廃棄されたデウスヴィア
シエル様はゆっくり優しく私の髪や背中を撫でて落ち着かせてくれると、私の手を引いて、食堂のテーブル席に座らせてくれた。
それからカップとティーポットを持ってきて、私にカモミールティーを入れてくれる。
瓶詰めにしてある花蜂蜜の粒を一つ入れると、じわりとカモミールティーの中に蜂蜜が溶けて広がっていく。
「……リディアさん、お茶を飲んで、おにぎりも食べましょうか。それから、きのこ鍋も持ってきましょう。空腹では、良い考えは浮かびませんからね」
「そうだな……俺が運ぼう」
「ロクサス様も座っていてください、こちらに」
シエル様がパチリと指をはじくと、テーブルの上に一瞬で、おにぎりと、きのこ鍋と取り皿や、お箸やスプーンなどが並んだ。
「お前の魔法は、俺のものと違って万能で、良いな」
私の隣に座ったロクサス様が、取り皿の中にきのこ鍋が唐突に取り分けられて現れる様子を眺めながら言う。
「僕は、リディアさんの役に立つことができる、ロクサス様の時間奪取魔法の方が、良いなと思いますよ」
シエル様はそう言うと、私の正面に座って軽く手を組んだ。
「……先ほどのあなたの様子から考えると、そうですね、記憶の忘却についての、なんらかの呪いがかかっていたように思われます。リディアさんの料理をご自分で食べることによって、解呪の効果が得られた……しかし、本来特殊魔法というのは、自分自身には使えないものですが」
「そうだな。俺も兄上も、自分には己の魔法をかけることはできない」
ロクサス様が腕を組んで言う。
私はシエル様が淹れてくれたカモミールティーを、カップに口をつけて一口飲んだ。
甘さと爽やかさが口の中に広がって、少しだけ、ほっとする。
「リディアさんの場合は、魔法の発動に料理という媒介を使っているために、自分自身にも効果があると考えるべきでしょうか。この場合、魔法の発動主はリディアさんではなく料理、ということになりますので。……それはともかくとして、まだ呪いが体に残っているかもしれません。もう少し、食べましょうか、リディアさん」
「は、はい……あの、シエル様たちも、召し上がってください……温かい方が、美味しいので」
「ありがとうございます。それでは、遠慮なく」
「あぁ。頂こう。今日も、料理を作ってくれたリディアに感謝を」
ロクサス様とシエル様がお食事の前のお祈りをしてくれるので、私も両手を組むと「神祖テオバルト様、女神アレクサンドリア様、今日もお食事を感謝します」と小さな声で言った。
取り分けてもらったきのこ鍋をお箸を使ってぱくりと食べる。
きのこがしゃくしゃくしていて、お醤油の塩気と鶏団子の旨味が染みていて美味しい。
鳥団子に入れた生姜がスープの舌触りをスッキリさせてくれている。
きのこ、美味しい。
ルシアンさんにも食べてもらいたかった。
ルシアンさん、大丈夫かしら。
「うう……」
「泣くな、リディア。……いや、泣いても良い。ほら、こちらに来い」
ご飯は美味しいのに、悲しい気持ちになって、ぽろぽろ涙が溢れる。
ロクサス様が両手を広げてくれるので、私は「遠慮します……」と断った。
「何故だ……」
「な、なんとなく、だめな気がするので……」
「どういうことだ」
ロクサス様が私の隣で怒っている。怖い。
シエル様はお友達だから抱きしめてもらっても良いのだけれど、ロクサス様は親切な知り合いのお兄さんなのでだめなのよ。なんとなく。
「リディアさん。今日も、美味しいですね。心が落ち着く味がします。懐かしい、昔の……ほんの僅かな幸福を、思い出すような。……それで、……何が起こったんですか?」
シエル様に尋ねられて、私はフェトル森林であったことを、思い出しながら一つ一つ話した。
シエル様もロクサス様も、静かに聞いてくれていた。
ロクサス様の表情は次第に厳しいものに変わったけれど、シエル様はいつものように、口元に優しい笑顔を浮かべたままだった。
「……ルシアンさん、キルシュタインの人たちと一緒に、何か、怖いことをしようとしていて……」
「旧キルシュタイン領は、ウィスティリア辺境伯家の預かりではなかったか、シエル」
「……そうですね。ウィスティリア辺境伯家に旧キルシュタイン領は隣接しています。二十年前、王家を失ったキルシュタイン領を管理するためにウィスティリア辺境伯家から官司が派遣され、今は、ヴィルシャーク……ウィスティリア辺境伯家の次男が治めています。……神に見放された地──廃棄されたデウスヴィアと、呼ばれていますね」
