フォックス仮面は勇者志望
開け放した窓から吹き込む風に、さらさらの白い髪が揺れている。
長い白い髪を一本に結いて、狐の仮面を被っている黒衣の男性が、座っている窓辺から立ち上がって、どうしてか軽々と跳躍すると一回転して、とん、と、私たちの座っているテーブルの前に立った。
「兄上」
「レイル様……」
「レイル様、しばらく見ない間にお元気そうになられて、何よりです」
ロクサス様と私、シエル様が話しかけると、狐の仮面の男性は、腰に手を当てて胸を逸らせた。
「私は──私は、フォックス仮面。話は全て、聞かせてもらったよ」
「兄上、ここには兄上の知り合いしかいない。正体を隠す必要はない」
「私は兄上じゃないよ、フォックス仮面だ、ロクサス」
「兄上。今、俺たちは真面目な話をしている」
「私も至って真面目なのだけれど……ところで私も、姫君の作ったおにぎりときのこ鍋が食べたい。シエル、私の分も取り分けてくれる?」
フォックス仮面と言い張っている奇妙な格好をしたレイル様が、シエル様の横に座る。
レイル様は細身だけれどやっぱり男性なので、私以外全員男性が座っているテーブル席というのは、なんとなくちょっと狭い。圧迫感があるわね。
シエル様がパチンと指を弾くと、レイル様の前にもお皿が現れて、おにぎりときのこ鍋が取り分けられる。
レイル様は狐のお面をあっさりと外して、「姫君の料理はいつも美味しそうだね」と言いながら、おにぎりを食べた。
「美味しい、姫君、美味しい……! 最高だね!」
「ありがとうございます……レイル様、お元気そうで、よかったです」
「あぁ。私はこの通り、元気はつらつだよ」
「どうしてそんな格好をしているのですか?」
「私はこの通り元気になったのだけれど、私が元気になったことはジラール家には秘密にしているし、というか、死んだということにしているから。だから、私の正体がばれるのはあまり良くないんだ。私は今、冒険者ギルドに登録して、冒険者として活動していてね」
レイル様は嬉しそうにおにぎりを食べながら話してくれる。
確か、レイル様は勇者になりたいって、言っていたのよね。
「近々勇者として名を馳せる予定ではいるのだけれど、レイル・ジラールとして名が売れてしまうと、ジラール家の父に話が伝わってしまうかもしれないし。というわけで、今の私はフォックス仮面なんだ。格好良いと思うのだけれど。どうかな、姫君」
「は、はい……素敵だと思います……」
「そうか、良かった!」
レイル様はロクサス様よりも細身だけれど、すらりとしていてスタイルが良い。
以前私がお会いしたときは、骨と皮ばかりの印象だったけれど、その時よりも肉付きが良くなっているようだった。
それでもルシアンさんより筋肉、という感じはしないし、シエル様よりも背が低い。
それなので、可愛らしい狐のお面は、似合っているような気がする。
格好良いかどうかは、ちょっとよくわからないのだけれど。
「それで、姫君は困っているのだよね。困っている姫君を助けるのが私の仕事だ。勇者だからね。そんなわけで、君たちの話は全て聞かせてもらったわけだけれど」
「来ていたのなら、中に入って来れば良かったものを」
「良いところで登場するのも、勇者というものだからね」
呆れたように嘆息するロクサス様に、レイル様は肩をすくめて言った。
「それに、可愛い弟の恋路を邪魔しないのも、兄としては大切だと思っているし。あぁでも、私たちは双子だから、将来的には姫君を半分に分けるつもりだけれど」
「半分に分ける……!?」
私はびくりと震えた。
どうやって半分に分けるのかしら。怖い。
「それは、色々と方法が……それよりも、姫君。キルシュタインの話だ」
「レイル様。何か知っていることが?」
シエル様が落ち着いた声音で言う。
私も気を取り直して、表情を引き締めた。レイル様が急に現れたのでびっくりして話が逸れてしまったけれど、今はルシアンさんの大切なことを話しているのだから、しっかりしないと。
「あぁ。シエルやロクサスよりも、私は少々詳しいかもしれない。これでも、白月病を発症するまでは、ジラール公爵家の後継として育てられていたからね。それに、病になってからは日々部屋に篭るばかりで退屈だったから、使用人に頼んで公爵家の蔵書を運んでもらい、読み漁っていた。多少の知識はあるよ」
「兄上は優秀だ。俺の知らないことも、知っている」
ロクサス様がどことなく自慢げに言う。
ロクサス様、本当にレイル様が好きなのね。レイル様、元気になってくれてよかった。
「シエルは……ウィスティリア辺境伯家には極力関わりたくないと思っているだろう。だから、君は物知りだけれど、その知識にはやや偏りがある。それに、冒険者ギルドに身を置いて依頼を受けたり、冒険者として活動していると、色々耳に入ってくるものなんだ」
