リディアについての予言
マーガレットさんは、気遣うような視線を私に向けた。
「リディアちゃん。リディアちゃんはお母様のこと、よく覚えていないのよね。神官家でも、まるで禁句のように誰も、リディアちゃんの本当のお母様の話はしなかったのだっけ」
「は、はい、そうです。……思い出せないぐらい、小さい時に、お母様は亡くなってしまっているので……」
「ステファンとは、その話はしなかった?」
「殿下とは……殿下と出会った頃の私は、自分からあまり、お話をするような感じじゃなくて。ええとその、なんていうか、暗くて」
私はすぴすぴ眠っているエーリスちゃんをふにふにしながら言う。
昔の私の話は、なんとなく恥ずかしい。
「い、今も、明るいわけじゃないです、けど……昔はもっと、暗くて。殿下に聞かれたことを、答えるのが精一杯、みたいなところがあって」
「責めてるわけじゃないのよ。ただの確認。ステファンは、リディアちゃんにお母様の……ティアンサ様のこと、何か言っていなかった?」
「いえ……私と殿下が仲良しだったのは、半年程度のことなんです。お父様が、殿下が神官家にくることは拒否していましたから、殿下と会えるのは、お城からご招待があった時だけで……だから、数えるぐらいしかなくて」
その数えるぐらいのご招待で、短い邂逅の間、ステファン様は熱心に私に話しかけてくれた。
私はずっと暗かったけれど、ステファン様とお話をして、少しだけ明るくなったように思う。
それも、たった半年だけで終わってしまったけれど。
「殿下は、あの時は優しかったから、私の家のこと話題にあげるの、避けてくださっていたみたいで。……楽しいことを、たくさんしようって、観劇に連れていってくださったり、一緒に本を読んだり……レスト神官家から、私を必ず連れ出すって、言っていました。……寝起きについた寝癖が一日なおらなければ良いのに……」
「今の殿下とは別人のようだな」
「そうですね。……昔は殿下も、ゼーレ王に似て平等で優しく優秀、聖剣レーヴァテインを授かるのに相応しい方だと言われていたものですが」
ルシアンさんとシエル様が、どこか悩ましげに言う。
「それはあのプードルのような名前の女の言いなりになっているからではないか?」
ロクサス様が吐き捨てるように言った。
「昔の姫君も可愛かったのだろうね」
「儚げな女に男ってのは弱いからな。守ってやりたくなるもんだ。今だって嬢ちゃんは気が弱そうで、つい肩に担いで攫いたくなるもんなぁ」
真剣な話をしている中で、レイル様とツクヨミさんだけはのんびりとお酒を飲みながらきのこの天ぷらを食べている。晩酌。
「リディアちゃん。……あなたのお母様は、ティアンサ・エルガルド。南にある隣国、エルガルド王国の姫君よ」
「そ、そうなんですか……?」
「ええ。あたしが大神殿にいた頃、あたしは大神殿の奥に秘せられた存在だった。星読の神官ってのは、それだけ尊くてね。あたしの予言を聞くことができるのは、限られた人だけだったの。それこそ、ゼーレ王とか、神官長とか、ね」
お母様の名前は、ティアンサ。
それは、知っていた。
けれど、その出自について知ったのは、今日が初めてだ。
「だからあたしも、世情に詳しかったわけじゃないし、レスト神官家の内情について知っていたわけじゃない。でもね、ティアンサ様がレスト神官家に輿入れした頃は、あたしは自分の存在に疑問を抱き始めていた。……それは、キルシュタインの戦争の話が、耳に入ってきたからだった」
私のお母様の出自について驚いているのは、私だけみたいだった。
皆お城に近い方々だから、なんとなくは知っていたのかもしれない。
今更掘り下げても、どうにもならないことだから、触れないでいてくれたのかもしれない。
ステファン様と一緒で。
「ゼーレ王や、神官長に言われるままにあたしは自分が夢に見た予言を伝えてきたけれど、それで良いのかしらって、思ってね。……そうして、また、夢を見たの」
「それは予言、ですね」
シエル様に問われて、マーガレットさんは頷く。
「ええ。ティアンサ様がご懐妊なさったと。神殿の中はおめでたい雰囲気でいっぱいの時だった。あたしは不吉な夢を見たの。……だから、ティアンサ様に会いにいった。人の目を盗んで、こっそりとね」
「ゼーレ王や神官長には伝えられない内容だった、ということですか」
「それは、あの時のあたしでは、判断できなかった。今でもあれが正しかったかどうかなんて、わからないわ」
マーガレットさんはそこで一息ついた。
それから、暫く迷うように逡巡した後、口を開いた。
「ティアンサ様のお腹の子、リディアちゃんのことね。リディアちゃんには女神アレクサンドリアの力が宿る。けれど、誰かが──その力を奪いにやってくる。女神の力は奪われて、リディアちゃんは、死んでしまう」
「……わ、私、死んじゃうんですか……?」
私はビクッと震えた。
驚いた拍子にエーリスちゃんの体を強めに握ってしまい、眠っているエーリスちゃんが「かぼちゃ……っ」とちょっとだけ嫌そうな声をあげた。
「予言では……そうだったの。でも、具体的なことは何もわからない。誰かというのが誰なのかもわからないし、それがいつなのかもわからない。でも、伝えなきゃいけないって思ったの。ティアンサ様に。……ゼーレ王や、神官長には伝えられなかった。キルシュタインでの虐殺の噂を聞いて、誰が信用できて、できないのかさえ、その時のあたしにはわからなかった」
