奴より、りんご。
もういいんだよって、前の時も、その前の時も言ったのに、奴は何度も何度も首を横に振る。
「何度でも会いに行きます」と思いを込めて。
竹林の土と枯葉が緩衝材になるからといって、それらが衝撃を全部殺してくれるわけではない。
肘からは小さな血の玉が浮かんできていた。
肘よりはひどくないけれど、顎と膝もぶつけて、いろんなところがジンジンしびれる。
手をついて起き上がろうとしたら、手がチリっと痛んだ。
夕日が沈んで間もない薄暗い竹林では小さな傷がどうなってるかなんてわからないけど、傷の中に土が入ってるのが分かった。
「・・・りんご」
勢いよく飛び出して、たった今登ってきた坂道を転げ落ちてコロンコロン・・・。暗いくらい穴に向かってコロンコロン・・・。
「そんなわけないよね。」
どこかのおじいさんのおにぎりじゃあるまいし、りんご達は落ちた所から動くことなく、しっとりと湿り気を帯びた土の上におとなしく鎮座していた。
ふと思って、りんごに伸びた手を止めた。
「・・・アップルパイにされて、嫌じゃないのかな」
フィリングにされて、熱されたオーブンでジワジワと焼かれることに、この子たちは耐えられるのかな。
タルトタタンに変更しようかと思ったけど、どっちにしてもオーブンでジワジワ焼かれるのは一緒だよね。
「逃げないでくれてありがと」
紙袋に入れられた時点で決められたりんごの運命が、今塗り替えられようとしていたはずなのに、逃げずにおとなしく拾われるのを待っているりんご達を眺めていたら、アップルパイはこの子たちで作るべきじゃないって思えた。ああ、こんなんじゃ皮さえ向けずに、籠に盛るだけで終わっちゃいそう。食べずにいるのが一番ひどいんだって、分かっているけど。
顎と肘と膝と手のひらの傷が訴える痛みをゆっくりと頭の中で消しながら、りんごに付いた土を一つずつ丁寧に拭って、紙袋に入れなおした。今度は飛び出さないように、奥のほうに、きっちり。
「あ。」
りんごに変な愛着が湧いておかしくなってしまった頭のまま地面に座り込んでぼーっとしていると、奴のことを思い出した。
ほんの30センチも離れていないところに人が倒れているのにリンゴに関心が行く人間って、そうそういないよね。
「遥花、怪我は?」
今度こそ体の向きを変えて、りんごじゃなくて、仰向けで大の字になっていた遥花を覗き込んだ。
「遥花ごめん、腕は痛む?」
服、湿っちゃったかな。
遥花の心配を頭の片隅でしながら服のことを考えてる。
地面に付いている面から、しっとりと水を含んだ土を感じた。
あれ。
遥花が反応しないなんておかしい。
目もつむったままだし、眠ってるように見える。
さっき「いてっ」て言ったのに。
いつもの髪色、いつもの顔立ち、どれもいつもの遥花だけど、いつも私を映している遥花の真黒な目が見えなくて、少し不安になった。
りんごの心配してたのに、今度は遥花の心配。
心配事が多いと、疲れちゃうよね。
はるか、起きてよ。
はーるーかー
「・・・。」
『100年たっても、1000年たっても、ずっと佐一のこと、この目に映し続けます』
「今年が1000年目だよ、遥花。」
遠い記憶がよみがえって、雨の匂いと両腕に感じたかすかな痛みを思い出した。