ぷるぷるふんわりカボチャプリン
エーリスは目の前に置かれたものが一体何なのか分からないように、ぱちぱちとまばたきを繰り返している。
ふんわりぷるぷるのカボチャプリンは、可愛らしくて美味しそうだけれど、エーリスはそれが食べ物だと分かっていないみたい。
私はスプーンでひとくちプリンをすくって、エーリスの口の前に差し出した。
警戒するように閉じられた口が、おそるおそるといった様子で開かれる。
食べようとしたのではないのかも。
もしかしたら、もう一度大声で泣こうとしたのかもしれない。
私は開かれた口に、スプーンをいれた。
ぱくりと、ひとくち。
口の中でカボチャプリンは優しく甘く蕩けるはずで。
美味しい――って、思ってくれる、かしら。
「……っ」
固唾を飲んで私たちが見守る中、エーリスはもう一度、というように、大きく口を開けた。
もう一度その口にカボチャプリンを入れると、エーリスはもぐもぐごくんと飲み込んで、にっこり微笑んだ。
それから、両手でカボチャの容器ごとプリンを両手に持つと、そんなに口が大きく開くのかしらというぐらいに大きく口を開いて、一口でカボチャプリンを食べてしまった。
頬の形が変わるぐらいに口の中いっぱいにカボチャプリンをほうばって、むぐむぐして、ごくんと飲み込む。
「エーリス、美味しい……? それは、カボチャプリン、です。気に入ってくれると、良いですけど……」
「ぷりん、かぼちゃ、ぷりん……」
エーリスは両手をばたつかせながら、にこにこ笑った。
エーリスの声は拙くて、愛らしい女の子の声だ。悪意も憎しみも敵意も感じられない、まるで――うまれたばかり、みたいな声。
ばたつかせた両手がルシアンさんに、ごんごん当たって、ルシアンさんは顔をしかめた。
「ぷりん……!」
きらきらした笑顔をうかべるエーリスは、何も知らない幼い子供に見える。
ひとしきり、プリン、プリンと言ったあと、エーリスはルシアンさんの腕の中から、ぴょん、と、飛び上がった。
いつの間にか、その背中にはうすばかげろうに似た、透き通った羽がはえていた。
エーリスは私の顔に小さな手でそっと触れると、こつんと、額をくっつける。
その手も、額も、ひんやりと冷たい。
こつんと額が重なって――視界が白くぼやける。
まるで夢の中に落ちていくようだった。
目を開けようとしても、疲れすぎて、どうしても瞼が閉じてしまうように。
起きようと起きようと、何度も瞼を開こうとして、それを失敗してしまって、浅い眠りの中に落ちていくように。
視界に広がるのは、真っ赤な世界だった。
真っ赤な世界は、地面がない。球体の中にふわふわと身体が浮いている。
赤い、目眩がするぐらいに巨大な球体の外郭の中央に、両手と両足が闇の中にとけるようにして失われている、女性がいる。
金の髪と、白い肌。青い瞳の美しい女性は、深く目を閉じている。
女性の前には、四人の少女がいる。
『おかあさま、泣いている』
うすばかげろうのような羽のはえた少女が呟く。
女性は、嫌悪の瞳で少女たちを見た。
悲しい、痛い、憎い。
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
流れ込んでくる感情で心を一杯にしながら、少女は赤い世界の底から、ぽとりとどこまでも続くような深淵の中に落ちていった。
「……お前は、なんだ」
誰かの声に目をひらくと、誰かが少女を――私を、のぞきこんでいる。
それは、黒いローブを身に纏った男性だった。
この人を、私は知っている。
年齢こそ違うけれど、この人は、まだ若い頃のジュダール。
「赤い月で、シルフィーナ様が泣いておられる。我らが女神。我らが、王。シルフィーナ様が産んだ魔物は、私たちへの贈り物だ。憎きベルナール人を、殺せと、おっしゃっているにちがいない」
