ルシアンさんの本当
ルシアンさんは、髪を撫でる私に何かをいうこともなく、目を伏せてなすがままになっていた。
「ルシアンさん、大丈夫、ですか? ……きのこ、いっぱいあります。全部食べても良いですから、いっぱい焼きますから、……私、それぐらいしか、できないですけれど……」
「ありがとう、リディア。君の料理は……泣きながらつくっていた時も、不思議と力が湧いてくるようだったが、今は……優しいな」
ルシアンさんは残りのきのこの丸焼きをゆっくり食べた。
私も自分の分を手にして、口に入れる。
タケリマツタケは大きくて、ぱくりと口に含むと良い香りと芳醇な味わいで口の中がいっぱいになる。
歯ごたえは、少しふにゃりとして、シャキシャキしている。
噛み締めると、じゅわりときのこのスープが染み出してくる。
塩味がちょうどよくて、たくさん歩いて、怖い思いもして、疲れた体にじんわり染み込むような味わいだ。
「美味しいですね、ルシアンさん。やっぱり秋はきのこです。新しいメニュー、きのこの炊き込みご飯で作ったおにぎりにしようかな……おにぎり、美味しいです。きのこのクリームパイとか、キッシュも美味しいですけれど、やっぱり、おにぎりかな……」
タケリマツタケの先端を口に含んでむぐむぐ食べながら、私は言った。
お料理の話をしている場合じゃないかもしれないけれど、他に話すことが、みつからない。
ルシアンさんが話したくないと思っていること、無理に聞き出すことはできないし。
ご飯を食べて、ルシアンさんの気持ちが、少しでも晴れやかになってくれたらと思う。
「ルシアンさん……ご飯食べてくれて、良かったです。お腹が空いていると、悲しい気持ちになりますから……ルシアンさん、毎日のように、朝ご飯、食べにきてくれたから。だから、……あの、これからも、きてくれると、嬉しくて」
どこか遠くに、ルシアンさんが行ってしまう気がして。
もう、会えなくなってしまうような、気がして。
私には引き止める権利なんてないけれど、ルシアンさんが苦しいのは、嫌だと思う。
「ルシアンさん、お友達は、辛いことを半分にするんです。……私、ルシアンさんのお友達、ですから。……ご飯、食べて元気になってくれたら良いなって、思っていて……」
「私もリディアの友人にしてもらえるのか?」
「は、はい、ルシアンさん、あの、嫌、ですか……? ルシアンさんは私を助けてくれて、一緒に、きのこを焼いて食べましたし、お友達、です」
「……リディア。……今だけ、少しだけ、……私は、君に甘えても良い、か」
私は食べ終わったきのこが刺さっていた枝を置くと、両手を広げる。
「はい……! 良いですよ、……あの、苦しい時とか、辛い時に、ぎゅってしてもらうと、落ち着くんです。ルシアンさん、……お友達だから、その、あの、良かったら……」
「あぁ。……リディア、……小さくて、温かいな」
ルシアンさんは両手を広げた私を、覆いかぶさるようにして抱きしめた。
私はルシアンさんの広い背中に手を回して、筋肉と骨の感触のする硬い背中を撫でる。
言葉ではうまく伝えることができないけれど、撫でられると落ち着くから。
私にできること、これぐらいしかないけれど。
それでも、何もしないよりは良いと思うのよ。
「……私の幻想がはじまったのは、半年前、君を救って……食堂まで、送り届けて。それで、はじめて、料理を作ってもらったときだった」
ぽつりと、まるで独白でもするように、ルシアンさんは言った。
「私は、どうしたら良い? 君の泣き顔を見たり、愚痴を聞いたり、それから、時折、嬉しそうに笑う笑顔を見ていた半年間は、心地の良い幻想の中にいるようだった。……それまでの私は、ずっと闇の中にいるようで、……何を食べても味などしなかった。憎しみと、苦しみに支配されていて、……他者のことなど、利用できるかできないかで判断していた」
「ルシアンさん……」
ルシアンさんの言葉じゃないみたいだ。
なんだかとても、苦しい。
私の恨みつらみなんて、子供じみた愚痴だと思えてしまうぐらいに、ルシアンさんは私よりもずっともっと、苦しそうで、抱きしめられて重なった皮膚から感情が流れ込んでくるみたいに、心が痛んだ。
