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混沌から星屑を拾う  作者: 三山 千日


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79/82

花葬 ※◎

美しい夢を見た。

亡き伴侶を偲ぶ女性が涙の花を流すという、切なくも哀しい夢だ。


※死の要素があります。苦手な方はご注意ください。

※こちらは2018年9月09日から小説投稿型サイト『エブリスタ』にて公開(現在は削除済)していた短編小説を加筆修正した作品です。

 ◆


 我が霊廟を訪ねる者に告ぐ。

 どうか、私の棺を暴いてくれるな。

 装飾品が欲しいのなら、そんなものいくらでもくれてやる。

 ただ、花は……棺を満たす青い花だけは、一輪たりとも散らしてはならない。



 私の躯を埋め、棺をも満たす矢車菊。

 我が故郷・砂礫の国に広がる、雨知らずの空を彷彿とさせる、懐かしき青。瑠璃より冴える矢車菊の青は、離れた故郷を恋しがる私の心をいつも癒やしてくれた。


 死して後、魂魄の抜けた我が躯に、誰がこの恋しい青を手向けてくれたのか。そんなことは、百も承知だ。亡霊と成り果ててこの方、この霊廟に留まり、すべてを見ていたのだから。


 嗚呼、愛しの我が君よ。

 魂も内臓もなく、すっかり虚ろとなった私の躯の傍らから片時も離れようとはしない、最愛の妻よ。

 私が恋しがった故郷の空を、共に仰ぎたいと願ってくれた、ただひとりのあなたよ。


 我が棺を満たす曇りなき青は、私を想い泣き暮れる妻の涙から生まれた。

 愛と悲哀を糧に生まれ、妻が流した涙の数だけ咲き乱れるその花は、黄金の山などよりも遥かに尊い。

 私は妻の生み出した花を――彼女の愛を、愚劣なる墓荒らしになど、決して荒らされたくはないのだ。

 だから、棺に触れずにいるのなら、無事に帰してやろう。

 だが、警告を破って、彼女の手向けた花を散らしてみろ。私が手ずから冥界へと引き摺り落としてやる。



 愛しいひとの涙より生み出された、涙で濡れた青い花よ。

 私の愛しい花よ。

 どうか、散らないで。

 どうか、褪せないで。


 だが、私はこうも願うのだ。

 涙の花がこれ以上増えないことを。

 一刻も早く、魂が抜けて虚ろとなった我が躯ごと花も朽ちてしまえ、と。


 何故なら――



 ◇


 うたた寝をしている間に夢を見た。なんと珍しいことか。

 すっかり年老いたせいで、いつもならば、夢なんて見たことすら忘れるというのに、先の夢はあまりにも鮮烈なイメージゆえに、未だにはっきりと記憶に残っている。



 夢の舞台は、シンプルな白亜の石造りの霊廟の中。

 そこに設えられた棺の中には、"私の亡骸"が納められており、亡霊と化した私は成仏もせずに霊廟に留まっていた。


 夢で特に印象的だったのは、霊廟の床だけでなく、蓋の開いた棺の中までもを埋め尽くす無数の矢車菊の花だ。

 晴天の空を思わせる、矢車菊の美しい青。心打たれる青を目にして、どこか悲しいと私が感じたのは、霊廟が舞台であるという点以外にも理由があった。


 矢車菊で埋もれた棺に寄り添う、黒衣の女性。

 亡霊()が己の妻と認識するそのひとは、いつまでも伴侶を偲び、泣き続ける。

 ひとつぶ、またひとつぶと彼女の頬を伝う涙の雫。

 その涙は不思議なことに、彼女の肌から離れた瞬間、真っ青な矢車菊へと姿を変えて、一輪、また一輪と蓋の開いた棺の中や床に落ちていく。

 霊廟を満たす青の正体が、伴侶に先立たれた女性の涙と知り、彼女に憐憫を抱かずにいられようか。


(それに、あのひとは――)

 夢の中で泣き暮れる女性の姿を思い浮かべながらチラと一瞥くれたのは、飾り棚に置かれたフォトフレーム。

 繊細で美しい装飾を施された鈍い金色の枠の中で、若かりし頃の私と妻が寄り添い、穏やかな笑みを浮かべている。

(ディーにひどく似ていたな)


 夢の中の女性は我が妻・ディーに瓜二つだった。濃い紅茶色の瞳も、泣き声を押し殺すところも、悲しいと下唇を噛み締める癖も、なにもかも。

 だからこそ、棺に縋って泣く夢の中の女性を思い返すとつい、ディーと重ねて見てしまい、胸が詰まった。――もうじき私も、夢の中の亡霊と同じ運命を辿り、妻を遺して逝くのだろうから。


