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高級娼館イヴリース


◆◆◆◆


 娼館街アンヘル。

 それは所謂、悪所である。

 聖都南地区アルスバニアの一角にあり、その区域はぐるりと背の高い柵に囲まれている。

 入り口はひとつ、楽園の門(エデンズトーア)と呼ばれており、林檎の木が描かれているその白亜の門は、昼は閉じていて夜になると開かれる。

 夜は危険だから外には出るな――とは、聖都での常識ではあるが、娼館街アンヘルの場合は、昼間は寝静まっていて、夜になると昼間の静けさが嘘のように、煌びやかなその姿を現すのである。


「ここが娼館街か、噂には聞いていたけれど、はじめて来たよ」


 興味深そうにあたりの景色を見渡しながら、レイル様が言う。

 見渡す――といっても、今は顔に狐面をつけているので、首を動かしていることしか分からないのだが。

 白い一つに結ばれた髪が、首を動かすと揺れる。長い尻尾のようにも見える。


「もっと薄汚れた場所かと思ったけれど、案外綺麗なのだね」


 大小様々ではあるが、整然と並んだ建物には夕日が落ちて、外壁が橙色に染まっている。

 魔石ランプの灯りが灯り始めて、街に輝く一番星のようにも見える。


「娼館というのは――差異はありますが、庶民には近寄りがたい場合が殆どですからね。通うのは、貴族や金持ち。騎士たちもですが、身分や権力、金のあるものばかりですから」


「流石ルシアン、詳しいね」


「常識ですよ、レイル様。私が特別詳しいというわけではありません」


 高級娼館イヴリースは、貴族の屋敷のような佇まいである。

 貴族街にある、貴族たちが聖都に滞在するために建てられている別邸に、その造りは似ている。

 おそらくは、高級感を演出するためにそれらを模して建てられたのだろう。


「それでは、僕たちは裏口から。ルシアンとレイル様は正面から」


「あぁ。気をつけて、シエル」


「何かあれば合図を送る」


 ルシアンとレイル様と別れて、僕はセイントワイスの部下たちを連れて裏口へと向かった。

 キルシュタインではエーリスの魔力が暴走した結果、キルシュタインの人々が暴徒化して殺し合いになりかけた。

 同じことが考えられるので、セイントワイスの部下たちやレオンズロアの者たちには、娼館街の者たちの保護を任せた。

 イヴリースに向かうのは、リーヴィスや力のある者数名だけだ。


(リディアさんは、大丈夫だろうか)


 大神殿に残してきたリディアさんの顔を思い出す。

 本当なら、傍にいたい。

 けれど――全ての邪悪を払うと言われている聖剣レーヴァテインは殿下の手に戻り、ロクサス様も共に居る。

 リディアさんのことは二人に任せておけば心配ないだろう。

 魔女の娘の討伐は、現状での最優先事項だ。

 知性ある魔物が世界を乱すと思われれば――僕たち宝石人も、同様だとされかねない。

 リディアさんはきっとそんなことはないと泣いてくれるのだろうけれど、それはリディアさんだからだ。

 人々は、この世界は、リディアさんの考えている以上に残酷なものだと、僕は知っている。


「不気味なほどに静かですね。……それに、これは」


 イヴリースの裏口から中に入ると、リーヴィスが壁に指先で触れて、眉をひそめた。

 木製の壁に白いものがべっとりとこびりついている。

 それは壁から床に伸びていて、屋敷の内部全体を包み込んでいるようだった。


「蜘蛛の糸だ。魔力を帯びている」


「蜘蛛ですか」


「あぁ。……フランソワの手からも、同じものが。人を、支配下に置いて――その肉体を魔物のように変質させることができるようだ」


 蜘蛛の糸に触れる。

 指先から魔力を流し込むと、蜘蛛の糸は青く燃え上がり消えた。

 炎の魔法は使いどころが限定される。その炎が建物に燃え移ったら、大火事になりかねないからだ。

 けれど調整すれば、対象物のみを燃やすことが可能になる。

 屋敷を覆う糸を燃やしながら、階段をあがる。

 階段上の天井から、人の大きさぐらいの白い繭状のものが、いくつもぶら下がっている。


「人ですね」


「娼館の者たちだろう。リーヴィス、人命の救助を」


「了解しました」


 魔力を練り上げて、通路全体まで広げる。

 燃え上がる青い炎が廊下を舐めるように広がって、白くべとつく糸を焼き払う。

 天井からつるされていた人々がぼとりぼとりと落ちてくるのを、リーヴィスたちは協力をして、魔力の網を作って受け止めて、薄衣に身を包んだ女性たちや、執事のような服装の男性たちを通路に寝かせる。


