あめのふる街
エーリスは、もういない。
シエル様が街中にかけた、眠りの魔法がとけていく。
私たちは、街に戻った。街の方々がどうなったのか心配だったからだ。
地下水路前では、拘束したジュダールを、私のお料理を食べたからか正気のままだった月魄教団の幹部の方々がルシアンさんの指示で、どこかに連れて行った。
幹部の方々は半分ほど崩れた地下水路から、教団の方々を助け出している。
街では夢から覚めた人々が――言い争っていた。
キルシュタインの人々もベルナール人も、私にはその容姿で見わけをつけることはできないけれど、長らく近くで暮らしていれば、どちらがどちらなのか分かるものなのかもしれない。
エーリスが壊した街には、言い争う大人たちの声と、泣きじゃくる子供たちの声が響いている。
「キルシュタインの生き残りどもが、あの化け物を呼び出したのだろう! お前たちのせいで街が……!」
「おまえたちベルナール人は我が国を蹂躙するだけには飽き足らず、我らキルシュタインの民を嘲り、奴隷のように扱い、更には無実の罪で我らを嬲り殺そうとでもいうのか……!」
「たすけて……誰か、子供が、家の中に残されているの……!」
「キルシュタインの連中のせいだ! 呪われた赤き月の魔女の眷属、穢れた魔物使いめ!」
「我らの土地を奪い、我らを愚弄するのか……! 長い年月耐えてきたが、もう限界だ!」
「誰か……!」
エーリスはいなくなって。
もう、みんな、正気なはずなのに。
争いの声は、なくならない。
壊れた街で言い争う人々の姿に、私は息を飲んだ。
子供たちが、泣いていて、子供たちを守るようにして、お母さんたちがその体を抱きしめて蹲っている。
助けを求める人々の声もあるのに、それよりも怒号の方がよほど大きく響いている。
「――なんと、酷い有様だ! 心配して街にきてみれば、これは……! キルシュタインの者どもに温情をかけて、街に住まわせてやっているというのに、まるで害虫だな……! 魔物を呼び、我が国の民を傷つけるとは……!」
ひときわ大きな声が後ろからして振り向くと、そこには甘栗色の髪をした男性が立っていた。
従者の方々を引き連れている、立派な身なりをした男性だ。
「ヴィルシャーク……」
シエル様が小さな声で言った。
ヴィルシャークさんというのは確か、旧キルシュタイン領をおさめるシエル様の従兄弟だったはず。
あまり、似ていない。シエル様は飴細工のように綺麗だけれど、ヴィルシャークさんは――なんというか、怖そうな人だ。
「シエル。魔物退治にでも来たのか、物好きなことだな。宝石人のお前が魔物を殺す、まるで共食いのようだな! だが、お前のおかげで化け物はいなくなったのだろう。相変わらず化け物じみた魔力だな。あぁ、元々お前も化け物だったな」
ヴィルシャークさんは大声で笑いながら言った。
血の繋がった――家族、なのに。
ひどい。
私は、レスト神官家で、私を嘲っていたフランソワのことを思い出す。
あの時私は、なにもできなくて。ただ、陰に隠れることしかできなかった。
王宮でステファン様に酷いことを言われても、シエル様は黙っていた。
シエル様には宝石人の血が流れているから、シエル様の言動で、宝石人たちへの差別が酷くなる可能性がある。
――それに、慣れているから、と。
慣れているから、何も、感じないと。
(何も感じない人なんて……いないわよね)
私は、小さい頃の私は――シエル様と同じだったような気がする。
けれど、私の中の何かが、嘲られるたびにぽろぽろと損なわれていって。
空っぽになってしまって、何も、考えられなくなって。
ただ、呼吸を繰り返すだけの、お人形、みたいに。
「ヴィルシャーク殿。この惨状を見て、よくそのように笑っていられるな。領主として、お前がやるべきことがあるだろう」
ロクサス様がヴィルシャークさんの前に出ると、冷たく言った。
「これはこれは、ジラール公爵家のロクサス様ではないですか。私の父上の話では、あなたのお父上は、あなたのことを嘆いておられるようですよ。聖都で遊び惚けていて、帰ってこないと。ジラール家の息子は二人とも、ろくでなしだとね」
「だから何だ? 所詮は、そのうち隠居する老人の戯言だ。俺やシエルを嘲る暇があるのなら、この混乱をおさめろ。このままでは再び、争乱が起こるぞ」
「それがどうしましたか。あの化け物を呼び出したのはキルシュタイン人に違いない。ちょうど、良かった。この街からキルシュタイン人を一掃できる良い機会だ。全員捕縛し、牢に入れてやる」
「どうして、そんなこと……」
エーリスは、いなくなって。
ジュダールも、捕まえて。
ルシアンさんは戦争を起こさなくてよくなったのに、何も、変わっていない。
