終末の歌 ※◎
終末の地に響き渡る歌声とその歌声の主を探す旅人のお話。
※作中に死、病、不穏、トランスジェンダーの要素があります。苦手な方はご注意ください。
※こちらは2024年5月27日から小説投稿型サイト『エブリスタ』にて公開(現在は削除済)していた短編小説を加筆修正した作品です。
荒廃した町に歌声。静寂が支配するこの地に、それは突如として聞こえた。
こんなこと、僕がこの地に滞在する七日間で初めてのことだ。
(歌詞の内容までは聞き取れないけれど、良い歌声だな)
瓦礫さえ蔦の餌食にされて久しく、絶望などとうに風化した終末の土地に、そのバリトンは吹き抜ける風のごとく、劇的によく馴染む。
ただ、不思議なことに、声は遠く西の方から聞こえたかと思えば、北の方角から少しずつ近付いてはまた遠ざかったりと、随分とまちまちな位置から聞こえた。
僕も物資を探して歩き回ってはいるのだが、それにしてもかの人の足取りは規則性がなさすぎる。何か、探し物の最中なのだろうか。
(この町に住み着いた人かな。それともこれからそのつもりとか)
世界に点在する終末の地を巡ると分かるが、どんな荒れ地や廃墟群であろうと、"そういう住民"は確かに存在する。
先住民しかり、探しもので滞在する者しかり、食糧と掘り出し物を求めにきた流れ者しかり。余所のヤクザものだか宗教団体が土地を侵略し、根城に仕立てあげた地もそう珍しくはない。
世界には実にいろんな人間が存在するのだと、僕はこの旅でよくよく実感した。
(歌声の主は住民か旅人か。どういった理由でこの町にいて、どんな思いを抱えて歌っているのだろう)
僕はどうやら久々の人間の気配に、浮き足立っているようだ。
またしても少し遠ざかった歌声の主に思いを馳せながら、カーニバルのパレードの後を着いていく子どものように、声の方へ自然と向かっていた。
◆ ◇ ◆ ◇
瓦礫とアスファルトのひび割れを避け、蔓延る雑草を踏み、砂礫を低く蹴り上げながら歩く。
今いるこの町は風化がかなり進んでいるから、砂埃がとにかく多い。昨日、簡易的にではあるがクリーニングしたばかりだというのに、もう全身の関節部――特に、膝より下――の隙間に砂埃が詰まってきて、軋みと可動範囲の狭小が認められた。
(まいったな。コンプレッサーのガスと潤滑油を補充しておかねば)
この体は約七割が機械と化している。
最初の機械化は右脚だった。元の脚は肉腫ができて、落とさねば、他の部位まで餌食になっていたろう。
だが、脚ごと切除しても"敵"はとうに全身を侵し尽くした後だったらしい。肉腫が転々と至る所に現れては切り取り、機械を取り付け、現れては切って付け、その度に僕の体は機械へと近付いていく。
肉の四肢と内臓が金属に替わり、僕は歩けはするが、踊ることができなくなった。
眼を奪われ、代わりに義眼を填めたが、機械の眼が見せる世界は何処か偽物っぽい。実は義眼になって数年経った今でも、自分の見る景色が真実、そうであるのか、自信が持てずにいる。
片耳も補聴器が取り付けられた頃、病魔と闘う僕に向けられた周囲の声が、騒音にしか思えなくなってしまった。
声帯を失ってからは歌うことも適わず、話そうにも、ノイズにしか聞こえない、割れて震えた平坦な音が、どうにも煩わしい。
失ってばかり。
今も体内に潜んでいる病魔により、着々と終末が近付いているこの人生に嫌気が差して、逃げるように始めたのがこの、終末の地を巡る旅だ。
終わりを迎えた地は何処も寂寞として、そこにいる生き物は誰もが、僕のように何かが欠けた印象があった。
瓦礫の陰を寝床にする、家族を失った人。
埃っぽい乾いた風に吹かれてよろける、片足の獣。
雑草をむしっては口に入れるのは、働き先を失った人。
空っぽのコンテナを漁るのは、物資が尽きた旅人。
得物をこちらに向けて乞食をする、誇りを捨てた者。
この旅が有意義なのか否か、僕は未だにわからなくて、それでも僕以外にも失った人を多く見られることに、暗い安心感を覚えてしまう。
だからこそ、この旅始まって以来、初めて聴いた歌声に僕は心惹かれた。
――何故、この終末の地で歌える? なんのために歌っているのだろう?