「弱っているようですが、息はありますね。……ずいぶんと、派手な行動を取っているようですが、何故今まで見つからなかったのか」


「娼館は、秘せられた場所だからだろう。特にイヴリースに通うような者は、立場ある者たちばかりだ。誰がここに来たかなどは把握できるものでもないし、ここに来た者たちが魔女の娘の支配下に置かれたとして、気づくことは困難だ」


「場合によっては、一晩で月の給料が全額飛ぶとか、飛ばないとか。金持ちの道楽ではありますね」


「それを生業に生きている女性たちもいる。人の体に値段をつけることは醜悪だとは思うが、悪とは言い切れない。皆、治療が可能な者は治療を行い、屋敷から運び出せ。僕はこのまま、上階に向かう。ここは任せて良いか、リーヴィス」


「はい。……シエル様。シエル様が傷つけば、リディアさんが悲しむでしょう。あなたの強さは知っていますが、あまり無謀なことはしないようにしてください」


「そうだね。……気をつける」


 人命救助を部下たちに任せて、上階へと進んでいく。

 上階に進むにつれて、蜘蛛の糸が通路全体に、幾重にも張り巡らされているようにして、先に進むのを阻んでいるようだった。


「時間稼ぎか?」


 キルシュタインで相対したエーリスには、ジュダールという参謀のような人間がついていた。

 ジュダールがエーリスに従っていた――というよりは、エーリスはジュダールに庇護されていたと考えられる。

 エーリスはどこか、幼い。

 けれど、今回は違う。

 フランソワを操り、聖獣を捕縛し、王宮を支配した。

 そこには、明確な意志のようなものが感じられる。

 エーリスのようにただ、争わせて、憎み合わせて、殺し合わさせることとは、違う。


「……急ごう」


 伸ばした指の先に魔方陣が現れる。

 炎の本流が蜘蛛の糸を一気に焼き払い、元の廊下を露わにさせる。

 露わになった廊下に、蜘蛛の糸に雁字搦めになっていたのだろう娼館の者たちが倒れている。

 死んでいるのかと思ったが、眠っているだけのようだ。

 弱ってはいるが。


「悪趣味だな」


 一息に殺さないというのは、駒にでも、するつもりなのだろうか。

 最上階のフロアに辿り着くと、正面玄関から中を進んできていたルシアンやレイル様の姿が見える。


「シエル! そちらはどうだった?」


「魔物の姿はありません。拘束されていた娼館の者たちは、部下たちが救助をしています」


「こちらも同じだよ。べとべとしている白い糸のせいで、剣がべたべたになった。腹が立ったから、私の魔法で、蜘蛛の糸の時間を巻き戻したら、糸はこんな小さな蜘蛛に戻ったよ」


 レイル様が指先で米粒ぐらいの大きさを示した。


「小蜘蛛は潰したが、無数にいたせいで、半分以上逃げられた」


「まぁ、あれは、ただの蜘蛛だよ。本体を倒せば消えるだろう」


「ここが最後の部屋だ。入るぞ」


 ルシアンが最上階ある一番大きな扉を開く。

 その中は、他の部屋とは違い、糸に汚染されてはいなかった。

 香炉から甘い香りが漂い、大きな鉢の中には金魚が泳いでいる。

 豪奢なベッドの上には、人が寝そべっていたような跡がのこっているが、そこには誰も居ない。


「……蛻の殻だね」


 レイル様がベッドに手を置くと、小さく言った。

 視線を巡らせると、窓が開いている。

 窓の外には夕闇が迫っていて、冷たい風が室内に吹き込んでいた。


「逃げたか。……シエル、戻ろう。リディアが危険だ」


 ルシアンが言う。


「もちろん――」


 そう言いかけたところで、階下から争う声が聞こえた。


『シエル様、救助した者たちが――他の娼館から避難させた者も含めて、暴れ出しました。ここは私たちに任せて、魔女の娘を追って下さい』


 リーヴィスの声が、頭に響く。

 窓の外に広がる燃えるような夕焼けに視線を向ける。


「大神殿に戻りましょう」


 逸る気持ちを抑えて、転移の魔方陣を作り出した。

 リディアさんの命が奪われてしまったらと思うと、魔法の構築のための集中力が途切れそうになる。

 冷静にと、自分に言い聞かせる。

 景色が歪む。どうか、無事であって欲しいと――神は嫌いだけれど、はじめて祈るように思った。




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