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The Chariot(戦車)


 十一月。雪こそ降ってはいないが、冷気が肌を突き刺すような寒さの曇り空の日。

 王宮では、神祖テオバルト生誕祭が行われる。

 それは王宮で行われる祭事のなかでも一番派手で大きいもので、俺はレオンズロアの部下たちと共に警備に駆り出されていた。


(全く、くだらない)


 警備や、警護の仕事程、憂鬱なものはない。

 ベルナール王家など、ベルナール人など、全て――魔物に、食われてしまっても構わない。

 あぁ、だが、両親の仇であるゼーレ王だけは、この手で殺したい。


(だが、俺は、それが未だにできずにいる)


 楽隊の賑やかな音楽が大広間には溢れていて、着飾った貴族たちが歓談をしたり、ホールの中央で踊ったりしている光景に辟易して、俺は部下の一人に王宮の巡回に行くと伝えて、風にあたるために外に出た。


(なにをしているのか、俺は)


 目を伏せると、血だまりの中に倒れるキルシュタイン城の者たちや、ゼーレ王の刃に倒れる母や父の姿が、思い出されるというのに。

 瞼の裏側に焼き付いた光景を、忘れたことなど一度もない。

 母の腹には子供がいた。もうすぐ生まれる。妹だと、聞いていた。

 命乞いをする母に、冷たい剣の切っ先が向けられる。

 無慈悲に振り下ろされた刃は、母の命を奪った。

 それからのことはあまり思い出せないが、城から俺は無我夢中で逃げたのだろう。

 気づけば森の中で蹲っていた。衣服にも手にもべっとりと血がついていて、街からは火の手があがっていた。

 そして――キルシュタインはベルナール王国に支配された。


 俺のことを知る者は、街には誰もいない。

 あの時は、親を亡くしたものが街にはあふれていたから、俺も同様に孤児として生きていた。

 死ぬわけにはいかないと思った。

 生きて、生き延びて――必ず、ベルナール人に復讐を。

 正義は、こちらにある。

 暴虐に奪われた命を贖うのは、また、命でしかない。

 街の片隅で塵屑のように生き延びて、暴力を覚えた。暴力を覚えると――誰もかれもが俺を怖がり、俺に危害をくわえようとするものはいなくなった。

 月魄教団が俺を見つけ出したのはそんなときで、王宮の生き残りの兵士や王家に近しいものたちで結成された教団が決起する時期を見極めるため、それから――可能ならばゼーレ王の寝首をかくために、俺は身分と名前を変えて、聖騎士団へと入り込んだ。


「……君は」


 煌びやかな大広間から逃げて裏庭に出ると、裏庭の長椅子に少女が座っていた。

 小さくて、まだ、子供に見える。

 ミントグリーンのドレスに身を包んで、黒い髪をまとめている。

 白い肌と、菫色の瞳。ドレスの上からショールを一枚だけ羽織っている少女は、とても寒そうに見える。


「リディア様ではないですか。何故、このようなところに」


 俺は恭しく騎士の礼をすると、少女の前に膝をついた。

 少女は――リディア・レストは、怯えたような瞳を俺にむけた。


「寒いでしょう。中に戻られたらいかがですか」


「……私は、ここで良い、です」


 随分、静かな子供だなと思った。

 憎むべきベルナール王家の、王太子であるステファン・ベルナールの婚約者。

 リディア・レストは、レスト神官家の長女である。

 レスト神官家は女神アレクサンドリアの血をひいているという。

 ベルナール王家は神祖テオバルトの血を受けていて、レスト神官家は女神アレクサンドリアの血を受けている。

 夫婦でありながらその血が二つに分かれている理由については、レオンズロアの騎士団長になりある程度王宮に入り込めるようになってから調べてみたものの、良く分からなかった。


