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シエル様の宝石




 鏡の中に閉じ込められている獣が、首をもたげると私を見た。

 頭の奥が、ずきりと痛む。

 私は──あの獣を、知っているような気がする。


「教えなさい、聖獣。あなたがお姉様に、アレクサンドリアの力を与えているのではないの? お姉様の力を、私に移しなさい!」


 フランソワが鏡の向こう側に怒鳴る。

 フランソワの苛立ちに呼応するようにして、鏡の向こう側に何本もの落雷が落ちる。

 落雷は、獣の体を焼いた。


「……っ、やめて、やだ、やめて……!」


 獣は衝撃に全身を跳ねさせて、ふさふさの白い毛並みをやけ焦がしながら、低い唸り声をあげた。

 あまりにも残酷な光景に、私は首を振る。

 体を揺らしたせいで、手枷が手首に食い込んで、両腕が何本もの針が刺さったように痛んだ。

 カチャンカチャンと、鎖が耳障りな音を立てる。


「ひどいことしないで、お願いだから……!」


 小さな動物をいたぶるなんて。

 とても、見ていられない。


「お姉様は、聖獣に気に入られて、聖女になったのよね? どうやって力を与えられたの? 教えなさい。ちゃんと教えてくれれば、命は助けてあげる」


「私、知らない……何も、知らないです」


 本当に、私は何も知らない。

 私には魔力がないってずっと思っていたし、不思議な力なんてあるわけがないって、思っていたのよ。

 聖獣と呼ばれている鏡の中の獣と会ったのだって、これが、はじめてで。

 聖獣なんて、知らない。

 知らない。

 ……本当に?


「しらばっくれないで。知っているでしょう? 泣いたって、誰も助けに来てくれないわよ、お姉様。あなたが自慢気に侍らせている馬鹿な男たちは、この場所を知らない」


「自慢気じゃ、ないです……っ、侍らせて、ない、です、大切な、お友達ですから……!」


 シエル様たちのことを、侮辱された。

 私のことを馬鹿にされるよりも、ずっと、腹が立つ。

 私はフランソワを睨んだ。睨むぐらいしか、できないけれど。 


「友達。馬鹿馬鹿しい。あぁ、早く終わらせてしまいたい。私に聖女の力があれば、全て、うまくいくの。お姉様の記憶を、お姉様は嘘つき女だったと書き換えて、私が聖女になる」


「……魔力の譲渡など、普通は不可能。だが、宝石人の魔力がその体の核に宿るように、人間の魔力も、おそらく心臓に宿る」


 お父様がどこか苦し気に、そう言った。

 フランソワは両手をぱちんと合わせると、嬉しそうに瞳を輝かせる。


「心臓! そうなのね、心臓! やっぱり殺してはいけなかったのね。お姉様の料理を食べると、魔法の効果が現れる。食べることで、魔力を受け入れることができる。つまり、食べる。そう、食べれば良いのね。食べる、食べる。お母様みたいに、人間を、食べる……」