(あなたも私が逝ってしまったら、彼女のように悲嘆に暮れるのでしょうか。私の愛しいディー)

 問い掛けの眼差しを向けたのは、開け放たれた部屋のドア。

 そこに妻の姿はないが、代わりにドアの向こうからお菓子の甘い匂いが、微かにではあるが漂ってくる。きっと、妻がキッチンでおやつを作っているのだろう。


 昼下がりの明るい部屋。漂うお菓子の匂い。

 それらはいつも、私に陽だまりのような幸福感を齎してくれるというのに、今の私の思考は暗く、哀しく、あまりにも美しい青に囚われたままだった。



 ◆◆


 たった一本の松明の明かりのみの暗がりの霊廟。そこに、ひとつまたひとつと、涙から生まれた鮮やかな青い花が床や棺を埋める。

 とうに花の海に沈んだ亡骸。その傍らに蹲る女性までもが、抵抗することなく青に埋もれてゆく。

 その様はさながら、伴侶との別れを拒み、永遠の愛を誓って後追いしようとしているかのよう。


 女性の本心はさだかでないが、その姿を見守る亡霊()は、己の妻が自分の後を追うように衰弱していくのを決して望んではいなかった。



 "私"は願う。

 愛しいひとの涙より生み出された青い花が、狼藉者により散らされないことを。

 恋しい故郷の空を思わせる花が、褪せないことを。

 だが、同時にこうも願っている。

 涙の花がこれ以上増えないことを。

 一刻も早く、とうに虚となった躯ごと、花も朽ちてしまえばいいのに、と。


 棺の傍から離れないそのひとはきっと、棺の底で横たわる躯の形が留まっている限り、ずっと泣き暮らすのだろう。

 "私"が生前、彼女にしていたような、慰撫も諭し励ますことも適わず、その涙の一滴すらも拭ってやれないことの、なんともどかしいことか。こんな、魂の抜けた躯など、なんの役にも立ちやしない。


 いいや、役に立たぬどころではないな。すっかり、彼女の枷となってしまっている。

 下手に姿があるから、彼女は囚われてしまうのだ。

 いっそ、形すら残らぬまでにすっかり朽ち果ててしまえばいいものを。

 朽ちぬのならば、誰でもいい、元の形がなくなるまで砕いてくれ。そして、できることならば、"私"の残骸と朽ちた矢車菊を共に土に還してもらいたい。

 さすれば、かつて"私"であった残骸を温床として、植物がいくらか生える筈だ。

 "私"を養分として育った植物は、やがて花を咲かせるだろう。哀しむ彼女の心を癒やしてくれるような美しい花を。



 "私"のなによりも優先すべき願いは、生前も死後も変わることはなく、ただひとつのみだ。

 それは、愛しき妻が笑顔でいること。


 涙の花が棺を満たすほど、妻が"私"を想ってくれるのは嬉しい。

 だが、"私"にとっては、妻がその真珠のように美しい涙を流すことを止めて、かつてのように笑ってくれることの方が、遥かに幸せだ。

 妻の見せる、春の日差しのように穏やかな笑顔が、"私"が気に入っていた矢車菊よりも好きだから。

 彼女の笑顔を取り戻す為ならば、"私"はどんな花をも咲かせてみせよう。花そのものになってもいい。


 泣かないで。泣かないで、愛しいひと。


 夢の中で亡霊()は、ただひたすらに、遺された妻の幸せを願い続ける。



 ◇◇


 ポトリ。

 何か軽いものが落ちた感触を腿に受けて、目を覚ます。


(ああ、また眠ってしまったのか)

 矢車菊の夢のことを考えている内に、どうやらまた夢の世界に訪ねていたようだ。

 寝ぼけ眼を擦りつつ、膝上に落ちたものを確認する。

 見えたのは、目覚めたばかりで霞む視界でも鮮やかに映える青。

(矢車菊か)

 茎をすっかり切り落とされた矢車菊の花のみが、ポツンと一輪のみ膝上に落ちていた。あの夢で見た、涙の花とそっくりそのままの姿である。


(誰かの悪戯だろうか)

 首を傾げていると、ふいに視界の隅に青いものがひとつ、落ちるのが見えた。

(なんだ?)

