囚われのお姫様
うっすらと、瞼を開くと、視界がぼやけた。
両腕が、なんだかとても痛いし、体中が痛い気がする。
ものすごくたくさん頑張って運動をした翌日みたいな、体がぎしぎし軋んでいる感じ。
両手首はすごく痛いけれど、それ以外の体もぎしぎし痛い。
(私、どうなったんだっけ……)
王宮の中庭にエビフライが舞って、それをエーリスちゃんが上手にキャッチして、食べて。
それから、兵士の方々や貴族の方々の口に、みんなが手分けをしてエビフライを突っ込んで。
私も、ステファン様にエビフライを食べてもらって。
それで。
足元がどろどろになって、どこかに、落ちたんだった。
記憶が鮮明になるにつれて、靄がかかっていたような視界もはっきりとしてくる。
私は──薄暗い、石造りの部屋にいる。
窓はない。壁には魔石ランプの灯りが灯っている。
地下室や、地下牢のような場所だ。
部屋の隅までは灯りが届いていないので、かなり広い空間なのだろう。
私の背後には壁があり、正面には何もない。
何もない空間の先には灯りが届かずに、闇が凝っている。
「い……っ」
意識が鮮明になると、体の痛みの感覚が増した。
痛いのは、両手首に手枷が食い込んでいるから。
天井から二本の鎖が垂れ下がっていて、その先についている手枷に、私の両手首は拘束されている。
天井から吊るされているせいで、私は両手を万歳の形であげていなければいけなくて、床につま先がやっと届くぐらいの高さなので、少し力を抜くだけで、両手にぎりぎりと手枷が食い込んだ。
「リディア、目覚めたか」
闇の中から声がする。
かつん、かつんと、足音を響かせながら私の前に現れたのは、白い立派な法衣に身を包んだ、美しい金の髪と青い瞳の美丈夫。
フェルドゥールお父様。
おいくつになられたのかは知らないけれど、お父様はとても若く見える。
いつも不機嫌そうに寄せられた眉間の皺がとれた時の表情を、私は知らない。
私の前では、フェルドゥールお父様はいつも不機嫌そうにしていた。
「おとうさま……どうして……」
私のこと嫌いだって知っていたけれど。
私にひどいことをするぐらいに、私のことが嫌いなの、お父様。
役立たずだから嫌っているとか、落ちこぼれだから興味がないとか、その程度だと思っていたのに。
「お前が幼い頃、魔力診断を受けさせただろう、リディア。あの時、お前には魔力がなかった。しかし、女神アレクサンドリアの力はお前の中にあるのだな。その力は、フランソワにこそふさわしいものだ。お前には分不相応な力だ」
「ええ、そうでしょう、そうでしょう。お姉様なんて、自分で何も考えることのできない役立たずなのですから、私にその力を譲りなさい。私が、私……私が、お姉様の力を、役立ててみせます」
お父様の横に、音もなくフランソワが現れる。
(自分で何も考えることのできない、役立たず……)
確かにそうかもしれない。
私、ずっと嫌がっていた。
ルシアンさんに、料理に不思議な力があるって言われて、そんなことはないって否定して。
シエル様に助けて欲しいって言われて、私にはそんな力はないって、否定して。
ロクサス様にも助けて欲しいって言われて、私には何もできないって、否定して。
「生きる価値のないお前を、レスト神官家で養ってやっていたんだ。それなのに、恩を仇で返すつもりか、リディア」
「お父様、私……」
「この国にとって、女神の力がどれほど大切か、知らないわけではあるまい。私を騙し、隠していたとは」
まるで昔の私に戻ってしまったかのように、体が、心が萎縮する。
私は、役立たず。いらない。おちこぼれ。
「どうやって隠していた? リディア、お前は何を知っている?」
「私、なにも知らないです……」
「やはり、役立たずか」
お父様が嘲るように言った。
役立たず。
そうかもしれない。
でも。
もしかしたらこんな私でも、誰かの役に立てるんじゃないかなって、思って。
私の料理で、オリビアちゃんたちの病気が治って、嬉しかった。
キルシュタインの方々が、争わずにすんで、嬉しかった。
ステファン様が元の優しいステファン様に戻ってくれたようで──。
