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混沌から星屑を拾う  作者: 三山 千日


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逃げられる女 ◎

※今回は2013年10月28日に『pixiv』にて公開していた(現在は削除済み)短編小説です。

(さむい)

 真夜中、ふと目を覚ます。

 独り、寂しさにうちひしがれる夢を見た気がする。

 もうほとんど覚えていない夢なのに、寒さが手伝ってか、空虚さが妙に後を引いた。


(何時?)

 重い瞼を持ち上げたが、室内も窓の外もまっ暗だ。

 朝はまだ遠いらしい。それどころか、眠りに就いてまだそれほど時が経っていないのではないだろうか。


 手探りで傍らにある筈のぬくもりを求める。けれど、面白いくらいに何も触れなかった。腕を大きく上下左右に動かしても、求めるものの感触は得られない。

(また逃げられた)

 起こった事実に落胆し、余計に感じる寒さに身を縮める。


 眠る時は確かに、自分を心身共に温めてくれる存在がすぐそこにあったのだ。だというのに、一体どこに行方をくらましたのか。

 身体だけでなくシーツも、夜気にすっかり熱を奪われ、完全に冷たくなっていた。――去ってしまって久しいようだ。



(酷い。なんで、いつもこうなの)

 どんなにこちらが気をつけても、傍らに留まってはくれない身勝手さに腹が立つ。

 しんしんと寒さが増していくこの季節、その存在がどんなに頼もしいかなど、言うに及ばないというのに。


 疲れた私を労うように優しく、そして柔らかに体を包み込み、もう安心して眠っていいんだよ、と言わんばかりに寄り添ってくれる。

 だから、私も嬉しくて縋りつき、もっともっととその感触とぬくもりを欲した。

 熱を分けあい、ゆるやかに上がる熱に眠気を誘われ、その適度な重みを身に受ける事の幸せに酔いしれる。

 その傍ら、この幸せはそう長くは続かないのではないかと、微かに不安しながらも、抗いきれずに深い眠りに就いた。


 幸福は時と共に薄れ、抱く不安は現実のものとなり、目覚めと共に虚しさに変わる。

 そんな事が幾度となく繰り返されれば、もう諦念するほかなく、ただ複雑な思いから逃れるように自らの身を掻き抱かずにはいられなかった。



 夜の静寂に八つ当たりするかのような嘆息を吐き、身を起こす。身体にのしかかってくる重みも、絡みついてくる抵抗もない。

 眠気からくる気怠さをやりすごしながら上体を起こして、照明を灯す。

 枕元の時計がまだ夜明けには早過ぎる時刻を示していて、一層虚しさが身にしみた。


 僅かな明かりの中、身体を見下ろし、その惨状に眉を顰める。

 肘まで捲れ上がった袖、片方だけ脱げた靴下、上体を起こした際に戻ったが、実は裾とインナーも捲れてヘソ丸出しになっていた。

(どうりで寒いわけだよ)


 寝るまでは確かに肩まですっぽりと身を覆っていた毛布と掛け布団がない。

 辺りを見渡して、ようやく足下でぐっちゃぐちゃに丸まった毛布と、ベッドの下にずり落ちた布団を発見する。靴下は見当たらなかった。


「んもー、寝る前はあんなに頼もしく、私を温めてくれてたのにぃ」

 こうもきれいに解散されては、恨み言のひとつも零さずにはいられない。


 起き上がってキレイに布団を整えても、寝てしまえばどうせまた寝相で崩れるのはわかりきっている。

 なんせ、夜はすっかり寒くなったから布団を出したのに、布団出動初日から連日漏れなくこの調子だ。朝までキチンと布団が掛かっていた事は、残念ながら今季は一度としてない。


 無駄に動いて睡眠時間が削られるなんて馬鹿らしい。座ったまま毛布の端を掴み、おざなりに身体に掛ける。ベッド下の布団も、ベッドから落ちそうになりながらも力任せに引き揚げた。おかげで肩から手指の先までつりそうなほど痛い。