「他人事のように話すのだな、お前は。ヴィルシャークはお前の従兄弟だろう。シエル・ウィスティリア。ウィスティリア家の正当な後継者のくせに」
「……その名は捨てました。それより今は、ルシアンについてです」
ロクサス様は深く嘆息した。
ロクサス様もシエル様の出自ついて知っているみたいだ。レイル様のことについてシエル様に色々相談していたようだから、もしかしたら親しい間柄なのかもしれない。
「ルシアンは、キルシュタイン王家の生き残りで、旧キルシュタイン領の孤児として育ち、名を変えて、レオンズロアの騎士団長になった……そういうことですね」
「はい……そう、言っていました」
「制圧戦争が起こった二十年前は、俺は生まれたばかりで、シエルは五歳か。当然記憶にはない。残っている記録も、我が国やベルナール王家、ゼーレ王を讃えるものばかりだ。……だが、噂だけは、知っている。かなり苛烈なものだったようだな」
「そうですね。禍根を残さないために、キルシュタイン王家は城の者たちも含めて、女性や子供に至るまで……根絶やしにされたと。王宮は血に染まり、ウィスティリアの官司か戦争後城に訪れた時には……いえ、やめましょう。詳しいことは、話すべきではない」
「……ルシアンは、ベルナール王家を潰そうとしているのか。いや、キルシュタイン領の奪還が先、か。王宮にはセイントワイスも、レオンズロアもいる。正攻法で戦って勝てる相手ではないと、レオンズロアに身を置いていたルシアンなら理解しているだろう」
ロクサス様が冷静な声音で言った。
まるで、ルシアンさんのことを、敵だと言っているみたいな口振りで。
それが、とても悲しい。
つい最近までは──仲良く一緒にご飯、食べていたのに。
「……戦禍に見舞われた街というのは、得てして治安が悪くなるものです。ルシアンの境遇を思えば……復讐こそが正義だと考えてしまう気持ちは、理解ができます」
「で、でも……! ルシアンさんは、本当はそんなことを、したくないって……っ、レオンズロアの団長として、それが、嘘、でも、生きていたいって……言っていた、気がします。……ルシアンさん一人だけの問題じゃないから、もう、どうにもならないって……」
「実際、リディアは襲われたわけだろう。復讐を止めれば、ルシアンは裏切り者としてキルシュタインの残党どもに断罪をされる可能性もある。もしくは……その目を覚まさせると、リディアを。……ルシアンだけを救ったところで、残党どもが暴徒と化すだけだ」
「……困りましたね。壊すことは、簡単です。ですが、壊さないようにすることが、一番難しい。……キルシュタインの方々の恨みは、深いでしょう。廃棄されたデウスヴィアには、王国人が移り住み、キルシュタイン人の住める土地を制限している。その差別は、未だ続いています。恨むなと言うほうが、難しい」
「……全部を、……どうにかすることは、できない、かもしれない……でも、ルシアンさん……悲しそう、でした。楽しかったって、言ってました。だから、戦うのは、違うと思って……」
流れる涙を私はごしごしと擦った。
「半年前、ルシアンさんにはじめてご飯を作ったとき……ルシアンさん、昔の、幸せだったときのことを思い出したって、言っていました。ご飯の味なんて、ずっとわからなかったのに……って。あのとき、ルシアンさんが作ってくれって言ったお料理、私の知らないもので」
私は両手を胸の前でぎゅっと握り締める。
声が、震える。
自信なんて、いつも、なくて。うまくいくかなんて、わからなくて。
でも──。
「あれは、キルシュタインのお料理なんじゃないかなって、思うんです。……もう一度、食べてもらいたい。ルシアンさんや、ルシアンさんの周りにいる、悲しい気持ちの、人たちに。……もしかしたら、復讐、やめようって。他の方法を、考えてくれるかもしれないから……」
そんなことで、何かが変わるなんて。
思えないけれど。
でも、ほんの少しでも可能性があるのなら。私が、できることなら、したい。
ルシアンさんは、私のお友達だから。
「リディア」
「リディアさん……」
ロクサス様がため息をついて、シエル様がにっこりと微笑んだ。
「……話は、聞かせてもらったよ」
そのとき、不意に声が響いた。
どういうわけか、食堂の窓がいつの間にか開いていて、そこに足を組んで、狐みたいなお面を被った白い髪の男性が座っていた。
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