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とける呪いと、失われた記憶




 ルシアンさんは、それから静かに黙々とお皿の上のミートボールとマッシュポテトを食べた。

 他の男性たちも仮面を外して、それぞれお料理を口に入れてくれる。

 どういうわけか、赤く輝くようだった瞳が――ルシアンさんと同じような空色になっていく。

 私の隣でシエル様が小さな声で「赤き月の呪い……」と呟いた。

 全てを食べ終えたルシアンさんは、苦し気に額を手のひらでおさえた。

 他の男性たちも、口元をおさえたり、頭を抱えたりしている。

 みんな、苦しそう。

 どうして――。

 苦しめるためにお料理を作ったわけじゃないのに。

 まるで、お料理に毒でも入っていたみたいに、食べた方々が苦しんでいる。

 体が、ガタガタ震える。

 私は、一体何をしてしまったのかしら。

 怖い。

 私の様子に気づいたのか、シエル様が大丈夫だというように私の背中に手を置いた。

 布越しに伝わる体温に、少しだけ、安堵する。


「――思い出した。どうしてずっと、忘れていたのだろうな。思い出したぞ、ジュダール」


 ルシアンさんが、低い声で言った。

 ジュダールと呼ばれたのは、私を襲った仮面の男性だ。

 今は仮面を外していて、その素顔を晒している。

 皺の刻まれた顔に鋭い瞳をした男性だ。かなりの高齢のようにも見えるけれど、意志の強そうな赤い瞳はギラギラと輝いている。


「皆は――どうだ。幻想から、目覚めたか」


 ルシアンさんの呼びかけに「ええ、殿下」「どうして、私たちは」「ずっと騙されていたのか」という声が、そこここであがった。


「ジュダール。お前は、宰相として城にいたな。ベルナール王国との戦争が起こる前――お前は、父と対立をして、城から追放された」


「何をおっしゃいます、殿下。それは違います。そんなことは起こらなかった。私は城にいて、憎きベルナール人と戦いました。殿下を逃がすために……」


「違和感はずっと感じていた。半年前、この料理を口にしたときから――何かが、違うのではないかと。今でこそ愚王に成り下がってしまったが、私の見ていたゼーレ王は正しい方だった。本当に私の両親を残酷な方法で殺めたのかと疑いたくなるほどに」


「そうです、そのとおりだ。ベルナール人は、我が国を蹂躙した。それはそれは、残酷なやり方で」


「……私の両親は、穏健派だった。ベルナール王国への侵略を主張するお前を諫め、和睦の道を模索していた。いたずらに人を傷つけるな。それは多くの民の命を奪う行為だと」


「――俺は、見ました。二十年前に、追放されたはずのジュダールが、地下水路に入って行くところを!」


 誰かが叫んだ。

 その声と共に、「水路に毒を流したのはジュダールだ」という声があがる。


「あの時、戦争が始まる前。父は何も命じてなどいないのに、ベルナール王国の国境の街が何者かに襲撃され、多くの民が命を落とし、街が焼かれた。戦う前に話し合いたいというゼーレ王からの会談の申し入れの手紙に父が返事を出す前に、水路に毒が流されて、王都のキルシュタイン人の多くが、毒に倒れた」


 激高する男性たちの中で、ルシアンさんだけは冷静に言葉を紡ぐ。


「あの時――私は四歳だった。全て思い出せないのは、幼かったからだと思っていた。けれど、私は父の傍で見ていた。全て。街の混乱に、父が対応におわれている間、その混乱に乗じて――ジュダール。お前は、母を攫った。私の目の前で」


 ルシアンさんに淡々と事実を突きつけられて、ジュダールと呼ばれた男性はガタリと椅子から立ち上がった。


「どういうことだ、なんなのだ、一体何が起こった……! この気持ちはなんだ。全てを、洗いざらい吐き出したくなる、この衝動は……」


 震える声で、ジュダールが言う。

 ルシアンさんは哀れみと怒りをたたえた瞳を、ジュダールに静かにむけている。


「故郷の料理の優しい味が、そうさせるのだろう。お前は、忘却の呪いを私たちにもかけていたのだな。気の遠くなるほどの、長い間。もう、何を言っても無駄だ。全て思い出した。ゼーレ王が王宮に攻めてきたとき、既に王宮は――血の海だっただろう」


 ルシアンさんも立ち上がると、剣を抜いてジュダールにつきつける。

 シエル様やレイル様が、私を庇うようにして一歩前に出た。


「ゼーレ王が軍を率いてキルシュタインに攻め入ってくるという報告が齎された時、お前は母を連れて王宮に帰ってきたな。その時、母の様子はおかしかった。身籠っていた母の腹はずいぶんと大きくなり、中にいるのはシルフィーナの生まれ変わりなのだと。シルフィーナの力を得るために――多くの魂が必要だと言って、母は……城の者たちを」


