ある人が初めて迎えるお彼岸 ※
ある人が初めて迎えるお彼岸の間、しんみりとしながら書いた7本
『同情? まさか』
入道雲が遠く浮かぶ鮮やかな青空の下、眩い陽光に溶けるような半袖シャツの背中をみつけた。
焼けたアスファルトの上をトボトボと歩くその人が誰かなんて、確認せずともわかるのは、それくらいの月日を共にすごしたからに他ならない。
駆け寄って声を掛けようとしたけれど、細い腕が緩慢に持ち上がり、俯いた顔を覆ったのを見て、思い直す。
駆けない。脚も早めない。炎天下だけど、地面を一歩一歩踏み締めるようにゆっくりと歩を進める。
そうやって、少しでも時間をあげたかった。
生徒手帳にはエマージェンシーの千円札が入っているから、彼に追いつくまでに、分けあって食べられる"何かいいもの"をいくつか脳内に上げ連ねる。
駄菓子も、アイスキャンディも、その胸の内に抱える苦しさも、君となら、なにを分け合ってもいいよ。
『715もしくは815』
つい数ヶ月前までは家路であったのだ。
ただ、その行き着く先で待ってくれていたひとがいなくなったその時から、なんとなく、家路は旅路に変わった。
そんなわけないじゃない。いつでも帰っておいで――なんて、新たに住むようになった人らは言う。
けれど、そんなこと、ちっとも思ってやしてないのはわかりきっていたから、やはり、今、歩いているこの道は旅路で間違いない。
盆蜻蛉が旅先案内人。
私はただ、あのひとの好きだったコーヒーをお墓に供えに行くだけの旅。
かつて、目を閉じていても帰り着ける自信があった道なのに、今となってはどこか懐かしいような気のする、他人行儀な道になり果てた。
なんて、寂しい旅なのだろう。
『ある夏』
かつて暮らしていた部屋では、夏の間、ランタンひとつのみの暗い部屋で過ごしていたことがある。部屋の明かりに群がる虫が煩わしかったのだ。
あの頃の私は、もう何もかもにうんざりしていて、テレビはそれの筆頭だった。
テレビから放たれる光も色も、垂れ流される音も不要な情報も疎ましいので、本当に見たい番組の放送時のみ電源を入れ、音量をごく小さくして見ていた。
外からは潮騒が聞こえ、開いた窓からはたまに風が吹き込む。暑気払いには扇風機を、それでもどうにもならない暑さのときだけ冷房を入れた。
時に、何やら明るいと窓を向けば、大きな満月が部屋を覗いていたこともある。
闇と程よい静寂は嫌いじゃなかった。
私が闇と静寂と同居していたあの部屋は今や、誰かさんのもの。
闇と静寂は私が退去して間もなく家を追われ、あの家は夏の間じゅう、家のどこもかしこも照明が煌々と点いた、テレビの音だらけで、冷房が利いた空間になり果てている。
私の知る、あの部屋の夏の夜は、もう消えてしまった。
『オレンジの摩天楼』
眼鏡を外して、目頭を軽く揉みながらベランダに出る。
すべてのものの輪郭がぼやけ、境界が曖昧になった視界は嫌いじゃない。
pm6:45
灰色の雲がまばらに浮く淡い藍鼠の空。
西の上空にオレンジの明かりが点る摩天楼群が見えた。
祭りでもあったかななんて、梅酒みたいな色をしたその明かりを訝しく眺める。
それが単に、夕陽に染まる雲と気付くのにそう時間はいらなかった。
アホらしい、と赤ワインと梅酒をチャンポンした甘酸っぱい飲み物を口に含み、束の間の、幻の摩天楼をボンヤリと眺める。
ほんの一五分前まで、外はぬるかったのに、今は少し涼しい風が吹く。
長い長い長い夏の合間の、夕暮れから朝までのほんの少しの間だけ世を統べる秋を楽しむ。
あのオレンジの摩天楼群の中でも、誰かが刹那的な秋をすごしているのだろう。
『秋のお彼岸とコーヒー』
ばあちゃんは鼻が良かった。とりわけ、コーヒーの匂いはよく嗅ぎつける。
苦いのは苦手だから、コーヒーに入れる砂糖はお匙二杯。
コーヒー豆はいろんなものを試して、最終的にスーパーで買える有名メーカーの地方限定ブレンドが選ばれた。匂いがいいんだと。
それくらい嗅ぎ分ける。どういいのかはさっぱりだったが。
台所で湯を沸かし、軽く冷ました湯をコーヒー豆に少し注いだだけで、わりと距離のある縁側から「お!」と一声上げるから、すかさず「いる?」と聞けば「はあい」と返ってきた。
都合のつかないときはティーポットに入れておくと、ゆっくりと一口ずつ飲み、一日かけて楽しんだ。
これらのやりとりは、ばあちゃんが亡くなる一週間前までほぼ毎日続いた。
きっと、お墓に供えたコーヒーの匂いにだって気付いてる。
『秋風、秋雨、彼岸花』
ひどく気だるく、喉は軽く痛み、頭も軽く締め付けられるようだった。
今秋のお彼岸は、このひと月の中で幾分かすごしやすくなったとはいえ、それでも"らしからぬ"暑さだ。そのせいか、秋の風物詩である彼岸花さえあまり見掛けない。
この体を苛む不調は、一向に冷めぬ暑さによる疲れか、日暮れより吹き始める秋風の涼しさについていけないからか。
こんなの、用意したおはぎも喉を通りやしないと、ため息をひとつ。
ため息に呼ばれたように、窓から濡れた音。
暑さを洗い流す、秋雨が静かに降る。
暑さは蒸し暑さに、だがやがて空気は冷えて、落ち着いた。
彼岸明けには彼岸花も一輪くらいは咲いてくれるだろうか。
君がいないと僕は寂しい。
『キウイフルーツか瓜』
彼岸明け。彼岸花を辿って、祖母にコーヒーを届けに行く。
納骨した日も墓の裏に広がる畑は草で茫々だったけれど、今となってはその畑の面影すらない。
草は容易く土地を占領してしまう。
その草の領地と公道の境に、こんもりとした茶色の塊がうずくまっていた。
一見すると、白い線のある、やたら毛深い巨大キウイフルーツ。
私の車が近付くと、足を生やして、うり坊になった。
元畑であり草の領地は、いつからかうり坊の寝床と化していたようである。もしかすると親兄弟も草に埋もれているかもしらん。
戦々恐々、墓にコーヒーを供え、祖母に話し掛ける。
「知らんうちに、いい遊び相手が来てたんやない」
獣嫌いの祖母の渋い顔が目に浮かぶ。
同情? まさか 2025.7.24
715もしくは815 2025.7.24
ある夏 2025.9.09
オレンジの摩天楼 2025.9.13
秋のお彼岸とコーヒー 2025.9.23
秋風、秋雨、彼岸花 2025.9.24
キウイフルーツか瓜 2025.9.26




