お父様とフランソワ
フランソワが口をあけてくれるので、私は桃のシャーベットをせっせと食べさせ続けた。
血の気の引いていた頬が薔薇色に、浅い呼吸が深く穏やかなものに変わり、大きな青い瞳がぱちりと開いて、私を真っ直ぐに見つめた。
「お姉様、お姉様、リディアお姉様……!」
ベッドからフランソワががばっと起き上がり、私に抱きついてくる。
血に染まる服は腹部の部分が大きく破れていたけれど、怪我はシエル様がなおしてくださった状態のままで、その手にも体にも、力強さがある。
フランソワが元気になったからだろうか、大衆食堂ロベリアだった景色は元の地下牢に戻り、私たちは薄暗い地下牢に立っていた。
フランソワの背丈は私と同じぐらいで、その体は華奢で小さい。
私に縋り付いて泣くフランソワは、幼い子供みたいに感じられた。
「フランソワ……大丈夫?」
「お姉様、ごめんなさい、ごめんなさい」
私に抱きついて泣いているフランソワを、私の体からロクサス様がその首根っこを掴んでべりっと引き剥がした。
ステファン様が守るように、私の体をその背中に隠した。
「リディアに触れるな、悪女め。俺はお前を許していない」
「フランソワ。お前は一体何者なんだ」
冷たい声で二人に尋ねられて、フランソワはびくりと震えると、助けを求めるように私を見た。
「男、嫌い、男なんて大嫌い、お姉様、お姉様……!」
「フランソワ……」
私に一生懸命手を伸ばしてくれるフランソワが可愛い。
毛を逆立てて怒る捨て猫みたいな姿が、ステファン様に捨てられた頃の私に似ている。
「かぼちゃぷりん……」
エーリスちゃんが不満げにそう呟くと、私の頭の上からぱたぱたとシエル様の腕の中に移動した。
凄く不満そう。
桃のシャーベットが食べたかったっていう顔をしている。
シエル様の隣では、ルシアンさんが私のお父さん――聖獣アルジュナを、当たり前みたいに腕に抱えていた。
レイル様がアルジュナの頭をよしよし撫でている。犬、好きなのかしら。
もう一人のお父様、人間のお父様のフェルドゥールお父様が、私に近づいてくる。
「リディア……無事か、リディア。……あぁ、リディア、私のリディア、私とティアンサの娘。……大きくなったな、リディア。愛らしかったティアンサによく似ている」
「お父様……」
お父様が――私の、お母様の名前を呼んだ。
ティアンサ・エルガルド。
もう顔も思い出せない、私のお母様。
懐かしそうに、悲しそうに、愛おしそうに。
「何があったか、思いだしたことは全て話そう。皆、リディアを守ってくれたこと、感謝する。ここは、大神殿にある懲罰の間だ。問題を起こした神官を、閉じ込める牢。ここから出よう」
お父様に言われて、私たちは地下牢から外に出た。
私を抱き上げようとしてくるステファン様の腕から私は逃げた。
怪我は治して貰ったし、体にも不調はないもの。
抱き上げてもらう必要はないのよ。
ステファン様は「シエルには、抱き上げられていた」と、寂しそうにしていた。
フランソワの精神操作の魔法にかかっていたときのこと、ステファン様は覚えているらしい。
ということは私がステファン様の器を、親指ぐらいって悪口を言ったことも覚えているのよね、きっと。
触れないでおきましょう。うん。それが良いわね。
私たちは大神殿のゆったりとした広い応接間に案内された。
ドレスが破けているフランソワには、お父様の大きな法衣がかけられている。
すらりとしていて背が高いお父様の法衣は、フランソワにはぶかぶかしている。
フランソワは不満そうな表情を浮かべていて、お化けごっこでもしているように法衣をずるずる引きずりながら、私の腕にしがみついていた。
引き剥がそうとするロクサス様を捨て猫みたいに威嚇するので、私はロクサス様を窘めた。
気持ちはわかるけれど、女の子には優しくして欲しい。
「あらためて、皆には詫びと、礼を。リディアが無事で良かった。……私はこの手で、実の娘を殺すところだった。そんなことになれば、リディアを守ろうとしてくれたティアンサに――再び白い月で巡り会うことができたとしても、とても、顔向けできない」
応接間のソファに、お父様が座って頭を下げる。
法衣を脱いだお父様はすらりとしていてスタイルが良くて、何歳なのかはわからないけれど、若々しい美丈夫だ。
艶々の金の髪と、濡れたような青い瞳。
今まで怖い印象しかなかったお父様だけれど、綺麗な方だと思う。
感想が他人事みたいになってしまうわね。
私にとっては、子犬のアルジュナの方が、お父さんっていう感じなのよね。
「リディア。お前はあのときのことは幼かったから覚えていないだろう。ティアンサが、神官家から唐突に姿を消した時のことを」
「お母様は、ご病気だって……」
私は驚いて目を見開く。
