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長女エーリス



 それは、白い体をした女性の姿をしていた。

 薄暗い広間にみっしりとおさまっている女性は、膝を折り曲げて、両手に両足を抱くようにして、小さくなって座っている。

 頭のてっぺんは座っていても天井につくぐらいで、均整の取れた足は私を三人ひとまとめにしたぐらいに太い。

 白い体には、黒い蔦の模様が全身にある。

 長い髪は床に広がっていて、顔を隠している。

 髪も真っ白で、大きな瞳は赤く、白目のある部分は闇のように真っ黒だった。

 感情の読めない瞳が、私たちをじっと見据えている。

 シエル様の作り出してくれた障壁は、私たちを天井から落ちる瓦礫から守ってくれた。

 衝撃が落ち着いたところで、レイル様が倒れている男性たちの無事を確認した。「呼吸はしているよ」と、短く言って、レイル様は片手に短剣を、もう片方にそれよりも長い剣を手にして、異形と向き合った。


「私は感動しているよ……! 姫君を守るために共に来たら、勇者として活躍する舞台が用意されていたなんて……! などと、ふざけている場合ではないか。ルシアン。この女性は誰だろう、君の恋人か何かかな」


 レイル様はばさりと、羽織っていた黒いローブを脱ぎ捨てた。

 もう隠す必要はないのよね。

 私も、ロクサス様もシエル様も、顔を隠していたローブを脱いだ。

 ルシアンさんは、私たちの顔を見ても驚いたりはしなかった。お料理を出した時に、たぶん、すでに気づかれていたのかもしれない。


「そんなわけがないだろう。――シエル、ロクサス様と、……あなたは、レイル様か。ロクサス様に、顔立ちがよく似ている。……そして、リディア。どうして、ここに」


「ルシアンさん……」


 ルシアンさんが責めるように私を見たので、私はびくりと震えた。

 私はルシアンさんに一度も怒られたことがなくて、何を言ってもルシアンさんは笑って受け流してくれていて。

 だから、睨まれるように見つめられるのは、はじめてかもしれない。

 ルシアンさんは私の腕を掴むと、軽く引いた。

 私の体はルシアンさんの腕の中にすっぽりとおさまった。

 ぎゅっと抱きしめられたのは一瞬のことだった。すぐに体が離れて、ルシアンさんは抜き身の剣を手に一歩前に出る。


「私のために、ここまできてくれたのだな、リディア。感謝する」


「……姫君を傷つけておいて、抱きしめるとか。どうかと思うよ、私は」


「ルシアン。リディアさんに触れる権利はあなたにはありませんが、今は譲歩しましょう」


「リディアのことは俺に任せておけ。あの巨大な女をなんとかしろ、ルシアン。お前の恋人だろう」


 レイル様とシエル様、ロクサス様に口々に責められて、ルシアンさんは苦笑した。


「……お前たち、私の立場や過去について知ったのだろう。私は皆を騙していた。助けてもらえるような立場ではない」


「あなたを助けるか否かは、リディアさんが決めることです。僕は、リディアさんの友人ですから。正直、ルシアン、あなたのことはどうでも良いのですが、それがリディアさんの望みなら」


「そうだよ。姫君の望みだから、私たちはここにいるんだ。なんたって私は勇者だからね」


「ルシアン。リディアに助けられたからといって、自分に理があると思うな」


「あ、あの、あの……! とりあえず今は、魔物、魔物かな、分からないですけど、魔物をなんとかしないと……!」


 よくわからないけれど、すごくもめているのよ。

 私はロクサス様の背後から顔を出して言った。


「その女は……殿下を惑わした女。その女さえいなければ、私たち月魄教団は今頃、キルシュタインを復興し、憎きベルナール人を根絶やしにできていたというのに……! キルシュタイン王家の愚か者どもなどに望みを託したのがいけなかった……! シルフィーナ様の再臨さえ、できていれば……」


『途中までは、順調だった』


 ジュダールの言葉のあとに、頭の中に直接声が響くようにして、声が聞こえる。

 それは、何の感情ももたないような、平坦な声音だった。

 高くも低くもない。女性か男性かの区別もつかないような声音だ。


「あぁ、そうだ。魔女の子、エーリス! お前の言う通り、王家の血を濃く受け継ぐ娘を宿した王妃を攫ったというのに。王妃の体の子の中に、シルフィーナ様の力を受けたお前の血を注ぎ、多くの魂を贄に捧げ――シルフィーナ様が再臨なさるはずだったのに……!」


『お前には私の力を与えた。現実を忘却し、憎しみの記憶を植え付ける力を。慎重に、慎重に。誰にも気づかれないように。憎しみを植え付けよ。仲間を増やせ。アレクサンドリアの眷属のものたちを、根絶やしにするためにと』


「そうだ……私は、うまくやっていた。気の遠くなるほどの長い年月。まだ小さかったお前を拾ったときからずっと。お前の言葉を聞き……ベルナール王国を滅ぼすために。しかし、私はしくじった。唯一残った王家の血筋である殿下だけが、希望だった。殿下の血があれば、再びシルフィーナ様をよみがえらせることができる……!」


「愚かな。ジュダール、お前は魔物に惑わされている。お前は魔物使いだ。多くの魔物の声を聞き、操り従える者。従えたつもりが、取り込まれたのだろう」


 ルシアンさんが、静かに言った。

 怒りも憎しみもそこにはない。ただ、悲しそうに見える。


「違う……! エーリスは特別だ。地上に堕ちた、魔女の娘。ベルナール王国に破滅を齎す者だ!」


『死を運ぶ、魔女の娘――私は長女、エーリス。争いを司る。憎しみあい、怒り、殺し合え。地上は憎しみで満ちている。隣人を憎め。愛するものを憎め。敵を、憎み屠れ。争乱を起こせ。地上を、血で染めよ。それが、我が母の願い』


 エーリスの声が頭の中に響いて、頭がずきずきと痛んだ。

 赤い月ルブルムリュンヌから、魔物が落ちる。

 それは魔女シルフィーナの怨嗟の涙だと言われている。

 神祖テオバルト様に恋をして、恋敵であるアレクサンドリア様を害し、地上を滅ぼそうとして――赤い月に幽閉されている、魔女の憎しみの涙。

 憎しみが、魔物を産むのだと。

 魔物は言葉を話さない。動物のように、互いを愛することもない。

 けれど目の前の巨大な女性であるエーリスには、意思がある。目的もある。


「魔女の娘……」


『弱い。弱いが、女神の力を感じる。お前か。お前が、私の邪魔を』


 小さな声で呟いた私の声が聞こえたように、私の足元からうねうねとした黒く細い蔦が伸びてくる。

 それは私の足や、腕や腰に、首や胸に、巻きついて、ぎりぎりと息ができないぐらいに締め上げた。




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