1−2 無腕の守り手
よろしくお願いします。
ノルが察知した通り、西門は完全に破られていた。
そしてノルの予想以上に状況は逼迫していた。
即座に駆けつけることができたのはフォレスティア自警団の警邏隊3人。西門を破って街の中へ侵入してきた魔獣と対峙している。
見張り役として配属されている彼らの腕っぷしは、ロックベアと対するにはあまりにも心もとない。逃げ出しても文句は言われないような立場の人間である。
しかし、震える手で武器を構えロックベアを威嚇するのには訳があった。
「......ひっ」
「君っ! 早く逃げなさい!」
「あ......う、あ......お、かあさっ」
逃げ遅れた幼い女の子が足をすくませて、ロックベアの眼前で尻餅をついていた。
目を大きく開き、口をぱくぱくさせて過呼吸気味、傍目にも完全にパニックを起こしていることが伺えた。自警団員の声は届いていないようだ。
「お、俺が魔獣の頭めがけて攻撃魔法を放つ。合図したら2人突っ込め。少しでも怯んだ隙に、あの子だけでも救うんだ」
「お前、攻撃魔法なんて、この間初めて成功したって喜んでいたじゃないか。当たるのか?」
「や、やるしかないだろう! この中で遠距離攻撃ができるのは俺だけだ。他に手がない。無闇に突っ込んでも死ぬだけだぞ」
「......くそっ、分かったよ。や、やるぞ」
拳大の赤い石が埋め込まれたワンドを装備した自警団員は、焦点が合っていない虚な目を魔獣に向けて祈りを始めた。精霊魔法武具を握る手のひらにはじっとりと脂汗が滲んでいる。
「炎の精霊よ、我に力を与え、我らに仇なす者共に抗う力を......」
周囲の霊素がワンドに集まっていく。やがて不規則に揺れる、ソフトボールくらいの大きさをした火の玉が出現した。
男は叫ぶ。
「行くぞっ!!! フレイム、ボーーーーーるっっ!!!」
なんとも情けない裏返った声を合図にして、全てが動き出した。
「「うおおおおおおおぉぉぉぉ......」」
ーーグォォォォォォォァァァァ!!!
少女に向けて重く鋭い爪を振るうロックベア。
少女に向けて走り出した自警団員。
少女に向かって飛んでいく炎の球......
「......ってオイ! やべえってっっ!!」
助からない。その場を見ていた全ての人がそう思った。
「くそっ、爆散しろ爆散!!」
火の玉が少女に着弾してしまう手前。魔法を放った自警団員は咄嗟の判断で、魔法を四散させるイメージを強く描いた。
瞬間。耳をつんざく爆発音が走る。辺り一面は濃い砂煙に覆い尽くされてしまった。
「おしまいだ......」
一矢報いることもできなかった自警団員たちは、絶望的な状況を覚悟して顔を青ざめさせた。
「こんなことになるなら、もっと必死に精霊魔法を練習しておけば......」
平和な日々に甘え、鍛錬を怠った自らを激しく後悔した。
しかしもう遅い。必要は突然やってくる、時に残酷な形で。準備や覚悟などさせて貰う間などない。
彼らはこの一瞬でそれを痛感した。
風が吹き抜けた。砂煙が晴れ、徐々に視界が明瞭になっていく。
自警団員たちは、地を這うように流れゆく砂煙が晴れた先に待っている光景から目を背けたかった。そこには見るも無惨にハラワタを引き裂かれ、こちらを責めるように向いた光を失った少女の虚な瞳が............なかった。
「あ、あれは......!」
少女がいたところにあったのは、ロックベアの強烈な一撃を、ひび一つ入れずに受けきっているドーム状の土壁。精霊魔法で生み出されたことは一目見て明らかだった。
このルルティア領地内で、あれだけの強度をした土壁を一瞬で生成できる者は数人しか思い当たらない。そしてそのいずれも、ロックベアなど相手にもならない猛者たちだった。
「た、助かった」
身に余る責務の重圧から解放された自警団員は、逃げ出すことも忘れて、その場にへたり込んでしまったのだった。
* * * * *
「クァイン、この子を安全な所まで避難させて」
「うん」
危ない所だった。ほんの少しでも遅かったら、この女の子は魔法で焼かれた上で魔獣に引き裂かれていた。そして、魔法を放った人に一生消えないトラウマを植え付けたことだろう。
女の子を抱いたクァインが去っていくのを確認してから、僕は土壁の精霊魔法を解いて姿を現した。
僕の姿を見たロックベアは警戒体制のまま後退りをした。
「ノル様....」
「ノル様だっ!」
自警団や肝の座った街の住人は歓喜の声をあげた。もう大丈夫だと安堵した姿すら見受けられる。その中に負傷者がいないことをサっと確認してから、僕は改めてロックベアと向き合った。
牙を剥いてこちらを威嚇する大きな魔獣。身の丈は2メートルをゆうに超えるだろう。今にも襲い掛かっきそうだ。
危ない、すぐに殺さなければ。普通の人ならばそう思うに違いない。
しかし僕の眼にはそうは映っていなかった。
「そっか....はぐれたんだ。怖かったね....寂しかったね」
僕には、ひどく怯えているように見えていた。
纏っている霊力があまりにも少ない。あれでは精霊魔法を放つことは愚か、体を守る岩石の強度を保つことすらままならないだろう。
