この犬はしみったれた気分にさせてくれなかった ※◎
愛犬を看取った……はずな話
※死の要素があります。苦手な方はご注意ください。
※こちらは2023年11月27日から小説投稿型サイト『エブリスタ』にて公開(現在は削除済)していた短編小説を加筆修正した作品です。
愛犬のタローが死んだ……はずだ。
俺の腕の中で息を引き取った……はずなんだ。
脱力した体。絶えた鼻息。開いた口からダラリと垂れる、長い舌。心臓の鼓動は感じられず、ぬくもりも徐々に冷めていく。
死んだ……はずなんだけどな?
「わんわん」
タローの半開きになった口からなんか、聞こえるんだよね。
「わん」
音ってよりも肉声だよな、これ。でもさ、わんわん言ってっけど、犬とか動物の鳴き声じゃない。だってさあ――
「わんわんわん」
こんな、張りと抑揚のない、やる気を微塵も感じらんねー棒読みの鳴き方をタローがしたことは一度もねーんだけど。……というか犬全般が、その辺にいそうなおっさんっぽい声で平坦に鳴くの、聞いたことねえよ。
百歩譲ってこれが"なにがしか"による犬の鳴き真似にしても、ド下手すぎるし無気力なことこの上ねえだろ、舐めてんのか。幼児だって、もう少し上手に犬の鳴き真似できるぞ。
「タロー、お前、死んだんだよな?」
臨終を認めたくないし、愛犬の命を諦めたくもないけど、タローの肉体が(一点を除き)伝えてくるのは、どう考えても永眠なんだよ。なのに、なんで、わんわん言ってんのっつー話。
や、フツーね、赤ん坊の頃から共に過ごして、家族の誰よりも俺に懐いていた愛犬の死に直面したらさ、それを現実として受け入れられないことがあると思うんだ。
つい数分前の俺だって、いよいよタローが危ないって感じて、『嘘だ、タローはまだ死ぬわけないだろ』って、親友の死を必死で拒んでたしさ。
でも、俺が死ぬなっつっても、タローに忍び寄る死は『はいそうですか』と去ってくれるわけなくて。タローは俺の腕の中で、大量の腹水を吐いたと同時に、動かなくなった。
『え? タロー、どうした、ぐんにゃりして』
『死……え? タロー、嘘だろ?』
『うそ、うそウソ嘘、え、タロー、ウソだろ、おい!』
『タ――』
『わんわん』
『は?』
いや、なんだ、その嘘臭い鳴き声。
俺の人生史上、一、二位を争う感情の高ぶりが、「わんわん」の一声で一瞬にした霧散したんだけど。
本当に、なんだ、この鳴き声。幻聴?
愛犬の死を受け入れられなくて、現実逃避してるのかな、俺。
それにしても、ここまで雑で微妙すぎる、チープな悪夢みたいな幻聴、嫌すぎるんだけど。
「つーか、わんわんわんわん、うるせーな」
今まで、タローがどんなに吠えたって、うるさいとか感じたことはなかったけど、この鳴き声は無駄に不気味で耳障りだな。
なんだ? 本当になんだ?
タローの死という不幸を台無しにしたのはなんだ?
