亡者は帰省を満喫す ※
現世を満喫する亡者と息抜きを合わせた7本
※一部に不穏な描写があります。苦手な方はご注意ください。
『帰省』
開けたばかりの麦焼酎が一合分と煙草が一本減っていた。
きっと、お爺さんが楽しんだのでしょう。
棚のウイスキーの残りとビターチョコが数枚、消えていた。
おそらく、伯父さまの仕業。
桐箪笥にしまっていた麻の葉模様の単衣が鏡台前の衣紋掛けに掛かってた。
多分、お婆さんの仕事かな。
真紅のマニキュアとコスメがいつもと少し違う場所に移動して、黒曜石のピアスが見当たらない。
「……姉さんね」
お気に入りのワンピースは"持っていかせた"ものね。お出掛けにはこまらないでしょう。
八月一四日、我が家には何人かが帰省していて、数人はお出掛けしたのでしょうね。
姉さん、貴女はお洒落をして何処へ向かったのかしら。
『布面の下はきっと笑顔だろう』
婆さんの初盆の翌朝、涙ながらに目覚めた。
昨夜は新亡者の遺族として、夜遅くまで盆踊りをしていたが、なんだか夢の中でもずっと踊っていた気がする。
(それにしても、昨夜の盆踊りでは随分と懐かしい顔触れが揃っていたな)
盆踊り会場には親戚や近所の人はいわずもがな、家族を伴って帰省してきた連中も予想外に多くいて、なんとも賑やかなものだった。
久方振りに帰省してみた地元は、日中でも人通りが少なくて、すっかり寂れてしまったように見えたが、どうやら気のせいだったようだ。
(まだまだ集う人間が多いのはいいことだが、亡者役もわりと多かったのが寂しいところではあるな)
この地域には、新亡者や一年以内に法要を迎えた家の故人の供養として、遺族の一人が顔に布の面を着けて故人に成り代わって踊る風習がある。昨夜は布面の人も、集った人々の中でチラホラと見掛けた。
布面の者がやけに多く感じたのは、あれかな。単純に考えて、地元で亡くなった者だけでなく、移住先や施設とかの余所の地で息を引き取った故人の遺族も、初盆のために故郷に戻ってきたんだろう。……つい、そう憶測してしまうほどに、亡者役が多かったのだ。
(亡者役といえば、一人、踊りがえらく上手い人がいたな)
布面を着けた若い女性で、その優雅な身のこなしは、会場にいた多くの人々の目を引き付けていた。
(あれは……はて? 現実と夢、どっちで見たんだか)
昨夜はずっと、暗い中でヘトヘトになっても踊り続けていたものだから、何時かどころか、夢と現実のどちらでの出来事かも定かでない。
覚えているのは、自分も踊りながら彼女に見取れていると、背後から男に声を掛けられたことくらいだ。
『よお。昔、言ったろ? お前の婆ちゃんは踊りの名手だったって』
その声をどこか懐かしいと感じたが、今改めて思い返せば、ウチの爺さんの声に似ていたな。
ならば、あの踊りが上手な彼女は、初盆で帰省した婆さんか。
(久々に踊っただろうに、なかなかサマになっていたじゃないか)
全身筋肉痛を訴える体は未だに布団に縫い付けられたままだが、それでも怠い腕をギシリと上げて、涙で濡れた目元を手の甲で拭った。
『ジャガイモのニョッキ』
私のテキトー料理には『ジャガイモのニョッキ』なるものがある。
ふかしたおジャガをフォークで崩し、小麦粉とシュレッドチーズとパルメザンチーズを加えて混ぜこぜにしてこさえた団子を茹でるだけだ。
これをポイポイとトマト鍋に放り込んで、鍋の具にしてしまうのだが、何故だかこれが祖父のお気に入りになっていたらしい。
「初盆だし、お供え団子代わりに作ろっか」
お供え団子をこさえている母に問うと、笑いながら返された。
「どうせなら御霊供にしちゃいなさいよ」
供え物にしちゃお洒落すぎない?
『送り火』
緋と朱の美しい紗がヒラリユラリ揺らめく。舞っている。
暑気に劣らぬ熱を放ち、黒煙を巻き上げ、情熱的に踊る火は、彼岸へ還る霊を送り出しつつ、此岸に吹き溜まる穢れを祓い清めた。
爆ぜる松明、パチリパチリ。
鼓膜を震わす破裂音は、心の憂いも淀みも弾き消す。
大きな炎はやがて衰え、力を無くして眠るように消えた。
黒く細まった木炭は、触れる端からホロリ崩れる。
さようなら、またいつか。
『甘い望み』 ※不穏要素あり注意
夢の君に逢いたいし、ずっと一緒にいたかった。
だから、熱帯夜に窓も開けず、冷房も掛けず、水も飲まずに眠りに就いた。
夢の君と海底散歩。
あたたかな海の中、私の手を取った貴方は苦笑する。
「頬が火照っているね、困ったさん。今度はきちんと水を飲んでおいで」
パチリ、目を覚ます。
全身汗だく、喉は干上がり、ひどくだるい。
(あーあ、失敗しちゃった)
聡く優しい夢の君は、私が永遠の眠りを望んだことをわかった上で、甘い笑顔で邪魔をしたんだ。
『見えるのに触れない』
スマホの画面にヒビが入った。ガラスフィルムの下に、だけど。
右下の端に放物線を描く五本の小さなヒビ。一点を中心に扇形に広がっている。
角度や光の加減、画面に映すものによって見えるヒビの本数と長さが変わったり、白く見えたり、虹色に見えたり。
まるでスマホの右下に小さな小さな噴水が描かれているようで面白くて、目に入る度に指で触れてしまう。
不思議だね。確かにヒビはここにあるのに、指で触れてもわからないんだ。
そこにあるのにないような、幻のようなかわいい傷。
スマホを落としてぶつけた、私の小さくても確かな失敗の証。
『土埃とぬか』
百日紅の桃色のアーチを抜け、ボロの網戸と朽ちた木戸を開ける。
鰻の寝床の土間は一歩進むごとに土埃が舞い上がった。
最後に訪ねたのはいつだったか。
花模様の昭和硝子を引いたらば、土壁に蔦這い、畳に草花が生える四畳半が私を待っていた。
ブラウン管テレビの前を通り、奥の台所を覗く。
台所の隅、割烹着を着た小さな背が更に丸まり、こじんまりとしている。
「ぬか床混ぜてんの?」
声を掛けたが、ボサボサの白髪頭は動かぬままだ。
揺れる輪郭、透ける背、陽炎。
「ごめん、習いに行くって言ったのに、結局、行かんかったね」
家主を失ったこの家にはもう、おいしかったぬか漬けのにおいは微塵もない。
帰省 2024.08.14
布面の下はきっと笑顔だろう 2024.8.15
ジャガイモのニョッキ 2024.8.15
送り火 2024.8.16
甘い望み 2024.8.17
見えるのに触れない 2024.8.20
土埃とぬか 2024.8.22




