キルシュタインの街での戦い
ギリギリと私を締め上げる蔦を、ロクサス様が徐に掴んだ。
瞬く間に、蔦が枯れていく。
それは植物の蔦ではないけれど、植物の蔦のようにしなしなに枯れて、私の体からはらりと離れた。
「リディア、大丈夫か」
ふらつく私の体を、ロクサス様が抱きとめてくれる。
喉をおさえて、私はけほけほと軽く咳き込んだ。
「……女。貴様が誰かなどはどうでも良いことだ。我が両親を殺め、人心を惑わし──私のリディアを傷つけたな」
ルシアンさんが凍えるほどに冷たい声で言う。
「私の──だって?」
「誰が、誰のものだと言いましたか?」
そしてルシアンさん以上に、レイル様とシエル様の声が冷たい。
「……レ、レイル様と、シエル様が怒ってるところ、はじめて、です」
しかもルシアンさんに怒っているのではないかしら。
私はロクサス様の腕の中で呼吸を落ち着かせながら、呟いた。
もう大丈夫なのだけれど、ロクサス様がぎゅうぎゅう抱きしめてくるので、ちょっと苦しい。
「だが、まぁ、同意見だよ。私の姫君を傷つけたね。万死に値する」
「ええ。……僕の大切な友人を傷つけた罪は、重い」
まるで、空気が凍りついてしまったような緊張感が、広間に漂っている。
『私に勝てるとでも思っているのか。あぁ、面白い』
エーリスは淡々と言った。面白いという言葉に反して、その声は平坦なままだった。
禍々しい瘴気のようなものが、足元に溢れる。
地面を割ってぼこぼこと太い蔦がはえてくる。地面が揺れる。
太く長い大樹のような蔦が天井を割った。割れた天井から大きな残骸が降り注ぐ。
シエル様の防護壁が私たちを包み込み、ぶつかる瓦礫は全て消し飛んだ。
天井が消え失せて、青空が見える。
エーリスは巨体を起き上がらせた。窮屈そうに畳まれていた巨体の肩の上には、ジュダールが乗っている。
生い茂る蔦に囲まれて旧キルシュタインの街に姿を現したエーリスは、地下水路の広間にいたときよりもさらに巨大に見える。
私たちのいる位置からは太い足しか見えない。
「ロクサス、姫君を頼んだよ。私は行ってくるね」
どことなく弾んだ声音で、レイル様が言う。
「巨大生物を倒してこそ、私の名が世間に轟くというものだよ」
そう言って、レイル様は頭につけていた狐面で顔を隠した。
軽々と蔦を足場にして、空へと飛び上がる。
襲いくる蔦を切り捨てながらすごい速さでエーリスの顔の位置まで、蔦の上を駆けていく。
シエル様は私たちを、地下水路の広場から地上まで転移させてくれた。
キルシュタインの街に唐突にはえた巨大な女性の姿は、まるで悪夢を見ているようにさえ思えた。
逃げ惑う人々の叫び声が聞こえる。
エーリスが片手を振るうだけで、軽々と家々が壊される。
手を伸ばして、キルシュタインの中心にあるお城を、エーリスは軽々とえぐりとった。
「ふ、……はは! やってしまえ、エーリス! もはや隠遁は不要だ、壊せ! 全て壊せ、ベルナール人どもを踏み潰せ!」
ジュダールの高笑いが響く。
「どうして……街の人たちは、関係ないのに……」
「怒りや憎しみは目を曇らせる。自分と憎い相手以外の犠牲についてなど、何も考えられなくなってしまう。復讐に伴う犠牲は、ただの、数だ。犠牲者が多いか、少ないか、ただそれだけ。個人など、失われてしまう」
ルシアンさんが首飾りを空に投げると、首飾りの形が変わった。
それは竜の姿をした空中浮遊魔石装置ファフニールとなり、ルシアンさんは軽々とそれに飛び乗った。
「リディア。私は、必ず勝つ。勝利の女神である、君がそばにいてくれるのだから」
「ルシアンさん……いつものルシアンさん……」
いつもの軽薄なことを言うルシアンさんに、私は微笑んだ。
いつもは怒っていたけれど、今は、いつも通りのルシアンさんが、少し嬉しい。
「リディアさん。……僕も、今回ばかりは少し、本気を出そうかと思います」
「シエル様……! あの魔物は、魔女の娘って言っていました。……どうか、気をつけて」
「ええ。大丈夫ですよ。僕はこう見えて、かなり強いので」
シエル様はそう言うと、ふわりと空中に浮かび上がった。
レイル様とルシアンさんが街を破壊し、襲い掛かる巨大な黒い蔦を切り裂いている中、エーリスの正面に浮かんだシエル様の周囲に、光り輝く赤い魔法陣が浮かび上がる。
『お前は……宝石人。憎い、宝石人。同じ母から生まれ落ちたというのに、私に刃を向けるというのか』
「お前と話す言葉は持ち合わせていない」
魔法陣の光に照らされたシエル様は、とても綺麗。
綺麗だけれど、少し怖い。
「巡れ、巡れ、哀れなる魂よ、聖なる炎に灼かれ白き月へと還れ」
歌うような詠唱と共に空から光が降り注ぐ。
それは黒い蔦を焼き、エーリスの体を白い炎で焼いた。
長い髪を振り乱しながら、エーリスが苦しみ暴れる。暴れるたびに街が崩れていく。
「これは、いけないね。……被害が大きすぎる」
レイル様は短く言うと「ルシアン!」と、声をかけた。
ルシアンさんが蔦の上から飛び上がるレイル様に、ファフニールで近づく。
レイル様はファフニールの足の部分に手をかけて捕まり、エーリスの正面で手を翳した。
「刻の魔法、変若水」
言葉と共に、エーリスの巨体が縮んでいく。
シエル様の炎に焼かれた蔦は消えてしまい、その中心には小さくなったエーリスが、まるで幼い子供が眠りにつくようにして、小さくなって丸まっていた。
その横には、ジュダールの姿。
身にまとうローブは炎に焼かれているけれど、まだ無事なようで、エーリスを抱えて逃げようとしている。
「ロクサス。殺さない程度に、時間を奪って」
「心得た」
レイル様に言われて、ロクサス様の魔法がジュダールの時間を奪った。
元々ご高齢に見えたけれど、ジュダールは枯れ枝のようになって、動けなくなってしまった。
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