込み上げた怒りに任せ、薬を飲ませる要領でタローのマズルを鷲掴みし、口をこじ開ける。
「わん……あ」
「は?」
覗き込んだタローの口の奥、舌の付け根にちっこい犬がいる。
ちょっと、本当にわけがわからん。
◇ ◆ ◇
「なんだ、お前」
「どうも」
「しゃべんのかよ」
下手なわんわん聞かされた時から、しゃべりそうとちょっと思いはしたが、マジでしゃべりやがった。
「ちょい、出てきて。何はともあれ、タロー清めてーんだわ」
吐いた腹水で体も寝床も汚れたままでは、タローがあまりに可哀想だ。
「あ、はい」
話がわかる奴で助かる。非常識で非現実的ではあるけども。
そいつはタローの舌の上を歩き、牙に足を掛けてラグの上に危なげなく飛び降りた。
姿を現したのは親指サイズの犬だ。犬……っつーか、サイズこそ違えどもタローと瓜二つだ。
そいつはラグの上にお行儀よく座り、俺を見上げる。
「こっちのことは気にせんでいいよ。アンタは気の済むまま世話したらいいし」
「なんで、ちょっと上からなんだよ。言われんでもそうするし」
タローの最期を台無しにしたそいつはひとまず置いといて、タローの体を拭く。
「タロー、よく頑張ったな」
「ほんと、しんどかったわ」
「長い間、俺と一緒にいてくれてありがとな」
「こっちこそ。お前には本当にいつもよくしてもらったわ」
「ゆっくり休んでくれ」
「やー、正直、長いこと動けなかった分、今はバンバン走り回りたいわ」
「もし、お前が生まれ変わることがあったら、また会いたいな」
「なー。次もお前と会えるといいけども、こればかりは俺が決めることじゃねーからなあ。前はドッグトレーナーだろ。その前は"狂犬"と恐れられるも、どこぞの路地裏で野垂れ死んだボクサー。その前は"国家の犬"と呼ばれ、最期は敵の拷問で死んだスパイ。その前が、"忠犬"と呼ばれ、敬愛する上官を救って戦地で果てた兵隊。なかなか、犬と縁の切れない人生を何度か経験し、まさか今世は本当に犬になるとは思わなかったが、犬生もなかなか捨てがたk――」
「ちょっと待てぇっ! 邪魔、本当に邪魔! 愛犬を悼むこの時に、横からベラベラベラベラともう。しかも情報の量も質もエグイわ、いつまでたっても情報が完結せんわ、なんなん?!」
「ハハハ。混乱するとまくし立てる癖、ハナタレガキの頃から治らんな」
「俺、悪い夢でも見てんの」
「現実だぞ」
おすわりの態勢に飽きたのか、おもむろに腹這いになってこちらを見上げる姿は、まんま生前のタローで調子が狂う。
「お前、本当になんなの?」
濡れタオルで体の隅々まで拭き清め、お気に入りの毛布の上にタローを寝かせた後、傍らにずっといて、独壇場でずっとしゃべり通していた小さい犬に問う。
犬はキレイに敷かれた毛布に載り、寛ぐ体勢になってから半笑い顔をした。
「わかるだろー、タローだって、タロー。さっき、腹に溜まってたモン吐いた時に、うっかり抜けかけてた魂まで吐き出しちまってさ。まいったね」
「そんなことある??!!」
「アリ寄りのアリよ。命なんて、何かの拍子にピュッと落ちちまうもんなんだって」
「そんな……魂を爺ちゃんの入れ歯みたいな扱いするなよ」
命とか魂とか重めの話題のはずなのに、軽快な話し方と軽い口調のせいでまるで厳粛さを感じない。
タローが死んだ直後なのに、こいつのせいでしんみりする気分になれねえ。
「フツーはさ、魂抜けたらすぐさま天に還らんとだけど、まあ、お前にはよく世話になったし、挨拶くらいしとこうかとな」
「そりゃどうも」
「けど、湿っぽいのは性に合わんのだわ。だから、もう行くわ。世話になったな。あばよ」
自称タローはくるりと踵を返し、駆けだしたと思ったらもう姿が消えていた。
残ったのはタローの亡骸と愛犬の死を奇妙奇天烈な現象で台無しにされた俺。
(ああ、けどまあ、こいつらしいのか)
俺が悲しかったり怒っている時、タローはよく、ひょうきんな態度を取って、俺の機嫌を治そうとしていた。さっきのは、タローの最後のおせっかいだったのかもな。
「全部、台無しだよ、お前」
すぐそばで永い眠りに就いた愛犬にボヤく。
「次もちゃんと会いに来いよ。今日のこと、説教すっから」
どうせこいつのことだから、また犬関連の何かとして会いに来るんだろう。
タローの返事はないけれど、俺のボヤキをちゃんと聞いている確信はあった。




