呼びをされる政治家がどれだけいるだろうか。
「今回の選挙、厳しい戦いになりそうですね」
スタッフは選挙対策委員長の進次郎を気遣う。
「楽な選挙なんてありませんよ。国民はいつも見てますからね」
進次郎は目を細め、少し上を見ながら、白い息を吐く。相次ぐスキャンダル、政局に次ぐ政局、国民の不信は根強い。彼の視線の先には厳しい結果が見えているのだろう。
「次の応援演説は東京ですよね?」
「えぇ、いよいよ大詰めです。気合い入れていかないと……」
進次郎はそう言いながら、小さなステージを降りようとする。
「進次郎さんがいればバッチリですよ……」
スタッフは進次郎の後を追う。
進次郎が小さな階段を降りようと踏み出したその時、踏み台が音を立てて割れ、進次郎は態勢を崩し、階段からスピーカーもろとも転げおちてしまった。
「だっ!大丈夫ですか!!!」
進次郎は駆け寄る選挙スタッフの声を聞いたような気がした……が定かではない。
というのも、目を開けたら周囲がさきほどまでとは全く違う光景だったからだ。
明るい空。昼間。森。そこには聴衆の姿も、スタッフの姿も見えない。
「!?」
進次郎は困惑した。今の今まで冬の夕暮れ時だったはず。それがさっきとは全く違う、昼で気温も高い。農村の景色ではなく、鬱蒼と茂った森の中。その小道に進次郎はいた。傍らには先ほどまで使っていたスピーカーが落ちている。手元にはワイヤレスマイク。着ているスーツもそのままだ。
(これは?転んで頭を打ったか……幻覚?夢?明晰夢?!死?あの世?!)
進次郎は自身の状況を確認するが、痛みはどこにもない。知覚も精神も正常だ。地面を触る。あまり触ったことのない赤く固い土。夢にしてはディティールが真に迫りすぎている。
落ち着いて、空気を吸い。素早く周囲を見回す。
(植生が……違う?日本ではない……?)
政治家として日本中を、世界中を駆け回る進次郎をして、見たことのない植物が多い。さらに細かく観察する。温度。暑い。亜熱帯の気候だろうか。鳥の鳴き声は聞こえるが、姿は見えない。
(怪我は無い。体調も問題ない。呼吸もできている。知覚、知能も正常。周囲が違う。私だけが移動した?)
進次郎が恐る恐る見慣れぬ森の小道をゆっくり進むと、遠くから人間の悲鳴が聞こえた。女性の甲高い声。進次郎は反射的に声のほうへ駆け出す。
進次郎が駆け出した先に、小道がつながる小さな池が見える。そこでは若い女性が、2メートルほどの動物に狙われていた。
「君!大丈夫か?!」
進次郎が駆け寄ろうとすると、金色の動物が振り返る。トカゲのようだが、トカゲではない。胴体に8本の足がある。こんな動物は見たこともない。女性は日本人と似通った風貌。
(こんな動物は見たことがない……やはり日本ではないのか……地球ですら無い?異世界?)
進次郎は目まぐるしく頭脳を回転させる。いずれもありえない話だ。だが、ありえないことが起きている。そう進次郎は結論づけた。どれだけ突飛でも、観察される事象から導き出される事実には従う。それが現実主義者の進次郎の矜持だ。
「異世界に来たということは……異なる世界に来たということですね……」
進次郎はネクタイを緩め、不敵に笑った。
(本作品はフィクションであり、実在の人物や政治的主張とは関係ありません)