「あぁ、そうだ。王妃は、奇跡の子を宿していた。シルフィーナ様が再臨なさるはずだった。憎きベルナール王国を滅ぼして、キルシュタイン王国を大陸の覇者としてくださる、我らが女神を……!」


「そんなことは、誰も求めていなかった! 両親は民の安寧を願っていた。お前を筆頭に、侵略を主張する者たちをおさえつけて、今ある土地で、穏やかに生きようと説いていた。私はそんな優しい両親が、誇らしかった」


「国王も王妃も愚か者だ。ベルナール王国の土地は我らのもの! 不遇なシルフィーナ様の悲しみを、我らが晴らすのだ。ベルナール王国の支配は、我らの悲願だ……!」


「そのために、お前は……! 私の父が邪魔だったのだろうな、お前には。だから、ベルナール王国の者が水路に毒を流したという嘘を流布し、ベルナール王国の街を焼き、憎しみを煽ったのだろう。母を攫い――母を、壊した。けれど、母は最期の瞬間は、正気だった」


 ルシアンさんは悲し気な笑みを浮かべた。


「皆、よく聞け。我らはまた、過ちをおかすところだった。我らの反逆は、多くのキルシュタイン人を傷つけるものになっただろう。解放戦争などは、大きな間違いだ。ジュダールは、ベルナール人を憎み、シルフィーナに心酔している、ただそれだけの愚物だ」


 ローブの男性たちが、ローブを脱ぎ捨てて、それぞれ剣を手にする。

 剣の切っ先は、ジュダールに向けられている。


「憎しみは、新たな憎しみをうむ。ベルナール王国の支配により、伴侶を、家族を、亡くしたものは多いだろう。しかし、この二十年で――大切な人の姿を思い浮かべることができるようになった者も、多いはずだ。……ゼーレ王が王宮に姿を現した時、俺の目の前で母は、父を殺したあとだった」


 小さな悲鳴をあげそうになって、私は両手で口を押えた。

 はらはらと、涙がこぼれる。

 幼いルシアンさんが見たものを思うと、苦しくて、悲しい。

 今すぐ駆け寄って、抱きしめたい。少しでも、大丈夫って、温もりをわけてあげたい。

 けれど、それは今は、できない。


「母はそれで、正気に戻ったのだろう。……ゼーレ王に、腹の中にいるのは、世界に混沌を齎す恐ろしい魔女の器だと言って縋った。腹の子ごと、殺して欲しいと。……そうして私には、誰も憎むなと言った。ゼーレ王は母を……」


「あぁ、憎い……! すべてうまくいくはずだった。聖剣レーヴァテインさえなければ、王妃が殺されることなどなかっただろうに……!」


 ジュダールは拳をテーブルに打ち付ける。

 お皿が揺れて、耳障りな音を立てる。ジュダールのお皿の中のお料理は、ほとんど残っている。


「それから、ゼーレ王はお前と戦った。ジュダール、お前はその時、私に何らかの呪いをかけたな。気づけば私は、王宮の外の森に、一人で蹲っていた。私の記憶は――ゼーレ王が、王宮の者たちを全て殺めたと、書き換えられていた」


 ルシアンさんは、テーブルに足をかけて軽々と長テーブルを飛び越えた。

 ぴたりと、ジュダールの首に剣をつける。

 ひどいことがおこって、怖いことが、あったけれど。

 これで、終わる。

 ジュダールはひとりきりで、呆気なく、捕縛される――ように思えた。

 けれど、地を這うような声で、ジュダールは肩を震わせて笑い出した。

 笑い声と共に部屋中に禍々しい赤い魔方陣の紋様が現れる。

 シエル様が私を庇うようにして片腕で抱きとめた。


「ルシアン、こちらに、早く!」


 シエル様に呼ばれて、ルシアンさんはジュダールから一歩引いた。

 躊躇うようにこちらに視線を向けるルシアンさんを、レイル様がその服を掴んで引きずるようにして連れてくる。

 それは、一瞬のことだった。私たちを包むように氷のような障壁が現れる。

 シエル様の防護壁の外にいる方々は、外傷もないのにばたばたと床に倒れていく。

 壁が、建物が、揺れる。

 ジュダールの背後の壁が崩れて、大きな空間が露わになる。

 お城のダンスホールほどもありそうな大きな空間の奥には――真っ白な、異形の姿があった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おおおお料理の使い方と効果、展開が以外でした やっぱり面白いです! [一言] 感想をしっかり言える語彙力がないのがつらいです
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