「あなたはステファン殿下の婚約者でしょう? 殿下が心配しますよ」


「……私、嫌われているので」


 菫色の瞳がうるむ。

 泣かれたら厄介だと思ったが、リディアは涙をこぼすようなことはなく、きつくドレスを握りしめていた。


「仕方ない、です。私、役立たずだから」


 レスト神官長には二人の娘がいる。

 一人はリディア・レスト。もう一人はフランソワ・レスト。

 そういえば、今日もステファン殿下の横にはフランソワが寄り添っていたことを思い出す。

 婚約者であるリディアには、魔力がない。

 女神アレクサンドリアの力が宿っているのは妾の子だったフランソワで、リディアはフランソワを妬み、嗜虐している――と。


「だとしても、ここは冷えます。病気になってしまいますよ」


「それでも、良いのです。私……もう、なにもないから」


「……そうですか」


 静かで、気が弱そうな子供だ。

 この少女が――フランソワを嗜虐しているとは。

 到底、そんな風には思えない。


「どこかに、逃げられたら良いのに。ここではないどこかに。そうしたら私、……魔力がなくても、私にもできること、あるかもしれないって、思って」


「……何ができるのです?」


 どこか夢を見るようにリディアは言った。

 レスト神官家で何不自由なく育った子供に一体何ができるのかと、俺は少々残酷な気持ちで聞き返す。


「お料理……お料理は、好き、です。お料理をして、お腹がすいている子供に、食べて貰いたい。お腹がすくと、悲しい気持ちになるから」


「料理ですか」


「はい。……料理は、できます。お父様の役にも、ステファン様の役にも、立たないけど」


「……もしあなたが、食堂を開いたら、そのときは食べに行っても?」


 どうしてそんなことを言ったのだろう。

 約束など――俺には、できるはずもないのに。

 お腹がすくと悲しい気持ちになる。

 その言葉が、何かの琴線に触れたのだろうか。

 幼い頃のことを、思い出す。金もなく、食べ物もなく、飢えを凌ぐために暗い路地裏の片隅で膝を抱えていた、あの頃のことを。


「はい……もちろんです、騎士様」


 リディアは目尻に浮かんでいる涙を手の甲で擦ると、笑顔をうかべる。

 それから立ち上がって「そろそろ、帰ります。お迎えの馬車に乗り遅れると、困るから」といって、王宮に戻っていった。

 リディアの婚約が破棄されたのは、冬を過ぎて、春になる前の王立学園の卒業式でのことだった。


「……ルシアンさん、いっぱい食べてくださいね」


 名前を呼ばれて、俺は記憶の底から意識を呼び戻す。

 旧キルシュタインの街に砂糖菓子の雨が降った日、俺はルシアン・キルクケードとして、もう一度うまれた。

 あの記憶は、紛い物。

 ジュダールに騙され、取り返しのつかない過ちを犯すところだった。

 そうしたらきっと、リディアはもう二度と、俺に笑顔を向けてくれることはなかっただろう。

 俺は、手放さなくてはいけないと思っていたものを、全て失わずに、いられた。

 俺を見上げてにっこり微笑んでいる、少女のおかげで。


「あぁ、リディア。ありがとう」


「ルシアンさん……あの」


「なんだ?」


「ええと、その……おかえりなさい」


「あぁ、……ただいま」


 街の人々に振舞っていた炊き出し用のカレーの残りを、救援にかけつけてくれた騎士団の者たちや、他の者たちと、空いているテーブルに座って食べる。

 リディアは俺の正面に座っていて、嬉しそうに笑っている。

 空には夕闇が迫っていて、薄暗い街をセイントワイスの魔導師たちの作り出した、光玉が幻想的に照らしていた。

 ――あぁ、好きだな。

 リディアが、好きだ。

 ステファンがいらないというのなら、俺のものにしようと思っていた。

 おそらくは女神の力を持っているリディアを俺のものにできれば、キルシュタインの者たちにとっては有益だと、考えていた。

 けれどもう、そんなことはどうでも良い。

 俺のことを友人だと言って、泣いたり怒ったり、危険を冒してくれたリディアを。

 たとえ、俺のものにならなくても、生涯守りたいと思う。




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