ルシアンさんとの思い出
私のお店のある路地から広い通りを市場の方向に歩いていくと、南地区の中心街の広場がある。
あまり裕福な人たちが住む街ではないけれど、それでも中心街の広場は活気があって、若い人たちに人気の喫茶店とか、お菓子屋さんとか、お洋服屋さんなどが軒を連ねている。
中心街の中央には木々がまばらに並んだ緑地帯や、花壇がある。
休憩用のベンチやテーブルなども置かれていて、子供を遊ばせるお母さんの姿もあり、人通りが多いこともあるのか、南地区においては比較的治安の良い場所である。
といっても、荷物など置いておけば平気で取られてしまうし、鞄だって気を抜けば中身ごと奪われてしまうし、子供から目を離したらいつ攫われるかわからない程度の、治安の悪さなのだけれど。
「ルシアンさんに助けてもらって、半年経ちましたね」
広場には、今日は様々な露店が並んでいる。
中身をくり抜いて目と鼻と口の部分に穴を開けた巨大かぼちゃが、そこここに置いてあるのが可愛らしい。
お菓子や食べ物屋さんもあれば、安価な装飾品や、魔石ランプや、お花や、雑貨も売っている。
それから、収穫祭も兼ねているということもあってか、お野菜を売っている露店も多く見られる。
私はきょろきょろと露店を眺めながら、ルシアンさんに話しかけた。
「月日が経つのは早いものだな。半年前など、つい昨日のことのようだ」
「ルシアンさん、お年寄りみたい……」
市場のおばさまたちはよく「一年なんて体感一週間で終わるんだから、若いうちは楽しいことをたくさんしなさい」と言ってくれる。
一週間と一年はまるで違う気がする。
でも、確かに半年前からずっと自分の不幸を悲しんで、ぐずぐず泣き続けていた私にとっても、半年というのは結構あっという間だった。
「俺はまだ二十四歳だ。シエルよりも若い」
「ルシアンさん、シエル様と仲良しなんですか?」
「いや。シエルはセイントワイスの筆頭魔導師だからな。立場上、顔を合わせて話をすることはあるが、個人的に親しいというわけじゃない」
「そうなんですね。てっきりお友達なのかと思っていましたけど……」
「友人ではないな。リディアの店で顔を合わせるようになる前は、私はシエルについては、口数の少ない何を考えているのかよくわからない男だと思っていた。リディアと共にいると、シエルはよく喋る。君の顔を見ていると、不思議と安心するからかもしれないな」
「ルシアンさん、そうやってさらっと、女誑しみたいなことをいうの、よくないと思います……あの赤いの、なんでしょう。林檎に棒が刺さっていますよ」
「本当にそう思っているんだが……あれは、林檎かな。なんだろうな」
半年前のことを思い出してお礼を言おうと思っていたのだけれど、ルシアンさんが甘ったるい声で、ろくでもないことを言ってくるので、私は頬を膨らませた。
それから、視線の先に見つけた林檎に棒が刺さっている露店に足を向ける。
「あら、リディアちゃん。今日は男前と一緒なのねぇ。林檎あめ、食べる?」
露店を開いていたのは、市場でいつも果物を売っているおばさまだった。
林檎あめというのは、林檎の外側に砂糖を煮詰めた飴を絡めたものだと説明してくれた。
そういえば、大衆食堂ロベリアでも、何かデザートを出そうと思っていた私。
普段甘いものはあんまり食べないのだけれど、何かの参考になるかもしれないと思って、一つ買うことにした。
お財布を出そうとしたら、ルシアンさんが先にお金を払ってくれた。
さらっとお金を払ってくれるあたり、やっぱり女性と一緒に出かけるのに、慣れているような気がする。
恋人はいない、とか。あやしい。
「きのこ狩り大会までまだ時間がある。座って食べるか、リディア」
「ルシアンさんは食べないんですか?」
「私は遠慮しておくよ」
ルシアンさん。お昼ご飯まだだと思うのに、やっぱり何にも食べない。
露店のご飯は、苦手なのかしら。
ふかふかに蒸された肉饅頭とか、壺の中で焼かれた焼き芋とか、串に刺さった蛸足焼きとか、川魚の串焼きとかも、全部美味しそうなのに。
ルシアンさんは私を緑地帯のベンチに連れて行ってくれた。
花壇にはチョコレートコスモスの花が咲いている。
チョコレートの香りがわずかにする深い茶色のコスモスは、マーガレットさんの好きな花だ。
多分コスモスが好きっていうよりも、チョコレートが好きなんだと思う。
「ルシアンさん、甘くて美味しいですよ」
「そうか。それはよかった」
私は林檎の表面のあめを、ぺろぺろ舐めた。美味しいけれど、これを食べ終わるには、半日ぐらいかかるのではないかしら。
舌先で甘いあめをちろちろ舐めながら、私は眉を寄せる。
きのこ狩りに行かなきゃいけないのに、大変な食べ物を買ってしまったかもしれない。
「リディア。それは、舐めるのではなく、齧るようだぞ」
「……飴なのに、齧るのですか?」
「あぁ。子供たちが、齧っている。表面の飴は薄いようだから、齧っても大丈夫なのではないかな」
