最高級海老のご立派なエビフライ
私は調理場の中をぐるりと見渡した。
立食パーティーのために準備されているのは、お野菜やパイやソーセージやお肉などを一口大にして、串に刺してあるピンチョス。これは、前菜なのだろう。
それから、樽に入っているのは氷魔法で氷結させられている海老。
海老にはいろいろ種類があるけれど、この海老はベルナール王国の近海でとれる、一匹が私の顔ぐらいの大きさのある、ベルナール海老。
ベルナール海老は高級食材なので、街の市場では滅多に見ることはないし、見たとしたら、体の一部が欠損している規格外商品。
ベルナール海老を買い求めるのは主に上流階級の方々だけなので、見栄えもそれはもう気にするのよね。
髭が少しないとか、尾が欠損していたとしても、海老の味は変わらないと思うのだけれど。
規格外商品とはいえベルナール海老は高級なので、あんまり買ったりしないのだけれど。
「海老……海老にしよう」
他にも高級なお肉とか、お魚とかもいっぱいあるのだけれど。
私は氷結されたベルナール海老を鷲掴みにした。
エーリスちゃんが私の胸の間から、頭の上に移動して、「かぼちゃ?」と、不思議そうに海老を覗き込んでいる。
「エーリスちゃん、これはベルナール海老です。海老。エビ。エビです」
「かぼ、かぼ、かぼちゃ!」
可愛い。
「殿下は、海老が好きなんです。ずっと前、本当に、ずっと前に、好きな食べ物の話をした時に、殿下は海老が好きって、言ってました。だから、海老にします」
食べていただくのなら、好きなものの方が良いわよね。
私は鷲掴みにした海老を、調理台のまな板の上に置いた。
「殿下とそのような話をしたのですか?」
シエル様が興味深そうに言った。
確かに今のステファン様とは、好きな食べ物の話なんてとてもできないように見えるわよね。
「はい。私、レスト神官家では、あんまりご飯を食べられませんでしたから、お城からご招待があったときは、美味しいものを沢山食べられるので、嬉しくて」
「リディアさん……」
シエル様の表情が悲しげに曇った。
私にとってはレスト神官家での私の立場の苦しさよりも、お城にご招待されて食べたご飯のおいしさが優っているので、そんなに悲しい思い出ではないのだけれど。
だから、シエル様に私はにっこり微笑んだ。
「お城のご飯、食べきれないぐらいに色々あって美味しかったです。でも、脂っこいものとか、味の濃いものは、食べ慣れていないせいか、気分が悪くなってしまうのですね。それで、殿下が、好きな食べ物を聞いてくださって……」
氷結魔法で凍っているベルナール海老を大きめのボウルに入れて、流水をかけて溶かしていく。
体の表面についている霜が溶けると、ベルナール海老は意識を取り戻したように、ボウルの中でビチビチと跳ね始める。
「かぼちゃぷりん!」
エーリスちゃんがびっくりしたように、私の頭から飛び上がって、ぱたぱたと飛んでシエル様の肩に移動した。
それから、シエル様の顔をじっと見た後に「かぼちゃぷりん……」とちょっと怯えた声を上げた。
「ひ……っ、海老さん、おとなしくしてください……!」
氷結魔法で凍らせた海産物は、生きている。
蛸の時に学習している私は、一瞬慌てたけれどすぐに心を落ち着かせた。
びちびち跳ねて水を撒き散らしているけれど、大丈夫。
両手で力強く海老を捕まえると、頭側をタオルで包む。
結構ごつごつしているので、素手で抑えると手が傷ついたりして危ないのよね。
頭と胴体の境目に包丁を入れて、それからひっくり返して、反対側にも包丁を入れる。
海老が悲しげな声で「キューキュー」と鳴いた。すごく可哀想。
でもごめんね。美味しく料理してあげるからね。
胴体側にもタオルを巻いて両手で掴んで捩じ切るようにすると、胴体と頭が離れてくれる。
透明感のあるぷりぷりした身が顔を出した。
頭側にも、とろりとしたみそが詰まっている。これは茹でてスープにすると美味しいのだけれど、今回は見栄えを重視して、茹でてお皿に添えることにしましょう。
頭があった方が、やっぱり海老! って感じがするし。
「手際が良いね、姫君。大変なようなら、手伝おうと思ったのだけれど」
レイル様が感心したように言って、ついでに拍手をしてくれる。
ちょっと気分が良い。
「ありがとうございます。海老も、たまにツクヨミさんが沢山くれるので……ベルナール海老じゃなくて、もっと小さいシマシマエビとかですけれど。倭国では、ベルナール海老はあんまり食べなくて、シマシマエビをよく食べるそうなんですよ」
「海老にもいろいろあるのだね。それで、殿下が好きなのは海老ってことは分かったけれど、姫君は何が好きなの?」
そういえばお話の途中だったことを私は思い出した。
海老に夢中になっていたわね。
「私は、ええと、……ご飯なら、なんでも好きです。好き嫌い、ないです」
食べられるだけで幸せだもの。