「やはり、君の料理には不思議な力があるのだな。……君との楽しかった思い出を、君の料理を食べると、つい昨日のことのように、思い出すことができる。……リディア、何もかもを、君に話したくなってしまう」
「は、はい……ルシアンさん、私でよければ、話してください。話すと、悩みは半分になるって、お友達とはそういうものだって、私は知っていますから」
「ありがとう。……今だけはまだ、幻想の中にいても良いのだろうか。……リディア、懺悔だと思って、聞いてくれ。……私は、嘘つきなんだ。ずっと、何もかもを騙していた。……そうしないと、いけなかった」
「どうして、ですか……? ルシアンさん、どうして……」
「……私は、……ルシアン・キルクケードと名乗っている。だが、本当の名は、ルシスアンセム・キルシュタイン。……二十年前に滅ぼされたキルシュタイン王国の、生き残りだ」
「……隣国、の」
それは、学園の授業で習ったことがある。
二十年前、国王ゼーレ様は、隣国の小国であるキルシュタイン王国を滅ぼした。
キルシュタイン王国は、赤い月ルブルムリュンヌを崇めていた、魔女崇拝の国。
魔物を操ることのできる者たちのいる、赤い月に幽閉されていると言われている魔女シルフィーナの眷属たちの国。
邪悪な小国は、白い月と女神アレクサンドリア様を崇めるベルナール王国を憎み、何度も攻撃を仕掛けてきたのだという。
それに心を痛めたゼーレ様は、大規模な戦争を仕掛けて、キルシュタイン王国を滅亡まで追い込んだ。
キルシュタイン王国の王家を滅ぼし、王国を支配して、ベルナール王国の領土としたのだという。
素晴らしいことだと、学園の先生は誉めていた。
私は、その時は、争うことは怖いけれど、二十年も昔の話なら、終わった過去のことだと思って、まるで何かの物語のように感じていた。
「あぁ。……二十年前、国王ゼーレによって、私の国は滅ぼされた。私はその時王宮にいて、……無惨に討たれる城の者たちや、両親の姿を見ていた」
「ルシアンさん……ルシ、アンセ……さん」
「ルシアンで良い。もう、長い名で私を呼ぶものはいない」
「……ルシアンさんは、王子様で、無事だったということですか……?」
「あぁ。生き延びてしまった。一人だけ、な。……それから私は、ベルナール王国の者たちが支配する街で、一人きりで、息を潜めて生きてきた。やがて、……キルシュタインの王家に連なっていた者たちがひとところに集まって、私を探し出した。その頃私は、……リディアにはとても、話せないような生活を」
ルシアンさんは私を抱きしめる腕に力を込めた。
まるで、助けを求めているみたいに。
それは、溺れている人が、必死に何かに捕まっているみたいだった。
「……心にあったのは、復讐心だけだった。それから、正義感だな。……殺された父や、母や、母の腹にいた妹の、仇を打つと、考えていた。残酷な、ゼーレ王を殺す。そのためには、近づかなければいけない。……だから、身分を隠し、名前を変えて、今の立場に」
「……で、でも、ルシアンさん、……ちゃんと、騎士団長として、働いていて」
「全ては、嘘だ。……人助けも。優しい言葉も、全ては、私という偽りの存在を作るため。信用を、勝ち取るため。……リディア、君に近づいたのも……ベルナール王家に捨てられたような立場の君を、私たちの味方に引き入れることはできないだろうかと、考えていたからだ」
「そんなふうには、見えませんでした」
「……君と、いるときだけは。……私は、……自分の立場も、復讐心も、忘れることができた。……君の料理を食べると、幸せだった幼い頃のことが、思い出されて。両親が私に微笑んで、復讐などはやめろと、諭してくれているように感じられた」
ルシアンさんは泣いていないけれど。
泣いているみたいに、思えた。
けれど、実際に泣いているのは、私。
二十年前の、四歳のルシアンさんが見てしまった光景を思うと、胸が痛んだ。
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