今すぐ人を食い殺そうとしている、というよりは自分を守ろうと必死に抵抗しているようだ。
ロックベアは熊が霊素を多量に接種したことで進化したクマ型の魔獣種で、経口接種した霊素を使って体に高硬度の岩石を纏って防御や攻撃に使っている。成獣になれば土属性の精霊魔法も操る非常に危険な魔獣である。
この個体は成獣にしては小柄で、精霊魔法を使ってくる様子はない。
きっと群れからはぐれて人の住む地域に迷い込んできたのだろう。
人の生活圏には霊素を滞留させた動植物が無い。魔獣対策として空気中の霊素が餌にならないよう細工が施してあるからだ。このようなケースでも無ければ、餌場のない所には魔獣は滅多に近寄ってこない。
「時間がないな....仕方がないか」
これだけ弱っていたら、自警団の戦闘員が到着したらすぐに殺されてしまう。
僕はこの子に危害を加えたくは無かった。人のエゴで必要以上に生き物を苦しめちゃいけない。助けられるのなら必ず助けたい。
僕はロックベアを刺激しないようゆっくりと歩み寄る。
「大丈夫、大丈夫だよ。僕は君の味方だ。僕を信じて」
優しく語りかけながら、僕は空気中の霊素を操ってロックベアへと集めていく。
「君はこれが欲しかっただけなんでしょ? 不安だっただけ。人を襲いたかったわけじゃない」
魔獣は餌を通した経口摂取でしか霊素の補充ができない。
体の外にある霊素を操って魔法を使う人間とは違い、魔獣は取り込んだ霊素しか使えない。
そこで僕は、空気中に滞留している霊素を操って強制的にロックベアに与えた。大した量にはならないが、体の岩石を補強するくらいはできるだろう。
そうすればひとまず身を守ることはできるようになるし、それに何より、こちらが危害を加える敵ではないというコミュニケーションにもなる。
自分に起こった変化に気づいたのか、ロックベアは威嚇をやめて戸惑い始めた。
「僕に従ってくれ、君を痛めつけたりなんかしない。大丈夫、大丈夫......僕を、信じて」
ありったけの思いを込めて霊素を与えていく。
僕の顔がロックベアのざらついた鼻先に触れようかという時。その巨体が動いた。
姿勢を低くして、頭を僕の足元へ下ろしたかと思うと、すぐに頭蓋を守る一番強固な岩石を解いた。
生殺を委ねる行為。服従の姿勢だ。
「分かってくれてありがとう......みんな! もう大丈夫だ」
僕は振り返り、不安そうにこちらの様子を伺っていた野次馬たちに告げた。
いつの間にか攻撃隊が到着していることに気づく。間一髪だった。
「武器をおろして。戦わなくていい。この子は僕が引き取る」
途端に張り詰めていた空気が緩んだ。
大きなため息や、僕を称賛する声があちこちから上がった。
「ノル」
「クァイン、ちょうど良かった。僕の代わりにこの子の頭を撫でてやってくれない?」
「分かった」
合流したクァインはすぐに僕のお願いを実行してくれた。
精霊魔法があれば両腕がなくても大抵の生活には苦労しない。でもこういう時には不便を感じる。
相手に手を触れられないというのはもどかしい。
「ゴリゴリ〜」
ーーグ....グゥゥゥ
「ここか、ここがええのか」
クァインは容赦も躊躇いもなくロックベアの頭をゴリゴリ撫で回した。
噛まれるかも、襲われるかも、なんて微塵も思っていない。指示した僕を完全に信頼してくれている。
最初は戸惑ったロックベアだったがすぐに身を委ねて心地よさそうに目を細めた。
人に対しては無愛想なクァインだけど、動物に対しては結構砕けた様子を見せる。やっぱりハーフエルフという生まれのせいで苦労した過去は、根深そうだ。
「心配して来てみりゃ、なんとも平和な光景で。うまくやったみたいだなブラザー」
「うん。この子、群れから逸れた迷子だ。ルルティアに連れて帰るけど、いいよね?」
「オレはいいけどよ。はあ、またマキナに小言を言われるぜ....何故かオレだけ!」
「そうだノル。そのマキナから伝達魔法があった」
ビクゥ! と反射的に体を縮こませる狼人間。大柄な体が小さく見えた。
「なななななんて?」
「......」
僕が聞かなかったからか不満そうに言い淀んでいるな。「言って」とクァインに目配せを送った。
「ルル姉が帰って来たって」
「ルル姉が!? ブレインの中央議会に出席していたんだよね。予定よりも早い、何かあったのかな」
「そうかも。すぐ幹部会を開きたいから、急いで帰ってきてって」
「分かった」
「あと」
「あと?」
「『覚悟しとけ』だって」
誰に言ったかは、聞くまでも無かった。
わなわなと震え出す、一応偉いはずの狼人間。
「とりあえず急ごう。乗って2人とも」
「うん」
「オレ....帰りたくない」
「自業自得でしょ。早く乗って」
「わ、わあったよ......」
「狭い。あなたは走りなさい、犬なんだから」
「いいけどよ! あんだってんだよ、もぉ〜〜。オレの扱い酷くないか!?」
僕はクァインに後ろから抱き抱えられる体勢でロックベアに乗った。ロックベアは乗りやすいように背中の岩の形を調整してくれたようだ。この子結構賢い。
「行こう! ロックベア!!」
ーーグォ!