「リディアさんの持つ女神の力は、おそらくはその体の中に封じられています。今は料理を通してこぼれ落ちていて、それに、キルシュタインでは砂糖菓子の雨が降って、街や人を癒し、修復しました。……封印が、理由まではわかりませんが、ほころんでいるようです」
シエル様はそう言うと、腕を組んで、目を伏せる。
「マーガレットさんの予言では、リディアさんの力は奪われる──と。けれど、実際には封じられている。何が起こっているのですか」
「わからないの。あたしの見たものは覆らない。あたしのせいで、あたしが夢を見たせいで、まだ生まれてもいないリディアちゃんが死んでしまう。……あたしはそれ以上星読みでいることができなくなってね。その後すぐに、大神殿から逃げ出した。……弱いのよ、あたし。本当に、弱くて、駄目な人間なの……ごめんね、リディアちゃん」
「謝る必要、ないです……私、生きていますし、マーガレットさん、私のこと知っていたから、街に逃げてきた私を、助けてくれたんですよね?」
泣き出しそうなマーガレットさんに、私はにっこり微笑んだ。
マーガレットさんは夢に見た予言を、黙っていることだってできたはずだ。
けれど、多分、どうにか私が助からないかと考えて、お母様にだけ予言を伝えてくれたのよね。
私がマーガレットさんだったら、多分、ずっと苦しい。
自分の言葉が、夢の光景が、誰かの運命を決めてしまうなんて、とても苦しい。
キルシュタインの方々は私を聖女だと言ってくれたけれど──それは私には、重たくて。
誰かの役に立てることは、嬉しいけれど。
私はそんなに立派な人間じゃないって、思ってしまう。体がむずむずして、そのうち冷たくなって、胸が苦しくなって。逃げたくなってしまう。
大衆食堂ロベリアの料理人でいるのが、私には一番楽で。
私とマーガレットさんは同じじゃないけれど、少しだけ、マーガレットさんの気持ちが分かる気がする。
「……ええ。それからのあたしは、特殊な薬で魔力の発動を抑制して、未来視をすることはなかったのだけれど、そのかわりに占いをするようになった」
マーガレットさんはアロマ煙草を一本取り出して指先でくるりと回した。
いつも吸っているチョコレートの香りのアロマ煙草に、魔力抑制剤が入っているということなのかしら。
体に危険はないのかしら。
「占いである程度のことはわかるからね。リディアちゃんが無事かどうかだけは、いつも気にしてた。リディアちゃんの命が奪われそうになったら、あたしが、何もできないかもしれないけれど、助けに行こうって。……だから、あの日、あなたがこの場所に現れることはわかっていたから、待っていたのね」
「マーガレットさん、ありがとうございます。……私、一人ぼっちだと思っていたけど、マーガレットさんはずっと私を、気にしてくれていたんですね。マーガレットさん、本当はお肉屋さんじゃなかったんですね」
「肉屋も、この店舗もね。街でたまたま出会った老夫婦から譲り受けたの。もう跡取りは誰もいないって言ってね。あたしも行く場所がなかったし、リディアちゃんのいる聖都から離れたくなかったから、ちょうど良いと思って」
マーガレットさんはすまなそうに肩を落として「騙していてごめんね、リディアちゃん」と謝ってくれた。
「マーガレットさん……今の私は、ロベリアの料理人ですし、マーガレットさんはお肉屋さんです。……それで良いって、思います……」
「リディアちゃん。……それで良いってあたしも思う。このままの生活がずっと続けば良いってね。……でも、あたしの予言通りになれば、リディアちゃんは死んでしまう。……今はどういうわけか力が封じられているみたいだけれど、リディアちゃんの中に女神の力はある。だとしたら、誰かがそれを奪いにやってくる」
そう言うと、マーガレットさんはエーリスちゃんを指差した。
「それは、魔女の娘のことだったのかもしれない。あたしには戦う力はないから、リディアちゃんを守ってくれる騎士が、必要だった。今は、……リディアちゃんが今まで頑張ってきたから、頼もしい騎士が四人もいる」
「私……守ってもらいたくない、です。お友達には、怪我をしてほしくない」
「友人か、俺も……!?」
「は、はい……ロクサス様も、一緒にご飯を食べていて、一緒に大切なお話を聞いてくれたので……」
私の隣でロクサス様が椅子をがたがたさせて立ち上がった後、何故か両手を力一杯握りしめて、それから取り繕うようにして咳払いをして、もう一度静かに椅子に座った。
「心配することはないよ、姫君。姫君を守るのは勇者の役目。それに、強いからね、私は。……いや、私たちは、かな」
「……一人でも国を滅ぼせそうな連中が、四人も集まったことにはちょっと、びっくりだけれど。でも、準備は整ったわね。あたしたちがリディアちゃんを守るためにやらなくてはいけないことは、残り三人の魔女の娘を探し出すこと。そして多分、その中の一人は、王宮にいる」
マーガレットさんの開いた掌の上で、木に逆さ吊りにされた男性の絵が描かれたカードが、くるくると回った。
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