二人きりの魔力診断
蔦に塗れたお屋敷の古めかしい玄関を、シエル様は開いた。
鍵を使うかと思ったのだけれど、シエル様が扉に手をかざすと、不可思議な紋様が浮かびあがって、扉がひらく仕組みになっているみたいだった。
「鍵じゃないんですね、扉」
「ええ。中に、研究機材などがありますから。万が一持ち出されたら、良くないものも多いので」
「なんだか、ちょっと怖い、です……」
「怖いですか?」
「なんとなく、ですけど……あっ、シエル様が怖いわけじゃなくて、研究室っていうのが、なんとなく。それと、このお屋敷も、ずっと空き家で……その、蔦がうねうねしてるのが、ちょっと怖いなって思っていて」
私はわたわたしながら、弁解した。
シエル様は怖くない。
お屋敷と、持ち出されたら危ない何かがあるという研究室の雰囲気が、なんとなく怖いなって思うだけで。
「リディアさん、手を繋ぎますか? 怖いのなら、もしよければ」
「え、あ、は、はい……」
私はシエル様の差し出してくれた手に、自分の手を重ねた。
幼い子供の手を引いて街を歩いているお母さんの姿を思い出す。
シエル様は女性じゃないけれど。
シエル様の手は私よりもずっと大きくて、私の手はすっぽりと手の中におさまってしまうぐらいだった。
手を引かれて、屋敷の中に入る。
エントランスには古めかしい魔石ランプが吊り下がっている。
がらんとして広いエントランスを抜けると、私の食堂よりも広いリビングがある。
革製のソファが一つと、テーブルには紙の束や、万年筆。たくさんの本が乱雑に積まれている。
天井には新しい魔石ランプや、薬草のような草花が吊り下がっている。
大きなガラス製の筒状のようなものの中に、よくわからない生き物の体の一部、みたいなものがふわふわと浮かんでいる。
ビーカーや、フラスコや、見たこともないような道具が、雑然と置かれているお部屋だ。
「……すみません、散らかっていて。片付けは、あまり得意ではなくて」
「シエル様、お部屋、綺麗なイメージ、ですけれど……お片付け、苦手なんですね……」
「物をあまり持たない生活を、長く続けていたので、……部屋は、綺麗です。ベッドと、服ぐらいしかないので。ですが、研究室を移動させるとなると、魔導師府から色々と運んできたせいで、物が増えてしまって」
シエル様は困ったように言いながら、私を一つだけあるソファに座らせてくれた。
「あ、あの、私、シエル様には……たくさん、お世話になっているので、私、お片付けとか、お掃除とか、お手伝いしますね」
「……ありがとうございます。あなたは、優しいですね。……つい、甘えたくなってしまいます」
「シエル様、私のお店に来た時、お皿洗いとか、片付けとか、お手伝いしてくださいますし……だから、私も」
「片付けとか掃除、ではなくても、いつでも来てください。魔導師府で仕事をしている時や、遠出をしている時もありますが、ここに、住んでいるので」
「私のお店から、近いです。マーガレットさんもシエル様も、近くにいてくれて嬉しいです」
誰かの訪れを待つばかりの生活だったけれど、会いたいと思えば、シエル様のお家を訪ねることができる。
お食事、食べているか心配だから、時々ご飯を届けてあげようかしら。
シエル様は私を何も言わないでしばらくじっと見つめていた。
熟れた林檎のように赤い瞳にまっすぐに見つめられると、なんだか落ち着かない気持ちになって、私は視線を彷徨わせる。
「……リディアさん。魔力診断の水鏡は、知っていますか?」
「は、はい。……あの、小さい頃に、私もお父様に連れられて、大神殿で魔力診断を受けたのです。でも、私には魔力がなかったから、水鏡の水の色が、変わらなくて」
シエル様は頷くと、部屋の中央に置かれた、背の高い台座の上の杯に手を這わせる。
「魔力診断の水鏡は、神官たちが管理をしているものです。それは、神殿から持ち出すことができないものですので、ここにあるのは僕が作ったものです。本物の水鏡にできる限り近づけていますので、魔力を診断することが可能です」
私はソファから立ち上がると、シエル様のそばへと行って、水鏡を覗き込んだ。
白い陶器の器は、透明な水で満たされている。
シエル様が軽く指をつけると、水は波紋を広げて、濃い闇のような黒へと色を変えた。
水の中に黒インクを落として、それが広がっていくみたいだった。
「魔力の特性や、その濃度で、水の色が変わります。僕の場合は、特殊な力はありませんが純粋に魔力量が多く、属性も限定されていないので、黒に。例えば、ロクサス様など特殊な力のある方の場合は、金色に」
「私、色が変わらなくて……魔法も、使えません」
「……あなたに貰ったソーセージを、診断のためにここに入れてみたのです。特に変化はありませんでした」
「あ、あの、じゃあ、私……やっぱり、何の力も、ないんじゃ……」
今までのこと、全部、何かの間違いだったのではないかしら。
もしくは、──女神アレクサンドリア様が、その時だけ、力を貸してくれていた、とか。