若いジュダールは私を拾い上げた。
ジュダールの背後には、沢山のいろんなかたちの、おかあさまの子供たちがいる。
おかあさまは私たちを、愛していない。
おかあさまが愛しているのは、あの憎たらしい、宝石人たちだけ。
私は、私は。
私の役割は。
「私は……憎しみ。私は、争い。私は、魔女の、娘。いちばん上の娘、エーリス」
「なんと……! なんと、素晴らしいことか……! シルフィーナ様は我らを見捨ててはおられない。ベルナール人どもを滅ぼして、キルシュタインの民が、大陸の覇者となるのだ。我らのものを、とりもどさなければ……!」
ジュダールは興奮したようにそう言った。
私はジュダールの元で、運ばれてくるたくさんの魂を食べた。
魂の記憶は憎しみと悲しみに満ちていた。
私は、おかあさまの欠片。魂を食べるたびに、意識が明瞭になってくる。
私の役割は、闘争。憎しみを、増幅させよ。憎め。憎み、刃を持て。
殺し合え。殺し合い、死を――与える。
私は、長女エーリス。争いによる死を司る者。
(私に、おいしいものを、食べさせてくれる人はだれもいなかった。カボチャプリン。甘くて、美味しい。泣きたくなるような、味がする)
ふと、記憶が途切れる。
景色が変わっていく。
――私は、誰だったかしら。
私は、エーリス……?
(違う、私は……)
私は、花の咲き乱れる庭園を、誰かと手を繋いで歩いている。
煌めく陽光のような、金の髪に、精悍な顔立ち。
優しげな翡翠色の瞳が、愛情を一杯込めて、私を見つめている。
(ステファン様……? ステファン様に、似ているけど、違う……)
「愛している、シルフィーナ。君は国のために私の元に来てくれたのだろうが、私は君を生涯大切にすると、誓う」
「はい……テオバルト様。私も、あなたを愛しています。一目あなたを見たときから、私はあなたに恋をしました。どうか、私を離さないでください」
私たちは微笑みあい、それから、唇をあわせる。
世界は喜びに満ちていて、何も、不安なことなんてなくて。
テオバルト様の国と私の国は、長らく対立していた。
狭い土地の権利を主張しあって、幾度も争いが起って、命が失われた。
もうそんなことはやめようと、良き隣人として、仲良くしようと――だから、私はテオバルト様の元へと嫁いだ。
私は――シルフィーナ・キルシュタイン。
キルシュタイン王家の、一の姫。
私は両国の友好のための、貢ぎ物。
けれど――キルシュタインの王家が蛮族だと言って憚らなかった、ベルナール人の族長の息子であるテオバルト様は、とても凜々しく、精悍で、そして優しい方だった。
私は一目見たときからテオバルト様に恋に落ちて、テオバルト様を知るたびに、その恋心は大きく膨らんでいく一方だった。
テオバルト様は、私を愛してくださっている。
――幸せ。
世界は、美しく輝いている。
あぁ、でも――あんなことになるなんて。
憎い。苦しい。壊したい。全部、壊れてしまえ――。
「……っ、あ……」
「リディア!」
誰かに名前を呼ばれて、私は自分を取り戻した。
瞼を開くと、心配そうなルシアンさんや、シエル様、レイル様やロクサス様が、私を覗き込んでいる。
私はルシアンさんの腕の中で、どうやら、床に倒れているみたい。
「ルシアンさん……エーリスは」
「君に触れて、それから、突然消えてしまった。まるで、君の中へと入っていったように」
私は、私が見たものを思い出す。
あれは、エーリスの記憶なのかしら。
エーリスと、それから、シルフィーナの記憶。
なんだかとても悲しくて、どうしようもなく悲しくて、私はルシアンさんに抱きついて嗚咽をあげながら泣いた。
ルシアンさんは何も言わずに私を力強く抱きしめてくれていた。
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