 掛け布団等を無理に引き戻した結果、明らかに足は布団からはみ出ているし、シーツの中身は偏って散々だが、睡魔の前ではそんなことなどどうでもよかった。

 すべてがなあなあなまま、布団と毛布が重なっている場所に身体が収まるように身をまるめて、再び目を閉じた。


(ああ、すっかり布団が冷たいや)

 安息はまだまだ遠い。



  ◆ ◇ ◆


「――っていうことが毎夜あるのよお」

「あんたの寝相の悪さはもういいから。夜中にいなくなった彼氏はどこに行ったのよ」


 話し始めた時は神妙な顔で、パスタをフォークに巻き付ける手を休めてくれたのに、今は無表情で食事を進める友人の薄情さが悲しい。


「彼氏? そんな人いないよ」

 何を言ってるんだろう、この子は。私がいつ恋人の話をしたというのか。

 それに、冬の深夜に寒がりな恋人を置いてベッドから去るような甲斐性なしの彼氏など、こちらから願い下げだ。


「じゃあ、夜中にいなくなったのは誰よ」

「誰っていうか、布団だけど」

「は?」

 ややヒステリックの入った、どこか呆れた友人の声がやたら響く。

 思わず出た声に友人自身も驚いたようだ。慌てて手で口に蓋をしていた。その後、こちらに注目していた隣席の客に愛想笑いをして、ひょこっと首を傾げて誤魔化す。こちらもつられて誤魔化し笑いをしたが、咄嗟の事で変な顔にしかならなかったようだ。私を見た隣席の若いサラリーマンは引きつり笑いをしていた。

 私達は軽い沈黙と薄ら笑いで向きあってから、何事もなかったかのように食事を続けた。



「で、結局、人じゃなくて、布団が逃げたってだけの話だったの?」

 体裁を気にしてか、控えめな声で尋ねる。

「早い話がそう」

「……ああ、そ」

 友人は顔中の力をすべて抜いたようなのっぺりとした顔になる。さしずめ興醒めしたというところか。

 もう脱力どころか、パスタを巻くのすら面倒とばかりに、一口分チュルチュルと弱々しく啜る始末だ。

 私、なにか変な事を言っただろうか。


「あんたが散々『ぬくもり』だの『去った』だの言うからさあ。期待した私が馬鹿だった」

 最後の方は独り言だろうけど、しっかり聞こえた。


 友人はドラマチックな展開をこちらに求めていたようだ。

 恋愛小説の読み過ぎなんじゃないかと危惧する。

 彼女が期待する通りの話にするにはまず、私はあの話の後に(存在しない)恋人を追って、パジャマ姿で真冬の凍えきった路面まで駆けていき、星明かりひとつない夜空に向かって泣くべきだったろうか。