 座っていた安楽椅子から落ちないように身を乗り出し、青が落ちた先を目で探る。しかし、部屋の中央に据えられたベッドが邪魔で確認できない。


 椅子から立ち上がるべく肘掛けに手を置くと、また天井から青が。

(おや、また)

 パタリ。青が降ってくる。微かな音を立てて、ベッドに敷かれた真っ白なシーツの上に落ちたのは、膝にあるものと同じ、晴天の空の色をした矢車菊だった。


 パサリ、ポト、パタリパサ、ポト、ポトン、パタ、ポトン、パタパタパサ。

 糊の効いた清潔なシーツの上に、

 時代を感じさせる柿渋色のフローリングに、

 やわらかな陽か射す窓辺と若草色のカーテンに、

 この家で随分と長い間、時を報せてくれた柱時計の上に、

 私や家族を何度も愉しませてくれた本がぎっしりと詰まった本棚に、

 妻が幾日もかけて刺繍した、クロスの掛かったサイドテーブルに、

 家族が頭を突き合わせて、厳選した家族写真の入ったフォトフレームの傍らに、

 そして、私の脚や頭の上に、次々と矢車菊は降り注ぎ、雪のように積もっていく。


 花はやがて私の踝を埋め、脛を覆い、膝を包み、腹を鳩尾を埋めた。矢車菊が強く薫る。

 これではまるで、あの夢の再現だ。それとも、私はまだ夢を見ているのだろうか。



 次々と降る花を見ている内に、また瞼が重くなってきた。さっきまで夢を堪能していたというのに、懲りないものである。

 いくら寝てもまたすぐ微睡んでしまうのは、年のせいか。これでは、起きている時間の方が短そうだ。


 さて、このまま睡魔に抗わずにいると、次もまた、夢の中、自分は棺の底で花に埋もれてしまうのだろうか。

(フフ。やっと夢を見られたかと思えば、同じ夢ばかり)



 私は矢車菊の夢を見るまで、夢を見たことがなかった。

 もしかすると、夢を見るくらいはしたのかもしれないが、起きればすっかり忘れる夢など、見ていないのと大差ない。

 自分にとって、夢を見ることは珍しいこと。だからこそ、こうして同じ夢を幾度も見ている内にふと、珍妙なことを思いついてしまうのだ。


(もしかすると自分は、夢と現実の両方にいるのかもしれない)


 今までずっと、夢を見ていないとか、見たことすら忘れたと思っていた。思い込んでいた。

 だが、実際のところ、自分はしっかりと夢を見て――いや、夢の中でも生きてはいたものの、それが夢か現実のものなのかの判別がきちんとできていなかっただけではないか。

 自分は夢と(うつつ)の両方の世界に"私"として存在し、どちらの世界でも"現実のもの"として、当たり前に過ごしてきたのではないか。


(……なんてな。戯言だな。だがまあ、年老いて、いつ天命が尽きてもおかしくはない今、この戯言のように、夢と(うつつ)の境が曖昧になったとて、不思議ではなかろうな)

 現に今、現実にいるはずの自分は降る花を眺め、青に埋もれていっているのだから。

(そうして、自分でも気付かない内に、夢と(うつつ)の混じるこの世界から、ヒョロッとあの世に行ってしまっても、おかしくはなかろうよ)

 袖口から突き出た、枯れ木のような己の手腕を見て思う。否、察すると言うべきか。


(今は、夢と(うつつ)のどちらに傾いているだろうな。もし、これが夢だとして、このまま私が目覚めなかったら、ディーは夢の中のあのひとのように、花の涙を流してしまうのだろうか)



 脚の上に落ちた花をひとつ拾い上げ、そのしっとりとした花弁を指先で撫でる。

 それにしても、この花は一体どこまで私を埋め尽くすつもりだろう。鳩尾から下を埋める花は意外にも重く、毛布の重みを彷彿とさせる。

 そんなイメージを思い描いたためか、思わずアクビが漏れた。

 そろそろおやつの時間だが、もうちょっとだけ眠りたい。

 この先に見るものは、夢と現……はたまた、あの世のどちらだろう?


(どこでもいい。そこにディーがいるのなら。ああ、私が先に行って、彼女を待っていてもいいな)


 あの花の夢を見たからか、降り止まない青に身を委ね、いいだけ埋もれることに、なんとなく懐かしいと思いながら、私は静かに眠りに就いた。



 ◆◇


 我が愛しきディー。

 まるで花が綻ぶように笑うあなたが好きです。昔も今も変わらず。


 ずっと私と共に在りたいと、心より望んでくださったあなたに、生涯かけて寄り添えたことは本当に喜ばしく、あなたを守ってこられた自分を、どんなにか誇らしく思えたことでしょう。

