眠り姫と手 ◎
今作は2013年5月17日に創作作品投稿SNS『pixiv』にて公開していた短編集となります。(pixiv版は現在は削除済)
『手』
――手はそのひとの鏡だ。ひとの手はうつくしい。
手は創造と可能性の象徴だ。
指先で触れ、捉え、感じる事で、対象の特性を知る。
鍛えるほどに繊細な感覚を掴めるようになり、より精巧なものを生み出す。
食材に触れれば、料理になり、腹を満たせる。
針に触れれば、衣類を繕え、肌を刺激から守る事ができる。
ペンに触れれば、言葉を伝えられる。
大工道具に触れれば、建築物や家具を作れる。
筆や彫刻刀に触れれば、美術品を生み出せる。
楽器に触れれば、音となり、心を満たす事ができる。
そして、壊す事もできる。
頭の中のイメージを具現化させるための最大のツール、それが手。
母のふっくらとした少し冷たい手が好きだ。
私の基礎は、この手により培われた。
父の大きな厚い手に安心した。
家族を支えてきた手だから。
祖母の皺だらけの、枯れ木のような手を美しいと思った。
その長い人生を物語っているから。
友の白魚のような手に憧れた。
今を精一杯楽しんでいるのがわかるから。
これまで出逢ってきた人のどの手も、それぞれ個性がある。
まるでその人自身の鏡のようだ。
長いとも短いとも言えないこの人生、ひとつだけ、どうしても欲しいものがある。
この手を最期かそれに近いときまで繋いでくれる手が欲しい。
私が見つけたその手は、まるで楽器を扱う人のそれのように大きかった。
料理をするのが得意で、あたたかくて、実にいい具合にこちらの頭や体に触れるのだ。
その手は確かに、私が一番恋しいものを紡ぎ出している。
駆け寄って、その手を取り、引っ張って、引っ張られて、この人生を駆け巡れたら、どんなにかしあわせだろう。
そんな夢を毎日見る。
『眠り姫』
夢なら夢のままでいい。
だから醒めないでいて。
繋いだ手にぬくもりはない。
会話しているのに声はない。
見るものすべてに色がない。
ただわかるのは、貴方がいるということ。
私達は、別々の螺旋階段を昇っている時に偶然出逢った。
貴方は随分先を歩いていたし、私はしょっちゅう立ち止まっていたから、接触などしないと思っていたのに、出逢ったのだ。
たった一本の糸が貴方のいる方から流れてきた。
私は興味本位で糸を取り、手繰る。
糸先に鈴を付け、チリチリ鳴らしながら糸を辿っていくと、そのうち、気まぐれで立ち止まっていた貴方と出逢った。
糸の先は貴方の手の中にあったのだ。
私達はなんとなく一緒に歩くことになった。
途中、何度も喧嘩したり、仲直りしたり、繋いだ手を離そうともした。
居心地がいい時もあれば、悪い時もあった。
そうしてふたりでしばらく歩いていたら、彼がふと、ひと粒だけ涙を流して、だけど毅然と告げた。
――別れが近付いている。
彼が指差した先、遠くて霞んでいるけれど、それまで重なっていた螺旋階段が分裂していた。
私は、別れたくない、と泣いて泣いて泣きまくって、怒って喚いて抵抗した。
貴方はそんな私を諭したり、見守る。
――これは、夢なんだ。
いつだか私が糸に括り付けていた鈴に口付けながら言う。
――夢なら醒めないでいい。
だからそばにいて。
懇願は届かない。
貴方はポケットから水色の小さなハートと、ピンク色の拳大の、まるきり心臓みたいなハートの石を取り出して、私にくれた。
お護りだよ、と。
別離の向こうに行きたくない。
夢なら醒めずにこのままいたい。
どうかどうかどうかどうか……
かみさま――!
朝は無情にもやってくる。
貴方のいない朝。
貴方の姿も声も匂いも感触もわからない。
なのに圧倒的な喪失感。
涙がはらはらと流れた。
拭おうと持ち上げた手の中には、水色とピンクのハートが収まっていて、私はとうとう声をあげて泣いた。
貴方が大好きなのだ。
だから、さよならは言わない。
またいつか逢えますように。
『旅立ちの前に』
終わりの足音がじりじりと近付いているのに、耳を塞いでいた。
注意深く耳をそばだてても、気が滅入るだけだ。
――ただ、注意していたら、いつ「その日」がくるか、あらかた予測はできるかもしれないけれど。
微かな不安を誤魔化すようにたくさん話しかけなければ、心が寂しさで折れてしまいそうだった。
口を閉ざしてはいけない気がした。
――限られた時間の中で、貴方の声を目一杯聞いておきたかった。
夜眠るのが怖くなった。
起きている間は、貴方の姿を見ていたい。
――寝ている間に貴方がいなくなるんじゃないかと、気が気でないから。
「どうして、私を置いていくの?」
宣告された日、涙を拭きもせずに尋ねたら、困った顔で笑われた。
――置いていくのは、去ってゆくのは君の方だよ。
◆ ◇ ◆ ◇
こればかりは決まり事だからどうしようもなくて。
でも"予定"を突きつけられた時は、やはり泣いた。
猫のように気分屋で、気まぐれで、わがままなひと。
気に食わないと爪も牙も立てる、困ったひと。
でもほっとけなくて、つい甘やかしてしまう。
できるものなら、ずっといっしょにいたかった。
でもそれはどうにも叶いそうにないから、私が渡せるものをすべてあげるよ。
――君が少しでも、この世界で生き易くなるように、持てる技をすべて授けよう。
そうして、力強く地に足をつけ、旅立つ君を見届けられれば、悔いはないよ。
◆ ◇ ◆ ◇
――あなたに逢えてよかった。
私達が各々の道に向けて旅立つ時、清々しい気持ちでそう思えたら、どんなに幸せだろう。
貴方を想いながら、物を作る。
いつか貴方がおいしいと誉めてくれたお菓子。
丁寧に教えてもらった料理。
好きな読書を楽しむためのブックマーカーとブックカバー。
おいしいご飯を食べられるように、ランチョンマットも。
ありったけの「ありがとう」をたくさん詰め込んで。
「その日」が来るのは、やっぱり怖い。
それでも、最後まで幸せでいられるように、無闇に怯えるのはやめた。
――また貴方に逢いたい。
そう願うのは、罪だろうか。
貴方とすごす日々は確かに幸せばかりで、だからこそ強くそう願うのだ。