フォレスティアを後にして新しくできた大きなお友達は、地響きを上げながら森林地帯の道を進む。
「あ、名前をつけてあげないといけないね」
「ボッチ」
「やめてあげて。あとそのネーミングでいくと、保護する魔獣は大体それになっちゃうから」
ーーグォン♪
「....え、いいの、それで?」
* * * * * *
「....この惨状は?」
ノルたちが去った後。
現場の片つけをしている自警団員に、凛とした雰囲気を纏った白髪の女性が話しかけた。
「君は精霊騎士....いや騎士候補生か」
現場で自警団員たちを指揮していた隊長格の男は、まだ少女とも言える歳の頃を見てそう聞いた。
「はい。アレクサンドラ・メイ・ハミルトン候補生であります」
「失礼した。あなたの家名はこんな片田舎を守っている辺境の武族にも届いていますよ。ハミルトン家のご令嬢がどうしてこのような森の奥地へ?」
「光栄です。なに、学業の長期休暇中に一度ルルティアを訪れておきたくて。何せ100年来の開国ですから」
「カントリーピラーが昇ったのは、もう10年以上も前ですがね....とと、話が逸れましたな。魔獣が出たんですよ。大きなロックベアだったそうです」
「ふむ。それで、被害は?」
「奇跡的にゼロです。偶然、『無腕の守り手』が近くにいてすぐに駆けつけてくれたのでね」
「無腕の守り手?」
「ノルというルルティアに住む少年です。人づての噂程度ですがね、なんでも開国に携わったアミグダリア様の養子なのだとか。生まれつき両腕がないらしく、そう呼ばれています。ただ、失った腕を補うように霊感が優れているようで、扱う精霊魔法は一級品、戦うと強いらしいですよ」
アレキサンドラはその話を聞いて現場に違和感を覚えた。
いくつか精霊魔法の痕跡はあったが、血痕といった生々しい戦闘の形跡は見受けられなかった。人間は愚か、撃退か討伐をしたはずの魔獣のものも、である。
「....ふむ。それは興味深い。見たところ、戦闘の形跡があまりないようだが?」
「なんでも、その場でロックベアを飼い慣らして乗って帰ったそうですよ」
「飼い、慣らして、乗って行った!?....それは、従魔契約とかではなく?」
「ええ、精霊魔法にはあまり詳しくありませんが、違うと思いますよ」
異常だ、とアレクサンドラは思った。
環境によってはA級の警戒度を要する凶悪な魔獣であるロックベアを、いとも簡単に従わせることも異常だし、それを異常だと思ってもいない市民もそれ以上に異常だ。それだけ自然にやってのけた事であると予想がついた。
魔獣と従魔契約を結んで使い魔とするテイムという精霊魔法技術は存在する。しかし、それには多くの手順と大きな実力差が必要だった。おまけに生まれ持っての才能やセンスも重要。
少なくともロックベアクラスの魔獣と一瞬で従魔契約を結べるテイミング技術の存在を、アレキサンドラは聞いたことがなかった。
「屈服した....?」
アレクサンドラはそう結論付けた。
「一体、どれだけの力量差があればロックベアを屈服させられるんだ。それも人の街を襲うほどに凶暴化した個体を....想像もつかない」
アレクサンドラは震えた。思わず、自分でも気づかぬうちにひどく歪んだ笑みをこぼしていた。整った容姿が歪むとこうも恐ろしい印象を受けるものか。
「ひっ....そ、それでは、私は作業に戻りますので」
禍々しいオーラを察した部隊長は足早にアレクサンドラから離れて行った。まるで逃げるような足取りも、思考に没頭している彼女は意に介さなかった。
「ノル....か覚えておこう。ついに私は見つけたかもしれない。私に精霊の導きがあれば、きっと巡り合えるだろう」
ご精読ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。