ステファン様は食べ物を大切にする
ふかふかした芝生の上にお皿は落ちた。
芝生がクッションになってお皿は割れなかったけれど、綺麗に茹でてある真っ赤な海老の頭はお皿から飛んで、大きなエビフライも芝生の上に転がった。
私は声をあげそうになるのを必死で我慢する。
(ご飯……勿体無い、エビフライ、美味しいのに……!)
食べないという選択肢を選ぶのならまだ理解できるけれど、地面に叩きつけることないじゃない。
エビフライ、土がついてしまったし。
芝生の草も、ついてしまったし。
かわいそう。海老さん、さっきまで生きていたのに。美味しく食べてもらうために、エビフライになってもらったのに。
(ひどい……)
フランソワにとってはなんてことのないエビフライかもしれないけれど、私にとってそれは高級なベルナール海老を使った高級なエビフライなのよ。
もちろん、高級でも高級じゃなくても、ご飯は大事なのだけれど。
でも、何も、地面にこぼさなくても……。
「フランソワ……?」
ステファン様が訝しそうにフランソワを見つめている。
会場の方々がざわめいている。
フランソワの行動は、フランソワが聖女だと信じられていたとしても、いくらなんでも皆さんの目にも異様に映ったのだろうか。
私はレイル様を見上げた。レイル様は、片手で私を軽く制した。
まだ様子を見よう、ということなのかもしれない。
「何か、気に障ったのか。確かにエビフライは、貴族はあまり口にしないな。城の食事にも、出てきたことはない。……ベルナール海老は、海老のビスクや、グリルやローストにして食べるのが普通だろう」
ステファン様はそう言って、椅子から立ち上がる。
それから、芝生に落ちているエビフライの前で立ち止まった。
「エビフライ、覚えています、エビフライ、私が食べたのはもっと小さい頃で、エビフライももっと小さかったから、一瞬何かわかりませんでしたけれど、それはエビフライ……庶民が食べるものです、それは」
「君が自分の出自に負い目を感じていることは知っているが、料理人が作ってくれた食事に対して怒りをぶつけることはないだろう」
フランソワのお母様は高級娼婦で、でも、お父様が見初めて、妾として大切にしていたはずで。
レスト神官家はお金持ちだから、フランソワは生活に不自由していなかったと思うのよ。
エビフライだって、街で食べるようなことはなかったのではないかしら。
だから、フランソワが庶民的なものを憎むというのは、どうにもおかしい気がするのだけれど。
「違うのです、ステファン様……! 私たちの婚約披露会に、庶民の料理なんて……おかしいとは思いませんか……?」
「おかしいことはない。俺は昔、父上と共に町の食堂でエビフライを食べた。それが旨かったと、話しただろう、君に……フランソワ、君に、話したはずだ」
ステファン様は冷たい声で、フランソワに言ったあと、頭を押さえた。
頭痛を我慢するように眉間に皺を寄せて、それから軽く首を振る。
慌てて食器や落ちたエビフライを片付けようとする使用人を制して、エビフライを手づかみで拾い上げた。
「……様子がおかしいね、姫君。殿下はもっと横柄なのではなかったのかな」
「最近はそうだって、聞いていましたけれど……」
レイル様が私に耳打ちをする。
ロクサス様が、どうする──とでもいうように、レイル様にそっと目配せしている。
「ともかく……食事を粗末にすることは、俺は、……好まない。この国では神祖様に食事前の祈りを捧げるだろう。それは、今日の食事に感謝をするということ。作ってくれた料理人に、命を分けてくれる食材に、そして、食事をとることができるという幸福に、全てに、感謝をする、古くからの教えだ。……フランソワ、君はレスト神官家の、次女だろう。そんなことは、十二分にわかっているはずだ」
私は──それを、ステファン様から教えて頂いた。
十三歳の時に、私はステファン様の婚約者になった。
その時の私は、あまりものもよく知らなくて、お城で準備されていたお食事を前に、どうして良いのかわからないでいた。
──ご飯が、たくさんあります。見たこともないぐらいに、たくさん。こんなに、たくさん。
その時の私は、乾いたパンのかけらとか、人参とか、チーズのかけらとかを齧って生きていたから、びっくりしてしまって、ただ、たくさんあると、繰り返した。
