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混沌から星屑を拾う  作者: 三山 千日


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70/77

夏、ときに狂おしく ※

夏という季節には人を狂わす何かがあると見せる7本

※一部に死の描写があります。苦手な方はご注意ください。

『ミルクフランス』


「気持ちが暗いときはな、これを腹に入れなよ」

 ほい、とパン屋のおじさんから手渡されたのは、拳二つ分ほどの大きさの、まだほのかに温かいパンだった。

「そっちの席で食いな」

 顎で指し示されたのは、店の隅の小さなテーブル席。

 言われるままに席に着き、手にしたパンをしげしげと見る。


 白いパンの表面はやけに硬くて、下手すると口を切りやしないか。

 口を開けても、ふんぎりがつかなかったり、どこから取り掛かればいいのか躊躇われ、しばらく口を無意味に開け閉めしてしまった。


 なんとか意を決して頭からかじりつく。

 表面は案の定、噛みごたえがあり、まさにフランスパンの皮そのものだ。噛みしめると微かな塩気があるのも一緒。

 おいしいけど、このパンを食べ終わる頃には顎が疲れそう。モグモグと咀嚼音が耳の奥で聞こえる。


「あ」

 一口、二口と、ヘチマたわしのような食感のパンをしっかり噛み締めながら食べ進めていると突然、前歯がぬかるみに触れた。

 目を白黒させながらかじり取ったパンは、確かな質量があり、噛んだそばからじゅわりと驚くほどたっぷりの甘い蜜が滴る。

 蜜はとろみがあってまろやかで、煮詰めて練ったミルクのように濃厚だ。


 驚いて思わず、持っていたパンの断面を窺えば、スポンジのような生地に、これでもかと言わんばかりに白い蜜が染み込んでいた。軽く握っただけで、蜜が溢れそう。


 蜜を零さないよう、慌ててパンを口に押し当てる。

 甘い、おいしい。どこか懐かしい。

 食べ進めるごとに暗い気持ちは消えていって、口とお腹の中は幸せで満ちた。



「その顔ができりゃ、まだ大丈夫」

 このパンみたく厳つい顔のおじさんは、トレイいっぱいのパンを棚に並べながら、こっちを見てにっこりと笑う。






『夏の夜散歩』


 夏の夜空を歩く。

 足下には星空を映す黒い海が広がり、日中のギラギラと照る太陽でぬくもった海面から流れる、ぬるく湿気た潮風が肌を舐めた。


 遠く臨めば、深夜にも拘わらず家の明かりがちらほらと見える。

 夏の夜にハメを外した子どもと若者が、あの明かりのいくらかを占めているのだろう。


 夏に浮かれているのは生者だけでない。

 海面と水平線を結ぶ月光の道を海月のようにユラユラと渡るのは、はてさて一体、何だろう。

 フライング気味に地獄の釜からこっそりと抜け出た亡者か、浮かれる人間の気配に誘われたあやかしか、もっと別のなにものか。


 夏の夜の散歩は楽しい。

 さあてさて、次はどの魂を連れて行こうね?