「フランソワ……?」


「食べる、食べられる、食べる、お母様、お母様が……私は、お姉様を、そうして、お母様の望みを果たすの……」


 フランソワは混乱したように俯いてぶつぶつ何かを呟いた後、顔を上げて、私をじっと見据えた。


「お父様、お姉様が暴れないように、押さえつけて」


「あぁ、フランソワ。お前の、望み通りに」


 お父様は私の背後に来ると、私の両腕を掴んだ。

 両手の感覚はもうほとんど残っていないのに、腕を掴まれるとずしんとした鈍い痛みを感じた。


「お父様、やめて、離して!」


「お姉様、騒いでも無駄。殺さないって言ったけれど、駄目ね。お姉様は私のものになる。その体を私に差し出して、心臓を、私に食べられて」


「来ないで、嫌……っ」


 フランソワが、近づいてくる。

 何を言っているのか良く分からない。私は食べ物ではないし、フランソワが私を食べることができるようにはとても思えない。

 私のすぐ目の前で足を止めたフランソワが、私の胸の上に指をあてた。

 ぞわぞわとしたものが体中を這いまわり、体ががくがくと震える。

 殺される。

 食べられる。

 フランソワは人間に見えるのに、人間ではない別の何か。魔女の娘の一人――。


「助けて、誰か……」


「聖女の癖に、泣きじゃくって助けを求めることしかできないのね。本当に役立たず。落ちこぼれ。生きる価値もない、お姉様」


 私を嘲笑いながら、フランソワが猫なで声でそう言った。

 甘く囁くような優しい声に、凍てつくような冷淡さが滲んでいる。


「かぼちゃぷりん!」


 私の胸の間から、エーリスちゃんが飛び出してフランソワの顔にべしゃりとぶつかった。


「エーリスちゃん……!」


 いつの間に隠れていたのだろう、気付かなかった。

 エーリスちゃんは、時々私の体の中に入り込んでいるように、存在感が希薄になる。

 もしかして、本当に体の中に入っているのかもしれない。


「邪魔するんじゃない、鳥!」


 フランソワはエーリスちゃんを鷲掴みにすると、壁に向かって投げつけた。

 エーリスちゃんは壁にボールみたいにぶつかって、ずるっと床に落ちた。


「エーリスちゃん!」


 床に落ちたエーリスちゃんに、聖獣を閉じ込めている鏡から黒い手が伸びる。

 黒い手はエーリスちゃんを捕まえると、鏡の中にその体を飲み込んだ。


「……どうしてみんな、私の邪魔をするの。私は、使命を果たさなくてはいけないのに。でもこれで、邪魔な者はいなくなった。お姉様、私に、心臓を頂戴」


「いや、こないで……!」


 フランソワの右手に、真っ赤な口が現れる。

 牙の並んだその口の中には、ぬるりとした赤い舌がのぞいている。

 大きく開かれた口が、私の心臓の上の皮膚にかぶりつこうとする。

 激しい痛みが全身を襲う予感に、私は体をよじらせながら悲鳴をあげて――。


「何……っ」


 フランソワが、一歩後退った。

 私のお洋服のポケットの中に入っている、シエル様に貰った宝石が、激しく光る。

 薄暗い牢獄のような部屋の隅々までを光り輝かせて、痛みも苦しさも、忘れさせてくれるように――体が、ふわりと軽くなる。


「シエル様……」


 宝石をくれたとき、シエル様は「宝石の魔力が、あなたの命を守る」と言った。

 本当に、守ってくれた。

 ――逃げなきゃ。

 このままここにいたら、私はフランソワに食べられる。

 逃げなきゃ。

 でも、どうやって。


「お父様、助けて……お父様、お父様……!」


「リディア……」


 私は、私の腕を掴んでいるお父様に、助けを求めた。

 お父様は――私の、お父様、よね。

 娘が殺されて喜ぶお父様なんて――どんなに私のことが嫌いだって、いない、わよね。


「リディア……リディア、私は……」


「お父様……」


「お父様は、私のお父様でしょう。私の、私だけのお父様、お父様は私が聖女になったら嬉しいでしょう?」


「フランソワ……だが、……私は、……私は、リディアを……」


「使えない。あぁ、使えない……!」


 お父様は私の腕から手を離して、私を庇うように前に出た。

 フランソワの右手の平にぽっかりと開いた口からしゅるしゅると白い糸が伸びて、お父様の体に巻き付く。

 糸はお父様の首を締め上げた。苦しそうな呻き声が聞こえる。


「やめて、死んじゃう、お父様が……っ、フランソワ、やめて……」


「邪魔する者は皆死ねば良い。お母様がそう望んでいる」


「やめて!」


 お父様のことは、嫌いだけれど。

 でも、私を助けようとしてくれた。

 お父様は、どんなお父様でも、私のお父様で――誰かが傷つくのは、誰かが苦しむのは、命を奪われるのは、嫌……!


「リディアさん!」


 部屋の中央に光り輝く大きな魔方陣が現れる。

 魔方陣から姿を現したシエル様が、私の名前を呼んだ。

 私の姿を見て、大きく目を見開く。それから、フランソワに炎のような憤りを孕んだ赤い瞳を向けた。

 シエル様と共に現れたレイル様が素早くお父様に絡みついた糸をナイフで断ち切り、ルシアンさんが私の手枷からのびる鎖を剣で切り裂いて、倒れ込みそうになった私を助けてくれる。


「呪縛の黒」


 短い詠唱と共に、シエル様の足元から細い鎖が何本も伸びて、フランソワの体に絡みつく。

 ロクサス様がレイル様からお父様を受け取って、「すまないが、あなたを信用できない」と言って、縄でその体を縛り上げた。


「リディア、大丈夫か、リディア……!」


 ルシアンさんの心配そうな声がする。

 泣き出しそうなその顔を見上げて、私は微笑んだ。


「私、大丈夫です……私よりも、エーリスちゃんが……」


 エーリスちゃんと聖獣は、まだ鏡の中に囚われている。

 鏡の中でぐったりとして動かない聖獣と、ころんと転がっているエーリスちゃんの姿が見える。


「フランソワ。聖剣をかえせ。その命を、奪われたくなければ」


 ステファン様が、拘束されたフランソワに静かに剣を向けた。



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― 新着の感想 ―
なんだろう・・・泣いて助けてしか言わない主人公って必要?
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