 まあ、相手が布団とあっては、何をしても茶番にしかならないが。

 馬鹿な想像を捨て、話に戻る。


「あったかいじゃない、布団。なのに薄情にもヤツは逃げてしまうから」

 ため息を吐いてうなだれる。

 寝相の悪さが原因で風邪を引いたら馬鹿らしいし、惨めだ。

 どうにかならないかと相談しているのに、とうの回答者は引きつるだけだ。なおさら惨めったらしい。


「彼氏もいないのに、布団にすら逃げられるなんて」

「へー」

 抑揚のまったくない、竹串のようにまっすぐで細い相槌。

 顔を上げれば、友人はこちらに視線どころか顔も背けて野菜ジュースを飲んでいた。


「なによぉ」

「別に」

 本当にこちらには何も興味を示すものがないといわんばかりの態度に、唇を尖らせる。

 もうちょっと親身になってくれてもいいのに。



 でも、わかっている。彼女が何に呆れているのかくらい。

 うら若き乙女が、真冬にお腹を出して寝てるとか。布団があさっての方に行ってしまうくらい寝相が悪いとか。布団を擬人化させて話す事で、注意を引こうとするところとか。


 最近、髪型やメイクが雑なのは、寝坊して時間がないからで、それも悪いと思うし。

 彼女がスマートにカルボナーラを食べる傍らで、ニンニクたっぷりのペペロンチーノを啜って食べるのも、女子力に欠けるのかも。

 あと「ダイエットしたい」って言いつつ、パスタでは物足りないと、ピザとデザートも食べるところとか。

 それと、バッグも財布もくたびれるまで使ってるのも、ケチくさいのかな。

 ひとつひとつは大した事はなくても、まとめてみると酷いと我ながら思う。



 今日何度目かに吐いたため息のぬるさと、己のふがいなさを噛み締めて肩を落とすと、友人もまたため息をひとつ。


「で?」

「ん?」

 時間を確認し、そろそろ昼休みが終わるのを確認すると、たたみかけるように切り出した。

「自分の異常な寝相の悪さを教えて、私にどうしてほしいのよ」

「わあ! さすが持つべきものは友。お礼に栗あげる」

「いらないし。それに力を貸すなんて言ってないから」

 ケーキに付いていたマロングラッセを差し出す手で制し、「とりあえず早く言え」と、目で促す。

 良い友人を持った事の嬉しさと、自分の頼みを告げる若干の恥ずかしさを珈琲を飲む事で誤魔化してから向き直る。


「あのね、夜中に布団が剥がれてもかけ直してくれる優しい彼氏を紹介して……「すいませーん、新商品の注文一セット入りましたー」」

 ピッ!



 なにが起きたのか理解できなくて混乱する頭に、スマートフォンの通話終了を示す電子音が響いた。

「ちょうど良かったわね。うちの新商品、寝袋型布団と枕付き着るブランケットなのよ」

 坦々とした口調で説明し、そつのない動作でこちらに見せたスマートフォンには、先程注文したと見られる商品の画像が。

 綿入れだか芋虫みたいな布と綿の塊(色はショッキングピンク!)とやたら分厚いフードが付いたブカブカなガウンみたいな物(こっちは蛍光黄緑)だった。


「助かったわあ。これ、売れ行きが伸び悩んでて、在庫処理に困ってたの。ちなみに友情価格で二万円にしといたから」

「高っ。それ割高になってるよ、絶対」

 さっきまでの無表情から一転、営業用の笑顔を浮かべる友人がサラッと提示した値段に思わずツッコむ。


「いいじゃない。できるかどうかもわかんない彼氏よりは確実に逃げも隠れもしない抜群の存在感であんたを抱き留めてくれるのよ」

「詭弁だし失礼だよ。どこの悪徳商法よりもタチ悪いよ」

 立て板に水のごとくペラペラとまくし立てられた暴言に近い説得がいちいちプライドを掻き乱す。

 けれど、相手は一枚上手だ。こちらが言い返す言葉を思いつくよりも先に席を立つ。

「ごちそうさま~。さて、早く布団が着くように配送処理しなきゃね。あ、相談料はここの代金で良いから。じゃあ」


 友人はすっかり中身を平らげた皿だけ残し、颯爽と去ったのだった。



  ◆ ◇ ◆


 後日。

 友人の会社から山のように大きな布団の塊と、彼女の意図不明な計らいにより同梱されたぬいぐるみが自宅に届けられた。

 その新しい布団と毛布、それとぬいぐるみは、意外な活躍を果たす事になる。


 狭い押し入れに余分はないので、布団は部屋の隅に丸めて置かれた。

 派手な色合いのおかげで、当初は非常に目障りだった布と綿の塊も、次第に環境に応じてクッションの役割を果たしていく。

 ぬいぐるみは子供のように遊ぶ気はないし、その他の用途もわからないので、ネットオークションに出品して、欲しい人にあげようとサイトを探している内にぬいぐるみの服や小物をみつけ、その豊富さについ興味を持ってしまった。

 今では時間を見繕っては、ぬいぐるみの服や小物を作る始末だ。

 無理やり買わされた布団のおかげで、真夜中に寒い思いをする事も激減し、ぬいぐるみの服や小物を作る趣味もできた。


「でも、肝心の彼氏ができないんだけど」

 かさばって仕方のない布団の山と、増えていくぬいぐるみの服を見ながら、私は肩を落とした。

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