 私はあなたといられて、本当に幸せでした。

 私達夫婦がかつて思い描いた理想の通りにやってこられたのはひとえに、私と共に歩き、時に導き、献身的に支えてくれたあなたのお蔭です。


 最愛なるディー。

 どうやら残念なことに、さようならの時が私達の下に訪れたようです。

 敏いあなたのことですから、きっとお察しのことでしょう。何故なら、私が最期の眠りに就く間際に、止むことなく降り注いだあの青は、他ならぬあなたの流した涙から生まれ落ちたものなのですから。


 でもね、ディー。

 涙の花に埋もれてまで哀しみに暮れることはありません。だって、あなたはひとりではないのだから。

 私達の愛する家族が、家族の誰からも愛されているあなたをひとりにすることを許さないでしょう。

 私だって、お空の神様の目を盗んで、足繁くあなたに逢いに行きますからね。これは決定事項ですよ。


 それにこのお別れは、ほんのひと時のこと。

 来たるべき時、あなたが天に召し上げられる際は、必ずや私がお迎えにあがります。

 そうして、あなたが私の手を再び握ってくださったなら、また"次"の人生を共に歩みましょう。


 ですからね、ディー。

 私達が再び相まみえるその時まで、あなたはのんびりと、幸せに暮らしておいでなさい。


 さあ、もう泣くのはよして。

 あなたの泣き顔も、あなたの涙から生まれた青い花も美しいけれど、あなたにはやはり笑顔が似合う。

 今や魂だけの存在(亡霊)となってしまいましたが、私に笑顔を見せてくださいませんか。

 どうか。



 ■


 親愛なるアロウス。

 貴方が天に召されてから、早いもので半年が経とうとしています。


 ねえ、アロウス。私ね、昨夜、不思議な夢を見たんですよ。

 それはとても切ないけれど、泣きたくなるほど美しい夢でした。

 少しの間だけ、私のお話を聞いていただけますか。



 夢のはじまりは、自宅の廊下――寝室のドアの前。

 貴方をおやつに誘うのに部屋を訪れた私は、必死にドアを押し開けようとしていました。

 必死な理由は、ドアに何かが突っ掛かっていて、なかなか開かなかったから。それに、ノックをしても声を掛けても返事がないものだから、貴方になにかあったのではないかと、ひどく焦っていたの。


 無我夢中で押し開けたドアは、開けた端から青い花――あれは矢車菊だったわね――が零れるように出てきます。

 ようやくできたドアの僅かな隙間から中の様子を窺うと、床は花で埋め尽くされていて、おまけに、そこにいる筈の貴方の姿が見当たりません。それどころか、人の気配すらも感じられないの。


 ああ、もう、本当に怖い夢ね。今、思い返すだけでも、胸が苦しくなるわ。

 傍にいるのが当たり前のようになっているひとが、ふつりといなくなることほど、心許ないものはないのよ。


 狼狽しながらも私はうんと力いっぱいドアを押して、隙間に体をねじ込むようにして、強引に部屋に入ります。

 中で私を待ち受けていたのは、貴方ではなく、目一杯の青でした。ドアの隙間から零れ出たものと同じ、矢車菊の花。それも、大量の!

 あの、夏の空のように真っ青な花が、部屋の床一面を埋め尽くし、腰の高さまでも積もっているのです。

 おまけに、視界いっぱいに広がる青い景色と、噎せ返るような花の香に、私があ然としている間も、花はどこからともなく、ポトリ、ポトリと降ってきて、止む気配はありません。



 ねえ、アロウス、何故かしらね。

 まるで真冬の牡丹雪のように花が降り、深々と積もりゆくその光景は、幻想的で美しい。けれど、部屋を青く染める矢車菊の花を見た時、私はそれを美しいと思うよりも先に、ひどく哀しいと感じたのです。思わず、泣いてしまうほどに。


 私の目から零れた頬を涙はやわらかく、しっとりとなめらかで、コロリと頬を転がります。

 おおよそ涙とは思えない感触に、目を遣ると、それは涙の雫ではなく、矢車菊でした。

 部屋を埋める花とまったく同じ色と形で、私の許から離れた花の涙は、床に積もった花々にすっかり紛れてしまいます。

 それを見て察しました。

 部屋を満たす花々はすべて、他の誰でもない、私が流した涙から生じたものだということを。


 そして、二輪目の花が目から零れた瞬間、私はとうとう思い出してしまったのです。

 アロウス、貴方はもういないのだということを。



 ねえ、アロウス。どうして私を置いていったのですか。



 私の涙から生まれた矢車菊。

 あの花の夢から目覚めた私は、すぐさま、とある逸話を思い出しました。

 それは昔々、遠い異国の地にて、異人の領主が天に召された後の物語。


 ――領主の妻は、最愛の夫を亡くして大いに嘆き、棺から溢れんばかりのたくさんの花を夫に手向けました。この手向けられた花こそが、領主の故郷の空と同じ色をした矢車菊だったのです。