私はなるほど、と思いながら、じっと林檎あめを見つめて、意を決して齧ってみることにした。
飴は舐めるものだと思っていたけれど、そうではないのね。
食べ物には、いろいろな食べ方があるみたいだ。
林檎の表面を、かぷりと齧ると、飴は案外簡単に割れた。そのまましゃくりと、林檎を齧る。
飴の甘さと林檎の酸味が口の中にいっぱいに広がって、美味しい。
「半年前、私は君のことをここで助けたけれど、それは偶然というわけではなかった」
私が林檎を齧るのを眺めながら、ルシアンさんが懐かしそうに言う。
私は口の中がいっぱいで返事ができないので、もぐもぐしながら首を傾げた。
偶然、ではないのかしら。
私は偶然だと思っていたけれど。
──あれは、マーガレットさんにお店と、お金を借りて、すぐのこと。
お店を開くと決めた私は、まずは食材を買いに行かなきゃと思って、街に出かけた。
マーガレットさんの貸してくれた店舗には、調理器具は全部揃っていたし、コンロの炎魔石も、シンクの水魔石も、きちんと手入れをしていたようにして問題なく使えたから、私は食材を買いに行くだけでよかった。
今まで一人でお買い物なんてしたことのなかった私。
緊張しながらマーガレットさんに教えてもらった市場までの道を歩いていると、肩から下げていた、これもマーガレットさんにお下がりをもらったお金の入った布鞄をひったくられそうになった。
「お嬢ちゃん……なかなか、可愛い顔をしているな。金だけ奪おうと思ったが、気が変わった。連れて行くぞ、野郎ども!」
という、怖いお兄さんの掛け声と共に、鞄だけじゃなくて、私も小脇に抱えられて、どこかに連れて行かれそうになった。
今までの私の世界では、そんなことなんてまず起こらなかったから。なんだかよくわからなすぎて。
ただただぐずぐず泣いている私の元へと、颯爽と現れたのがルシアンさんだった。
「その薄汚い手を離せ。殺されたくなければな。……良いか、その女性は私の大切な人だ。今後、その女性に手を出すという行為は、聖騎士団レオンズロア団長のルシアン・キルクケードを敵に回すということだと思え」
ルシアンさんは抜き身の剣を男たちに向けた。
それから、訳がわからなくてただ泣いている私を市場に連れて行ってくれて、そして食堂まで送ってくれた。
何かお礼をしたいと言った私に、「それなら料理を作ってくれないか?」とルシアンさんは言った。
そうして、ルシアンさんは食堂の最初のお客さんになった。
私はあの時、ルシアンさんは偶然通りかかってくれたのだと思っていたけれど、違うのかしら。
ルシアンさんは、しょっちゅう街で女性を助けているようだし。
その中の一人だと、思っていたのだけれど。
「聖騎士団レオンズロアは、ベルナール王家直属の騎士団だ。だから、当然ステファン殿下の婚約者の君のことを私は知っていたし、君が殿下に婚約破棄された後、レスト神官家に戻っていないことも知っていた。だから、心配で……君の動向を、調べていた」
「そうなんですね……ルシアンさんがいなかったら、私、怖い人たちに捕まって、売り飛ばされているところでした。その節はありがとうございました」
「そんな、他人行儀に……良いんだよ、リディア。私とリディアの仲だろう」
「どんな仲です……」
「そうだな。見るものが見れば、恋人に見えるのではないかな」
「うう、ルシアンさんが、ちゃんとお礼を言ったのに、誑かそうとしてくる……」
私は口の周りをりんごの周りの飴でべとべとにしながら、くすんくすん泣いた。
真面目にお礼を言っているのに。ルシアンさんめ。
助けた女性全員にこんな対応をしているのだわ、きっと。
マーガレットさんが言っていたように、いつか刺されるというのは本当かも。というか、私が刺されそうで怖い。
「……ルシアンさん、あの時、ルシアンさん、私がよく知らない料理、作ってって、言いましたけれど……あれ以来、あの料理、作っていませんよね」
「リディア。……口の周りが赤くなっている。飴に、食用の着色剤が混じっているのかな。化粧のようで、可愛い」
ルシアンさんは、私の唇に手を伸ばした。
指先でべとべとを擦るようにして拭うと、自分の口元に持ってくる。
ルシアンさんが自分の指先を舐めるのを、私は唖然と見つめていた。
「……っ、ルシアンさん、そういうの、本当に、よくないと思うんです……誰にでもそういうことしてたら、恨まれますからね……!」
「君にしかしない、リディア」
「……もう、全部が、あやしい」
ルシアンさんがもう一度手を伸ばそうとしてくるので、私はその手から逃げるようにして立ち上がる。
そろそろ、きのこ狩り大会のエントリーに行かないといけない。
ルシアンさんを警戒しながら歩く私のすぐ後ろを、ルシアンさんはついてきてくれた。
元気がないのか、元気なのか、よくわからないのよ。
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