──リディア、食事の前に祈りを捧げよう。
そうして、ステファン様はお祈りの意味を教えてくださった。
懐かしい。
今、芝生から拾った、草や土がついたエビフライを持っているステファン様は、私に優しかった頃のステファン様みたいだ。
「ステファン様! 食べては駄目、それは罠です、この食事は毒! お姉様の復讐に違いありません……! お姉様が、私たちを恨んで、お城に忍び込んで料理を作ったんです、そうに違いないわ……!」
フランソワ、鋭い。
毒ではないけれど、大体合っている。復讐でもないけど。
「何を、馬鹿げたことを。リディアは、そのようなことはしない。何よりも食事の大切さを理解しているのだから。食事に毒を仕込むようなことをするわけがない」
「ステファン様、どうされたのです? お姉様は、私を虐めました。妾腹の子と嘲り、卑しい出自だと馬鹿にして……私、お姉様に、いつもひどいことを言われて……っ、ステファン様、私を守ってくれるって、言いましたよね……?」
「……それはリディアと君の話だ。無惨にも地面に落とされたエビフライとは関係のない話だろう」
ステファン様は躊躇なく、土や葉っぱのついたエビフライを口にしようとして──ステファン様に駆け寄ってきたフランソワに、エビフライを叩き落とされた。
かわいそうなエビフライが、コロコロと芝生の上を転がっていく。
「かぼちゃぷりん!」
エーリスちゃんが私の胸の間から、すごい勢いで飛び出して、目にも止まらない速さでぱたぱた飛んで、芝生の上を転がるエビフライを啄んで、ばくりと飲み込んだ。
「兄上、リディア!」
ロクサス様がそれを合図にしたように、成り行きを見守っていた貴族たちの中から走り出して、フランソワの腕を掴む。
「動くな、女。一歩でも動いたら、お前の時間を奪い、お前を婆にする」
「な、何、何なの、ロクサス様……! さては私にまだ、未練があるのね……!?」
「あるわけがないだろう!」
ロクサス様がフランソワを拘束してくれている間に、レイル様がステファン様の腕を掴んで羽交締めにした。
「今だよ、姫君。エビフライを食べさせるんだ!」
「は、はい……!」
まさか本当に無理やりエビフライを食べさることになるとは思わなかったけれど。
もしかしたらステファン様、フランソワに流されてしまうかもしれないし。
フランソワの態度、やっぱりおかしいもの。
すごく、焦っているような感じがする。
それぐらい、エビフライをステファン様に食べてもらいたくない、みたいに。
「リディア……?」
「殿下、口、開けてください、はい、あーん、です、あーんしてください」
「あ、ああ……」
私はテーブルの上で無事だったステファン様の分のエビフライを急いで持ってくると、ステファン様の口元に押しつけた。
他にどう言っていいのかわからなくて、小さな子供に言うみたいにすると、ステファン様はちょっと嬉しそうにした。
こんな状況なのに嬉しそうなステファン様。
もしかして拘束されながら女性にエビフライを口に突っ込まれるのが好きなのかもしれない。
それはともかく。
「お姉様……! 誰か、捕えなさい、リディアお姉様です、偽物の聖女です……!」
フランソワの声に、警備の方々がこちらに駆け寄ってこようとしている。
それをリーヴィスさんやノクトさんといった、私たちに協力をしてくれたセイントワイスや、レオンズロアの方々が止めてくれる。
「ステファン様、もぐもぐして、ごくん、ですよ、ほら食べて、食べて……!」
「リディア……」
ステファン様が素直に口を開いたので、私はエビフライを押し込んだ。
もぐもぐごくん、と、ステファン様はしっかりエビフライを飲み込んでくれた。
それから、驚いたように私の顔をじっと見つめた。
「リディア……リディアなのか、本当に、リディア、か」
「リディアです……殿下、あの、その……エビフライ、食べました?」
「あぁ、美味かった。長い夢から覚めることができるぐらいに」
レイル様が腕の拘束を解くと、ステファン様は私の顔を確かめるようにして触れた。
優しく私に微笑みかけてくれるステファン様が、記憶の中のステファン様と重なって、私は瞳が潤むのを感じた。
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