でも、そんなこともなくて。
全部が、思い込みだったら。
シエル様の死の呪いも解けていなくて、レイル様やオリビアちゃんの病気も、治っていないとしたら。
──私、落ちこぼれで、役立たずで、それで、嘘つき、だわ。
「私……っ」
「リディアさん、大丈夫です。……僕は、あなたを泣かせてばかりいますね。……すみません」
シエル様の指先が伸びて、私の目尻の涙を拭った。
「僕やリーヴィスたちは、リディアさんのおかげで、命を落とさずにすみました。白月病の方々も、病気が癒えました。……それは、リディアさんの料理の力、ですが、料理の力が発揮されるのは、リディアさんが料理を作った直後だけではと、考えています」
「ええと、出来立てじゃないと、いけないってことですか……?」
確かにご飯はできたての方が美味しいとは思うけれど。
そんなことって、あるのかしら。
シエル様は私の手に、指を絡めるようにして触れた。
「魔力とは、体に巡っている物です。例えば、体に流れる血液のように。魔力を使用するとは、体に流れる魔力を制御して、外側に、あらゆる事象として発現させること。あなたはこの小さな手で、料理を作ります。食材に触れ、調理器具に触れ、食器に触れる」
「は、はい……」
「あなたの中に特別な力があるとして、それをうまく、あなたは発現することができないとしたら、……無意識のうちに、料理を通してその魔力が溢れるということも、あるかもしれません。それは、ほんの微量だから、時間が経てば、消えてしまう」
「……考えたこと、なかったです」
「最初に気づいたのは、ルシアンですね。体力増強や、筋力の増強、それから、魔力の回復、……呪いの浄化、病気の治療。……総じて、肉体の力を活性化させるもの。全てが、癒しの力と言えなくはない」
シエル様は繋いだ手に、僅かに力を込めた。
重なる手のひらで、何かを確かめているような仕草だった。
シエル様ほどの魔導師の方になると、他者の魔力を感じることができたりするのかしら。
私には、よくわからないけれど。
「リディアさん。……微量の魔力が、あなたの手から溢れているという可能性があるとしたら、水鏡の色が変わるはず。……試してみませんか」
「で、でも、小さな頃は、変わらなくて……」
「成長するにつれて、魔力量が増大するものもいるのです。もしかしたら今は、何か、変わっているかもしれません」
シエル様は私と繋いでいた手をそっと引いて、促すように、水鏡の上へと持ち上げると、絡めていた指を離した。
私は水鏡の上に差し出した手を、おそるおそる、水の中に差し入れる。
水の色は、変わらない。
変わらない、はずよね。
けれど──私が指を入れた途端に、水の色は、虹色に輝き出した。
「……っ、ひ、あ……っ」
虹色の光が部屋に眩いほどに溢れる。
私はびっくりして手を水鏡から抜き出して、後ろに下がった。床に置いてある何かにつまずいて転びそうになったのを、シエル様が腕を引いて助けようとしてくれる。
私はシエル様の腕に捕まって、そのまま体重をかけた。
床にべしゃりと倒れたと思ったのだけれど、あまり痛くない。
何か、柔らかいものの上に倒れたみたいだ。
私の下に、シエル様の姿がある。
私を庇って、私の下敷きになってくれたみたいだ。
「……シエル様、ごめんなさい、痛かったですよね、ごめんなさい、私、びっくりして、しまって……っ」
「いえ……大丈夫です。あなたは、軽いですから」
「で、でも」
私はシエル様のお腹の上に乗ったまま、小さくなる。
それから慌てて体をどかそうとすると、体を起こしたシエル様が、私の腰に手を回して、私の肩に何かに祈るようにして額を押し付けた。
硬い宝石の感触が、体に触れる。
「……やはり、女神の加護は、あなたに。……けれど、あなたは料理を通して力を溢れさせることしかできず、それは意図的ではない。……何かがあなたの力を、阻害しているとしたら」
「シエル様……」
「このことは、しばらくは僕とあなただけの、秘密に。……何か、よくないことが起こりそうな予感がします」
「……は、はい」
「僕は、あなたを守ります。あなたの力を、皆に広めてしまった責任が、僕にはある」
シエル様の体はあたたかくて。
血のつながりはないけれど、家族、みたいで。
けれどそれだけではなくて、大きくて、硬くて、男の人だと思うと、どうしてか、緊張した。
「責任だけではなく……大切な、友人として」
「……ありがとうございます」
シエル様が苦しそうだから、私は大丈夫だという気持ちを込めて、シエル様の髪を撫でた。
サラサラしていて、その先には硬い宝石がある。
撫でられると安心するから、この間の、お返しをしたかった。
私は、自分のことなのに、自分で自分がまるでわからない。
魔力、なかったはずなのに。
私にはただ頷くことしかできなかったけれど、一人ではないから、──今は、怖くない。
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