残された男の気付き
「あーあ、行っちゃったわね」
「リオラったら、いつになったら恋愛に興味がでるのかしら」
アリオンにやや強引に手を引かれながら出ていくリオラの背中を眺めながらマーガレットとニコレットが話している。
「リオラはまったく気づいていないし、今でも自分は当て馬だなんて思っているんだろうけど、
あれはどう見てもアリオンはリオラのことを婚約者『候補』とは思っていないわよね」
「だな。他に婚約者候補なんか選ぶ気なんてさらさら無いだろうしな」
リアンダーの言葉にうんうんと大きくうなずくマーガレットとニコレット。
そんな3人の会話を聞きながらも俺は先ほどの感覚は一体なんだったのだろうかと思いを巡らせていた。
『殿下・・・!』
そういいながら俺の手を握り締めた白くて小さく華奢な手。
凛とした綺麗な金色の瞳を輝かせながら俺を見つめる小さな顔。
王族に生まれ今まで様々な美しい女性たちを見てきた自分でさえもつい目を奪われてしまうようなほどリオラは美しく聡明な女性だ。
しかしそんな見た目とは裏腹に人懐っこく素直な性格で、自分という軸をしっかりと持つ彼女は
アリオンの婚約者候補という、世の女性たちが妬む羨むような地位にいるにもかかわらず
今までこれといっていやがらせを受けたりすることもなく、むしろ好意的にとらえられている様子だ。
婚約者『候補』という曖昧なポジションが免罪符のようになっており、
リオラの人柄、そして膨大な魔力を持っていることもうまく作用しているのだろう。
もともとのアリオンは寄ってくる女性たちにいい顔はするものの、いつも女性たちのいないところでは疲れた顔をしていたものだった。
あれだけの美貌と家柄、そして恐ろしほどの魔法の才能をもつ男なのだ。
幼いころから女性に取り囲まれていたアリオンの今までの苦労は計り知れない。
いつだったか女性は可愛くて好ましいところもあるが距離を間違えてはいけないものなのだ、と言っていたことがある。
だからなのか、今まで特別な存在を作ったことはなかった。
そんな男が、婚約者候補を作った。
リオラの魔力を高く買ったオズボーン公爵の思惑も少なからずあるのだろうが、
この婚約話にアリオンの意思が全く反映されていないはずがない。
オズボーン公爵は有能な忠臣だが、息子たちのことはよくかわいがっており、息子らの意思を何よりも尊重したいのだ、と語っていたことがある。
マーガレットたちが言うように、ただの婚約者『候補』なんかではないのだ。
事実、アリオンはリオラのことをいつも気にかけている。
リオラをからかうような言動はあったりするが、きっとそれも彼のわかりにくい愛情表現の一つなのだろう。
リオラにちょっかいをかける男が現れようものなら、全面戦争が勃発するのではないかというほどの恐ろしい目をする。
先ほどもリオラに手を握られる俺をみるその目は言葉にできないほど鋭くて恐ろしかった。
『殿下、ぼくの婚約者が失礼しました』
さっきのこの言葉も、わざわざ『ぼくの』などと強調していたあたり、
きっとあの瞬間の俺はアリオンにとって排除すべき存在になっていたのだろう。
アリオンとは幼いころからの仲で、小さいときから俺の優秀すぎる護衛であり、気の知れた良き友人だ。
きっとアリオンにとっての俺もそんな存在なのだろうと思うのだが。
「殿下、聞いてます?」
「あ、ああ、聞いてるぞ」
色々考えを巡らせていたが、ニコレットに声をかけられてハッと我に返った。
「殿下はどう思います?あの二人」
「どう、とは?」
「殿下ってアリオンとは今までずっと一緒にいたんですよね?アリオンがリオラのことをどう思っていると思うかってことですよ!」
アリオンがリオラをどう思っているか、ということであれば概ねニコレットたちが話していたことに同意だ。
「いや、そうだな、お前たちのいっている通りだと俺も思うが。」
「そうですよね。殿下は寂しくないんです?」
「寂しい?」
「だってほら、いままで自分にずっとついてきてくれてた男が、今は他の女性に夢中なんですよ?
同性とはいえ、俺の友達が盗られた、みたいな感情とかあったりするのかなーって思って」
ニコレットにそう言われ、俺は豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くした。
そうか、そんな風に考えたことはなかったので一応考えてみる。
・・・・・・うん、とくに寂しくはないな。
どちらかといえば、今まであれだけの女性に言い寄られながらも全く興味を示してこなかった男だ。
友人として、この男は生涯独身を貫くつもりなのだろうかと心配していたものだ。
そのアリオンが恋をしているのならば、俺は応援したい。
でも、なぜかすぐに言葉が出てこない。
「そうだな・・・」
そのとき、なぜか先ほどリオラに握り締められていた手が目に入った。
ついさっきまで温かなぬくもりがあったのだが、今はすっかり冷たくなっている。
アリオンが恋をしてしまっていることよりも、こっちの方が寂しい。
・・・寂しい?なぜ?
俺は、ぬくもりが欲しいのか?・・・誰の?
ほんの少し、答えが見えたような気がした。
できれば気付きたくなかったものではあるのだが。
「・・・そうだな、寂しかった、かもな」
「さすがにいつも一緒にいると、そういうのあるんですね。」
「俺だって殿下の友人ですから、寂しくないですよ!」
「そうですよ!友情は変わらないです!」
リアンダーたちがなにやら勘違いをしながら俺を慰めてくれている。
俺は苦笑いをしながら、優しいなお前ら、とだけ返した。
先ほどリオラに見つめられて手を握られたときの、あの感覚を思い出す。
すぐにでも目をそらしてしまいたいほどで、でもずっと見ていたいような、
握られた手をほどいてしまいたいようで、でもずっとそのぬくもりが欲しいような、そんな不思議な感覚。
結婚する人があらかじめ決められている俺にとっては知らない方がよかったであろう、この感情。
「恋、か」
ぽつりとつぶやいてみたその言葉によって、確かに明らかになったこの感情は
気づいたその瞬間から眠らせておかなければならない感情になってしまった。
一体いつからそうだったのか、なにがきっかけだったのかはまだわからない。
それでもこの感情は確かに存在している。
俺には決められた結婚相手がいて、彼女は俺の友人の婚約者だ。
せっかく気が付いたというのに、もう失恋するとは。
そして、ふと思う。
もしも、もしも彼女が神聖属性ならば。そしたら、彼女の隣にいられるのに。
しかし、彼女は身体検査を受けたが、どこにも神聖属性の印がなかったと聞く。
「往生際が悪いものだな、俺も」
こんなことを考えるほど俺は―――
アリオンはこんな俺の感情に気づいていたのだろうか。
いつの間にか授業開始5分前を知らせる鐘が鳴っていた。
急いで戻りましょう、というマーガレットの言葉に、重たすぎる腰をあげた。