エーリスが増幅させた憎しみが、今も続いているように感じられる。
苦しくて、痛くて、悲しい。
ルシアンさんが何か言いかけたのを、シエル様が片手で制した。
「あぁ、くだらないね! そんなことより今は人命救助が優先だよ。この私、勇者フォックス仮面に任せておいて! それから、ルシアン。レオンズロアの騎士団長だろう、君は。騎士団は、街の人々を救うものだよ。ほら、行こう!」
仮面を被ったレイル様が明るい声をあげて、ルシアンさんの腕をひいた。
ルシアンさんは何も言わずに頷くと、崩れた建物の下の人々を助け出したり、怪我の治療をしはじめる。
私も手伝いたいけれど――私には、治療の魔法は使えない。
お料理には、怪我を治す力があるかもしれないけれど――今は、材料もなければ、調理場もない。
レイル様が私の肩に手を置いて「今は、シエルの傍にいてあげて」と、小さな声で言った。
それからレイル様も人々の救出を行うためにだろう、壊れた建物を軽々と飛び越えて、どこかに姿を消した。
「――ヴィルシャーク。それは、本気で言っているのですか」
「お前も口がきけるのだな、シエル。お前が言葉を話している姿を見るのは、何年ぶりだろうな。てっきり、宝石人は言葉を理解しないのかと思っていた。知能が、足りないのかとな」
私は、シエル様の腕を掴む。
なんて、ひどいの。
同じ、人間なのに。どうして――ひどいことを言うの?
同じ姿をして、同じ言葉を話して、同じように、誰かを大切にして――家族がいて、お友達がいて、ご飯を食べて、眠って。
同じような日々を、過ごしている筈なのに。
シエル様は、私の手に自分の手を重ねた。大丈夫だと、言ってくれているみたいだった。
「僕は……今まで、沈黙を選んできました。ウィスティリアの家から逃げて、名を捨てて、あなたたちと、関わらないように。けれど、それは間違いだった」
「何が間違いだ? ウィスティリア家に温情をかけられて生かされていた異形の分際で」
「ヴィルシャーク。……いたずらに人を傷つけるお前に、領主の資格などない。僕は、シエル・ウィスティリア。ウィスティリア辺境伯家の正当なる後継者、ビアンカの息子。旧キルシュタイン領は、預からせてもらう」
「何をいまさら! 忌子の分際で、ウィスティリア辺境伯家は、お前など必要としていない! 失せろ、シエル!」
「黙っていろ、ヴィルシャーク。――皆、聞け! 魔物を産むのは、月の涙だ。それは、誰のせいでもない。誰かのせいだというのなら、古の民の起こした諍いのせいだろう。諍いは、新たな魔女を産む。魔女の憎しみから魔物は産まれる。脅威は去った。誰かを責める暇があるのなら、怪我人を助け、壊れた街を復興するのが先だ!」
いつも穏やかで、どこか流れる水を思わせるシエル様の声音が、今は、猛々しく街に響く。
良く通るその声に、人々の喧騒が一瞬鎮まった。
「シエル、勝手なことを! この男の言葉など聞く必要はない! キルシュタイン人を捕まえ、連行しろ……!」
「……黙れ」
シエル様の足元から、ざわりと、何かおそろしい気配がする。
黒い鎖のようなものが、何本も地面から突き出して、ヴィルシャークさんの体を拘束しようとしている。
いつもの、優しいシエル様とは、違う。
――怒っている、のよね。
ヴィルシャークさんの顔が、恐怖で引きつった。
「……駄目、こんなの、駄目……っ、嫌です、私、嫌……!」
シエル様はもっと、怒っても良いって私は思っていたけれど。
今のシエル様は、違う。
ずっと、言っていたもの。憎しみは、新しい憎しみを生むだけだって。
エーリスはいなくなって、もう、街を襲う脅威はないのに。怪我をした人たちだって、ルシアンさんやレイル様が助けてくれているのに。
悲しくて、苦しくて、どうにもならなくて。
私はシエル様の腕にしがみついた。
何かが、体から溢れそうになっている。
今まで感じたことのない何かが――体を巡っている。
「……これは、……砂糖」
シエル様が開いた手のひらに、星屑のような薄桃色のお菓子が、落ちる。
空が、いつの間にか真っ白い綿菓子みたいな雲に覆われていた。
そこから、ぱらぱらと色とりどりの雪のようなものが、降っている。
呆気にとられたように、皆、空を見上げた。
「金平糖……」
誰かがぽつりと言った。
小さな星型のお砂糖が、空からゆっくりと舞い落ちてくる。
そうして――旧キルシュタインの街は、金平糖でいっぱいになった。
砂糖菓子は食べた人々の傷を癒して、諍いを止めた。
シエル様は毒気を抜かれたように黒い鎖を消して、金平糖の雨の中で、私の手をそっと取った。
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