私の腕にはフランソワがぴったりくっついていて、私の隣にはステファン様が座っている。
テーブルを中心に四方に並べられた大きなソファの対角に、ロクサス様が座っている。
シエル様はエーリスちゃんを肩に乗せたまま、ルシアンさんはアルジュナを抱っこしたまま私の後ろに控えていて、レイル様は壁に背中をつけて腕を組んでいる。
「それは――私の心が、何者かに支配されてから作り上げた嘘だろう。ティアンサは優しい人だった。私はティアンサを愛していたし、ティアンサも……私のこともリディアのことも、愛していたと思う。何の理由もなく、いなくなったりはしない」
「それで、ティアンサ様は、どこへ?」
ステファン様が尋ねると、お父様は眉を寄せた。
「――ティアンサが失踪してから数日後のことだ。四方八方手を尽くして調べていると、ティアンサのものと思われる服や、私の贈った首飾りや指輪が、娼館街アンヘルの路地裏で見つかった。私は娼館街に向かい、ティアンサの行方を追った。……そこで、……誰かに、出会った。恐ろしい化け物に。そこからの記憶は、途切れている」
「ファミーヌ……化け物……私のお母様も、食べられた。いうことを聞かなければお母様を食べるって、ファミーヌは言った。でも、嘘だった。ファミーヌは、もういらないからって、お母様を食べた……食べたの」
お父様のお話で何かを思い出したように、フランソワががたがたと震えながら言った。
私はフランソワの体を抱きしめる。
「私……あんまり、良く思い出せない。私のお母様は、……娼館で、働いていた。そこは嫌な場所。私はそこでうまれた。お母様は綺麗で、人気があって、……人気があるから、私と、遊んでくれる時間は、少なくて。でも、私がこわい思いをしないように、守ってくれて……他の女の人たちも、私を可愛がってくれた」
「……ファミーヌと、君は言ったね、フランソワ。それは化け物だと。神官長が出会ったのも、化け物」
レイル様が確認するように、けれど優しく言った。
「突然、現れたの。綺麗な、女の人だった。……ファミーヌは、お母様に命令した。聖女の力を手に入れろって……でも、お母様にはそれができなくて。そうしたら、今度は私が……どうしてかはわからない」
「――神官長。ソワレ様がいたのは、確か、娼館街アンヘルの、高級娼館イヴリースだったはず。そこに、化け物が。レオンズロアの者たちを連れて、今すぐ向かいます」
ルシアンさんが冷静な声でそう言った。
「セイントワイスも同様に。おそらくそこに、魔女の娘の一人。ファミーヌがいる。あなたの妹ですね、エーリスさん」
シエル様が腕の中のエーリスちゃんに尋ねる。
エーリスちゃんは「かぼちゃぷりん」と、肯定なのか否定なのかよく分からない返事をして、私の胸の中に戻ってきた。
「俺も共に向かおう。……二手に分かれるべきだろう。フランソワは、襲われた。恐らくは、フランソワの劣勢を悟り、口封じをするために。化け物は、リディアの力を欲している。だとしたら、リディアが襲われる危険が高い」
ステファン様が言う。
「殿下、私が行くよ。魔物討伐は、勇者に任せて。私とシエルとルシアンで行こうか。ルシアンは娼館に詳しいようだし」
レイル様が、片手をぐるぐる回しながら言った。
やっと動くことができる――というように、どことなく嬉しそうにしている。
「詳しくはないですよ。どこ情報ですか、それは」
「リディアが、ルシアンは娼館によく通っていると教えてくれたことがあって」
「それは私ではなく、私の部下たちです。リディア、私は娼館に通っていないからな……!」
私はルシアンさんをじっと見つめた。あやしい。
「殿下。殿下とロクサス様はここで、リディアさんたちを守っていてください。魔女の娘を討伐するまでは、油断はできませんから」
「お父さんも、ここで待っていてくれ」
シエル様が落ち着いた声で言って、ルシアンさんはアルジュナをソファの上に降ろした。
アルジュナはソファの上で、何も言わずに丸まって、そのまますやすや寝てしまった。
「私……心配です……怪我とかしたら。私も、一緒に」
「リディアはここで待っていてくれ。危険な目にはあわせたくない。君は私の勝利の女神だ。君が送り出してくれるというだけで、勇気づけられる」
「リディアさん、大丈夫ですよ。こう見えて、僕はかなり強いので」
「安心して、姫君。私は勇者だからね。それでは、行こうか、魔導師と……魔法剣士、かな。私の仲間たち」
私はルシアンさんたちを見送った。
何だか嫌な予感が、胸の奥に重く、泥みたいにへばりついていた。
リディアのお母さんディアナ→ティアンサに変えました。
ところで、本編の隙間時系列の番外編で
ハロウィン終わっちゃいましたけど
ハロウィンデートとか、クリスマスデートが書きたいのですが、相手は誰が良いとかありますか…?
あったら良いな…!