今は、何を食べても体調を崩すようなことはないし。
レイル様はにこにこしながら「私と同じだね」と言った。
胴体と尻尾を切り離してもまだ生きているベルナール海老はちょっと置いておいて、私は手を洗うと、コンロに鍋を運ぼうとした。
多人数分のお食事を作るお城の調理場の鍋はそれはもう大きくて、シエル様が手伝うと言ってくれたので、お願いをした。
それから、コンロに置いた揚げ物用の鉄鍋に、たっぷりと油を注いでもらう。
お鍋は大きいので、油を満たすのにも結構時間がかかる。
その間に私は、置いておいた海老の胴体に切れ込みを入れて、海老の殻を剥く。
尻尾を残して海老の殻が剥き終わると、プルプル透明な海老が剥き出しになった。
それから、海老の身がくるんとまるまらないように、筋肉に包丁を入れて伸ばしていく。
背わたをとって、下拵えはおしまい。
「レイル様は、なんでも好き。シエル様は辛いものが好き。ルシアンさんはコケモモジャムがけミートボールが好き。ロクサス様は蛸が好き」
「ロクサスは蛸が好きなんだね」
レイル様が「知らなかった」と、軽く首を傾げた。
「ロクサス様にお願いして、蛸を何度も柔らかくしてもらっていたのですけれど、そのうち蛸に愛着が沸いたと言っていました」
そして、ステファン様は。
──少し、恥ずかしいのだが、俺はどうにも、子供舌というものらしくて。王宮で食べる手の込んだ料理よりも、父上のお忍びに付き合って、街の食堂で食べた、定食というものに心がひかれる。
──食堂……? 定食、ですか?
──あぁ。父上はよく、身分を隠して街に遊びにいくんだ。たまに俺も連れていかれることがある。街には食堂があり、金を払うと食事を食べることができる。定食というのは、安価な昼食などのセットメニューのことだな。米や、パンや、おかずや、スープなどが全部ついてくる。
──それは、すごいですね、夢みたいです。
──そこで食べた、海老の……あれはなんだろう。香ばしくて、カリカリしていて、まろやかで、美味しかった。
私はステファン様との会話を、久々に思い出していた。
思い出すと悲しくなっちゃうから、あんまり思い出さないようにしていたのよね。
香ばしくてカリカリしていて、まろやか。
うん。それは、つまり。
「リディア、海老の下拵えは手伝おう。全部の海老を剥くのか?」
「姫君、ナイフ捌きになら自信があるよ。捌き方は今見て覚えたから、安心して」
ルシアンさんとレイル様に言われて、私は頷いた。
シエル様は鍋に油を入れ終わって、火をつけてくれている。
「はい、お願いします!」
私はあとの海老をお願いすると、次の準備に取り掛かる。
殻を剥き終わった海老をもう一度洗って水気を切って、ペーパータオルの上に置いておく。
三つ用意したボウルに、小麦粉、卵、パン粉を入れると、海老に衣を順番につけていく。
菜箸をつけると、じゅわじゅわ泡が立ち上ってくるぐらいに油の温度が上がっていることを確認してから、衣をつけた海老を油の中に入れる。
その間に、隣のコンロでお湯を沸かして、海老の頭を茹でる。
じっくりあげて、こんがりきつね色に衣の色が変化して、表面の気泡が小さくなったところで、網を引いたバッドの上に取り出した。
真っ赤に茹でられた立派な海老の頭も、バッドの上にあげる。
茹で汁に海老の旨味が溶け出している。
「海老ラーメン……」
海老ラーメンも、また良いものよね。贅沢で美味しい。
今は海老ラーメンに思いを馳せている場合じゃないわね。
大きめのお皿にレタスを敷いて、その上に海老の頭と、その下に、ずっしりと重たいエビフライを置いた。
玉ねぎをみじん切りにして、水にさらしている間に卵を茹でて、茹で卵の皮をつるりと剥いて、卵もみじん切りにする。それから瓶詰めピクルスもみじん切りに。ボウルにみじん切りの卵、玉ねぎ、ピクルスを入れて、瓶詰めマヨネーズを入れてよくかき混ぜる。
塩と胡椒で味を整えて、乾燥パセリを入れて混ぜて、出来上がり。
それをずっしり重たいエビフライの上にかけていく。
「できました! 最高級ベルナール海老をまるっと使った、ご立派なエビフライ、下町風味です!」
「本当だ。立派だ」
「すごく立派だね、姫君」
「そうですね、かなりの大きさですね」
うん、うん、と、シエル様たちがお皿の上を見ながら頷き合っている。
真っ赤に茹で上がった海老の頭と、私の前腕ぐらいありそうな太くて長いエビフライ。
これを贅沢と言わずして、何を贅沢と言おうか、という感じ。
でも、エビフライ。
エビフライは庶民のご飯。
そして、大味なタルタルソースも、庶民の味。
きっと、ステファン様も喜んでくださるはず。
大きなお皿の上で、エビフライがご立派に佇んでいる様は、まさしく圧巻という感じだった。
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