   領主に手向けられ花々は、領主の妻が息を引き取るその瞬間まで、一切褪せることなく、夫の棺をその青で染めたのでした。


(この話を教えてくれたのは、アロウス、貴方でしたね)

 矢車菊の逸話を憶えていたからかしら。

 夢で起きたこととはいえ、まさか自分がかの領主の妻のように、亡き伴侶を偲んで、貴方が最期に過ごした部屋を矢車菊で埋め尽くすなんて、思いもよらなかったわ。

 きっと夢の中のあの青い花々は、貴方を喪った時から今まで、私が貴方を偲んで泣いた分だけ降り積もったのでしょう。



 それにしても、矢車菊のあの青は、なんて切ない色なのかしら。

 あまりに鮮烈で美しいものだから、私は天国の空もこんな色なのではないかしらと、毎日、空を見上げて想像しているのよ。貴方の姿と共に。


 そして、あの夢を見てからというもの、何とはなしに感じるようになった矢車菊の、どこかしら懐かしい匂いに触れる度に、貴方と共有した時間――どんな些細な出来事さえも――をまるでシネマを鑑賞しているかのように、鮮明にはっきりと思い返すようになりました。


 私の目を真っ直ぐ見詰める貴方の眼差しに、何度恋したことか。

 どんな困難にも怯まず、私を守ってくださったその逞しい背中に寄り添って、どんなにか安心したでしょう。

 貴方と互いに支え合い、共に人生を歩めたことは、本当に幸せでした。


「大好きですよ、アロウス。いつまでも、ずっと。これからも変わらず」




 いつの間にやら、再び訪ねていた青い花の夢。

 お腹の辺りまで積もった花の海を掻き分けて、窓辺に向かう。

 アロウスが最期に過ごした安楽椅子。そこに降り積もった花を両腕いっぱいに掬い取り、胸に抱き寄せる。


 好きよ。

 なによりも大切でした。

 貴方を愛する想いは、貴方を喪った哀しみよりも深く強い。

 私の心に宿った、溢れそうなほどたくさんの想いを、私の涙から生まれた青い花に託して、貴方に捧げましょう。

 もしも、私に来世があるとするならば、またアロウスと共に、その人生を歩めますように、との心からの願いも込めて。



 ――ディー。

   愛しき我が君。どうか、笑顔に――



 青い花を抱き、貴方を想った時、どこからか私を呼ぶ声が聞こえたのです。

 なによりも恋しい声。私を呼ぶ、貴方の声。


「アロウス?」

 私の呼び掛けに応えるかのように、廊下に続くドアから一陣の風が吹き、部屋に積もった花も、私の腕の中の花さえもを攫って、開け放たれた窓へと吹き抜けていきました。


 ねえ、これは貴方の仕業でしょう、アロウス。

 だって、私の想いを込めた花を一輪も余すことなく綺麗に攫い、真っ青な空へと吹き上げるなんて芸当、ただの風がするわけがないもの。


 アロウス、聞いていますか。

 風に乗って天に昇る矢車菊は、本当の本当に美しいのですね。

 天に向かって帯状に飛んでいく花々はまるで、天国へ続く道のようだったわ。あまりに壮観で、貴方のいない哀しみを一瞬忘れてしまったくらいよ。


 ねえ、アロウス、お願いがあるのです。

 いつか――そう遠くない未来に、私が天に召される時が訪れたら、どうか、あの青い花にしたように私を攫いに来ていただけませんか。



 私の切なる願いは、きっと貴方のもとに届いたのでしょう。

 青く美しい夢から目覚めたその日、貴方のお墓に赴いた私は、目の前に広がる光景に思わず笑みを溢したの。

 何故かって。貴方が眠るその場所に、たくさんの矢車菊が咲いていたから。


 アロウス、私はもう、貴方を偲んで泣かないわ。

 貴方が咲かせてくださったこの青い花がある限り、私は貴方の望むように、笑顔で過ごすことにします。

 そして、自分に残された時間いっぱいまで、家族と共に、貴方の分まで幸せに過ごしていきましょう。

 貴方が私を攫いに来てくださるその時を心待ちにしながら。

※この章をもちまして、加筆修正済みの短編小説は出尽くしました。

今後の更新は不定期更新(ストックしている短編小説や新規で書いたショートショートが一定数溜まり、加筆修正が完了次第、公開予定)となります。

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