「狐面の冒険者。……そういえば、噂になっていましたね。姿は怪しいけれど、やたらと、強いと」
「そうか! 私の噂がもう広まっているんだね……! これは、勇者までの道のりは案外近いかもしれない。ふふ、嬉しいな。姫君、君の勇者は、本物の勇者になるからね。待っていてね」
「は、はい……」
シエル様の耳にも入っているレイル様の噂。
私は何も知らないのだけれど。私の食堂にご飯を食べにくる冒険者の方々の噂話とか、あんまり聞かないようにしながらお料理をしているからかもしれない。だって、おじさまの会話とか、あんまり興味がないし。
できれば可愛い女の子たちの、お洋服の話とか、恋愛の話とか、聞きたいなって思っているし。
「かつてゼーレ王が制圧戦争を行ったことを、君たちは凶行のように話をしていたけれど……両国の軋轢は、根深くてね。キルシュタインは赤い月に幽閉されていると言われている魔女、シルフィーナを崇めているだろう。彼らの主張は、シルフィーナこそが神祖テオバルトの正妻なのだそうだよ。女神アレクサンドリアはテオバルトを奪って、シルフィーナを赤い月に幽閉したのだと、ね」
「その話は僕も耳にしたことがあります。王国の記録には、そのような事実はありませんけれど。どのみち、古の神話です。何が真実なのかは、わからない」
シエル様は軽く首を振った。
頭の宝石が揺れる。
シエル様も半分は、赤い月から落ちてきたと言われている宝石人の血が流れている。
キルシュタインの方々の主張や境遇に、思うところがあるのかもしれない。
「キルシュタインの神話がそうだとして、だからなんだというんだ?」
ロクサス様が尋ねる。
「だから、ベルナール王国の土地は、自分たちのものであるという主張だね。女神アレクサンドリアのせいでシルフィーナは赤い月に幽閉されて、自分たちはキルシュタインという狭い土地に押し込められている。本来ベルナール王国は自分たちのものだったと、キルシュタインの人々は主張して、何度も王国に攻撃をしかけていたようだよ」
「魔物を使役して、ですね」
シエル様が何かを考え込むようにして言う。
「そのようだね。そして、二十年前。キルシュタインの王宮ではとある実験が行われていたらしい。ゼーレ王と共に、父上も制圧戦争に参戦している。これは、公式の記録には残っていない。父上が、酔った勢いで話してくれたことだからね」
レイル様は口元に指を当てた。
内緒だよ、という仕草だった。
「赤い月に幽閉されている魔女の封印を解いて、地上に降ろそうとしていた、そうだよ。といっても、そんなことはできないから、魔女の魂だけを呼び戻す──魂の器をつくろうとしていたらしい。魂の器の実験として、我が国の国境付近の町や村が襲われて、多くのベルナール人の命が奪われた。そんなこともあって、ゼーレ様は制圧戦争にふみきった」
「では、先に攻撃してきたのは、キルシュタインということか?」
「両国の不仲は、女神と魔女の神話からはじまっている。つまり、古の時代からだね。どちらが先になんて、もうわからない。お互い、自分たちが被害者だと言うだろう。ただ、現状の……ウィスティリア辺境伯家による旧キルシュタイン領の支配は、あまりにも杜撰だ。シエル、君は完全に無関係とは言えないのではないかな」
「……僕は、あの家には関わりたいとは思っていません」
「そうだろうけれど。……ところで、ルシアンが星墜の死神と呼ばれている理由、知っている? 格好良い二つ名だよね。私も欲しい」
レイル様に問われて、私は首を振った。
その名前は聞いたことがあるけれど、理由までは知らない。
シエル様が顎に手を当てて、口を開いた。
「確か……数年前に起こった、月魄教団の内乱を、一人で鎮めて、幹部を捕縛してきたからだと聞きました」
「そう。そうなんだ。その月魄教団こそが、キルシュタインの残党ではないかなと、私は思っていてね。実体の見えない反王制組織。ルシアンが一人で制圧したというところも、あやしいよね。キルシュタインの残党……それも、魔物を操ることができるもの。もしかしたら、魔女を復活させようとしていた連中が、まだ生きているのかもしれない」
「……その可能性は、ありますね」
「ルシアンさんは、そこにいるってことですか、そのげっぱく、きょうだん、に……」
知らない名前を、辿々しく伝えると、レイル様は目を細めるとにっこり笑って、「多分ね」と、ゆっくりと頷いた。
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