――終末に関わる者は何かしら欠けている。貴方も何かを失ったのか。
――僕が聴いているこの歌は、本当に歌で合っているのか。
疑問が次々と湧く。
穏やかな歌声に惹かれてもいる。
同時に、自分が失った歌を持つその人が妬ましくもあった。
◆ ◇ ◆ ◇
重く冷たい機械の四肢を動かし、歌声を辿る。
相変わらず声の主は四方八方まんべんなく徘徊しているが、その足取りは随分と緩慢になったのが、声の位置とその移動速度でわかった。
「待っテ、待っテくだサい」
機械の声を張り上げて声の主に頼むが、こんな抑揚のないノイズのような声が、果たして相手の耳に届くのか。
僕の願いが届いたのか、それとも只の気まぐれか。少しずつはっきりと歌声が聞こえてきた。
歌詞もわかる。鎮魂歌だ。
風音と雑草の靡く音とたまに瓦礫が崩れる音さえ伴奏にして、低く響くバリトンは穏やかに魂の休息を願い歌う。
声がよりはっきりと聞こえるごとに、人工血管で繋がれた僕の心臓は強烈な音波に晒されたかのようなビリビリと震えた。
これまでノイズしか通さなかった機械の片耳は、今だけは素直にありのままの歌声を僕の脳に届けている。
心に突き動かされるように、僕は重い四肢を懸命に動かし、ガチャガチャと醜い音を立ててまで声の主に迫った。
もう、疑問も好奇心も嫉妬もどうでもよくて。もっと近くで歌声を聴きたいと、心が望むままに体を動かす。
自分でも何故、ここまで躍起になって鎮魂歌を望むのかわからない。それでも、今を逃しては駄目だと思った。
(どうすれば、あの人を見つけられる? どうしたら、立ち止まってくれる?)
崩壊し、蔦に覆われたビル群を見回し、人影を探す。
(いた!)
液状化を起こした道の真ん中、つばが広く、繊細で華美なレース飾りが付いたヘッドドレスを被り、燕尾服をアレンジしたようなタイトなドレスを纏う屈強な人影を見つける。
――この荒れ果てた地において、あまりにも似つかわしくない格好ではないか。
岩のように逞しい背、深いスリットの入ったタイトスカートから覗く、筋肉質な褐色の脚は男性のもののように見える。様相からすると心は別のものであるのだろうか。
(いや、そんなことはどうでもいい。今はあの人の近くに)
自分の四肢が鳴らす無粋な金属質を響かせてまで呼び止めたその人は、それでもまだこちらに気付かない。
(どうすれば、気付いてもらえる?)
駆けながら思考し、そして思いついたのは、我ながら愚かな発想。
口を大きく開き、機械の声帯を震わせる。歌う。
抑揚のない、ノイズ混じりのその声で鎮魂歌を歌えば、かの人はようやく立ち止まった。
顔は帽子のつばの影とレースに阻まれ見えないが、赤く色付いた口がハッキリと歌う様が、この偽物の眼を通しても見えた。
――多くを失い、それでも前に進む貴方。
――嗚呼、その魂が安らぎを求めるのならば、この歌を捧げよう。
――おやすみ、貴方。おやすみ、世界。
――冷たい体に、熱い心臓を抱いていた貴方、おやすみ。
笑みを象る唇が、おやすみと歌い終えた瞬間、僕の終末の旅はやっと終わった。




