歪は傍らにこそある
大なり小なり歪はそこにあることを示す7本
※一部に血液、死の要素があります。苦手な方はご注意ください。
『赤』 ※血液、死の描写あり注意
野暮用で立ち寄ったドラスト。日頃は見向きもしないマニキュアの陳列棚でふと、その色を見つけた。
マットな深い赤。艶めく赤。オマエが最後に見せた色。
気付けばカゴに入れていて、部屋に帰り着くなり小瓶の封を開けていた。
慣れないせいで指も手も赤く汚しながら、たどたどしく爪を塗っていく。
(男の爪なのに、赤なんて派手な色を塗っちまうのかよ)
そんな自問と自嘲も赤と一緒に塗り重ねる。
右手の中指を塗る時になって、無様だな、なんてわかりきっていたことを毒吐いていた。
想う相手はとうにいない。なのに、忘れられなくて、忘れたくなくて、オマエが遺した色を塗る己のなんて未練なことか。
除光液は買ってない。その必要はないのだから。
『手繰る』
今し方すれ違った奴から兄と同じにおいがした。……数年前に失踪した兄のにおいが。
においと表したが、正確には体臭とか香水とかではなく、気配だ。存在とか魂を嗅覚で感知したような。
そいつ本来のにおいに紛れて兄がいる。そんな奇妙な感覚。
反射的に振り向いたけれど、人混みの中ですれ違ったそいつを見つけるのは至難で、嗅覚と勘を頼りに引き返す。
会いたいとか、必ず見つけ出したいとかじゃないんだ。
ただなんとなく。俺たちはそれだけ希薄な関係だったから。
見つけたそいつは幼児だった。
躊躇い混じりに声を掛ければ、兄とそっくりな雰囲気でニヤと笑い、無言で去っていく。
なんだオマエ、意図的に俺の前から消えたんかよ。
『餃子焼こうぜキッチンドランカー』
餃子焼くよギョーザ。バンバカ焼くよ餃子。
まだ包んでるの、今度は何、包もうかな、餃子。
ビール空いちゃったよ、次は酎ハイ呑もうかな、餃子。
ハイハイ、一枚目、焼きあがったよギョーザ。
モリモリ食べてよ! 餃子。おすすめは胡椒と酢だよ、ギョーザ。
白ワインいっちゃおうか、ギョーザ。
大丈夫、私もつまんでるよ、餃子。
次のはニンニクとニラ効かせてるよ、餃子。ハイボールが合うかもね、ギョーザ。
ハリッサ餃子に付けてみる? サテトムもオススメだよねギョーザ。
次はチーズ入れちゃおうか餃子。
まだまだ焼くぜ、たっぷり食えよ、ギョーザ。
『おかえり』
玄関を開けたら兄貴がいた。
「おかえり。早かったな」
靴脱ぎながらこっち振り向くもんだから、ちょっとよろけてんの。
「どうした? 鳩が豆鉄砲喰らったような顔して」
訊かれるけどさ、そらそうよ。だって――
言い淀んでたら、足音が聞こえた。もう一人の兄貴だ。
「おや、おかえり。二人とも帰りはもっと遅くなると思ってた」
「悪いな。お土産を買ったから許してくれ」
兄貴達の会話を一歩下がった所で聞いた俺は、泣きそうになりながら微笑を浮かべるしかなくて。
だって、だってさ…死に別れた二人とまた会えるとは思わなくてさ。
部屋の奥には昔死んだ、大好きだった爺ちゃんもいて、俺はとうとう泣き出した。
『いつまでも小さな弟』
ハイ、と母親から預けられたぬくもりにどうすればいいのかわからなかった。
あまりに小さな弟はやけにぐんにゃり重くて、ひどく頼りない。抱える腕の間に、胡座を掻いた足の間に、流れ込み埋もれてしまいそうな小さな体はまるで、流動体のようだ。
腕が重くて疲れるから抱え直そうとしたら、椅子の肘掛けに弟の頭をぶつけてしまい大泣きされた。
「あの大事故を重く受け止め、俺はお前を命懸けで守ると誓ったんだ」
「大事故て。大袈裟。オレの石頭見くびんな」
「だからハグは勘弁してくれよ。俺の力でお前をへし折ってしまいそうだからな」
「誰もハグなんて求めてねーわ。けど、お前にへし折られるほどもやしじゃねんだわ、オレ」
『残業とラーメン』
「君、ラーメン作ってよ」
徹夜覚悟の残業中の俺に、君がレジ袋を差し出す。
中身は昔からある銘柄の味噌味の袋麺とカット野菜と卵。バターまである。
ホント、誰だよ。給湯室に簡単な調理器具と調味料と器置いたヤツ。おかげで夜食作るハメになったじゃん。……まあ、設備整えたの俺だけど。
「けど、俺のテキトーなラーメンでいいの?」
野菜炒めにスープと麺ぶっ込んだだけだけど。
「それがいいんじゃないか」
傍らで卵を茹でながら君。
「父が作るのと一緒で、懐かしいんだ」
熱されたフライパンと炒めた野菜、そこに注ぎ入れた湯がグラグラと音をたてて煮える。
熱々の音に紛れさせた呟きにどう返したものかと、俺は鍋の中で菜箸を無意味に踊らせる。
『友引』 ※死の描写あり注意
昨日、近所の人の訃報を聞いたからだろう。胸にどんよりと蟠るものがあった。
朧雲が月を覆うやけに涼しい夜。風に乗って流れる甘酸っぱいにおいに首を傾げながらゴミ収集所へ向かったところ、既に大きなゴミが置かれていた。
布団だ。袋に詰められた布団が二枚。その上に、薄く黒い靄……否、人影が座している。
黒い靄はゴミを捨てようとする私に気付いたらしい。おもむろに頭が傾ぎ、うっすらと見える顔がゆるりとこちらに向く。 先だって亡くなった近所の老婆の顔のように見える。
「ヒトリ、寂しいカら一緒に行かンカ」
かそけき声だがしっかと聞こえた。
だが、私は素知らぬ風体でゴミ捨ての用を済ませ、何事もなかったかのようにその場を後にする。
「なァ、よイ」
酸い香と共に未だ掛けられる声を振り切った。
私はまだそちらには行かない。
赤 2024.5.19
手繰る 2024.5.19
餃子焼こうぜキッチンドランカー 2024.5.20
おかえり 2024.5.20
いつまでも小さな弟 2024.5.23
残業とラーメン 2024.5.23
友引 2024.5.23




