一幕 雨男②
居ビルの間の路地裏、旗棒地になっているところ、突き当りのところに、小さな女の子と男2人が対峙していた。
いつの間にか美知の姿が見えなくなっていたが、僕は気にせず物陰に隠れて、その様子を見守っていた。
「ようやく追いついたぜ、持ち出した…を………もらおうか?」
「駄目よ、これは私が元………へ……ために………のなの、あなた達が……利用しよう……、知っているのよ!」
薄暗くて遠いからよく聞こえない、でも男たちと女の子が言い争っているのはよくわかった。
僕は、聞き耳を立てているのもよくないし、助けに行こうか、でも関わるのも嫌だし怖いな〜、などと優柔不断に考えていた。その時、2人の男のうち、一人が胸ポケットに手を入れるのが見えた。
もしかして、拳銃か何かか!?と思っていると、そこから出したのは、一本の鍵だった。
薄暗いが、金色で持ち手のところに水色の宝石がついていて、光が反射して見えた。
あれは間違いなく鍵だった。
僕はその後、目を疑った。
間違いなく、彼はその鍵を、自分の右目に突き刺した。そして、ゆっくりと鍵を回した。
「うぐううううううううう…!!!」
苦しむ男の声が路地裏に響いた。もうひとりの男は、少し距離を離そうと思ったのか、その拍子に振り向いて、僕の存在に気付いてしまったようだった。
「おい、加瀬沼!見られているぞ、男だ!」
しまった、見つかってしまった。僕は逃げ出そうとしたが、加瀬沼と呼ばれていた男の姿を見て足が動かなくなっていた。
ドロドロと液体に包まれたような、人型の不思議な生き物に”変身”しようとしている生き物がそこにいた。
子供の頃好きだった特撮ヒーロー、仮面バスターだったか、あれも変身して異形の姿になるが、それとは訳が違う、まるで蛹の中で幼虫が蝶になるための変態、のような、
まさしく人間が他の生き物に”変身”している姿がそこにあった。
苦しんでいる様子であった加瀬沼と呼ばれていた男もこちらに気付き、まだ顔の一部に人間の要素が残っているのか、ニヤリと笑ったような気がした。
次の瞬間、足元のアスファルトがぐにゃり、と沈んだような気がした。
「え?」
間抜けな声をだしてしまった僕は、ふと足元をみる。ぬかるみにハマってしまったように、左足の足首から下が地面に埋まっているような気がした。
「なあに、見られたって構いやしないさ。藤倉、その女から目を離すな。」
完全に異形の姿に変身した加瀬沼がこちらにゆっくりと向かってきた。それは、昔見た仮面バスターの怪人のような姿だった。
僕は地面にハマっている左足を抜こうと必死だった。
しかし一向に動く気配がない。というか、加瀬沼が近づいてくれば近づいてくるほど、
まるで底なし沼のように、どんどん地面が柔らかくなり、まるで水に足を突っ込んでいるかのように、深く、沈んでいった。気付けば右足も沈み始めていて、左足は膝辺りまで地面に浸かっていた。
もうその場から動けそうになかった。
助けを呼ぼうにも、路地までは曲がり角を2回ほど曲がってきたため、人通りも見えず、声も届かないような感じがした。
「なんなんだ、これは!おい!お前ら、一体なんなんだよ!」
僕は必死に声を上げ、男らに抵抗しようとした。
加瀬沼が失笑しながら、僕にこう言った。
「なあぼうず。人間にはな、まだ使われていない脳みその容量が70%もあるらしい。知ってるか?
『人間が想像出来ることは、人間が必ず実現出来る』って、ジュール・ヴェルヌっていうフランスのSF作家だかなんだかが言ってたが…まあいい、
とにかくだな、世の中には本当に超能力ってのがあって、脳に刺激を与えれば、人間が変身したように見え、超能力を実現出来るってわけだな。」
親指を立てたかと思うと、すぐにスッと下に落とした。
その瞬間、足元のぬかるみが、完全に水になって、僕の体は沈んでいった。
あっという間の事だった。地面が水に変わった事に気付いた時には、僕は既に水の中にいた。
急いで水の中から脱出しようと光を目指して浮上していき、なんとかたどり着いた。
ブハっ、と息を吸い目を開けると、目の前に加瀬沼と藤倉が立っていた。
「藤倉、お前はあの女を見張っておけ。こいつは俺が片付ける。なあに、今自分に何が起こっているのかすら、こいつは理解していない。」
「わかった、じゃあ、俺は、あいつの“鍵”を奪うとしようかね…」
あいつと呼ばれていた“少女”、おそらく小学2年生くらいだろう、薄暗いので顔ははっきりとは見えないが、観念したのか、座り込んで怯えている様子だった。
じり、じり、と藤倉が向かっていく。彼もまた、内ポケットから鍵をスッと取り出して、自分の右目に差し込もうとしていた。
そんな光景に目を奪われていると、僕の顔を、加瀬沼が覗き込んできた。そこには一つ目の、異形の怪物が立っていた。
「何よそ見してるんだ?お前、自分が今、この瞬間に、死んでもおかしくない状況にいるんだがな?」
聞きたい事が山程あるのだけれども、今はどうやってこの絶対絶滅の危機を乗り越えようか必死になって考えていた。
とりあえず、溺れた時の呼吸を落ち着かせて、話をしなければいけない、と思った。
が、その瞬間
「うわっ!」
藤倉の声が聞こえた。
さっきまで握っていた“鍵”が藤倉の手を離れ、ピタッ、と雑居ビルのフェンスにくっついていたように見えた。
「ちくしょう!スターゲイトがいるぞ!加瀬沼、気をつけ…」
そう言い終わる前に藤倉の体がフワッ、と浮いたかと思うと、鍵がくっついているフェンスにバシン!!と強い勢いで飛んでいき、張り付いた。
「うぐぅっ!」と鈍い声をあげ、その場で藤倉の体が沈むように倒れていった。
「ちくしょう!!どこにいやがる!!スターゲイト!!」
加瀬沼が僕の方から目を離した瞬間、僕の体もフワッと持ち上がり、その少女がいるところまで一気に飛ばされた。
磁石と磁石が吸い付くような、不思議な力で繋がっているような感覚があった。
あっという間に僕の体は水から飛び出て、少女の側に落ちていた。
「大丈夫?」
小学生くらいの女の子に心配されてしまった。
「いてて…。大丈夫、君の方こそ追われていたよね、怪我はない?」
「うん、平気。それにもう大丈夫だよ。お姉ちゃんが来たから。」
彼女は笑顔を浮かべ、僕に話かけてきた。
お姉ちゃん?そう聞き返すと、少女は「ほら。」と指を上に向けたので、上を見上げた。
気付かなかった。
雑居ビルの間、空中に、黄色のマントをつけた、磁石や電球をモチーフにした、でも女性と分かる、“異形の怪物”が浮いていた。
ゆっくりと彼女が地面に向かって降りてきたのが分かった。口元は人間のものだとすぐに分かった。
ヘルメットを被っているような、でも女性だと一目で分かる。そうか、彼女が「スターゲイト」か、とすぐに理解した。