「お父様、私、お父様なんて大嫌い! 私は、役立たずなんかじゃない!」
萎縮した心をふるいたたせて、私は叫んだ。
お父様は私の頬を思い切り叩いたけれど、私は、せめてとお父様を睨み付ける。
お父様は、私の顔を見て、何故か困惑したように一歩下がった。
もう、怖くない。私はちゃんと、怒ることができる。
「なぜ、聖女になりたいの? フランソワ、殿下が好きだから?」
例えば、フランソワがステファン様に恋をしているとして。
私が婚約者に選ばれたことが許せなくて、ステファン様を操っていたというのなら、理解できる。
それに、フランソワは出自を気にしているとステファン様は言っていたから、自分に聖女の力があれば──どんな出自だとしても、特別、になれる。
その気持ちは、少し、わかるような気がした。
私は、特別じゃなくて、おちこぼれで、ひとりぼっちだった。
でも今は、シエル様やルシアンさん、ロクサス様やレイル様がお友達になってくれた。
それは、私の料理に力があったからだ。
何もなければ、ただの、大衆食堂ロベリアの料理人だったら、私はずっと街の片隅で料理を続けていて、ただそれだけだった筈だ。
「ベルナール王家の王子のことが好き……? まさか。そんなわけがないじゃない。それはお母様の望みなの。私は、アレクサンドリアになる……憎い、アレクサンドリアに、大きいお母様から全てを奪った、アレクサンドリアに……!」
「フランソワのお母様はソワレ様ではないの……? それとも魔女シルフィーナのことなの……? あなたは、エーリスちゃんの妹……」
「全部外れよ、お姉様。役立たずで、出来損ないの、お馬鹿さん。でも、生かしておいて良かった。殺してしまっていたら、聖女の力は失われていたものね」
フランソワは私にゆっくりと近づいてくる。
小さな女性の手が、お父様に叩かれてじんじん痛む、私の頬を撫でた。
それからその手は、私の腕を伝って、手枷に拘束された手首に触れる。
「血が出ているわ、お姉様。私に力があれば、すぐに傷を治してあげられるのに。……私につかえるのは、お母様の力だけ。幻覚、幻視、服従、そして、渇望の増幅」
どこか歌うように、ゆったりとフランソワは言う。
「ステファン様は、私が国王陛下に死の呪いをかけたと言っていたけれど、私にはそんなことはできない。死にたいという気持ちを増幅させて、ゆるゆると死に至らしめることや、憎しみを増幅させて、殺し合いをさせることはできるけれど」
「……フランソワ、やっぱりあなたは、魔女の娘でしょう……? 赤い月から、落ちてきた……」
「ずっとそばにいたのに、誰もお姉様の魔力に気づくものはいなかった。料理で使える魔法なんて、馬鹿馬鹿しいことをよく思いつくものよね。料理を食べて元気になるなんて噂、馬鹿げていると思って放っておいたけれど、……キルシュタインでは目立ちすぎたわね。その上、王宮に忍び込むなんて」
「どうして、誰かを傷つけるの……? あなたも、エーリスちゃんのように、誰かの恨みを晴らそうとしているの……?」
「うるさいわよ、お姉様。善良なふりをするのはやめて。恨みなさい、憎みなさい、痛いでしょう?」
フランソワは私の両肩に手を置いて、体重をかけた。
自重に重さが重なって、両手の枷がさらに手首に食い込む。
痛みから涙がこぼれる。泣き叫びたい衝動を、私は必死で押さえつけた。
「私は勘違いしていた。そのせいで無駄に時間を費やしてしまった。……聖女の力とは、聖獣がレスト神官家の子供に与えるものだと思っていたの」
「聖獣……」
「聖獣さえ捕らえれば、その力が手に入ると思っていた。聖獣は捕らえたのに、私は聖女にはなれなかった。……どれほどお母様がいたぶっても、聖獣は死ねないの。かわいそうにね」
フランソワが、哀れむようにそう言った。
私の正面に、薄ぼんやりと輝く鏡が現れる。
その鏡は太い鎖でぐるぐるに巻かれている。
鏡の中には、ふさふさした尻尾ととんがった耳を持つ、犬に似たような獣が丸くなっていた。
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