『サルスベリ』


 七月の太陽は白金に照り、空の鮮明な青と徒党を組んで私の瞳を焼く。

 灼熱の陽と焼けたアスファルトに体を溶かされそうで、逃げるように木陰へ駆けた。


 陽を遮っただけで、どうしてこうも体感温度が違うのか。

 ようやっと得られた日陰に安堵し、木を仰ぐように息をつく。


 生い茂る濃い緑の葉と、枝を飾る華やかな濃い桃色。その隙間から透かす陽光は、まるで紗のカーテンのよう。

 立派な幹はつるりと滑らかで、木登り上手さえ足を滑らすゆえにそう名付けられた、この木の名はサルスベリ。

 背丈が隣接する民家の屋根に届く立派な木は、夏の日射しもものともせず、木陰に逃げ込む者につかの間の休息を与えてくれた。

 このひとに思わず憧れる。






『矛と盾』


 全身血塗れ泥塗れ。

 もつれて崩れた脚を叱咤して立ち上がり、歯を食いしばって前を見据える彼女。


「少し休みましょう。このままでは貴女が倒れてしまいます」

 駆け寄って背を支え、半分涙声を自覚しつつ休息を促すも、宥めるよう励ますよう肩を叩かれて、やんわりと断られた。

「ありがと。あたしなら平気。まだいける」


 強引に足を前へと踏み出した彼女は、二歩進んでふと停まり、こちらを振り向き、無言で手を差し伸べる。


 ――来て。一緒に。


 地獄に咲き誇る、救済の蓮の花。

 彼女を支え、守り抜くと決めた以上、その手を拒む理由はない。

 共に。貴女が望んでくれるのならば、どこまでも。






『ふつもち』


 満遍なくまぶされた白い粉に指先を汚し、爪を軽く埋める、軽い罪悪感。

 むにん、とやわらかできめ細かな肌に魅了され、歯を立てる。

 糸切り歯が柔肌に埋もれ、いとも容易く刺さり、前歯が深部にまで食い込めば、青渋い草の香が鼻奥を掠めた。

 芯に仕立てた粒餡の、舌をじんわりと侵す甘みの罪なこと。歯に当たる小豆の粒がホロリと崩れ、皮が舌の上で転がった。

 口に入れた瞬間から、咀嚼し、喉奥へ流すまで、飽きさせずに楽しませてくれる、この多幸感。



「もうひとついかが」

 気さくに持ち上げられた袋には、粉だらけで真っ白しろのよもぎ餅が、二つ三つと出番待ち。白い衣の間から、深い緑が目を誘う。


 いいえ、いいえ、私にはもうじゅうぶんなのです。

 これ以上は歯止めが利かなくなりますので、本当にもうお構いなく。






『鳴かぬ蝉』 ※死の描写あり注意


 夏としか思えぬ暑さにあってだが、やけに静かな夏だった。


 蝉の声が聞こえないからだと気付いたのは、六月が終わろうとした頃だ。

 待ちわびるわけではなくとも、如何ばかりかはその声のあるなしが気になってしまうのは、彼らの命の儚さゆえか。


 ようやっと今夏初のその声を聞いたのは、七月に入ったある日の昼下がりのことである。

 声は二時間程度で消えた。



 寂しい夏だ。暑すぎて、あらゆる命が萎えている。

 いつの間にやら空を泳ぎだしていたトンボまで、例年よりも小さく見えた。大きさも泳ぎ方もまんまメダカだ。


 炎天下の墓参り、腹を見せて転がる蝉を見つける。

 オマエ、いつ鳴いたのよ?

 その声は夏の盛りの今だって、碌々聞こえない。






『新亡者のための盆踊り』


 目一杯の短冊を飾った笹、それを括った(やぐら)のまわりを巡り踊って新亡者を悼む。

 数年振りの盆踊りは勝手がわからず、下手クソな見よう見まねで苦笑い。

 半周した頃になり、なんとかひと通りの動きを覚え、あとはひたすら踊る踊る。ぎこちなさとか滑稽な動作はご愛嬌。



 奇妙な心地だった。

 太鼓の拍子に合わせて脚を運び、団扇を手にした手を薙いだり、振ったり、扇いだり。

 二周三周繰り返し、流れるように手を運んだり、荒々しく動いてみたり。

 なんだか、盆踊り好きの誰かさんが私の手足を借りて好き勝手動いてるような。


 五周踊って会はお開き。

 どうよ? 久々の此岸でのひと時は楽しめたかね?

 好きなように踊ってくれちゃってまあ。明日は筋肉痛だ。

ミルクフランス 2025.7.24

夏の夜散歩 2025.7.25

サルスベリ 2025.7.27

矛と盾 2025.7.27

ふつもち 2025.7.27

鳴かぬ蝉 2025.7.29

新亡者のための盆踊り 2025.8.14

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